Chapter-1「邂逅」

―6―

 カインは、呆れたように、恐ろしく巨大な鉄の門を見上げた。
「自分の財力を誇示しているんだろうが、それにしても、まあ」
 門の奥には木立が重なり、どうやら広大な庭園が広がっているらしい。木々の遥か向こう側から、申し訳程度に、豪奢な邸宅らしい屋根が、少しばかり姿を覗かせている。
「他人を踏みつけにして財産を築き、それをまた独り占めして見せびらかす、か。ご立派な神経だな」
「そんな神経の持ち主でなければ、巨富は築けんのかもしれんな。例外はあるだろうが」
 静かな声で、レオンハルトが答える。
「で、どうやって中に入る? この頑丈な門の鍵を開けるには、お前も俺もそういう盗賊らしい技術は持っていない」
 ――姿も名も、貴公子然としているカインだったが、時々、その印象に相応しからぬ言葉を、平然と口にする。さぞかし、カインは貴族としては異端だっただろう、とレオンハルトは思う。もっとも、そういうカインの性癖が、レオンハルトには好もしく感じられるが。
 カインの問いかけに対し、レオンハルトは行動で返答を示した。典雅な声で唱えられる呪文は、歌の旋律のようにも聞こえる。その短い詠唱が終わると、ギ……ギ……ギ……と、金属に特有の軋み音を立てて、重そうな鉄の門は、二人の青年を中に招き入れるべく、左右に開いた。開錠の呪文だ。
 怜悧な光彩を湛えたカインの眸が、不意に暗い夜闇の中で輝いたように、レオンハルトには見えた。
 時ならぬ、本来ならあり得ない開門に、慌しく用心棒らしい人影がバラバラと現れる。その機先を完全に制し、カインはその全てを速やかに夢の国へと送り込んでいた。相手は、何が何やら分からぬまま、整備された芝生をベッドに、不本意ながら安眠する羽目になったわけである。

 思えば、奇妙なものだ、とふとレオンハルトは微かな感慨を抱いた。
 他人のことを詮索する趣味は無い。
 それなのに、レオンハルトはカインに手を差し伸べ、彼が失った過去の記憶を取り戻す手助けすらしてもいい、と考える矛盾。それは取りも直さず、カインの過去を知りたいという欲求に繋がる。あまりにも、他人の心の奥底にある、深く隠された領域に踏み込む行為ではないか。
 それでも、ただ、不思議だったから、か。
 晴れ渡った青空のような顔で、笑ってみせることが出来るこの青年が、一体、何が理由でどんな罪を犯したというのだろう? ――と。
 その一方で。その笑顔の下に、相反する哀しい翳りが垣間見えるせいなのか……。

 カインが振り返った。唇に小さな笑みを浮かべたのは、レオンハルトの深い色の瞳に、不安のようなものがごくごく微量、混じっているのを感じたからかもしれない。
「差し当たって今は、俺は、自分が何者かはとりあえず考えないことにした」
 この時、レオンハルトがやや不明瞭な表情をしたのは、自分の胸中に湧き上がった不安の正体を、掴みかねたためだった。
「さて、仕事熱心な皆さんがまたやって来たようだな」
 そのまま、カインの笑いが鋭いものへと変わる。
 黒い髪と恐ろしいほどの美貌、人並み外れた強さ、そして厳しい痛みを伴う過去。幾つもの共通点を持つ二人の青年は、その性質においては、対極に位置するようであった。
 レオンハルトは「静」。カインは「動」。
 似ているくせに違うから、あるいは惹かれたのだろうか。
 カインは地を蹴った。宙へと跳躍しながら、右腰の剣を抜く。剣の刃が月の光を弾いて、流星の軌跡のように白光を引いた。
 先ほど出てきたのは、装備もばらばらな、いかにも傭兵、だったが、今度は装備も統一され、そのせいか、何処となく軍隊らしき雰囲気すら漂わせる一団だった。正規に雇われた衛兵なのだろう。
 不審を発見したら、まず、傭兵が出て、次いで、衛兵が出て来る、という警備の仕組みらしい。やたら警備が厳重なのは、大いに後ろめたいことをしている、という自覚の表れか。
 ともあれ、衛兵達はその外見に相応しく、かなり訓練されているようだった。横一列に並び、無法で無礼な侵入者達に向かって、槍を突きこんでくる。が、カインの跳躍はそれと同時、あるいは僅かに速かった。
 カインは左手を閃かせ、槍の穂先を5本ばかり、柄から切り落とした。ついでと言っては何だが、衛兵の一人の頭を踏み台にし、見事に宙で一回転して、反対側に着地した。
 鎧で全身を覆っているというのに、まるで重力から解放されているような身のこなしで。
 レオンハルトもその場で剣を抜く。

 一回の斬撃で、槍を5本も駄目にした青年の手腕は、確かに驚くべきものだった。が、真夜中の呼びもしない訪問者二人は、たった二人でその倍以上の人数を相手にするつもりらしい、と衛兵達は嘲笑と余裕の波動を発生させた。レオンハルトにとっては、それはよく浴び慣れた反応だった。
 薄く笑うと、カインは何を考えたか、剣を鞘に納めた。
 そして、強弓から放たれた矢の如く鋭い動きで、衛兵の一人の腕を手刀で打つ。その、彼の細い、しなやかな身体の裡に秘められた力が如何程であるのか、衛兵は声にもならぬ悲鳴を上げて、槍を取り落とし、身体ごと後退した。槍が地面に落ちる前に、カインは自分の手に掬い上げ、すぐに構えた。その構えには一分の隙も見られない。静かな自信に支えられた、戦士の麗姿。
 カインの剣術は、この世に存在する剣士全てを集めて比較しても、“最強”の部類に入るだろう。それ程の腕の冴えを持っている。
 だが、槍術は。
 もはや、人の“強さ”の領域では無いのではないか。
 神技だ。

 人間の性癖というのは厄介なもので、視覚的第一印象から脱却することが容易ではない。衛兵達は、誇りもあるだろうが、それ以前に自分の中に自分で植えつけた“たかが綺麗な顔をした、二人の青二才”という、強固なまでの侮りの感情が、給金を自分の医療費にそのまま回す結果を招いたのだった。もっとも、支払いが行われるなら、だが。
 衛兵をことごとく地に這わせると、カインは柄の曲がりかかった槍を放り投げて、つまらなそうに手を払った。
 そのまま歩き出したカインに、何気なしにレオンハルトは「おい」と後ろから肩に触れた。
 その時のカインの反応は、レオンハルトの予想の範疇を越えていた。

 よもや想像できようか。
 豪胆な筈の青年が、肩に手を掛けられただけで、取り乱すなどと!
 しかし、現に、カインは文字通り取り乱したのである。びくりと身を引き攣らせるや、顔色を変えてレオンハルトの手を振り払おうとしたのだ。それは、明らかに怯えから来る行為だった。
「……どうした、カイン!」
 カインの手を掴み止めたレオンハルトの声は、叱咤に近かった。
「あ……す……すまん…………」
 猟師の息子に生まれ、力仕事に慣れたレオンハルトは、見かけにそぐわない膂力を持っている。その彼が意図的に強く握った、自分の手の痛みに、カインは我に返った。
「どうしたと訊いても、仕方が無いか。……記憶が無いんだからな」
「ああ……」
 カインは首を振った。自分の裡から迷いや惑いを払うように。
「どうしたんだろう、俺は……」
 何処か弱々しい声で、カインは呟いた。ひょっとしたら、このカインという青年は、想像以上に苛酷な境遇で育ってきたのではあるまいか。背後からの人の接触に、怯えなくてはならないような。その苛酷さを、記憶が失われていても、身体が忘れていない。
 今度は、カインの視界に自分が入るようにして、レオンハルトは彼の肩に、もう一度手をかけた。無言で頷いてみせる。大丈夫だ、と。
 自分自身に、カインはひどく戸惑っていた。その戸惑いを取り除くことは出来なくとも、僅かでも軽減できるように、レオンハルトは淡雪のように優しい微笑を浮かべた。
 ようやく、カインは心がほぐれた様子で、ほっと大きな息をついた。
「よし、行こう」
 綺麗に整備された小径を、二人は歩き出した。



 平凡に暮らす人々の家なら、軽く二十軒は収容できそうな広大な面積の庭は、庭師による手入れが行き届いていた。しかし、その刈り込まれた樹に、妖々とした雰囲気を感じるのは、気のせいだろうか。
 ――否。
 レオンハルトは、頭上をふり仰いだ。
「……どうも、妙だ」
 彼の眼には、半月の輝きと星の光が、いつもと違って見えた。硬質に輝く夜の中の光が、病的に煙っているように。
「ここは、もしかしたら、単なる商人組合の――人身売買組織の親玉の屋敷ではないかもしれん」
 声には出さず、カインは、どういうことだ、と視線で訊いた。
「こうして近づいてきたからか、感じられる。あの屋敷――おかしい。瘴気が立ち昇るような、尋常でない邪気に包まれている」
 レオンハルトは、無意識に腰の剣に触れた。

 「不屈の剣士」フリードリヒの持つ、聖剣“太陽の剣(サンブレード)”と対を成す、魔剣“暗闇の剣(ダークブリンガー)”。共に、フロレンツ王国の宝として眠っていた剣である。“暗黒戦争”を終結に導くべく、ヴィルヘルミナ女王から与えられたものだ。光は闇が存在するからこそ、光たりうる。その逆も然り。
 もっとも、“暗闇の剣”を今まで抜いたことのある人間はいなかった。闇に潜む悪意に反応し、それを狩ることを主に知らしめる剣は、それだけに心弱き者を拒み、相応しくない者が鞘から抜くと、その命を奪うのである。魔剣、という呼び名はその性質のためにつけられた。
 一度、魔の仲間に身を堕としたレオンハルトを迎え入れる条件として、女王はこの剣を抜くことを課した。初めて魔剣は、青年を主と認めた。以来、ずっとレオンハルトの右腰に、魔剣は提げられている。
 その魔剣が、レオンハルトに警告するのである。危険、と。
「気を付けろ」
 短く、カインに注意を促す。カインは頷いた。

 かなりの距離を歩いた。ようやく豪壮な邸宅が、二人の前に姿をはっきりと現した。これまた、見上げんばかりに巨大な扉を開きかけた時、レオンハルトは叫んだ。
「いかん、下がれカイン! 死霊(レイス)だ!!」
 死霊は、生者に怨念を抱く死者の霊魂が魔物化したものである。実体が無いため、魔法か魔力を帯びた武器でしか倒すことが出来ない。
 カインが、死霊の攻撃から身を躱して、大きく跳び退る。レオンハルトは魔剣を抜き、大きく踏み込んだ。レオンハルトの腕が動き、宙を二閃した。彼が剣を鞘に納めると同時に、それを合図にしたように魔剣に斬り裂かれた死霊は消滅した。
「とんでもない護衛を飼っていやがる」
「いや……カイン、死霊と言うのは、他のアンデッドの屍人(ゾンビー)骸骨(スケルトン)などとは違って、死霊魔術(ネクロマンシー)で作り出されて、使役される魔物ではない。無念の死を遂げた人間の怨念が、凝縮されて自然発生する。無論、自分の家の中でこんなものがうろついていても平気なのは、死霊魔術師(ネクロマンサー)ぐらいだろうが……」
「そして、死霊を生み出すような邪術を研究中、ということか……。商人の皮をかぶって、何を考えている……」
 嫌悪の表情も露に、カインは吐き捨てた。
「カイン、剣を抜け」
 少し考えてから、レオンハルトはカインに言った。
「何をするんだ?」
「念のためだ。剣に、“聖なる力(オーラ)”の魔法をかけておく。そうしておけば、遅れを取るお前じゃないだろう?」
 そのレオンハルトに応えて、カインは薄い表情を口元に閃かせた。一時的に魔力を付与された剣が、仄白く発光する。
 開け放たれた扉を入ってすぐは、広間(ホール)になっていた。吹き抜けの螺旋階段は優美な曲線を描き、天井には黄金と水晶のシャンデリア。その豪華絢爛さは、貴族の城館にも等しい。
 しかし、違う。
 生物の気配は、この豪奢な邸宅の中には無い。血塗られた死の姿が見えるが如く、不吉な雰囲気が立ち込めている。
「ようこそ、美しい客人たち」

 突如として、声が「湧いた」。そして、階段の踊り場に人影が「出現した」。
 それは、若いとも中年ともつかぬ男だった。漆黒のローブを身に纏い、端整と言える容貌を有してはいたが、それ故にこそ、全身にたゆたうような、一種狂気めいた酷薄な印象を、かえって強めていた。
 カインは反射的に身構えた。だが、レオンハルトは、剣も抜かずに踊り場上の人影を睨みつけていた。いや、睨むという表現は適切ではない。レオンハルトは眉一筋動かさずに、表情を変えることも無く、ただ氷よりも冷たく男を見据えていた。
「……死霊魔術師として蘇ったのか、フーリックよ……」
 そう言ったレオンハルトの声には、呻くような響きがあった。