華京騒動録   第二話 穆門大街の殺人

二 天下泰平、悲喜こもごも
 古来、この()の大陸では、文を尊ぶ文治主義の伝統がある。しかしながら、(こう)以前の、強大な統一国家であった(おう)王朝は、「何林(かりん)の乱」と言われる大規模な反乱の後、藩鎮(はんちん)と呼ばれる巨大な地方軍事勢力が各地に割拠し、それが一因で弱体、滅亡の途を辿った。藩鎮は、強力な軍隊を持ち、政府の掣肘(せいちゅう)を受けずに、軍閥化して独自の勢力を伸ばしたのである。泱滅亡後、光の太祖によって再び大陸が統一されるまで、約五十年もの間、華は分裂の時代が続いていた。一天万乗の君、であるはずの皇帝があちこちで乱立し、後の世に「十三帝時代」などと呼称される、戦乱の絶えない興亡の時代だった。
 光帝国の初代太祖皇帝もまた、生粋の武門出身である。太祖は、分裂王朝の一つ、後ト(ごがい)にて禁軍――つまり皇帝の親衛部隊を統括指揮する、殿前都点検(でんぜんとてんけん)の官位にあり、軍部の圧倒的な支持を受けて皇帝の位に即いた。後トは天下統一に最も近い王朝だったのだが、その大事な時期に幼帝が登極したためである。太祖こと耿允尋(こう いんじん)は、光州節度使(こうしゅうせつどし)の官も兼ねていたため、国号を「光」と称した。余談ながら、官職名に「都」の字がつくものは、「みやこ」ではなく、「全て」の意を示す。
 後に光祖(こうそ)と呼ばれる太祖は、軍人であったがゆえに、武門政治による弊害をよく知っていた。強大すぎる軍隊は、かつての藩鎮のように武力を振りかざして、ことあるごとに軍事力に訴え、しなくてもいい戦争を起こしたりして、政府の力を弱めることが多い。そこで太祖は、軍閥の発生を防ぐために、禁軍を根幹とする軍部の構造刷新に熱心に取り組んだ。そういう経緯もあり、「光朝弱兵」、光はあまり軍隊が強くない王朝と言われる。だが、武というものは、諡法(しほう)にも曰く、「()禍亂(からん)を定める」「威を(つと)めて敵に徳する」のが本質である。必要最低限の武力を保っていれば、基本的にそれで充分なのだ。
 武を軽んじるというより、文をより重んじる、それが光の政策の基礎だった。ただし、軍の質が酷かったわけではない。文官採用試験である科挙と同様、武挙とも言う武人の採用試験、武科挙が実施され、きちんと教練も行われていた。非常に強大な軍隊を有していた、と思われがちな泱代よりも、実は、光の方が軍の規模自体は大きかったりする。

 天下統一を目前にしての太祖崩御後、帝位を継いだのは実弟の太宗皇帝である。太宗は、太祖の業績を継いで科挙制度を確立し、文治政策を徹底して、文化国家としての基礎を固めた。
 そんなわけで、光において武に携わる人間は、歴代王朝の中でも、とりわけ少ない。何せ、出世しようと思えば、学問を修めて科挙を受け、官僚になった方がいいのだから。歴代王朝の中でも、光は何といっても官僚の俸給が頭抜けて高いのである。中には、科挙に通るほどの学殖を持ちながら、わざわざ武科挙を受ける変わり者もいたりはしたが、やはりそういう人間は殆ど皆無に等しいため、「変わり者」なのだ。



 王武承(おう ぶしょう)は、光の国都華京(かけい)にて、組錬街(それんがい)と呼ばれる、武器防具を商う店が軒を連ねる通りに、父親から継いだ刀剣の店を構えている。こんなご時世であるので、結構、商売上がったりではないか、と思われるが、意外にそうでもない。
 天下泰平とはいえ、全く軍事が疎かにされているわけでもないし、好事家という存在もある。泱末から分裂王朝という混乱期を経て、様々な珍品名品の類があちこちに流れ出ている。そんな、名のある剣などを上手く手に入れて、欲しがる者に売る。そうやっていると、商売繁盛、とまではいかないまでも、それなりに余裕を持って生活するぐらいの収入があるのだ。王武承、とにかく天才的な商人だったりする。

「武承さん、行ってきたぞー」
 彼の店舗兼住居の二階に下宿している、項祥竜(こう しょうりゅう)が、伸国寺(しんこくじ)の大衆市場から、張秀昂(ちょう しゅうこう)と共に帰ってきた。秀昂は、武承の父の知人の息子で、都で商売をするための修行中、といった身である。もっとも、武侠である祥竜を友人としたためか、しょっちゅう彼に振り回されている。
「おう、ご苦労」
「全くご苦労だぜ。人を気安く使い立てすんなよなぁ」
 念のため、武承に頼まれた荷を抱えて帰ってきたのは、祥竜でなく秀昂だ。
「そんなことより、見ろよこれ、祥竜。滅多にない名剣だぞこれ!」
 が、そんな些細なことは武承は気にせず、手に持って磨いていた剣を、祥竜にずい、とばかりに突きつけて見せた。
「先祖伝来の宝刀ということだが、銘は『斬絶(ざんぜつ)』、息を吹きかけただけで髪も切れる、という触れ込みは伊達じゃない。この輝き、実に見事なものだろう!」
 王武承、刀剣の輝きを、こよなく愛する男。刀剣屋の家に、生まれるべくして生まれた人間である。
「あー……、そんな逸物を手放さなきゃならなかった奴も、気の毒だな」
 祥竜も、剣士という身の上であるから、武具に全く無関心というわけではない。が、武承のような、傍目には少々危ない性癖は持っていない。顔が映るほどに磨かれた剣の刃を見て、少し曖昧に笑った。
「売主は、何でも、没落した武門の出らしい。まあ、こんな泰平の世じゃ、名剣も宝の持ち腐れに過ぎんからなあ」
「ま、その方がいいんじゃねえの。戦争ばっかりで、美味い飯や酒が楽しめない世の中なんて、つまらねぇし」
「お前の判断基準はそれか」
 可笑しそうに武承は笑って、抜き身の剣を鞘に納めた。それから、店先に一人の少年が、やや呆然と立ち尽くしているのに気付いた。自分達にとっては、至極日常的なやり取りも、慣れぬ者には、さぞ珍妙な光景に映るだろう、と思う程度の常識ぐらい、武承にもあるから、話を振ってやる。この辺り、年の功と言うべきか。
「おい、どうした、そこの孩子(こども)は? 拾ったのか?」
「たまたま、ちょっと、ね」
 秀昂がそう答え、祥竜が言葉を継いだ。
「武承さん、俺らちょっと穆門大街(ぼくもんたいがい)まで行ってくるから」
「俺“ら”? 俺もか、祥竜……」
「当たり前だろうが」
 口調のみならず、表情も態度も、さも「当然のこと」といわんばかりの祥竜に、早々に秀昂は諦めたようである。
「よし、んじゃ行くぞ明鳳(めいほう)
「あ、はい」
 自分にとっての災難を、“退屈しのぎ”にされるのはどうかとも思ったが、助けてくれる、という好意を拒むのも愚かに思えたので、李明鳳は、素直に頷いた。
「やれやれ、秀昂のことをさんざんお人よしだ、と言う割には、祥竜の奴も、大概だわな」
 好意的な溜息を洩らして、武承は剣を商品棚に陳列した。 


■ ■ ■ ■ ■ ■


「ここです」
 祥竜達が向かった穆門大街、というのは、華京の東側にあり、内城と外城を繋ぐ旧穆門と新穆門の間の大路のことを指す。穆門というのは俗称で、正式には旧穆門は陽春(ようしゅん)門、新穆門は映暉(えいき)門、という美々しい名がついているのだが、庶民はそのような堅苦しい名ではなく、呼びやすい名で呼んでいる。穆門、の名は、穆の地に繋がる門だから、である。
 穆門大街の北側には、茶坊が並んでおり、良家の子女も散歩がてら、よくお茶を飲みに来る。
 その大路から枝分かれするように、幾つもの大小の路が伸びている。そのうちの一つの小巷を、明鳳が指差した。
「この先だな」
 と、祥竜が明鳳を振り向いたとき。
 その小巷から出てきた人影が、どん、と勢いよくぶつかってきた。
「これは失敬」
 そう涼やかに謝罪してみせたのは、三十代前半くらいの男だった。男ぶりの良さでいうなら、父の護衛を務めている、宋游敬(そう ゆうけい)と張るな、などと祥竜は思った。ただし、游敬は男前だが、武人らしく、女に騒がれるような類の隙がない。この男は違う。洒落た具合に仕立てのいい服を着て、気の利いた頭巾を被っている。相当、女を泣かせている手合いだろうな、などとその手の感覚には鈍い祥竜にでも、察せられる。
(それに)
 悠然と歩み去る男を、何となく祥竜は見送った。

「どうした、祥竜?」
 妙な具合に祥竜がぼんやりしていたので、少し不審に思った秀昂が声をかける。
「いや、今の奴……」
「何だお前、潘平倫(はん へいりん)を知ってるのか?」
「誰だそれ?」
「さっきお前がぶつかった奴だよ。全く、お前の知識は偏ってるよなぁ……。酒だの名物料理だののことには、えらく耳が早いくせに」
「……有名人なのか?」
「商売やってる人間の間でなら、有名だな」
「僕も名前だけは聞いたことがあります」
 やや控えめに、明鳳が口を挟んだ。
「老舗の金銀舗(かざりや)の若旦那で、妓楼では引く手数多の色男だとか、気に入った女性を手に入れるのに、結構手段を選ばないとか……」
竪児(ガキ)が、何て噂を耳に入れてやがる」
 祥竜は苦笑して、軽く明鳳の額を小突いた。
「小人閑居して不善を為す、か。太平の世も、いいことばかり、というわけにはいかねえなあ」
「祥竜、どうかしたのか?」
「……あいつ、血の臭いがしたぜ」
「えっ」
 異口同音に、秀昂と明鳳が声を上げる。
「明鳳、お前が見たって死体は、奴の仕業かもしれねえな」
「…………」
「お前を追ってきたみたいな、(やくざ)ずれを使ってるとすりゃあ、“まとも”な人間じゃねぇわな。まっとうに商売だけしてる奴じゃねえだろうよ。……そういう顔つきじゃねえ」
 みるみるうちに、明鳳の顔色が蒼白になる。
「おいおい、そんな今にも死にそうな面ぁすんなって」
「いや、普通はそんな風に言われたら、縮み上がるだろうよ……」
「そうか? だから手を貸してやろうってんじゃねえか」
 事も無げに祥竜は言い、「じゃ、現場検証といくか」などと暢気に小巷に入っていく。

 秀昂は、半分呆然、半分愕然、の態である明鳳の背を、とんと叩いた。
「ああ見えて、祥竜、気がいいし、意外と頼りになるから、あんまり不安がることないよ。……ちぃとばかし力押しになることは確かだけどな……」
 台詞の後半は、明鳳に聞こえないように独り言である。
「でも、確か、潘の太爺(旦那様)といったら、お役人とも何か繋がりがあって、顔が利くって……」
「そうは聞くけど。祥竜も、お兄さんが官衙(役所)に勤めてるそうだし、まあそう悲観するもんでもないさ」
 そう言って、人好きのする笑みをにこりと零す。
「……はあ」
 と、明鳳は気の抜けた声を出すのが精一杯、といった様子。そんな明鳳に、秀昂はあくまでも優しく言った。
「祥竜が信用できないか?」
「え? いや、そんなまさか、そういうんじゃないですけど、何ていうか、その……よく、分からない人なんで」
「正直だな。俺も、あいつのことは、分かりやすいくせに分かりにくい、と思ってる」
 明鳳は、秀昂の言い方が意外だったようで、目を丸くして秀昂を見た。
「でも、あいつは、嘘は絶対につかない。その点においてだけでも、信用してもいいんじゃないかな。腕は言うまでもないし。ここは一つ、あいつが首を突っ込む気になったのを幸い、にしてみたらどうだろう」
「おい、何してんだ、秀昂、明鳳! 特に明鳳! 離れちまったら、何かあった時、手助けできねえぞ!!」
 祥竜の大声がする。見れば、祥竜は五十丈(約百五十六メートル)も行った所でやや気短に、二人を振り返っていた。
「今行く」
 と返事しながら、秀昂は自分の胸の位置くらいの高さにある、明鳳の目に向かって、「な?」と言いたげに笑いかけた。明鳳も、つられるようにして笑った。
 そして、明鳳が運び出される死体を見た、というところまで三人で向かいかけたとき。


「死体だ、延河(えんが)に死体が上がったぞぉ!!」

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Copyright (C) Ryuki Kouno