「しかし、お前はどう思う？」
一旦、宿屋の部屋に戻り、カインはレオンハルトに訊いた。レオンハルトは暫く、黙然と窓の外を眺めていたが、正確にアスタルド神殿の方角を見つめていた。
「他神を奉じる神殿にまで、ああも強引に踏み込んできたということは、後ろ暗いところがある、と見られても致し方ないだろうな」
「見るからに魔族の血を引く娘相手になら、何事もなすりつけるにはうってつけ、ということか」
腹立たしげに、カインは軽く床を蹴りつけた。レオンハルトは、あくまでも淡々と言う。
「二年前の大戦の際にも、この様子では人民救済に大いに働いたかどうか、甚だ疑問だな」
「……ヘレナが無実だと証明することが出来れば、奴らの鼻も明かせるな」
「ああ……、だが、問題は、この件が特定個人の意向なのか、それとも完全に神殿ぐるみのことなのか、だ」
その辺の地方神殿ならともかく、本神殿ともなると、権限は地方領主すら上回る。神殿絡みで何らかの事件が起こった場合、神殿で裁判を行うことが出来る上に、犯人を政府の機関に引き渡さなくてもいい、というのもその一つである。レオンハルトが懸念するのは、その点であった。身内を庇い、格好の娘に全てを押し付け、口を拭って素知らぬ顔をするのではないか。
カインは、何か思いついたように顔を上げた。その口元には、苛烈で不敵な笑みが浮かんでいる。剣呑というには、随分と涼やかな笑い方だった。
「ともかく、あの娘は不安に思っているだろう。レオンハルト、お前が会いに行ってやったら、少しでも気が休まるんじゃないか」
「俺は構わんが……、お前はどうするつもりだ？」
「俺か？ 俺は、その間に身分のありそうな僧侶でも、軽く締め上げて必要な情報を吐かせるさ」
あまりにも、カインはさらりと言ってのけたが、レオンハルトは咄嗟に返答が出来ず、一瞬、呆気に取られた。
カインが、豪胆な性格の持ち主であることは知っているつもりだったが。
無論、聖職者とは言うが、同じ人間であることに変わりはない。しかし、やはり“神に仕える”立場の人間というものを、その辺のチンピラ風情とは、同等には扱えないだろう。それが通常の認識というものである。
しかし、このカインという青年は、かなり辛辣な相互主義者のようだ。相手が最低限もの礼儀を守らず、一方的に強権を振りかざすのなら、自分もそれに相応しい態度を返す。それが誰に対しても同じことである、と。
レオンハルトは、胸の前で組んでいた腕を解いた。
「……あまり無茶な真似はするなよ」
やや苦笑気味に、レオンハルトがカインに言うと、カインは市井の悪童がするように、左手の親指を立てて見せた。
翌日。
昼になる前に、二人は宿屋を出て、途中で別れて道を変えた。レオンハルトはアスタルド神殿の正門に向かい、カインは神殿を囲う塀をぐるりと辿るようにして、裏手に回った。
レオンハルトは帯剣していない。それは、無闇に勘繰られる面倒を避けるためである。万が一、実力を行使する事態になったとしても、彼は魔法戦士であり、自在に魔法を操ることが出来るのだから、何の問題も無い。
一方、カインは剣を腰に提げ、神殿の裏手、人目が無いことを確認すると、素早く塀を跳び越えた。こう書くと簡単なようだが、実は神殿の塀は彼の身長よりも高さがある。それを、上辺に手をついただけで、カインは軽く塀を蹴って神殿の敷地内に身を躍らせたのだ。軽業師もかくや、というほどの身の軽さである。
音もなく侵入に成功すると、カインの視界の隅に巡回らしい神官戦士が四人、映った。物影に身を潜めてやり過ごそうかとも、カインは思ったが、すぐに考えを変えた。
いきなり、四人の前に立ちはだかったのである。
「何者……！」
と誰何しかけた先頭の神官戦士は、鳩尾に拳を叩き込まれ、たちまちのうちに昏倒した。
カインの行動は、非常に迅速だった。あまりに突然のことに、状況が飲み込めない神官戦士の一人に鋭い蹴りを喰らわせる。勢い余って吹き飛ばされた相手は、壁に強く身体を打ち付ける羽目になり、倒れた。闘争本能のみで、カインに掴みかかってきた神官戦士は、軽く足を払われて背中に肘を落とされ、これも簡単に気絶させされた。
最後に残った一人は、一番冷静で、声すら立てずに細剣を抜き、カインに斬りかかってきた。それは訓練された動きではあったが、カインは簡単にその切先から身をかわし、剣を握った神官戦士の腕を掴み、捻り上げた。
神官戦士の身長は、ややカインより低いものの、厚みや幅はカインより一回りは大きかった。それが、見るからに華奢な身体の、細い腕の青年に押さえつけられ、手も足も出ない。その事実に愕然とするよりも、物理的に加えられる力の方に、神官戦士は屈し、細剣を取り落とした。カインは後ろ手に神官戦士の腕を捻り上げながら、殊更に危険そうな声音を作って、言った。
「神官達の宿舎は、何処だ。複数あるのなら、高位の者が使う方だ」
観念したように、神官戦士は、奥まったところにある３階建の建物がそうだ、と答えた。もっとも、
「そ、そんなことを訊いてどうするつもりだ。聖職者への冒涜をなせば、神の罰が下るぞ」
と、付け加えることは忘れなかったが。ただし、その言葉は、カインに何の感銘も与えなかった。カインは、神官戦士に向かって、鼻先で冷笑する。
「生憎と、俺は神罰なんぞ、恐ろしくも何とも思わんね」
そう言うと、カインは神官戦士に当身を食らわせ、体重の無い者のように軽捷に走り出した。
昨日訪れた大地母神の神殿とは比べ物にならないほど、巨大な礼拝堂の裏を抜ければ、建物が二つ並んでいる。そのうちの、３階建の方に、用心深くカインは近寄った。初夏のことで、外の風を呼び込むために、大抵の窓が開いている。
知りたいことが分かるなら、相手が誰でもいいのだが、やはり、女性を“軽く締め上げる”わけにもいかないので、カインは慎重に様子を窺った。
そのうち、20代半ばくらいの年齢と思われる僧侶が、すっと窓の前を横切るのが見えた。カインは間髪入れずに、その窓の桟に手をかけて、室内へと自分の長身を踊りこませた。
「な、何だ、貴様……！」
「うろたえるなよ、何もあんたを殺そうってわけじゃない。まあ、あんまり騒ぐようなら、多少は痛い目を見てもらうことになるかもしれんが……」
まるきり悪人の口にするような台詞を吐き、カインはわざとらしく、剣を抜く素振りを見せる。僧侶は、気圧されたように、数歩、後じさった。
「こちらの質問に答えてくれれば、俺も手出しはしない。ただし、率直に、正直にな。助けを呼んでも無駄だ。へぼ神官戦士どもが束になって掛かってきても、俺には敵わんぞ」
秀麗なカインの顔立ちの中の瞳に、大層危険な光が宿ったように、相手には見えたらしい。
「……何が訊きたい？」
それでいて、人を酩酊させる
「まず、一つ。昨日、本当にこの神殿の者が殺されたのか？」
「ほ、本当だ」
僧侶の声は上ずっていたが、嘘の響きは無かった。
「ならば、次だ。その者を殺したのが、あのヘレナという娘だと、誰が見た？ ……まやかしを見せる魔法か何かで、『見せかけた』可能性は無いのか」
そこで一度言葉を切り、カインは僅かに眉の辺りを顰めた。何かが、彼の神経に引っかかったのだ。微弱だが、何か自分の意思に、強引に干渉するような……。意に反して、勝手に己の意思を操作しようとするような……。
「……何の真似だ！」
人の意識を、断りもなく無理矢理まさぐってくる無礼に、カインは怒声を放った。
理由は分からずとも、その行為は彼にとって、激しく不快な怒りをもたらすもの――。
いや、理由は分かっている。多分、覚えていない以前に、そういうことがあったのだ。怒りを覚えずにいられない、……何かが。
光の反射加減で色の違って見える眸が、鋭い怒りを宿して眇められる。怒っていてもなお、カインの姿は美しいが、それはむしろ、畏怖の念を呼び起こす類の美しさだ。
「俺を本気で怒らせるな」
事実に勝る恫喝はない。思わず、僧侶は袖の中に握りこんでいた聖印を取り落とした。かつん、と小さな金属音が足元でしたのを、ちらりとカインは見やったが、それには構わない。彼は、他人の信仰の証――他人が大切に抱えているものを、怒りに任せて足蹴にするような性格の持ち主ではなかった。
そして、カインは時に、無情なまでに冷静だった。
「……あんた、か？ 殺したのは」
「な、何を、不敬な……！」
「でなければ、何故、俺の意識に干渉してきた。誤魔化す必要がなければ、不用の行為だろう」
真っ直ぐにカインは眼前の僧侶を見据えた。その視線の
僧侶は、視線を逸らして、無意識にか、一歩下がった。
「歓楽街で起こっている、連続殺人の件を知っていて、あの娘に罪をなすりつけることを思いついたのか？」
カインは、容赦なくそう切り込んだ。
「何……」
「通りすがりの俺達が聞いただけでも、薄気味悪さを感じる話だ。話題にもなるだろうし、何よりこの街に住む人間には、不気味で不安だろう。それを、魔族の特徴を持つ娘になら、押し付けても構わない、か。とんだ神の徒だな！」
一瞬。
カインは、自分が、以前、誰かに似たような言葉を吐いたことがあるような気が、した。誰かに、不当に心を、誇りを傷付けられて、そして……？
だが、カインは自分の思考を追いかけることを、すぐにやめた。今すべきことは、己の失った過去の記憶の追及ではない。「ただの娘」でしかない、あのヘレナを助けることだ。