Chapter-1「邂逅」

―7―

「久しいな、“闇将軍(ダークジェネラル)”レオンハルト」
「俺をその名で呼ぶな!」
 常に冷静なレオンハルトの感情が、束の間とはいえ、奔騰した。月日が経ったとはいえ、その月日でさえも未だに癒し難く、触れれば酷く痛む記憶を、真正面から抉り起こされたからだ。
 知り合いか、などと野暮なことはカインは訊かなかった。ただ、何者だ、と問うた。
「皇帝グレゴールに仕えていた、宮廷魔術師フーリックだ。フリードリヒに斬られ、死んだ筈だが――」
 厳密な意味では、「死んで」はいなかったわけか。
 レオンハルトは軽く唇を噛んだ。
 思い出させられる。思い出してしまう。この男が皇帝の左、自分が皇帝の右に侍していた時の事を。
 この男を、冷酷無比な魔術師、などと、どの口で罵れるというんだ? それはそのまま、俺に向けられた言葉ではないか――。
 しかし。
 しかし、それでも。

「――貴様、何を企んでいる」
 一切の体温を感じさせぬほどに、レオンハルトの声が低まった。
 それに対し、くっくっ、と喉の奥から笑いを発して、フーリックと呼ばれた男は、レオンハルトを見た。次いでカインを。
「レオンハルト――私を斬るか? 静かなる魔法戦士の名にかけて?」
「斬る」
 短い、それだけに鋭すぎるレオンハルトの言葉を浴びて、フーリックの声音がやや変調した。
「いつか、また会えると思っていた。私は、今、心からこの再会を喜んでいるよ、レオンハルト」
「何を、企んでいる」
 再び、単刀直入に、レオンハルトは言った。

 フーリックという男のことは、「よく」とは言わないが、レオンハルトは知っている。立場的に言えば、元同僚だったから。
 何を考えているのか、分からない男だった。帝国に居た頃のレオンハルトは、自分の意志や感情を制約されていたため、他人への関心など少しも無かったのだが、それを差し引いても、だ。押さえ込まれた筈の感情が、不快、という言葉を思い起こしたこともある。皇帝に忠誠を誓っているのかさえ、定かではなかった。皇帝はそれを知った上で登用していたようだが。とにかく、絶大な力を持つ魔術師である、それだけは確かだ。皇帝の左側にいつも立っていたこの男について、レオンハルトが確実に言えることは、魔術の研究のために何を犠牲にすることにも、厭いも躊躇いもしない、という事実である。
「さて、君が訊く企みというのは、私が商人の真似事をしていることか?」
「……真の目的だ、貴様の」
 商人組合のギルドマスター・ヘーゲルの正体が、元ブルグント帝国宮廷魔術師フーリックだと知れた瞬間、レオンハルトはおぞましい確信を抱いた。
 人身売買を行っていることは、手段でもあり、そして目的でもある筈だ。必要な「もの」――人間を大量に効率よく集めるために。自らの魔法を成功させるために。
 だから、死霊(レイス)が現れたのだ、この屋敷には。もう、何人もの人間が、この男の魔法のために、命を落としているのだ。
 何を望んでいる? 何のための――何の魔法だ?
 何のために、この世に再び蘇った?
 不意に、レオンハルトは息苦しさを感じた。どうしようもなく不吉な感覚が、全身にまつわりついて、離れなかった。

「レオンハルト、私は幾度殺されようとも、その度に復活する。私の目的を達成するために」
「……」
「この世界を、滅ぼすため」
「何だと!」
 生半可なことでは、驚愕したりしないレオンハルトだったが、その言葉に平静ではいられなかった。
「貴様、正気か……」
 呻くような声になったのは、止むを得まい。
 グレゴール皇帝の抱いていた、世界を征服するという“野望”は、迷惑極まるものではあったが、曲がりなりにも建設を求めていた。しかし、その宮廷魔術師は、その全く逆の“破滅”を求めるという。常人ならば、その狂気を疑う。
「世界は美しく正しいか、レオンハルトよ、世界を救った君にとって? 共通の敵がいなくなれば、人間というものは、平気でいがみ合い、傷付け合う。いや、共通の敵が存在していても、自分だけは生き残ろう、と浅ましい根性で他を踏みにじってきた者は少なくあるまい。……度し難い、救い難い生物だ、人間とは。このような生物に壟断(ろうだん)された世界など、存続する価値があるか? 神の力によって、滅びるがいい」
「――! 神霊降臨(コール・ゴッド)の魔法の儀式に捧げる為に、人々を……!?」


 神々は、遠き天界、万神殿(パンテオン)に住まい、自分達の子である人間を見守る。
 真摯な祈りに応えて、魔法という形でその奇跡の力を分け与えども、人よ、成長した神の子よ。
 子はいずれ、親から離れていくもの。無闇と、親を頼るなかれ。

 ただ、人の手の及ばぬ力による、大きな災厄が起こりし時は。
 神の魂を呼び起こすがいい。


 神霊降臨の魔法は、人の身体に、神の魂を一時的に宿らさせる魔法である。天界という違う世界から、神という大いなる存在を呼ぶのだから、桁外れに強大な魔力が必要であることは無論だ。そして、祈りを届かせる強き魂。
 だが、それは、人が我が身を媒介にして願う奇跡である。神は、信仰篤き人間の身を仮の魂の宿とし、その願いを叶える。代償は、呼び出した者の命。人間の身体に、その身に余る力を降ろすのだから、自分に神を呼び降ろした者は、その命も身体も粉々になる。

 レオンハルトは、僧侶ではない。だから、学校で習った神学以上の知識があるわけではない。それでも、おかしいではないか。この不遜な男が、命と引き換えに我が身に神を降ろすのか、まさか! それに、何故、神の魂を呼び寄せるのに、人の命という犠牲を必要とする?
 ……その行為は、魔界から強大な魔物を召喚する儀式に、とてもよく似ていないか。実際、グレゴール皇帝は、魔界と契約を行う際、魔界との“門”を開くために、老若男女、合わせて二千人の命を生贄にしたという。
「どのような神が、世界を滅ぼすために降臨するという……」
 今まで黙っていたカインが、叫びを抑えた声で、そう言った。
 一緒に旅をしていて、レオンハルトは、この青年が想像以上に正義感が強いことに気付いていた。手前勝手な、押し付けがましい自己満足的な正義感ではない。弱い、自らを守る力を持たぬ者に対して、手を差し伸べずにはいられない、そんな正義感である。
 だから、黙っていられないのだろう。他人を踏みつけにして、我が身の栄誉を図るような人間だけが滅びると言うのなら、それは自業自得だ。が、世界が破滅するのなら、実直に慎ましく暮らしている、そんな人々にも、滅びは等しくやってくるのだ。

「アディリウス神になら、可能だ」
 その神の名に、レオンハルトは聞き覚えが無かった。神学史に、アディリウス、という名を持つ神は登場したことは無かったし、巷間に流布している神話伝説の類にも、そんな神は存在していなかった筈だ。
 彼の疑問を打ち破ったのは、フーリックではなかった。
「堕神アディリウス……魔王……!」
 記憶を失っているカインが、そう言ったのだ。
「カイン、お前、記憶が……?」
 隣に立つカインを、レオンハルトは僅かに期待を込めて見た。が、カインは自分の発した言葉に、自らが当惑しているようだった。
「……分からん……だが、その言葉だけが、自然に浮かんできた……」
「そう、アディリウス神は、魔族を生み出し、他の神々と戦ったことによって、魔王と呼び慣らわされている。だが、その出自は神に違いない。それも、創造神ハルキフスズとは双子の兄弟、破壊を司る神だ」

 魔王、凶つもの達の王。
 現在では、神々の手で封じられているというその存在を、呼び起こそうとする男を、レオンハルトは、完全に狂っている、と思った。
「さあ、レオンハルト、暗黒の魂に身を委ねた者よ。神に捧げる引き出物として、君以上に相応しい者はいないだろう。来たまえ。隣の、もう一人の美しい戦士と共にな」
「ふざけるな!」
 怒号。レオンハルトのものだった。
「俺は以前、暗黒の力に囚われた。だが、二度目は無い。貴様などの思惑通りにはならん」

 俺は、覚えている。額環に込められた呪いに、支配されていた時の自分の姿を。昏く、冷たく、姿を映してはいても、何も見ていなかった眼をしていた。人を幾人殺しても何とも思わず、誰の血を浴びようとも平然としていた。
 ……もう、二度とは。呑み込まれまい。

「……貴様、転生の秘術(リーンカーネイション)に成功していたな」
 気の弱い人間なら、その声だけで竦み上がってしまったかもしれない。冷たく冴えたレオンハルトの声は、美しい声だけに尚更、魂が底冷えするような、そんな響きがあった。
「フリードリヒに斬られ、“人”としては死んだが、“別の存在”に生まれ変わったか。だが、貴様が幾度、何処で復活しようとも、俺は必ず貴様を追い、滅ぼしてみせよう!」
 フーリックはただ笑って、何やら印を結んだ。それが完成すると、めくるめく雷の矢が、レオンハルトとカインの頭上に落ちかかってきた。しかし、それは二人の身体に届く前に、何かにぶつかったように弾かれた。
 レオンハルトが、敵の攻撃魔法を完全に遮断してしまう、魔法の防壁を張っていたのだ。
「望むと望まざると、君ほど、彼の神への供物に適した者はいない。深い絶望に傷ついた、強い魂。それこそが、最もアディリウス神の好む捧げ物だ。しかも、君は人であることが信じ難いほどに、美しい。古来、生贄とは美しい乙女の役割だが、やおら劣るまいて。それに関しては、君の連れも同様だな」
 いきなり、閃光が爆発した。赤い閃光は、華麗な螺旋階段を襲い、火に包んだ。
 不愉快な死霊魔術師の言い草を聞いている義理は無い、とばかりにレオンハルトが放った魔法だ。勿論、それで倒せた、などとは思わないが、それ以上聞くに堪えなかった。
 魔法による“跳躍”の気配があったから、次にフーリックが何処に現れるか、油断が出来ない。
 カインは、レオンハルトと背中合わせに剣を構えた。

「気をつけろ、カイン! 奴の魔力は、俺などよりずっと強い。この魔法の障壁とて、何時まで保つか分からん」
「不死の死霊魔術師か……。何よりも恐ろしい魔物は、ああいった類の人間だな……」
 そう呟いたカインの口調に、レオンハルトは感慨以上のものを聞きとがめた。
「……こけおどしを!」
 が、カインの呟きに含まれていたものは、すぐに綺麗に払拭された。十数体の屍人(ゾンビー)が現れたからだ。
 肉が腐敗し、ところどころ骨が露出している。瞳はどろりと濁り、無言で生ける者への呪詛を紡ぐ。死霊魔術によって生み出された生ける死者が、吐き気を催すような腐敗臭を撒き散らしながら、近寄ってくる。
 もっとも、姿形ほどには屍人は恐ろしい存在ではない。ましてや、カイン程の使い手にかかれば、片手間に片付けられるような相手だ。聖なる力を帯びた剣で、カインが次々と屍人を単なる死骸に戻していく間、レオンハルトは口の中で呪文を唱え、フーリックの存在を感知しようとした。
「カイン、後ろだ!!」
 レオンハルトの警告は、僅かに遅かった。突如として、彼等の死角に出現したフーリックが、邪悪と称するに足る笑みを浮かべる。

 ぱりん、と薄いガラスが砕けるような音は、障壁が破られた音だ。死霊魔術師がその掌を突き出すと、目に見えて黒い“気”が生じ、渦となって二人の青年を襲う。避ける間もあらばこそ、その黒い渦に身を捲かれた途端、強烈な脱力感に、二人ともが膝をついた。
 身体が重い。自分の中から、体を支える力さえも、根こそぎ絞り出されるような感覚。
「貴様、何を……」
 そんな中にあってもなお、ぐ……と気力で身体を引き起こし、カインは剣を構えようとする。レオンハルトは、魔法の効果を打ち消す呪文を脳裏に浮かべるが、その呪文を実行に移すための印を結ぶこともままならない。魔法とは、呪文を唱えるだけではなく、正確に印を描くことで、初めて発動する。当然ながら、高度な魔法になればなるほど、呪文は長く、印は複雑になる。
 彼は、利き手の左手で剣を抜き、空いた右手で魔法を使う手続きを踏む。単純な魔法なら、話すと同じくらい簡単に使えるが、さすがに、既にかけられた、しかも高度で強力な魔法を打ち消すレベルになると、そうはいかない。

「無駄だよ」
 フーリックは、笑いを含んだまま、そんなカインを見下ろした。
「君達の全ての能力は今、大幅に低下している。私の魔法によってだ。それこそ、立ってすらいられないほどに。声を出すのも辛いだろう? それで、私に勝てるつもりか?」
「だからといって、屈するか貴様などに!」
「これはこれは」
 破顔した死霊魔術師だったが、それは見て気持ちの良い「笑顔」ではない。
「大した気概だな。――美しさだけでなく、その気概も、君はレオンハルトに似ているのか。私はついているな、一度に二人ものこの上ない贄を手に入れられるとは」
「黙れ!!」
「カイン! よせ!」
 全身の力をかき集め、カインは立ち上がった。剣を青眼に構えるや否や、勢い良く刀身を引き――斬りかかるところで、全身に鋭い痛みが走った。
 ――これは!?
 その鋭い痛みに促されたように、カインは自分の体が行動不能に陥ってしまったことを知った。麻痺とは違う。感覚ははっきりしている。しかし、身体が動かない。動かすことが出来ない。意志から、身体が切り離されてしまったかの如く。
 辛うじて、剣を取り落としこそしなかったが、それだけだ。
「来たまえ」
 フーリックが手を伸ばした。