Chapter-1「邂逅」

―3―

「こ、困ります! 困ります!」
「町の人間を連れて行かれるんじゃねえんだ、旅人なら何の問題もねえだろうが!」
 どたどた、と乱暴な足音とその濁声が、いかにも粗野な人間を連想させる。音の重なり方からして、複数らしい。弱腰ながらも、何とか異議を唱えているのは、この宿屋の主人だろう。
 人攫い、だな。
 レオンハルトは、特別の感慨も無く、そう思った。戦争が終わってから、二年。王都周辺や、大都市ならともかく、地方の小さな町村の治安は、確定したとは言い難い。そういう不安定な状況にあって、それを利用して、不当な利益を得ようとする者は、したたかと褒められていいのだろうか。
 戦後の復興事業に必要なもの。それは人の労働力だろう。あるいは……逞しくもさっさと立ち直って、戦前の生活を取り戻すために、「娯楽としての人間」を求める者もいよう。だからといって、それを商売にする根性が、レオンハルトには信じられない。自分が言うのはおこがましく、口にもしたくないが、それでも言いたくなる。

 貴様らは、あの戦時中に、何をしていた、と。


 ノックも無しに、乱暴に引きちぎるようにドアが開けられた。
 礼儀など知らないのだろう、レオンハルトがカインを休ませるために借りた部屋の中に、ずかずかと踏み込んできたのは、装いだけならば何とか、冒険者風に見えないこともない男が3人。印象自体は、野盗と大して変わらなかったが。
「こんな田舎に、とんでもない値打ちモンが転がってるたぁ、俺達も運が良いぜ。こりゃ、とんでもない値段で売れる。しかも二人も、だ」
 レオンハルトとカイン、二人もの類稀なる美形を目にして、野卑そのものの調子で男の一人が言った。そういえば、最近、どうも人身売買が組織だって行われているらしい、という噂をレオンハルトは耳にしたことがあった。こいつらもその一味だろう。どう見ても、自分の頭で考えて悪事を図ることの出来る人種には見えない。

 さて、どうするか。レオンハルトは目線の端だけで、カインを見た。咄嗟に剣を手にしたこと、その判断と動きは、身体が覚えていた無意識の行動だろう。しかし、カインがどの程度の戦士か、レオンハルトは知らないし、カイン自身も分かっていない。目の前の男達など、レオンハルトには片手で片付けられる連中に過ぎなかったが。
 あらゆる感情を欠いた、冷ややかな美しい顔で、レオンハルトは黙然と立っている。鎧も剣も身に着けていない今の彼からは、武装した姿など想像できまい。ましてや、彼が英雄詩に登場する「静かなる魔法戦士」だなどと。それほどまでに、レオンハルトは、――ただ美しかった。
「元手ただの商売か。さぞ儲かるんだろうな」
 嘲るにしては、あまりにもその調子が含まれていない声がした。その声を発したのは、レオンハルトではなく、カインだった。
「大人しくこっちの言うことを聞けば、楽して稼げるようになれるさ、お前も」
 と、男の一人が大声で笑いかけ、その声が途中で止まった。
 その喉元に、白刃が擬されている。レオンハルトですら、軽く目を瞠った。カインは、誰にも抜く手も見せずに、鞘に納まっていた剣を突きつけていたのである。
「生憎だが、俺は他人に自分の身を自由にどうこうされる趣味は無い」
 全くと言っていいほど殺気のこもらない口調が、何故こうも恐ろしく聞こえるのか。完全に気圧されつつ、それでも口を開けた男は、賞賛に値するかもしれない。
「……おめえ、抵う気か……」
 カインは答えず、小さく手首を捻った。剣が閃いた。
 斬った、のではなかった。剣の平で、正確に男の頸動脈の辺りを強かに打ち据えていたのだ。その狙いがいかに正確だったか、男が一声も上げずに白目を剥いて倒れてしまったことから分かるだろう。多分、男は自分の身に何が起こったのか、理解する間も無かったに違いない。
「そう言ったつもりだが。分かりにくかったか?」
 微笑を浮かべ、カインは引いた剣を自分の肩にとん、と乗せる仕草をする。あまり行儀がいいとは言い難い動作の筈だが、桁外れの美貌がそれですら様になって見せる。
「カイン、お前……」
「俺にやらせてくれ。何だか、こういう手合いに無性に腹が立つんだ」
 不意に、レオンハルトはそのカインの言葉の中に、ひどく昏いものが含まれているような気がした。単なる正義感、と片付けられない何かが。それが、妙に曖昧な不安をレオンハルトに抱かせたが、その正体は掴めなかった。
「分かった」

 キン、と金属の弾きあう音。男が鞘から抜きかけた剣は、手元から弾き飛ばされた。カインの、鋭く素早く、かつ的確な剣の一閃によってである。宙に舞い上げられた剣は、乾いた音を立てて床の上に落ちる。停滞無く、カインはその剣を自分の後ろに蹴飛ばす。
 顔と姿の割に、彼は少し……いや、かなり行動が荒っぽい所があるな。レオンハルトはそう思いつつ、一歩退いた。

 カインに剣を奪われた男は、咄嗟にカインに掴みかかった。同時に、もう一人が「野郎!」とか喚きながら、カインに剣を振り下ろそうとする。あっさりとカインにあしらわれ、本来は自分達が何をしに来たか、すっかり忘れてしまったらしい。
 左手に握った剣で、カインは低い姿勢で大上段から振り下ろされた剣を受け止める。彼が手首を翻すと、見た目からは想像も出来ない膂力でもって、男の剣はカインの剣に巻き込まれて、持ち主の手を離れた。猛然と突っ込んできた男に対しては、軽く身体を躱し、足を払ってやる。
 相手の剣を叩き落したカインの左腕は、そのまま弧を描き、剣の柄を男の鳩尾に叩き込んだ。「ぐがっ」と息の詰まる音を発して、男が失神する。その一方で、足を払われて転倒した男の背を、勢い良くカインは踏みつけ、剣の刃を男の片耳に当てた。

 これは、相当に実戦慣れした、正規の訓練を受けた剣だ。単に実戦で鍛えられたにしては、剣の運びが洗練されすぎている。単に正規の訓練を受けただけにしては、どうも動きに経験を感じられる。
 カインの剣筋に、レオンハルトは確信に近い推測を抱いた。正規の訓練を受けた、ということは、やはり身形やその名からしても、武官貴族である騎士だろう。そして、実戦「慣れ」しているということは、彼が今まで居た所でも、何か大きな戦争があったのではないだろうか。そして、彼が失ってしまった過去の記憶の中の、漠然とした“罪の意識”は、その戦争中に彼が望まずとも取ってしまった、あるいは取らざるを得なかった、行動の結果ではあるまいか。
 それ以上の推測は、レオンハルトは止めた。推測は所詮推測に過ぎないし、何よりもカイン自身が自分の過去を取り戻さない限りは、他人があれこれ想像を働かせてみたところで、致し方ない。

「さて、少し訊きたい事がある。答えたくなければそれでもいいが、代わりに、そうだな、片耳でも貰うことにするか。どうする?」
 単なる脅しではない。その証拠に、カインが剣を握る手に、僅かに力を込めた。男は顔面を蒼白にした。生物の生命維持の本能が働いて、ようやく分かったのだ。眼前の美青年は、野菜でも切るように、自分を一刀で斬り殺せるほどの技倆の持ち主だ、と。その気になれば、である。現在、その気になっていない青年を、その気にさせるのは愚の骨頂でしかない。
「……何が訊きたい?」
 そこで、カインはちらりとレオンハルトを振り返った。
「レオンハルト、答えてくれるそうだぞ」
 レオンハルトは小さく苦笑する。カインは、無表情のレオンハルトの美貌の上から、しっかりと彼の「感情」を読み取っていたらしい。
 組んでいた腕を解き、静かな声でレオンハルトは言った。
「……この『商売』、誰の指示を仰いでいる? お前達の背後に、誰か――何かいるだろう。最近、時々噂に耳にする、人身売買の組織が。その組織の正体は、何だ?」
「ラシクーサの街の、商人組合(ギルド)さ。戦後、一番手っ取り早く儲かる商売が、コレだったからな」
「……」
 売るものがいて、購うものがいる。需要と供給が均衡が取れて、初めて商売は成立する。

 自分は、多分、この世界のために命を懸けたのではないのだろう。ただ、世界のために、人々のために、命を懸けるフリードリヒ達のために、俺は皇帝と戦った。だから、お前達は見るな、知るな。お前達が守ろうとした世界に、醜悪な欲望が存在することを。
 俺だけで、充分だ。汚れるのも、傷つくのも。――俺はもう、これ以上汚れもしないだろうし、傷つく心も、持っていないから。……今更。



 二階が静かになったのに、恐る恐る宿屋の主人は、様子を見ようか、と、階段へと向かった。確かに、町の人間としては、町に住む人間を攫われては困る。しかし、宿屋という商売上、旅人を攫われても困るのである。それが原因で、あそこの宿屋は人攫いに客を売るらしい、などと悪評判を立てられたりしては、今後、商売が出来なくなる。昨夜、人を抱えて宿を求めた空恐ろしいほどの美青年は、戦士風の身形をしていたから、あるいは、とは思うが。
 すると、どさり、と重いものが投げ出される音がした。
「!?」
 すっかり旅支度を整えた青年が、二人、立っていた。その足元には、先刻、乱暴に宿屋に踏み込んできた粗暴な男達が、荷造り用の紐だかで縛られて転がっていた。
「ご、ご出立で」
 いささか間が抜けた発言だ、と主人は自分で言ってから思った。見れば分かるではないか。
「ああ、騒がせて済まなかった。俺達はもう発つが、こいつ等は、町の警備隊に引き渡すなり、私刑にかけるなり、好きにしてくれ」
 だが、レオンハルトはそういう些末事に突っ込む気は無いらしく、至極あっさりとそう言うと、呆けたような主人の脇を抜け、階段を下り、外へと出て行った。カインもそれに続く。
 宿代は前払いで貰っていたとはいえ、あまりにも美しい青年二人が飄然と去っていったので、宿屋の主人は、本当に彼らを泊めたのか、何となく自信を無くして、首を捻った。


「ラシクーサは、この大陸で一番大きな港街だ。唯一、他大陸との交易が出来る規模の大型船舶が停泊できる、港を有している。あそこなら、西方大陸に渡る船も見つかるだろう」
 恐らくは西方大陸人であるだろう上に、記憶を失っているカインが道を分かる筈が無いので、そこまでは一緒に行こう、とレオンハルトは申し出た。
「餞別だ。持っていけ」
 ずしりとしたその重みから、ぎっしりと金貨が詰まっているのだろう袋を、レオンハルトはカインに手渡した。
「……レオンハルト。返すあてもないこんな大金は、受け取れない」
 カインは頭を振った。
「俺は構わん」
「お前は構わなくても、俺は構う。……余計なお節介かもしれないが」
 元々、レオンハルトは寡黙な性質であるが、カインも、あまり口数の多い青年では無いらしい。だからこそか、互いに何となく言いたいことが分かってしまうのか。

 レオンハルトは、例の人身売買の組織を、潰す気でいる。それこそ、「静かなる魔法戦士」と讃えられた彼にとって、それぐらい朝飯前のことに違いない。その行為は、素朴な正義感というよりは、恐らく、自己満足的な「罪滅ぼし」なのだろう、と彼自身は思っている。
 ただ、自分の贖罪の旅が、少しでも不幸な人を救えるのならば。例え、偽善と言われても、それで救われる人がいるのならば、それは、無駄な行為ではないのではないか。
 ――きっと、定かではないとはいえ、やはり罪の意識を抱えるカインも、同じような気だったのだろう。
「……分かった」
 それ以上は、レオンハルトは言わなかった。微かに、カインは口元を綻ばせた。
「じゃあ、よろしくな」
 カインが手を差し出した。差し出された手は、左手だった。通常、友好の証として交わされる握手は右手で成される。古来、左手は不浄のものに触れる手とされてきた。左利きの子供は、幼い頃に右利きに矯正されることもある。が、カインは剣も左手で握っていたし、自然に左手を差し出したので、彼にとっては、「左手の握手」が友好の証なのだろう。レオンハルトも、剣を右腰に吊るしていることから知れるように、左利きである。

 ――あるいは、カインを俺が見つけたのは、非常に幸運な“偶然”だったのだろうか。
「ああ、よろしくな、カイン」
 自分も利き手でカインの手を、レオンハルトは握り返した。
 レオンハルトは、誰かと深く関わりあって、その誰かを大事に思うことが怖かった。正確には、自分が大事に思っている人を、再び自分の手で傷つけてしまうのではないか、と思うことが怖かった。レオンハルトは、自分がどうしようもなく弱い人間だ、と思っている。その弱さで、他の誰かの思いを負うことは出来ない、と思っている。
 だが、カインは大丈夫だろう。同じく罪を犯した身だから、というわけではない。ただ、出会って間もないというのに、カインと居ると、何故か自分が安堵に近い気分を抱いていることに、レオンハルトは気付いていた。
 きっと、カインは強い。だから。俺の弱さに、巻き込まれることは無いだろう。
 レオンハルトは、端麗な唇に、淡い微笑を刷いた。単に美しい笑み、というにはあまりにも苦いものが含まれすぎていたが。