華京騒動録 第二話 穆門大街の殺人
三 有名人が多すぎる
延河は、華京(の中を走る四本の運河のうちの一つで、華京の大動脈、幹線水路である。華の大陸一の大河、晃河(の支流を利用しており、水量は豊かで、同時に流れがかなり激しい。光王朝太祖皇帝が禅譲(を受けた、後ト(の時代に整備され、華京の南部を、西から東に流れている。
普段は、荷物や人を載せた舟を運ぶこの運河が、この日は――何処からか、死体を運んできた、という。
果物売りの少年の李明鳳(が、運び出される死体を見た。
その話を知らなければ、わざわざ悪趣味にも物見高く、河岸に打ち上げられた死体の見物なんぞに行こうと、祥竜(は思わなかっただろう。
野次馬達を器用にかき分けて、ひしめく人々の前面に出た祥竜は、思わず「うげ……」と小さい声を洩らした。
別に、死体が凄惨な様を見せていたから、というわけではない。連絡を受けて駆けつけたのであろう、金吾街司(の兵士が死体に布を掛けて、運び去ろうとしているところで、死体そのものは目撃していない。何故、金吾街司が死体を引き取っていったかというと、殺人などの不審死が発生した場合は、検屍を行うことが詔で定められているからである。
丁度、兵士と何やら話していた人物が、話を終えて振り向き、祥竜と目が合った。祥竜が露骨に眉を顰める。さっき、妙な声を発したのも、その人物を見たせいだ。
「やあ、祥竜ではないか。珍しいところで会うものだな」
面と向かって名を呼ばれては、素知らぬ顔をすることも出来ず、祥竜はしぶしぶ、といった様子で言葉を返す。
「待崇(、お前こそ何でこんな所に」
相手は、道服を着て、髪を長く垂らした道士の身形をした青年だった。道士は、浮図((佛教)の僧侶と違い、髪も髭も剃らない。
「先生、と呼べとは言わぬが、せめて俗名でなく、道号で呼びたまえ、と何時も言っているのだが」
劉待崇、道号を翠海(。福澤観(、とやたらめでたい名前だが、さほど規模は大きくない道観(道教の寺院)の道士である。秀昂(と同じ安州(出身、かつ同郷の幼馴染という縁で祥竜は彼と知り合った。
一口に道士といっても、属する宗派によって、その性格は異なる。病気治しを主体とする派、悪鬼や邪神を退治することを専門にする派、忠孝を教学の根本とする派、精神修養を重んじる派等、多種多様。待崇が籍を置く福澤観は、徳真派(といい、符作りや呪術、煉丹(を重視する一派に属する。
ただ、この劉待崇、研究熱心なのはいいとしても、その成果をいきなり他人に試してきたりするので、祥竜は道士に対する尊称、「先生」とは呼ばない。彼としても、ゆえなく「腐れ道士」呼ばわりしてるのではないのだ。腕は良くとも、性格に大いに問題あり――ただしこの点、秀昂に言わせれば、「類は友を呼ぶ」じゃないだろうか、といったところだが。
「お前みたいな腐れ道士、俗名で充分だ。大体、何時もは道観に篭っているくせに、何やってんだよ」
「何といって、頼まれて法事に来たのだが、当の依頼人が」
待崇は、目の端で、ちらりと兵士の後姿を見た。
「……ああいうことになってね」
ちなみに、法事とは、我々がいうところの、死者の供養のための仏事ではなく、道教での比較的短い呪術儀礼のことを指す。
「知り合いか?」
「個人的に知り合いというわけではないが、近所では有名人だそうだ。いずれにせよ、これも何かの縁、葬儀は私が行ってやるか……。無念の死者は悪鬼になりやすいからな」
言葉の後半から、勝手に一人で納得している待崇の袖を、祥竜は引いた。
「……待崇、ちょっと来い」
「相変わらず、偉そうだな郎君(は」
「態度のでかさをお前には言われたくねえな。いいから、たまには人助けをしてみる気で、付き合え」
金吾街司の兵が去ったことで、野次馬の大方は散って、各々の仕事に戻っていっている。小柄な祥竜が、たちまちのうちに人波に紛れてしまって、彼を見失っていた秀昂は、ようやくその姿を捕捉することが出来た。
「あれ、待崇?」
「おや」
しかし、待崇の注意は、呼びかけてきた幼馴染の秀昂ではなく、その傍らに立つ少年に向けられた。
「これは、この少年には収驚(の必要があるな」
「収驚? 何するもんだ、それ?」
祥竜が、胡散臭いものを見る目つきで、待崇を見やる。れっきとした道士の身でありながら、そこまで胡散臭い扱いをされるのは、無論、今までの「実績」がものを言うわけだが、待崇は何処吹く風である。
「その名の通り、驚きを収める――子供は、驚いた拍子に、魂が抜け出てしまうことがあるので、その魂を体内に呼び戻す儀式だ」
との、待崇の説明に、祥竜は、明鳳がぼんやりしているように見えるのは、別に性格というわけでなかったのか、と少し納得した。ちら、と明鳳を一瞥してから、祥竜は待崇に向き直った。
「事は、そいつを驚かせたことと関係するんだよ。儀式がやりたいならやらせてやるから、ちょっと話を聞かせてもらうぞ」
祥竜の言い草も大したものであるが、それに突っ込む人間はこの場にはいない。彼の態度は、それがいかにも自然、な態であって、奇妙に反発の類を感じさせないからだ。
「……まあ、良かろう。立ち話も何だ、祥竜、秀昂、そこの少年も、福澤観まで、一緒に来たまえ」
悠然と、待崇は歩き出した。少し肩をすくめて、祥竜は秀昂と明鳳を振り返り、手振りで「行くぞ」と合図した。
やや小ぢんまりとした造りに見える、「福澤観」と書かれた額の掲げられた門をくぐると、すぐ真正面の突き当たりに、紅殻色(の影壁(がある。影壁とは、悪鬼が侵入してこないように、との衝立様の防壁である。どういうことかと言うと、悪鬼の類は、直進しか出来ないため、これにぶつかるとそれ以上先に進めない、というわけだ。家や廟の、門前か門を入ってすぐ正面に建てられる。
待崇は、三人を奥まった位置にある堂の房室に招じ入れた。人を呼んで、茶の用意をさせるよう言う。
勝手知ったる他人の家、といった感じで、祥竜も秀昂も、卓の前に置かれた墩((背もたれのない丸い椅子)を引いて、さっさと腰を下ろしている。泱(の時代までは、床に延べられた敷物の上に座ることが多かったが、この時代は椅子に座るのが普通である。遠慮するな、と言われて、明鳳も籠を下ろし、祥竜たちに倣った。
女冠((女道士)見習いの少女が、盆に茶と菓子を載せて運んできて、卓の上に並べる。菓子は、査子(の実を糖蜜に漬けたものと、酥児印(という、麪(小麦粉)と豆粉を混ぜたものを、酥油(牛・羊などの乳で作った油)を溶かした鍋で揚げて白砂糖をまぶした揚げ菓子、の二種類である。
「まずは儀式から済ませてしまおう。簡単なものだから、すぐ終わる」
待崇は、線香を取り出すと火をつけた。
それでもって、明鳳の頭の上で円を描きながら、短い呪文を唱える。
「啓発都天大雷公、霹靂打虚空
雷兵三百万、陣陣下天宮
驚伏魁光下、化為清浄風
如有不服者、厳令罪不容
吾奉太上老君急急如律令」
(こうしているのだけ見たら、立派な道士なんだがなあ)
その様子を眺めながら、期せずして、祥竜と秀昂は同じことを考えていた。
「これで、遅くとも今日の夕暮れには魂が元に戻る。で、私に聞きたい話とは何だね?」
「役人に話したのと、大して違うことじゃないと思うが。まず、延河にさっき上がった死体のことだ。あれは誰だ?」
「呂大(といって、本人は、しがない金銀鋪(の奉公人だ。近所では有名人といったが、有名人なのは細君の方で、それにつられて自身も有名になった、といったところだな」
待崇が金銀鋪と言ったところで、祥竜はぴくりと眉を動かしたが、そのまま「それで?」と続きを促す。
「要するに、その細君が問題だったわけだ。元々は、院街の妓女で、美貌を謳われた女だったそうだが。落籍(されて、綵帛(問屋の大旦那の姨娘((めかけ)になったところ、そこの嫉妬深い正妻に追い出された。しかも、ただ追い出しただけでなく、腹いせに勝手に呂大の妻にやってしまった。この呂大というのが、風采の至極上がらぬ、何ら気の利いたところもない小男ということで、意趣返しをしたというわけだな」
「……この手の話って、とりたてて珍しくはないとはいえ、何回聞いても寒々と怖いよな……」
薄ら寒そうな表情を作って、秀昂は茶碗を傾けた。菓子をつまみながら、行儀悪く頬杖をついて、祥竜は黙っている。
「思いもかけなく、呂大は天女を妻に得たが、花魁とまで呼ばれ、美貌と才覚を誇った女が、とりえもない見栄えもしない男と夫婦にされて、おとなしく満足しているわけがない。呂大は、どうやら妻が浮気をしているらしい、と気付いた。そんなわけで、桃花関(を断つ法事を頼んできたのだな」
「その桃花関を断つ、ってのは浮気封じか?」
尋ねる、というより確認する、という口ぶりで祥竜が言うと、待崇は頷いた。
「それで、穆門大街沿いの呂大の家まで向かったところ、あの騒ぎに出くわした。まあ、まっとうに考えれば、呂大は、間男に殺されて延河に捨てられた、というところだな。血は水に流されていたとはいえ、腹に大きな刺し傷がある以上、自然死だとは誰も信じるまい」
「何だ、結局、よくある淫婦姦夫(の縺れかよ……」
祥竜はげんなりした顔をする。自身が色恋に無頓着な性格のせいか、この手の話は、祥竜、どうにも苦手な模様。
「潘(――潘平倫(の店じゃねえのか、呂大って奴の勤め先の金銀鋪ってのは」
「そんな名前だったかな」
「ちょっと待てよ、祥竜」
秀昂が顔を上げる。
「じゃあ、お前、主人が奉公人の女房を寝取った挙句、殺して死体を捨てたって思ってるのか?」
やや非難がましい口調だったが、祥竜は特に気にかけた様子はない。
「筋は通るだろうが。男も女も近所の有名人、不義不貞が噂になって、邪魔になった夫を始末する。女は良家の子女というわけでもなし、貞婦、二夫に見(えず、ってもんでもねえだろうさ。不慮に死んだ奉公人の、遺された妻の面倒を見る、なんて言ってりゃ、世間に一応の面目も立つしな」
そこで、一旦祥竜が言葉を切ると、何とはなしに、その場に沈黙が落ちた。
「……あのー……」
暫くして、おずおず、と明鳳が意を決したように口を開いた。
「そうしたら、僕はもう、安全なんでしょうか……」
「あー、まあ、死体を衆目に晒した以上、もう口封じの必要はないわな。別に口封じに失敗しても良かったんだろうよ、向こうは。じゃなかったら、わざわざ露見しやすい延河なんかに、死体を放り込むわけねえし。お前に関しては、幸い、一件落着じゃねえの」
至って暢気な調子で、祥竜は答える。一転、
「……俺は気に入らねえけどな」
不機嫌そうに唇を曲げた。それから、体ごと、待崇に向き直る。
「待崇」
「何だね」
「お前、招魂、とか、ともかくそういうの出来るか」
「おやおや」
待崇が、少しばかり大袈裟な笑顔を作った。
「郎君は、怪力乱神(を信じない性質だと思っていたが」
「混張(。信じてるわけねぇだろ。そんなものが本当にあるなら、英明といわれた古今の帝王が、不老不死となる術を求めて、怪しげな薬を濫用した挙句に、かえって早死にするようなことが起こるわけがねえんだよ」
そう言った祥竜の声には、ほんの微かながら苦みが込められていた。その、祥竜の伝法な口調と、士大夫が口にするような言葉の内容とのそぐわなさに、待崇は奇異の念を抱いたようだが、口に出しては何も言わなかった。
「はったりでいいに決まってんだろうが、はったりで。どっちにしろ、一泡吹かせてやりたい気分なんだよ、俺は」
「何か、いい考えがあるのか?」
秀昂が、小さく首を傾けて訊く。
「……ま、最終的には大哥(の手を煩わせることになるだろうから、あんまりいい考えとは思えないが……。……しゃーねえか」
ほとんど口の中で祥竜はそう言ったので、誰の耳にも聞こえていなかった。
「とりあえず、一度、潘の金銀鋪って所に行ってみるか。明鳳、お前も来い」
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