IV 交錯する様々の思惑

「…詳しいことはレオナールから聞いた。そなたらの働き、嬉しく思うぞ」
 デニム達は、任務であった「騎士団長レオナールの援護」を果たし、アルモリカ城に帰還した。ニバスこそ討ち洩らしたものの、クリザローの町をガルガスタンから奪回でき、ロンウェー公爵は上機嫌で、神竜騎士団の帰還を迎えた。
 一日、休息を置いて、デニム、カチュア、ヴァイス、の三人は会議室に呼ばれた。レオナール、聖騎士ランスロットも同席していた。
「さて、次の任務だが、レオナールと共にバクラムのフィダック城へ行ってもらいたい」
 フィダック、という地名に聞き覚えがあるデニムは、頭の中に、ヴァレリアの地図と勢力範囲を描いた。そして、思い至った。
「フィダック城といえばロスローリアンが駐留する城…。何故、そこへ?」
「ガルガスタンとの本格的な戦いを前に『非干渉条約』を結んでおきたい。バクラムとではない。暗黒騎士団とだ。ガルガスタンとの戦闘中、背後からバクラムに攻められてはたまらんのだ」
 公爵の言はあながち杞憂というわけでもない。戦略の基本は弱いところからを潰していくことであり、ローディスと結んでまでヴァレリアの覇権を欲したブランタが、ガルガスタンとウォルスタが争っている間に漁夫の利を得ようと考えることは、充分にあり得ることだからだ。
 しかし、だからといって、それに納得できるかどうか、は別問題である。公爵の言葉に、カチュアが難色を示す。
「し、しかし、公爵様。バクラムはこの内覧の元凶でございませんか。まして、ロスローリアンは親の仇。そもそも彼らがバクラムに肩入れさえしなければ、こんなことには…」
 バクラム・ヴァレリア国の建国に、暗黒騎士団が一枚も二枚も噛んでいるのは、いわば公然の秘密、というものである。そんな、争いを助長するような暗黒騎士団の存在を、苦々しく思っているヴァレリアの人間は少なくない。デニム達のように、直接の被害を被っているのなら、尚更のことである。
 だが、公爵はそれを承知の上で、敢えて暗黒騎士団と密約を結ぼうというのだ。個人の感情よりも、ウォルスタの利益を優先した、高度な政治的判断、なのだろう、多分。
「その気持ちは私も同じだよ、カチュア。しかし、考えてもみたまえ。我々の戦力で勝てると思うのかね?太った豚同然のバクラム人など敵ではない。しかし暗黒騎士団は強敵だ。だからこそ、我々はローディス教国に従うことを誓約し、彼らの敵にならないことを証す必要があるのだ」
 ヴァイスは、少し眉をひそめた。「ローディス教国に従うことを誓約し」というくだりが、気に入らないらしい。
「それでは、公爵様はローディスに屈するとおっしゃるのですか?」
 率直すぎるヴァイスの言いように、ロンウェー公爵は苦笑した。
「口が過ぎるぞ、ヴァイスくん。気持ちは同じだと言っている。もちろん、ローディスの悪魔に魂を売ったりはしない。バルバトスを、ガルガスタンを倒すまでの間だけ。暗黒騎士団に沈黙を守らせることで、ガルガスタン陣営内の日和見どもは戦いをやめるはず。そうなれば我々にも勝ち目はある。バルバトスを亡き者とした後はバクラムだ。やつらを叩くッ」
 そんなに上手く、筋書き通りに行くだろうか。デニムは疑わしく思った。第一、どうしても、暗黒騎士団と手を組む、ということに激しい抵抗を感じる。
 ランスロットさんはどう思っているだろう。デニムは、向かい側に座るランスロットの顔を、そっと伺い見た。が、慎ましく沈黙を保った聖騎士から、何らかの意見を汲み取ることはデニムには不可能だった。
「…いかがかな、聖騎士殿よ?」
 期せずして、公爵も、ランスロットへと顔を巡らせた。
「ゼノビアの王はローディスのようにヴァレリアを欲しておらんよな?ならば、国造りのため、ゼノビアの王もまた約束してくれるはず。おっと、聖騎士殿には関係のない話であったな。これは失礼した」
「……」
 揶揄の滲んだ公爵の声は、公爵が完全にはゼノビア人達に気を許してはいない、証拠であったのかもしれない。ランスロットは表情を動かさなかったので、彼が何を思い、何を考えたか、想像することは出来なかったが。
「それでは早速、レオナールと共にフィダックへ発ってくれ。おお、それからこの任務のために一万ゴートを遣わす。きちんと準備してゆかれよ」
 不本意な任務ではあれど、公爵の命である。恭しく資金を受け取り、デニム達は退室した。

「おう、ランスロット」
 片手を上げ、風使いカノープスは、聖騎士ランスロットに歩み寄った。それから、豪放なカノープスらしくもなく、キョロキョロと辺りを見回してから、声をひそめた。
「……どうだ?何か、手がかりはあったか?」
 ランスロットは小さく首を振った。
「まだ、何とも……。今のところ、ロスローリアンは、フィダックという城に駐留しているそうだが……」
「ウォーレンは何も言っていないか」
「ああ」
 カノープスは、腕を組んだ。ランスロットは、先刻の会議室での話を、簡単に伝えた。
「現段階では、ロンウェー公爵はローディスと事を構えたくないようだ」
「らしいな。デニムに聞いたぜ。『非干渉条約』を結ぶ使者の任務を受けたってな。あんまり気乗りしない様子だったが」
「無理もなかろう。……ロスローリアンは、彼らが無謀な仇討ちを計画したほどの相手だ」
 ランスロット、という名前のせいで、暗黒騎士団団長と間違われた聖騎士は、小さな溜息をついた。
「とりあえず、オレはデニム達と行動を続ける。ちょうどおあつらえ向きだしな。暗黒騎士団について、何か分かったことがあれば、帰ってから報告する」
「わかった」
「お前はどうするんだ?ランスロット」
「ロンウェー公爵の要請待ち、という状況だ。もし、『非干渉条約』が締結されて、ガルガスタンと全面的に衝突するのなら、前線に配置される可能性はあるが」
 不意に、カノープスが真剣な表情になった。広い手で、がし、とカノープスはランスロットの両肩を掴んだ。
 八歳年下の戦友の、端正な顔をまっすぐに凝視し、カノープスはぽつりと言った。
「なあ、ランスロット。何があっても、死ぬなよ。まだ、お前を必要とすることが、多く残っているんだからな」
「……それは、お互いにだな」
 ランスロットは笑った。透き通るような笑顔だった。それだけで、共に死線を潜り抜けた仲間同士には、それ以上の言葉は必要なかった。
 もう一度、笑みを交わし合うと、二人はそれぞれ、違う方向へと歩き出した。

 ウォルスタの版図自体は、アルモリカ城とクリザローの町をガルガスタンから奪還した程度で、バクラムやガルガスタンと比較すれば、取るに足りない。しかし、ウォルスタ解放軍の、士気、という点では、ガルガスタンを遥かに上回る。
 アルモリカ城からフィダック城へと至る街道上には、広大なゴルボルザ平原が横たわり、更に古都ライムを通過しなければならない。ゴルボルザ平原も、古都ライムも、ガルガスタン軍の占領下にある。だが、問題なく強力なガルガスタン、抵抗の牙すらもがれつつあったウォルスタ――この両者の立場は、変化してきつつある。少し前までは、ガルガスタンにとっては、ウォルスタなど歯牙にもかからない存在だった。それが、局地戦とはいえ、ウォルスタ解放軍は最近、連戦連勝である。勢いのある軍というものは侮れない。ガルガスタンは、その勢いを少なくとも脅威に感じ始めていた。ゴルボルザ平原で解放軍と対峙した、ガルガスタン軍のリーダー、吃音のブレッゼンがぼやいたのは、そういう理由だった。
「こんなところで解放軍と出会うとはな。チッ、ついてねぇぜ」
 ガルガスタン側から見て、まさかウォルスタ解放軍が、暗黒騎士団と密約を交わすためにフィダック城へ向かっているなどと、想像もつかぬ事だろう。ぼやきは当然だが、デニム達がそのような事情を説明してやる、義理も必要もない。
「こんな手勢じゃ、勝てやしない…。とりあえず退きましょう」
 ブレッゼンは、気弱な言葉を口にした部下を、怒鳴りとばした。
「バカ野郎ッ。てめぇにはガルガスタンの誇りっつうもんがねぇのか!」
「圧倒的に不利じゃないですか。ライムの本隊と合流しましょうよ」
 そう言って、後ずさりした兵士に、ブレッゼンは斧の一撃を見舞った。血飛沫を上げ、兵士は倒れる。即死であった。見せしめと、弱い要素の切り捨てである。
「アルモリカ城をとられたぐらいで臆病風に吹かれやがって…」
 唾を吐くと、ブレッゼンは残る部下達に号令を掛けた。というよりは、神竜騎士団に宣戦布告をした。
「さあ、かかってきやがれ。ガルガスタンの力を見せてやるッ!!」
 全体数としては、ガルガスタン人とウォルスタ人とでは、言うまでもなくガルガスタン人の方が圧倒的にガルガスタン人の方が多い。人数が多いということは、動員できる兵の数が多いということである。
 全体を見渡してみると、そういう構図であるが、今、剣を交え始めた両軍では、人数においてその立場は逆転していた。ガルガスタンとしては、まだ直接的に干戈を交えていないバクラムに対しては、最低限の警戒をするのみだったので、この辺り一帯に駐留させている兵の数が、そう多くはないからである。
 ある意味、「数が多い」というガルガスタンの利点は、突発的な局地戦では不利に働く、と言えなくもない。普段、数を頼みにしている所があるだけに、自軍の数が少なく敵軍の数が多いと、逃げ腰になってしまうきらいがあるからだ。
 しかも、ゴルボルザ平原のガルガスタン軍にとって最大の不幸だったのは、相手が『ゴリアテの英雄』の率いる神竜騎士団であり、アルモリカ騎士団団長のレオナールまでが同行する、ウォルスタ解放軍の中でも最強の部隊だったことである。
 結局、強いのはリーダーであるブレッゼンの言葉だけで、ガルガスタン軍は、神竜騎士団の怒濤の攻撃を受けて総崩れとなり、ブレッゼンも斃された。「…わが、ガルガスタンに…ガルガスタンに栄光あれ…」という最期の言葉は、負け惜しみか、偉大なる民族の誇りと言うべきか。
 ともかく、デニム達一行は、ゴルボルザ平原を後にし、街道を古都ライムへと進んでいった。
 古都ライム。
 旧アルモリカ国に属していたこの地を、ガルガスタンが襲ったことから、紛争は始まったのだ。

「いい加減に観念したらどうだ。それともここで死にたいのか?」
「…く、殺したければ殺しなさいッ。命を絶てても思想までは奪えやしない」
 フィダックに辿り着くには、このライムを抜けるしか他に道はない。神竜騎士団が、古都ライムの入口にさしかかったとき。彼らは臨戦態勢を取りながら、敵地への突入を試みんとしたが、既にガルガスタン軍は動いていた。こちらの動きが察知されていたのか、と一瞬デニムは肝を冷やしたが、すぐにそうではないらしい、と分かった。一人の娘が、ガルガスタン軍に追われていたからだ。
 娘は、カチュアと同じ年頃だろうか。黒い髪を肩下まで伸ばし、凛とした美しさを持つ娘だった。
「生意気な女だ。…殺れッ」
 一人、ガルガスタンに追い詰められながらも、娘は全く怯えの色を見せない。逆に堂々とした態度すら見せる娘に、ガルガスタン軍の古都ライム守備隊長である騎士リューモスは、苛立ちを感じて部下に命じた。
 孤立無援の娘に、ガルガスタンの兵が迫る。ドラゴンが、娘に強靭な顎で牙を突き立てようとするが、娘はヒラリと身を躱し、走った。なおもガルガスタン兵は追いすがろうとする。娘はちらりと後方へ一瞥をくれると、勢いをつけて目の前の用水路を飛び越えた。着地するや、すぐに手にした槍を構える。
「…ん?貴様たちは何者だッ!?」
 半ば狂熱的に娘を追っていたリューモスは、この時、やっと神竜騎士団の姿に気付いた。
「あの女は…、解放軍のものではないな。他の組織の連中か?」
 ガルガスタンに追われている娘に、レオナールは注意を向けた。それから、どうする、という風にデニムを見た。
「いずれにせよ放ってはおけない。助けるぞッ」
 即座にデニムは答え、自ら先頭を切って走り出した。レオナールは僅かな笑いを漏らしたが、それは嘲笑ではなく、多分に好意的なものだった。
 娘は、果敢だった。自分に襲いかかってくるガルガスタン兵の姿を認めると、槍を振るって応戦する。
「おいおい」
 カノープスが呆れたような声を出した。
「あの嬢ちゃん、ちょっと無謀だぞ」
 その指摘通りだった。
 ガルガスタン兵の集中攻撃を浴びても、たじろがない気概は立派だが、勇気と無謀は違う。自らの命の安全を顧みない「勇気」ほど、危ういものはない。それは只の自殺行為同然である。幾つもの傷を作り、それでも娘は逃げなかった。
「わが祈り、イシュタルの灯火となって汝の傷を癒さん…、ヒーリング!」
 カチュアが、魔法で娘の傷を癒す。その場しのぎにはなるだろう。
「下がるんだ、僕達は敵じゃない!」
 娘を庇うように、デニムは、娘とガルガスタン兵の間に割って入った。レオナールをはじめ、ヴァイスやカノープスも、ガルガスタン兵と斬り結び始めていた。娘に向かって振り下ろされてきた剣を、デニムは力任せに叩き折った。
「あなたは……」
「僕達はウォルスタ解放軍だ。僕は、神竜騎士団のリーダー、デニム・パウエル!」
「あなたが……、あの!」
 驚きの声を娘が上げる。それは、デニムを「知った」上での驚きだった。デニム本人が思うより、その名の広まりは早いようだ。いや、デニムは単純にそう思ったのだが、娘の驚きには若干違う成分も含まれていた。ただ、デニムがそれに気付かなかっただけである。
 それはともかく。はじめ、娘を追っていたガルガスタン軍は、次第に神竜騎士団が戦線に入ってくるのに従って、攻撃の矛先を変更してきた。どうやら、正体不明の謎の娘を助けることができそうだった。
 アルモリカ騎士団団長であるレオナールが、その地位に相応しい実力を持っていることは、今更取り沙汰するまでもない。腰間の剣を引き抜くや、鋭く敵兵に斬りつける。バッ、と宙に血の花を咲かせてどうと倒れるガルガスタン兵には目もくれず、すぐに次の兵と剣を交える。
 その他の神竜騎士団の戦士達は、レオナールほどには個人の武勇は優れてはいなかったが、協力し合い、連携を上手く計り、傷を受けながらも敵を倒していく。負傷者には、癒しの魔法がかけられる。
 混戦となってきた前線の状況を見澄まし、カノープスは紅い翼をはためかせ、戦場の後方へと回りこんだ。彼は、有翼人というだけでなく、歴戦の勇士として、自分の意思で判断を下せる、頼りになる遊撃手である。
 獲物を見つけた鷹が急降下するように、カノープスは宙からガルガスタン兵に槍の一撃を見舞う。思いもかけぬ所からの攻撃に、ガルガスタン兵がうろたえる。
「ええい、焦るな!まずは目前の敵を倒すことを心がけろ!」
 騎士リューモスが、浮き足立ちそうな味方を叱咤する。ガルガスタン軍は、態勢を立て直すため、堅い鱗で身を覆われたドラゴンを陣頭に押し立て、攻勢に出ようとする。斬り込まれて、守勢とならざるをえなかったガルガスタン軍だが、一人の娘を追い殺すことより、敵を撃退することを優先することにしたようだった。
「深追いするな!」
 デニムが指示を出し、全軍の足並みを揃える。娘は、神竜騎士団の背後に保護することに成功した。
 それからデニムは、弓矢や魔法で、突出しているレオナールやヴァイスを援護するように命じた。ヴァイスは、その直情的な性格からか、戦いとなるとしばしば突出する癖があった。
 ガルガスタン軍が持ち直した、と見えたのは束の間、一時的なものだった。カノープスに部隊の背後を切り崩されたため、結局、削り取られるようにして、ガルガスタン軍は戦力を失っていった。そして、ライム守備隊長であるリューモスが鮮血を迸らせて倒れ、神竜騎士団はガルガスタン軍に完全に勝利した。

 ……神竜騎士団に救出された娘は、システィーナと名乗った。
「ありがとう、あなたたちのおかげで命拾いをしました」
 育ちの良さを思わせる仕草で、システィーナは一礼した。それから、自分の身の上に対する、ウォルスタ人達の不審に答えた。
「私はヴァレリア解放戦線の戦士です。この町に蓄えられた補給物資を奪うために偵察に来たのですが、あのザマです」
 そのせいで、ガルガスタン軍に追われていた、というわけであるが、ヴァイスが大声を上げて飛び出したの理由は、別のものだった。
「ヴァレリア解放戦線だって!あの過激派か…。こいつはやっかいだ」
 ランスロット来訪を、デニム達に知らせたのがヴァイスであることからも知れるように、この若者は、意外に情報に明るい。システィーナが口にした、「ヴァレリア解放戦線」という組織についても、彼は何か知っているらしい。それも、どちらかというと嫌悪に近い感情を付随させて、だ。
「やっかい…って、どういうことなの?私たちと同じではないの?」
 カチュアが、ヴァイスの反応に、不思議そうに訊いた。レオナールが、その疑問に答える。
「彼女は亡きドルガルア王を信奉するバクラム極右組織のメンバーだ」
 レオナールの声は苦い。それこそ厄介なものと関わってしまった、という風な、甚だ非好意的な表情で、システィーナを見やる。
「聞いたことがあるわ。バクラムにも現政権に反対する人たちがいるって」
「そういえば確かに聞こえはいいが、やっていることはただのテロだよ」
 正に吐き捨てるように、レオナールは言った。
「無関係な住民を巻き込む、恐ろしい破壊工作ばかりを繰り返している…。それがヴァレリア解放戦線だ」
 近いところでは、暗黒騎士団も参加した、バクラム・ヴァレリア国建国一周年記念パレードを襲い、見物していた民衆を殺傷したのも、ヴァレリア解放戦線の仕業だと言われている。真偽の程はともかく、ヴァレリア解放戦線とはそういう組織だと思われているのである。政治的に対立する、バクラム君主ブランタ司祭の発表だから、多少は割り引いて考える必要はあるだろうが、そういった主張を受け入れさせる、そんな部分があることは確かだろう、というのがレオナールの考えだった。
 辛辣なレオナールの言葉に、システィーナが反論する。
「誤解ですッ。それは司祭ブランタら現政権によるプロパガンダですッ!私たちヴァレリア解放戦線は、以前のような…、人種や思想を問われず、平等だったあの頃を取り戻したいと…」
 が、そんなシスティーナの主張に、ヴァイスが憎々しげに噛みついた。
「平等だって!ハッ、お笑い種だね。以前のどこが平等だって言うんだ」
 その、ヴァイスのあまりもの迫力に、システィーナは口篭もった。ヴァイスは構わず、激情を叩きつけた。
「おまえらバクラム人にとってはそうだったかもしれないが、俺たちは虫ケラのように扱われていたんだッ!」
「そんなッ」
 彼女は、そうは思っていなかったのだろう。それは、彼女が、支配者階級に属するバクラム人だから、見えなかった、知らなかった現実だったのかもしれない。厳しい、ウォルスタ人たちからの視線を浴びて、システィーナは考えを纏める為か、小さく呼吸を繰り返し、ようやく大きな息を吐き出した。心持ち、声を高めて、ウォルスタ人たちに問い掛ける。
「…では、あなたたちは何のために戦っているのですか?」
 咄嗟に、口を開いたのはデニムだった。デニム自身、言ってから自分の言葉に驚いた。普段、考えたことも無い答えが、彼の口から飛び出したのだ。デニムは、こう言ったのである。
「…真の平和のため。争いのない世界を築くために僕らは戦っている」
 デニムは驚いたが、あるいは無意識だったからこそ本音が出た、とも思える。それを聞いたシスティーナの顔が、希望の色に染まった。
「ならば、私たちと共に戦いましょう。目指す世界は同じのはず」
 ウォルスタ人にウォルスタ人なりの考えがあるとすれば、システィーナにもシスティーナなりの考えがあった。彼女の考える理想の根幹にあるのは、『民族融和』を推し進めた故ドルガルア王が、熱烈な信仰を寄せたフィラーハ教である。宗教活動に限界を感じて、ヴァレリア解放戦線に参加した彼女だが、信仰を捨てたわけではない。だからこそ、やたらと争うのではなく、理解できる相手となら、理解し合いたいと思う。
 しかし、システィーナの言う主義主張――言い換えるなら、彼女の唱える理想とは、抽象的過ぎて、他人の心を動かすには説得力不足であった。地に着いてない、現実感に乏しい「理想」である。特に、ヴァイスなどは、ある意味システィーナ達の立場とは正反対の、極右的ウォルスタ解放主義者である。その彼が、システィーナの提案に、耳を貸すわけがない。
 案の定、ヴァイスは鼻先で笑い飛ばした。
「ばかなことを。俺たちがバクラム人と一緒に戦えるわけがないだろう」
 それから、ヴァイスは目でデニムを示し、
「こいつが言った『真の平和』ってのは俺たちウォルスタ人が人間らしく生きていける世界ってことだ。おまえたちなんかと一緒に暮らす世界なんて望んじゃいねぇッ!そんなモン、クソ食らえだ」
 システィーナは、ヴァイスの舌鋒にたじろいだ。
 それは、今まで彼女が知っていた世界とは、全く違う世界からの憤りだった。
「ヴァイス、もういい。どこまで話しても所詮、平行線に終わるだけ…」
 レオナールは、更に言い募ろうとするヴァイスを宥めたが、それは決して、システィーナに、というより、ヴァレリア解放戦線への感情の好転からではなかった。公爵からの任務のためのフィダックに向かっているのに、ここでこれ以上の時間を費やす必要が無いから、という理由に過ぎない。厳しい表情で、レオナールはシスティーナに言った。
「システィーナといったな。ここは見逃してやる。我々の土地からさっさと出ていくんだ。これは我々の戦いであり、ここは我々の戦場だ。バクラム人の好きにはさせない」
 そのレオナールの言葉に、システィーナは心なしか、肩を落としたようだった。
「わかりました」
 一旦顔を伏せたが、次に顔を上げた時、彼女の表情と声は毅然としていた。
「でも私はあきらめない。必ず平等な世界を築いてみせるわ。いつか、あなたたちも気付くはず。争いのない真の平和を望むなら、個人の欲望を棄てなければならないことに」
「さあ、行け。そして二度とここへは来るんじゃない」
 追い立てるようにレオナールは言ったが、それは冷酷な意図からではない。別に、システィーナ本人に怨みは無い。だが、全ての人間が、レオナールのような分別を持っているわけではない以上、バクラム人であるシスティーナが、このライムの地に長居し続けても、その身を危うくするだけだ。一度はその命を助けた相手なのだから。
 システィーナは無言で去っていった。その際、一度だけデニムを振り向いて。その彼女の瞳は、デニムの心に焼き付き、忘れ難い印象を残した。

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