V 進む道、選ぶ道

 古都ライムを後にして、更に街道を北上し、デニム達はとうとうフィダック城へ到着した。
 フィダック城は、ヴァレリア島で一番美しい城、と言われている。大理石と雪花石膏を刻んで、壮麗な彫刻を施した、白い優美な姿を見せるこの城は、別名「白鳥城」と呼ばれている。
 正門前、歩哨台の上から、誰何の声が響いた。
「何者だッ。名乗るがよいッ!」
「我が名はレオナール・レシ・リモン。アルモリカ騎士団の騎士であるッ。ウォルスタの偉大なる指導者にて我が主・ロンウェー公爵の使者として参上した」
「しばし、待たれよッ」
 正門が重い軋み音と共に開け放たれる。入城したのは、正使であるレオナールと、従者となったデニム、カチュア、ヴァイスの四人である。残る騎士団の者達は、城外で待機となる。武器など携えていないことを確認されてから、彼らは中庭に通された。
 フィダック城は、暗黒騎士団ロスローリアンが駐留する城、ということだが、駐留というよりも、バクラムがこの城を譲渡した、という方が、表現としては正しいように思える。首を巡らせて何処を見ても、至る所あちらこちらに、ローディス教国の紋章である光焔十字をモチーフにした兜を被った、暗黒騎士の姿が見える。
 デニムの脳裏に、「あの日」の光景が蘇る。ゴリアテの町の人々を惨殺し、父さんを連れ去った暗黒騎士団!……分かっている。僕じゃ、何も出来なかったことは。姉さんが、連れて行かれる父さんを追おうとする僕を止めたのは、間違っていない。けれど……。
 表情が強ばり、デニムはいつの間にか、拳を握りしめていた。
「…ここがロスローリアンの陣取るフィダック城だ。『白鳥城』とも呼ばれるが、見た目とは裏腹に難攻不落の要塞だという。…確かにこの城を攻めるのはつらいな」
 周辺を見回し、レオナールが穏やかに言った。言外に、裂気に逸るな、とレオナールはデニムに言っているのだ。我々の任務は暗黒騎士団と非干渉条約を結ぶことであって、暗黒騎士団と戦うことではない、と。デニムはそれに気付いて、何とか気持ちを鎮めた。
 待つこと暫くして、一人の暗黒騎士に先払いさせて現れたのは、暗黒騎士団のナンバー2にして、団長ランスロット・タルタロスの腹心と言われる、バールゼフォンだった。バールゼフォン・V・ラームズ。暗黒騎士団が七人擁する指揮官クラスの騎士、テンプルコマンドの一人であり、本国で五つの騎士団を従えるヴォグラス准将の息子である。ロスローリアンが元老院から独立していられるのは、この男の持つ太いパイプのおかげである。家柄だけでなく、本人自身、団長の代わりに折衝事を行ったりする辣腕家でもある。
「待っていたぞ、レオナールよ。公爵殿の書状をこれに」
「これでございます」
 卑屈にならぬ程度の礼儀を守り、レオナールは、臘で厳重に封された書状をバールゼフォンに手渡した。
「ご苦労であった。中で休まれるがよい」
 バールゼフォンが書状を受け取って身体を翻すと、暗黒騎士が案内して、デニム達は一室に導かれた。
 大きな窓があって、風通しと日当たりの良さそうな、気持ちの良い部屋だった。会議などに使われている部屋らしく、大きな机の前に幾つも椅子が並べられている。勧められて椅子に座り、ロスローリアンの返答を待つ。
 いらいらするほどの長い時間ではなかったが、それでもバールゼフォンが入室してきて再び姿を現したのは、かなりの時間が経過してからのことだった。ウォルスタ人の使者達に、不安をかきたてさせるには、充分な時間だった。
「…お待たせした。公爵殿の提案は実に興味深いものだった」
「して、ご返答はいかがか?」
 待ちわびたように、レオナールが尋ねる。
「うむ、それならば、我が主から直接聞かれるのがよかろう」
「なんと…、ランスロット卿がこの城においでになっているのか!」
 レオナールが驚きの声を上げる。
 暗黒騎士ランスロット!その名を聞いたデニムは、電撃のような緊張が走り、全身の血が逆流し、体中が震えるのを感じた。カチュア、ヴァイスの顔も、厳しいものになる。暗殺まで計画した、あの暗黒騎士団団長が、今、この城に!
 デニム達の思惑など知らぬげに、バールゼフォンが入ってきたのとは別の扉から、ランスロット・タルタロスがその姿を見せた。悠然とデニム達の向かい側に腰を下ろす。
(この男が、ランスロット・タルタロス……)
 デニムは、暗黒騎士ランスロットを見据えた。名前以外は、まるで聖騎士ランスロットと似ているところはない。右目に眼帯をしているのは、隻眼のせいだろう。この男が、あの『ゴリアテの虐殺』を指揮したのだ……。
「よくぞ参られた、ウォルスタの戦士よ。私がランスロット・タルタロスだ」
 暗黒騎士ランスロットが声を発する。人に威圧感を与える声だ、とデニムは思った。命令し慣れた者の声だ。
「はじめてお目にかかります。アルモリカ騎士団のレオナールにございます。して、ご返答はいかに?」
 レオナールが返答を急いだのは、デニム達に怒りを爆発させてもらいたくないからだった。レオナールは無論、暗黒騎士団によるゴリアテ襲撃も、デニム達がゴリアテに住んでいたことも知っている。だからといって、デニム達の遺恨によって、折角こぎつけられた条約の相談がご破算になるのは御免だ、という現実的な打算がレオナールにはある。肉親を奪われる辛さ悔しさを、レオナールはよく知っている。しかし、レオナールは公人であり、個人の感情よりも公を優先させねばならなかった。第一、寸鉄も帯びぬ今の状態で、暗黒騎士団に敵対の意を見せても、虚しく鏖殺されるだけではないか。
 そういった、レオナールの複雑な心中を知らぬ暗黒騎士ランスロットは、返答を急がせるのはレオナールの若さゆえ、と思ったようである。
「ハッハッハ。貴公は、ちと性急だな。よかろう。公爵殿にお伝え願おう。バクラム人の主・ブランタ侯はガルガスタンとウォルスタの争いには興味がないとの仰せだ。我がロスローリアンも同じ。これまで通り中立を保とうぞ」
「ははっ、ありがたきお言葉。我が主もさぞやお喜びになられるはず」
 ほっ、とレオナールは安堵の息を吐いた。正直なところ、暗黒騎士団を現在敵に回しても、デメリットとリスクは計り知れないほど大きいが、メリットは全く無い。が、それはあくまでもウォルスタの事情。ロスローリアンの思惑がどう転ぶか、それが懸念であったが、どうやら上手くいきそうだ。
「しかし貴殿らは我等の力無しで勝てるとお思いなのか?」
 バールゼフォンが問う。
「無理でございましょうな。もとより勝とうとは思っておりませぬ。我らの願いは共存できる世界を作り上げること。しかしガルガスタンは誇り高き民にございます。我らが他国の手を借りたとあれば、平和的な解決を志す穏健派の者たちを窮地に追い込みかねません」
 安堵したためか、つい、レオナールは、ヴァレリアの民に慢性的にくすぶっている、バクラムへの当てこすりを口にしてしまった。それは、バクラムの背後にいるローディス――ロスローリアンに対する弾劾でもあった。それこそ、若さゆえの失言だった。
 暗黒騎士ランスロットは笑った。
「なるほど、貴公はバクラム人のように我がロスローリアンにツケを回し、他民族の反感を買うようなことをしたくないと申すのだな。これはおもしろい。ハッハッハ」
 レオナールに返ってきたのは、皮肉と嘲弄だった。
「い、いいえ、そのようなことは…」
「まあ、よい。我々も名誉を重んじるローディスの民だ…。汚い仕事は他人に委ね、享楽を貪るバクラム人のようになりたくないという気持ちもわかろうものだ」
「……」
 僅かに首を竦めたレオナールをフォローするように、暗黒騎士はやや上体を背もたれに預けかけながら言った。
「なに、貴公が連れている従者があまりにお若いのでな。そのような少年・少女を用いねばならぬほどウォルスタは追いつめられているのか、とつい心配したのだ」
 やっぱり、全然違う。
 内心、デニムはそう思っていた。本当に、名前だけだ、あのランスロットさんと同じなのは……。ゼノビアの聖騎士であるランスロットさんを、この暗黒騎士団団長と間違えたなんて、失礼な話だ。ランスロットさんは、あんな風に他人を小馬鹿にしたような言い方は、絶対にしない。
 デニムはそんな事を考えていたので、別に腹も立たなかったが、揶揄されてムッとしたのは、レオナールの方だった。レオナールは、暗黒騎士ランスロットに反論した。
「お言葉ではございますが、この者たちは若くとも立派な騎士にございます」
「ほほう…」
 そのレオナールの言葉に、多少なりとも興味を持ったのか、暗黒騎士の一つしかない眼光が、デニム、カチュア、ヴァイス、一人一人に充てられる。
「アルモリカ城をガルガスタンから解き放ち、公爵を救いました。また、クリザローでは絶体絶命の危機にありました、この私の命を救ってくれたのもこの者たちなのです」
 暗黒騎士ランスロットは、そう言われて、ヴァレリア島中に広まりつつある、一つの噂を思い出したようである。
「おう、ゴリアテの若き英雄とはそなたたちのことであったか。それは失礼であったな、許されよ。…それにしても、どこかでお会いしたことはあったかな?」
 その時、デニムは初めて、自分が、刺すような睨み付けるような眼で、暗黒騎士の顔を見ていたことに気付いた。
 一瞬、後悔の念が頭をよぎる。ここで口を開けば、激情に任せた言葉を吐いてしまう。それは予測でなく、確信だった。
 しかし、発言を求めるように、暗黒騎士ランスロットはデニムを見る。デニムはやむなく、歯切れ悪く言った。
「直接お会いしたことはございませんが…、ただ…」
 光景が、瞼の裏に見える。見境無くゴリアテの住民達を殺戮する暗黒騎士達。教会から無理矢理連行されるデニムとカチュアの父。眉根一つ動かさず、ゴリアテの町を一望できる丘の上から、熱風に髪をなぶらせながら馬を立て、冷然とその様子を眺める暗黒騎士ランスロット……。
 全てを見たわけではない。だが、ありありと想像できるのだ。
 何も思い出さないのか!ゴリアテという地名を耳にしても、そこで自分たちが何をしたのか!
「ただ…、なんだ?はっきり申されよ」
 デニムは口ごもったが、押し殺した声で、カチュアが続けた。無限の怒りと、抗議を込めて。
「何年かぶりに、雪が降ったあの晩、港町ゴリアテで、あなたたちは…」
「やめないか、カチュア。我らの役目を忘れたかッ!?」
 慌ててレオナールがカチュアを遮る。が、一度噴きこぼれた怒り、悲しみ、憎しみ、悔しさ――それらの感情は奔流となって、デニムを押し流した。レオナールの制止はかえって逆効果で、デニムをしたたかに刺激することとなったのである。
 父さんは……、父さんはお前達に……!父さんを奪った奴ら、ゴリアテの人々の命を数え切れないほど奪った、こんな残忍な冷酷な奴らと、どうして、こちらから頭を下げて仲良くしなくちゃならないんだ!?返せ、お前達が理不尽に殺した人達を!!
「敵と手を組めるはずがない…。あなたたちは僕らの仇なのに…」
「大義の前であろうがッ。私情を捨ていッ!!」
 一喝したのは、暗黒騎士ランスロットではなく、バールゼフォンだった。
「いい加減にしないかッ!ご無礼をご容赦下さいませ」
 レオナールが怒鳴りつけたのは、怒ったためではなく、むしろ暗黒騎士ランスロットの怒りから、デニム達を守るためだった。だが、暗黒騎士団団長は、怒りはしなかった。
「…あの焼き討ちのときの子らか。あれは、確か…」
 代わりに、記憶を呼び起こされたらしい。ちらり、とバールゼフォンを見やる。バールゼフォンは頷いた。
「ゴリアテに反乱分子が潜んでいるという情報で攻めましたが…」
「ニセ情報だったというアレか…。そうか、では恨むのも当然のこと。過ちとはいえ、無礼を働いたのは我ら。詫びて済むものではないが、許されよ…。このとおりだ」
 それまで泰然自若として小揺るぎもしなかった暗黒騎士ランスロットは、その時、誰もが思いも寄らぬ行動に出た。卓に手をつき、まだ年端もいかぬ若者達相手に、頭を下げたのだ。レオナールが息を呑む。
「お、おやめくださいませ。…我らは急ぎ戻らねばなりません」
「そうか…、もう少し、ゆるりと言葉を交わしたかったが…」
 暗黒騎士が顔を上げる。その気が変わらないうちに、退散するのが賢明だ、とレオナールは思った。何より、無事にアルモリカへ返らねばならないのだ。
「ご無礼の段、ひらにご容赦ください。そ、それではこれにて」
 擬音で表現するなら、「そそくさ」とか「あたふた」とかいう感じで、レオナールは立ち上がった。何となく半端な気分で、デニム達も従った。
 退室する際、カチュアは一瞬うなだれた。それから、きっ、と暗黒騎士に強い視線を投げかけ、走るようにして、部屋を出ていった。
 ウォルスタ人達が去ると、バールゼフォンは、ゆっくりと窓辺へ歩いていった。
「…なにも、あそこまでなさらなくても良いではないですか」
 咎める口調に、暗黒騎士ランスロットは静かに言った。
「…ハボリムを覚えているか」
 団長が口にしたのが意外な人名だったのか、バールゼフォンは怪訝そうに主を振り返った。
「は?…はい、愚弟なれど、頼もしい男でした」
「仲のよい姉弟だったな…。かつての貴公らと同じように…な」
 その言葉が意味するものは。バールゼフォンは、沈黙をもって礼儀に変えた。

 フィダック城が見えなくなるほど離れてから、レオナールはようやく人心地がついたらしく、大きな息をついた。
「……ふう、まったくヒヤヒヤしたよ」
「すみません……」
 一時的な激情が去って、理性を取り戻してみると、一歩間違えれば生きて帰れない状況だった、とデニムは反省した。暗黒騎士団の城で、暗黒騎士団を束ねる団長の気を損ねたら、殺されてもおかしくはなかったのだ。だが、一方では、自分は間違ってはいない、とも思う。確かに、政治的には、戦略として敵と一時的に手を結ぶ、という方策は選択肢の一つではあるだろう。それでも、やはり納得できない。偽りの講和など、すぐにたがが緩んでしまうものではないのか。堤防の決壊を、少し先に延ばすだけのことではないのか。大体、「敵」だと相手を認識しているのに。
 それはともかく、レオナールには悪いことをした、という気もする。だから、素直にデニムは謝った。
「いや、いい。君たちの気持ちも、分からないではない。ただ、あの場ではこらえて欲しかった、ということだ」
 もっとも、レオナールは寛容だった。
「私も、身内の仇と手を結べ、と言われて平静でいられる自信はない。まあ、バルバトスと手を結ぶことは絶対にあり得ないから、そういう状況になることはないがね」
「え……、じゃあ、レオナールさんも誰かを……?」
「私は、母親をガルガスタンに殺された」
 穏やかな声だったが、それだけに訊いてはいけないことを、デニムは訊いてしまったような気がした。
 悄然としたデニムに、レオナールは、別に珍しい話ではないさ、と笑いかけた。こんな風に、すぎるほどのデニムの純粋さを、レオナールは好ましく思っていた。
「デニム君、君はまだ若いから分からないかもしれないが。理想を信じて努力することは、それはそれで素晴らしい事だ。しかし、この世にはそれだけではどうにもならない残酷な事実、というものがある。それに妥協するか、打ちのめされるか、あるいは克服するか……。その事が分かったとき、その『現実』に直面したとき、君がどういう選択をするかで、君は『本当の英雄』になる資格を得ることが出来るだろう。私は君に期待しているよ」
「レオナールさん……」
 ……別に、レオナールはデニムの未来を予見するつもりで、そのようなことを言ったのではなかったろう。しかし、その『現実』の選択は、実はデニムの目前にまで迫ってきていた。それは、後になって分かったことだが。
 デニムは、もう視界に入らないフィダック城の方向を、振り返った。
 目が痛くなるような、青空が広がっていた。

 ロスローリアンとの『非干渉条約』を無事に締結し、神竜騎士団とレオナールは、アルモリカに帰還した。いや、無事、とは言い難い危険な場面も実の所はあったが、そこはレオナールが上手く誤魔化して報告してくれたのだ。経緯はどうあれ、とにかく望む形で結果は出たのだから。
 そして、古都ライムをガルガスタンから奪回し、今やウォルスタ解放軍の最重要戦力、最精鋭独立部隊、とみなされる神竜騎士団には、安穏と日を送ることは許されない。次の使命が、ロンウェー公爵から下される。
「よくぞ私怨を棄て、ウォルスタのために我慢してくれた。ご苦労だった」
 と、まずはねぎらいの言葉を述べてから、公爵は告げた。
「さて、戻ったばかりですまないが、これからすぐにバルマムッサへ行ってもらいたい」
「バルマムッサといえば、ガルガスタンが作った我々の自治区があるところ…」
 カチュアが小さく首を傾げる。そこへ行って、今度は何をするのだろうか、という疑問である。
「自治区といえば聞こえはいいが、中身はウォルスタ強制収容所だ。昔は閉鎖された炭坑町だったが、今は我々の同胞を家畜のように押しこみ奴隷同様の仕事をさせている。その数は五千を下るまい。過酷な重労働により、毎日、幾人もの同胞が夢半ばで死んでいくのだ」
 公爵は語る。
「彼等の救出が今度の任務ですね」
 カチュアが答えたが、公爵は首を否定の形に振った。
「五千人もの人数を救出するのは無理だ。救出するのではなく、蜂起させるのだ」
 なるほど、という風にヴァイスが頷いた。
「武装蜂起か…。確かに、それだけの人数が戦力となれば…」
「正直を申せば、このまま戦っても我々に勝ち目はない。戦力の差があまりにありすぎる」
 それは当然である。ヴァレリアに住む民族の内訳からすれば、ウォルスタがガルガスタンに対し、全勢力をもって正面きって戦いを挑んだところで、物理力で捻り潰されるのが落ちだ。局地戦ならともかく、全面対決ともなれば、ガルガスタンの人数の多さは、やはり侮れない。
「ガルガスタンが攻めてくる前にこの差をなくさねばならん。さいわい、今度の一件をめぐってバルバトスと反体制派との対立が再び表面化している。バルバトスが兵を出すのは、反体制派を粛正してからとなるだろう。チャンスは今しかないッ!!」
 いかにも指導者らしく、ロンウェー公爵が檄を飛ばすと、レオナールが具体的な作戦内容を説明する。
「きみたちに頼みたいのは、彼らを説得することだ。中には、戦うことに異を唱える者もいることだろう。そのままで良い、と考える者もいるやもしれん」
 公爵も、畳み掛けるようにレオナールと交互に言う。
「しかし彼らは戦うことが嫌なのではない。ただ戦いに疲れただけなのだ。だからこそ、きみたち若き英雄が行くことで、彼らの眠れる勇気を呼び覚ましてほしいのだ」
「彼等に渡す武器は、私が別働隊を率いて後から運んでいくことになっている」
「すべてはきみたち若き英雄にかかっている。頑張ってくれ」
 この時、もしデニムが、もう少し穿ったものの見方をする少年であったなら、気付いただろう。公爵とレオナールの声に、どこか嘘くさい、空虚な響きがあったことに。しかし、デニムは気付かなかった。特に異論も反論も無く、その任務を受けた。ただ、漠然とした不安めいたものを感じはしたが。
 デニム達が準備のために立ち上がった。三人の若者達が退室するのを見届けると、ロンウェー公爵は、信頼する右腕である騎士団長に、低い声で囁いた。
「…頼んだぞ、レオナール。失敗は許されぬぞ」
 やはり、声を低く潜めて、レオナールは答えた。
「すべては手筈通りに動いております。ご安心を」
 その曰くありげな主従の会話は、誰かの耳に届く前に、壁に吸い込まれていった。

 アルモリカ城の片隅、中庭の一角にある阿亭に、ゼノビア人達の姿があった。すなわち、聖騎士ランスロット、占星術師ウォーレン、風使いカノープス、騎士ミルディン、騎士ギルダス、の五人である。
「……とにかく、ロスローリアンに、今のところこれといった目立った動きはない」
「それが安心の保証になるどころか、かえって不気味だな……」
 暗黒騎士団ロスローリアン。このローディス教国の騎士達の動向を、ヴァレリアで最も用心しているのは、バクラム人でもガルガスタン人でもウォルスタ人でもなく、彼らゼノビア人かもしれない。
 ロスローリアンの駐留するフィダック城に、デニム達と赴いたカノープスは、暗黒騎士団の様子を観察してきていた。城内には入れなくても、カノープスには翼がある。その翼を、相手に気取られることなく、観察の為に役立てることが、彼には出来た。
 カノープスの言葉に、ランスロットが、やや難しい顔で腕を組んだ。
「ロスローリアンの狙いが予想通りのものだとすると、……このヴァレリアは、連中にとって、足がかりの地に過ぎないだろう。十数年前、ローディスがニルダム王国を滅ぼし、パラティヌス王国を臣従させた時のように」
 ランスロットが口にした国名は、ゼノビア王国のあるゼテギネア大陸の北の、ガリシア大陸の、それぞれ南方・東方に位置する国の名だった。「だった」、過去形である。現在では、共にその両国は存在しない。ニルダム王国はローディスに滅ぼされ併合され、パラティヌスは、辛うじて「ローディス教国領パラティヌス王国」として存続している状態である。新生ゼノビア王国が建国された後、国内の混乱を収めてみると、それまで現実味の乏しかったローディスの脅威を、ゼノビアはひしひしと感じることとなったのである。聖騎士団団長として、ゼノビアの軍事に関わってきたランスロットが、ゼノビアの周辺状況を顧みた。
「聖地アヴァロンを我々ゼノビアが抱えている以上は、いずれローディスとの戦いは避けられん。そのためにも、ロスローリアンの目的を達成させるわけにはいかない」
「当然だな。オレ達はそのためにここまで来たんだから。で、どうだウォーレン。何か分かったか?」
 カノープスが、ウォーレンを見る。
 ウォーレンは占星術師であり、魔法使いであり、そして預言者である。その予見の正しさは、ニ年前のゼノビアの革命のとき、指導者たる若者を選び出したことでも証明されている。また、非常に情報網が広く、知識の造詣が深い。ウォーレンは、静かに答えた。
「はっきりしているのは、まだロスローリアンの望みは叶えておられず、その捜索に思ったより戸惑っていることぐらいですね。何はともあれ、恐るべき未来を回避するために、私達はこの島にやって来たのですから、そのために全力を尽くすのみです」
「……ローディスか……。……あいつら、元気かな」
 ぽつり、とカノープスが呟いた。具体的な名前は言わない。それでも、それが誰のことを指しているのか、ランスロット達には分かる。
 神聖ゼテギネア帝国を倒し、反乱軍を勝利に導いた、彼らの勇者。全ての人に、旧ゼノビア王国の正統の王位継承者であるトリスタン皇子にさえ、王にと望まれたのに、王にはならなかった。それどころか、勝利の祝宴のさなか、僅かな仲間と共に、ひっそりと旅立っていったのだ。「ローディスの動きを探ってくる」と、近しい者に言い残して。その仲間の中には、カノープスの古くからの親友の姿も含まれていた。
「彼等のことだ。きっと元気にやっているさ」
 微笑を含んで、ランスロットはカノープスの呟きに応じた。それは、無償の信頼に支えられた声だった。そして一転、自分達の境遇についても、幾分か感慨深そうに、彼は言った。
「……それにしても、この異国の地にまで来て、再び革命に携わることになるとは、思いもしなかった」
「そういう星の下に生まれたのかもな。何処に行っても、オレ達には革命がついて回るってな」
「星の下、か……」
 ランスロットは、カノープスの口にした言葉の意味を、噛み締めるように繰り返した。
 カノープスは、紅い髪を揺らした。ヴァレリア島にも有翼人は住んでいるが、彼のように燃え立つ炎の色をした髪と翼は持っていない。人間に人種があるように、有翼人にも種族があるのだ。ヴァレリアに住む有翼人の種族はホークマンといい、比較的広範囲に渡って分布している。一方、カノープスの属する種族はバルタンといい、俗っぽい言い方をすれば、ホークマンより高等な種族である。かつて天空を支配した、といわれる古代有翼人の末裔で、紅い髪と翼は、その高貴な血の証なのだ。
「オレは暫く、あの子供達と行くが」
「ああ。彼らの革命も、成功するといいな」
「団長。我々に、何かロンウェー公爵から要請は来てないのですか?」
 ミルディンが訊いた。一応、ゼノビア人たちは、ロンウェー公爵直属の傭兵、という立場ではあるが、ランスロットの「聖騎士」という地位を遠慮してか、命令と言うよりは要請、という形で任務が与えられていた。ランスロットだけではない。ミルディンやギルダスもまた、「白騎士」といって、ゼノビアでは聖騎士に次ぐ実力を持つ騎士の称号を有している。そういう騎士達に対し、やはり公爵も、部下に対するような態度は取らなかった。
「神竜騎士団が奪還した、古都ライムの警護だ。例のフィダックと、程近い地だ」
「それは信頼されている、ということか、それともバクラムと何かあった時の、生きた防壁とするつもりか、俺達を?」
 少し皮肉っぽく、ギルダスが笑った。
「さて。今のところ、バクラム・ヴァレリア国の主であるブランタ司祭は、ロスローリアンの意向もあって、ウォルスタとガルガスタンとの争いは静観するつもりのようですがね。両者が相争って、互いに疲弊するのを待ち、そこを一気に叩けば楽ですから。我々の古都ライムの守備は、一種の牽制でしょう。バクラムと暗黒騎士団に対しての」
 ウォーレンが、そう推察してみせる。ロスローリアンが手を結んでいる相手として、バクラムの動向もまた、いささか気になるところだ。
 果たして、司祭ブランタは何をどこまで知り、ローディス教国と密約を交わしたのか。また、その内容は?ローディスがブランタに力を貸す代償とは、多くに言われているように、本当にヴァレリアの領有化だけが目的なのか。
 ブランタは、ロスローリアンを利用しているつもりかもしれないが、本当の所はロスローリアンの方がブランタを利用しているのだろう。ブランタは、恐らくは暗黒騎士団がローディスから派遣されてきた、『本当の理由』に近い所にいるから、ローディスはバクラムに肩入れするのではないだろうか。
 小さく、カノープスが鼻を鳴らした。
「虫のいい話は、そうそう思惑通りに都合よくいかないってことを、知らないヤツが多過ぎるようだな」
「そうだな。何にせよ、ロスローリアンとバクラム、双方ともそれぞれの思惑がありつつも、協力関係を今は保っているが、いざというときには、ロスローリアンはバクラムを切り捨てて、自分達の思惑を優先させることになるだろう。その時。相手がどう動くか、が最大の問題だが……」
 ランスロットは、腕を解いて立ち上がった。それが、密やかなゼノビア人達の作戦会議の、解散の合図だった。

 遠くに、潮騒が聞こえる。
 落日が、西の空を、黄金と朱と紫で染めている。
 緩い風が吹いて、海から微かな潮の香りを運んでくる。
 聖騎士ランスロットは、夕暮れの川岸に、一人佇んでいた。夕陽の残響を受けて、彼の白銀の鎧が、揺らめくような光を帯びていた。その姿は、さながら一幅の絵画のように見えた。遠い瞳が、遥かな空へと向けられていた。夕空には、控えめに宵の明星が白く輝いていた。
「ランスロットさん」
 背後からの声に、ランスロットは顔の片側を夕焼けに照らされて、振り向いた。
 英雄と称えられるウォルスタ人の少年が、彼の姿を認めて、足早に駆け寄ってくるところだった。
「やあ、デニムくん。よくここがわかったね」
「ギルダスさんが、きっと、ここだろうって」
「そうか。…こっちへ来たらどうだい」
 素直にデニムは頷き、尊敬する聖騎士の傍らまで行った。ランスロットとは、久しぶりの再会だった。
「どうしたんだい、浮かない顔をして?」
 ランスロットは、頭半分ほど低い位置にあるデニムの顔を見て、訊いた。
 そう言われて、一瞬、デニムはそんなに浮かない顔かな、と困惑した。しかし、
「バルマムッサの武装蜂起の件かい?」
「とても危険な任務だって、レオナールさんが言っていました…」
 核心をつかれたせいか、かえって弱音も口にしやすいような気になった。
「きみらしくもないな。おじけづいたのかい?」
 責める口調でなく、ランスロットは穏やかに言った。
「そういうわけじゃないけど…」
 デニムは口篭もった。何と言うか、表現し難い感情が、胸の中にあるのだ。優しげな微笑をデニムに向け、ランスロットはデニムにとって、意外過ぎる言葉を口にした。
「いいんだよ、誰だってそうだから」
 ランスロットはそう言って、少し顔を夕陽に向けた。
 はじめ、デニムはランスロットの言ったことが理解できなかった。というか、ランスロットの口から、そんな言葉が出るとは思ってもみなかったから、目を何度もしばたかせてから、デニムはようやく言えた。
「ランスロットさんも、怖いと思うことがあるんですか?」
 アルモリカ城を共に攻めたとき、デニムの目に映った聖騎士の姿は、勇壮で雄々しかった。とても、恐怖などという単語とは縁が無さそうに見えたのに、と、デニムはまじまじとランスロットを見つめた。
「そりゃ、もちろんだよ。戦いのたびに震えがくるくらいだ」
 あんなに強いのに?不思議そうに、あるいは合点がいかなさそうに、デニムは首を傾げた。ランスロットは、そんなデニムを諭すように、淡々と言った。
「だけどね、死ぬわけにはいかない、そう思えば、怖さなんてなんとかなるもんさ」
「死ぬわけにはいかないか…。僕は革命のためなら死んでもいいと思っている…。変ですよね。そう思っているのにふと気付くと、死の恐怖に怯える自分がいるなんて…」
 ぎこちなく、デニムは笑った。
「命を懸けるということと死ぬということは全然違うことだ」
 ゆっくりと、ランスロットの口調が変わった。一言一言を、自分に言い聞かせるように。
「きみが本当に民のことを考えているのなら死んではならない。自分の戦いの行く先を見届けなければ」
 そして、暖かい声で付け加えた。
「…それに君には姉さんがいるじゃないか。そのためにも生きなければ」
「ランスロットさんはどうなんですか?誰かのために死んではいけない…?」
 何気なく、デニムはそう尋ねた。その時ランスロットは、デニムが初めて見る、寂しげな悲しげな顔で、微かな笑いを漏らした。それは、何か大切なものを失った男の顔だった。
 咄嗟にデニムが反応に迷っていると、ランスロットは胴衣の下から、何かを取り出した。
 片手の掌に納まるほどの小さな箱。その蓋を開けると、澄んだ音がメロディーを奏で始めた。オルゴールだ。
「それは…?」
 華奢で、瀟洒な彫刻の施されたその品は、勇壮な聖騎士が肌身離さずに持つものにしては、女性的な印象を受けるもので、いささか不釣合いに思えた。
「形見だ…」
 オルゴールの音色が変わらぬことを確かめるように、ランスロットは目を閉じた。美しいが、どこか哀切な調べに、彼はどんな思い出を抱くのだろうか。
「形見…」
「このオルゴールは死んだ妻の形見だ」
 デニムは軽く目を瞠った。
「もう四〜五年前になるかな。帝国と戦う前のことだ。帝国に追われ、各地を放浪しているうちに、妻は病気にかかってね。そのまま逝ってしまった…」
 ランスロットの脳裏に、鮮やかな記憶が蘇る。ランスロットは、暫し追憶の世界に、思いを馳せた。
 炎に包まれる、王都ゼノビア。突然の、軍事大国ハイランドの侵攻に、ゼノビア王国騎士団は善戦も虚しく、脆く敗れ去った。かつて大陸を平定した五人の勇者の一人である、グラン・ゼノビア王は、同じく勇者の一人であり、友であった筈の賢者ラシュディの策謀により、暗殺された。王妃フローランは何処かへと連れ去られ、後に殺された。王の長男ジャン皇子も殺された。唯一、赤子であった次男トリスタン皇子だけが、僅かな供の者と、乳母バーニャに守られ、辛うじて落ち延びることが出来た。
 当時、ランスロットは十四歳。騎士叙勲を受けたばかりの、今のデニムよりも幼い少年だった。何も出来ず、ただ逃げるしかなかった、ふがいない無力な自分。そんな自分に、胸の奥が焼けるような、どうしようもない怒りと悔しさを感じながら、亡き王の復讐を誓い、逃亡と潜伏を余儀なくされた。旧王国派に対する、帝国の追及は執拗を極め、同じ誓いを立てた仲間達が、次々と帝国の手にかかって、無念の、無残な死を遂げていく。永劫とも思われた、辛い逃亡生活の中、ランスロットの心の支えになってくれたのは、妻の存在だった。そうでなければ、二十余年にも及ぶ逃亡生活に、気も狂わずに耐えることができたかどうか。
 ランスロットは目を開き、現実の時間と空間に、意識を引き戻した。
「幾度となく妻の後を追って死のうと考えたことがある。戦いの前は特にそうだった。でもね…」
 黙って、デニムはランスロットの話を聞いていた。食い入るように、聖騎士の横顔と、彼の手にしたオルゴールを見つめながら。辛い思い出を語りながら、ランスロットの口元には、淡い微笑が刻まれていた。
「そのたびにこのオルゴールが教えてくれる。命という責任の重さをね…。死んではいけない、自分の蒔いた種の成長を見守らなければならないってね…」
 オルゴールから流れる音楽が熄んだ。ランスロットが、オルゴールの蓋を閉じたのだ。そっ、と元通りの場所に小さなオルゴールをしまうと、ランスロットはデニムに背を向け、急速に彼方に傾いていく、太陽の残光に目を細めた。
「きみたちのような若者が戦わなくてもよい…。そんな世界を築きたいものだな…」
 ランスロットは、そう呟いた。小さな呟きだったが、それははっきりとデニムの耳に届いていた。

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