華京騒動録   第一話 武侠と女優

五 不運、急を告げる
 四月といえば、この時代では、季節は春の終わりから初夏に当たる。麦が熟する季節なので、()の大陸で一番の大河・晃河(こうが)は、この時期、麦黄水(ばくおうすい)という雅名で呼ばれる。日が少しずつ長くなり、気候も穏やかで、気持ちのいい時候だ。
 季節の食べ物で言えば、茄子と瓜の初物が出る。宮中御用の品々を買い上げる東麗門(とうれいもん)の市では、一盛で銅銭三十貫から五十貫もする。貫というのは、銅銭の真ん中の穴に通す銭差しの紐のことで、一千枚の単位を指す。果物では、桜桃(さくらんぼ)杏子(あんず)、林檎などが出回る。

 そんなうららかな四月。しだれた細柳の緑の葉が、心地いい風に揺れる宵。運河の堤防の護岸を、のんびりと歩く二人の佳人の姿があった。華京(かけい)の中を走る主要な運河は四つあるが、大抵は川底が土地より高い天井川である。豊かな水量の晃河が運んできた、堆積する泥のせいだ。そこで、「淘渠(とうきょ)」と呼ばれるどぶ浚いが、毎年二月に行われる。五歩ごとに溝を掘って泥を積み上げるその作業は、官吏の登用試験である科挙(もっとも、科挙が行われるのは三年に一度である)と並んで、華京の春の風物詩と言われる。――風物詩というには、いささか情緒が欠けているのではないか、とも言われているが。
 今年の浚渫(しゅんせつ)も無事済んで、流れの早い運河の上は、物資の輸送船や、交通の船、画舫(がぼう)(遊宴のための遊覧船。細長い川舟)の行き来で賑わっている。堤防の下では、多くの舟が繋留されて、各地から集められてきた物資の荷揚げが行われている。それらの品は点検を受け、倉庫に一旦収めらた後、水路や陸路を使って京師(みやこ)中に搬送されていく。
 日が暮れてもなお、点された灯りの下でそれらの作業に従事する人足達が、ふと引き寄せられるように、二人連れの美女に眼を留める。

 一人は、芙蓉の花に譬えてもいい、嫋々(じょうじょう)とした風情の、繊妍(せんけん)の美人である。化粧や衣装に派手さは無いが、それでも、というか、それなのに、というか、皇帝の寵妃もかくや、と思わせられる美しさだ。
 彼女こそが、当代きっての桃花棚(とうかほう)の花形女優、蔡昭怜(さい しょうれい)である、と聞かされたら、なるほど、と誰もが納得して頷くに違いない。
 もう一人は、涼しげな眉目が凛とした、快活そうな明眸皓歯(めいぼうこうし)の美人。連れの昭怜とは違って、躍動感のある、生彩に富んだ、かつ非常に気の強そうな印象を与える。抜き身の剣の煌きを連想させるその美しさには、先代の(おう)王朝の女性の間で流行ったように、男装をしたなら、さぞかし似合うだろう。

 ……などと言われれば、
「当たり前だ! 男なんだからな、俺は!」
 と、本人は不平を隠しもしないであろうことは、疑いない。
 便宜上、女侠・項娘(こうじょう)として、昭怜の護衛をすることとなった祥竜(しょうりゅう)である。



 この日は、教坊が十日に一度の温習(おさらえ)の日で、稽古が休みだった。この時は、一般にも教坊の観覧が許される。中でも、鈞容直(きんようちょく)(軍楽隊)の音曲演奏が特に人気がある。
 父親の貴涼(きりょう)曰く、亡くなった母親の麗佳(れいか)に、面差しがよく似ているという祥竜だが、外面を繕うことは出来ても、中身まではそうはいかない。寮内に居て、祥竜が実は男である、と露見して悶着が起こるのは、自身も面倒だ。それで、昭怜の気分転換も兼ねて、外に食事に出よう、と祥竜が誘い、二人は東の酒楼街ではなく、分茶店(大規模な食店)の並ぶ京の西方面へと行った。いくら大喰らいかつ大酒飲みの祥竜でも、(見た目は)女二人連れで酒楼に向かうほど、非常識ではない。ちなみに、分茶とは一品料理のことで、一揃いの、今日言う全席料理のことは、全茶という。
 ただし、祥竜の食事量が、はっきり言って非常識の部類である。本人は、それを多少は意識して注文を遠慮したつもりだったが、それでも昭怜をあっけに取らせるのは充分だった。
 ともあれ、ゆっくりと夕食を済ませ、二人は、昭怜の生活する寮への帰途を歩いていた。


 昭怜は、結構朗らかな性質らしく、祥竜に打ち解けるのも早かった。年齢が近いというのもあっただろうし、今の祥竜が、(当人は大変、不本意ながら)女の格好をしているからというのもあったかもしれない。
「私は、覚えてる限りは、この華京から出たことがないけれど。(けい)ってどんな所?」
 話題は、何となく互いの身の上話になっていた。昭怜は、物心つく頃には、既に桃花棚で見習いをしていたという。親の顔は知らない。売られてきたのかもしれないし、捨てられていたのを、偶然拾われたのかもしれない。が、華京に限らず、この世には昔からよくある話だ。
「そうだなあ、……古い都の地だし、華京に比べたら、地味なところだ。ああ、歴史と文化が古いだけあって、頑固な連中が多いな」
西京(せいけい)の牡丹は、それは見事だと言うでしょう」
「別名『牡丹城』と呼ばれてるくらいだからな、西京は。金持ち連中なんかは、競って名花の株を手に入れては、庭に飾り立てるのを道楽にしてたりするし。時期になりゃあ、もう京中が紅いのやら白いのやら、もうとにかく牡丹、牡丹、牡丹、で埋め尽くされる。確かに、壮観だな、あれは」
 祥竜の出身地の景は、(こう)王朝の副都・西京を擁する、古の都の地である。まだ新しい都である華京よりも、国都としての歴史は遥かに長く、かつては聖天子の都、とも称された。泱の時代に、国都の地位を失ったが、歴史ある街の佇まいが、多くの文化人に愛されている。
 また、副都であるから、宮城が築かれている。この宮殿を、皇帝の代わりに守る職を「留守(りゅうしゅ)」という。地域は限定されるものの、その地域では皇帝にほぼ等しい権力を行使し得る、地位も権限も桁外れに高い職である。現在、西京留守を務めているのは、時の帝・耿慶(こうけい)の同母弟で、景王に封じられている耿凌(こうりょう)。とりたてて評判がいいわけでもないが、とりたてて悪評があるわけでもない。この平和な御世においては、まあ無難な人事であった。

「ところでな、昭怜」
「はい」
 あくまでも何気なく、祥竜は言った。
「つけられてる」
「え?」
「しかも、足音からして、一人じゃねえ。二、三人いる」
 祥竜の言葉に、不安に駆られて振り向こうとした昭怜の肩を、祥竜は抑えた。
「……もう暫く、気付かないふりをしてろ。どうも、聞いてたのと、様子が違う」
 口の中で、祥竜は小さく舌打ちした。念のため、懐に借り物の首剣(しゅけん)匕首(ひしゅ))を持ってはいるが、いつも背に負っている、使い慣れた剣は、下宿先に置いて来た。やはり、愛用の武器を携えているか否か、では気持ちが違う。色んな意味で、まさか、こんなことになろうとは思ってもみなかったからだが、悔やんだところで仕方が無い。
「……どういうこと……? 様子が違うって……」
 心もち、顔を青ざめさせながら、昭怜は訊いた。
「いつもなら、昭怜、つけられているのに気付いたろう?」
「ええ……」
「それが、昭怜には気付かれない程度、俺には気付かれる程度に、気配を調整してる。……破落戸(ごろつき)だの強盗だのの類じゃねえ。ここのところ、昭怜をつけまわしてた、って奴と別人かどうかはともかくとして、今つけてきてるのは、多分、俺の同類だな。金で雇われた」
「そんな……でも、どうして? 何のために?」
「さあなあ。何にしても、女の後をつけまわすったあ、趣味の良くねえことこの上なし、だ」
 薄くはあったが、あからさまな嫌悪の感情が、祥竜の眼に閃いた。彼は、弱い女子供をいじめる人間が嫌いだった。そういう風に育てられた、というせいもあろうが、基本的にそういう性質なのだ。

「ふん」
 祥竜は鼻を鳴らす。
「まあ、いい。その辺りの事情は、連中に直接聞きゃあいいさ」
 あまりにもさらっと、祥竜は言ってのけた。それがごく自然で、当然であるかのように。
「心配すんなよ、あんたは」
「祥竜さん……」
 清々しいまでの笑顔を浮かべた祥竜を、昭怜は見た。そして、頷いた。
「ええ、信じます。祥竜さん……、いえ、項娘」
 軽やかな口調で言われた最後の言葉に、綺麗に化粧された祥竜の顔が、途端に渋くなる。ちなみに、彼はこの日、生まれて初めて、母親似だと言われる顔つきと、小柄な体格を恨めしいと思ったという。
「とにかく」
 わざとらしく、祥竜は咳払いして、それから、
「俺が合図したら、昭怜は振り向かずに走って、寮まで帰れ。なるべく、人通りの多い道を選んでな。それが一番、安全だ。走れるだろ?」
 昭怜の足元に視線をちらりと落とした。

 纏足(てんそく)、という風習がある。いや、風習というほど、この時代にはまだ巷間(こうかん)に広まっていはいないが。女性の足を、幼い頃から専用の布で縛り、意図的に、成長を妨げて小さな足を作り出す、そういう手法のことである。
 一口に美人、と言っても、その時代時代によって、美しさの基準は変わる。例えば、泱代には、豊満なふくよかさが好まれた。それが、光の時代になっては、細腰の華奢な女性が最も美しいとされるようになった。
 そういう美しさの基準とは別に、小さな足、というのは時代普遍に、この国での美人の条件の一つだった。それを人工的に作り出すようになったのは、割と最近のことである。泱と光の間の、分裂王朝の時代に南方の君主が考え出したのが始まりらしい。
 何しろ、わざと足の成育を阻害するのであるから、走るどころかまともに歩くことすら覚束なくなる。もっとも、そのような歩き方こそが、「金蓮歩(きんれんほ)」などと呼ばれて、喜ばれる。無論、そんな足では日常生活に支障をきたすことなど、言うまでもない。そんなわけで、この纏足を施されているのは上流階級の令嬢や、妓楼の妓女など、自分で働く必要のない身分の女性くらいである。
 舞台女優の昭怜は、纏足をしていない。纏足などした足では、芝居は出来まい。祥竜はそれを確認した。

「でも、貴方一人で……?」
「誰かを庇ってより、一人の方が身軽なんだよ」
「……分かったわ」
 今は、美しい女侠の姿をした若者が、昭怜には、不意に眩しく見えた。


 二人の女の姿は、運河沿いの道を離れ、小路の角を曲がる。
「昭怜、走れ!」
 間違いなく自分達の後を、足音がついてきているのを確認して、祥竜は桃花棚の看板女優に、短く言った。その声に応じて、昭怜が走る。ぱたぱた、と走り去る小さな足音を背に、祥竜は(くん)の裾を翻すようにして、振り返った。
「何処の誰に雇われて、何のためかは知らないが、あの娘の後は追わせないぜ」
 祥竜の前に現れたのは、三人の男だった。その前に立ちはだかるようにしながら、祥竜は気付いた。
(……こいつら、昭怜を追うつもりがない?)
 懐の首剣を探ろうとしながら、祥竜は相手の出方を伺う。男達が自分を押し退けて、昭怜を追うのを妨害するつもりだったが、相手にはその気が無いらしい。それどころか。
「なッ! 俺!?」
 いきなり、自分の腕を掴み上げられて、祥竜は思わず狼狽した。力を込めて振りほどきはしたが、着慣れない女物の衣服のせいで、非常に動きにくい。特に裙というやつは、世の女達はこんなものを穿いて、動くのによく不自由しないものだと思えるほど、邪魔だ。
 それでも、何とか男達と距離を取るために飛び退った。

(おいおい、どうなってんだよ!? 昭怜じゃなくて、俺をつけてたのか? 俺と昭怜を引き離すため? だから、俺には尾行を気付かせたのか?)
 だとしたら、ここで引っかかってはいられない。祥竜は、相手の動きに眼を配りながら、この場から身を躱す隙を探す。
 心底、愛用の長剣を携えてこなかったことを、祥竜は後悔した。が、後悔先に立たず。後で悔やむので後悔という。
 男達は、かなりの腕の武芸者のようだった。とはいえ、普段なら、三対一でも充分互角に渡り合える自信が、祥竜にはある。しかし、如何せん。
(くっそー、せめて、こんな格好じゃなけりゃなあ)
 思わず、非生産的な愚痴が祥竜の頭の中に生じる。相手が武器を手にしていないことが、せめてもの救いと言えないこともないが、それはそれで、何だか腹が立つ。
 じりじりと小路の上を移動しながら、祥竜はとにかく、大きな音を立てるかして、他人の注意を引こう、と思った。ここは、人通りの少ない、大きな街路と街路の間を繋ぐ狭い小路だが、全く人の目の届かぬという場所ではない。女の格好が不自由なら、それを逆手にとって、腕っ節の強そうな男達に不逞を働かれている風を装ってやろう、と目論んだのである。

 祥竜が、その目論見を実行しようとした、その時。
 両肩を両側から攫まれ、ご丁寧に抵抗を奪った上で、顔の下半分を覆うように、何か布きれを押し付けられた。
「!?」
 布には、何か香のようなものが染み込ませてあった。鼻と口、両方を押さえられているので、それを祥竜はまともに吸い込んでしまった。
 その匂いに、祥竜は覚えがあった。確か、道士が使う香で、精神を落ち着かせる効果があると、顔見知りの道士は言っていた。ただし、一定以上の分量を焚きしめると、眠りを誘発する、とも。
 そうと気づいた時には、祥竜の上体は、ぐらりと揺れ、力を失っていた。

 正体をなくした祥竜の身体は抱え上げられ、何処かへと運ばれていった。

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Copyright (C) Ryuki Kouno