華京騒動録   第一話 武侠と女優

ニ 酒は美味いし姉ちゃんは綺麗だ、が?
 祥竜(しょうりゅう)の言った通り、明延酒店(めいえんしゅてん)の色絹で飾り立てた楼子(やぐら)の上には、青と白の縞地に「新酒」と書かれた旗が翻っていた。店の表には、新しく組み立てられた綵楼(アーチ)があり、色を塗った竿の先につけられた花飾りや、酔仙(すいせん)の姿を刺繍した錦の(はた)を酒ばやしで飾ってある。さすがに正店の格式を持つ酒楼の店構えは、堂々として美しい。
 ちなみに新酒の時期は年に二回あり、春が煮酒、秋が清酒である。今は四月初めなので、ちょうど煮酒の新酒が出回る頃となる。
 正店ともなる酒楼では、卓席と座敷以外にも小部屋が幾つも(しつら)えられている。案内に出てきた大伯(男の従業員。給仕)に、暁華(ぎょうか)が小部屋を使いたい旨を伝えた。
「本日は、茶飯量酒博士(コック)も揃っておりますが、何をお出ししましょうか?」
 祥竜と暁華が卓の前に腰を落ち着けると、大伯が箸と紙を持って、注文を訊く。
「まず酒。それと、蓮房魚包(れんぼうぎょほう)(はすの房の魚肉詰)、山煮羊(さんしゃよう)(羊の山家煮)、それから決明兜子(けつめいとうし)(あわびのシチュー)、鴛鴦炙(えんおうしゃ)(おしどりの蒸焼)……後、何かお薦めあるか?」
 これっぽっちも遠慮する気のない祥竜である。というか、それ以上、まだ食べる気らしい……。
「そうですね、粉骨魚(ふんこつぎょ)(鯉の姿煮)はいかがです? 今朝方、いい鯉が入ったんですよ」
「じゃあ、それも」
 その他にもしっかり、河祗粥(かぎしゅく)(干し魚の粥)に、(タン)(スープ)、食後の桜桃煎(おうとうせん)(さくらんぼせんべい)まで頼む。祥竜は、別に普段の生活が苦しくて、こういう時に栄養を摂っておかねばならない、などというわけではない。普段から大食らいなのである。ただ、今日に限って言うならば、多少、暁華に対する、あてつけとか嫌味のようなものが混じっていない、とは言い切れまいが。
 祥竜ほどの猛烈な食欲は有していない暁華は、簡単に蟠桃飯(ばんとうはん)(ももの飯)と雪霞羹(せっかこう)(はすの花と豆腐の汁物)を注文する。

 煮酒は火入れをした酒で、紅酒である。
「あーやっぱ屯互司(とんごし)の酒はいいよなぁ。旨い!」
 杯に注がれた酒を、ほぼ一息で飲み干して、祥竜はご満悦、といった顔をした。「満を引いて(はく)を挙ぐ」の態だ。
 酒は政府の専売品である。正店は、直接、政府から酒を仕入れることが出来るが、脚店は正店から買う。正店は、酒楼としての営業だけでなく、酒の卸小売も兼ねているのだ。屯互司は、都に十三ある官営の酒造所の一つで、ここでは、大礼の時に近臣に分賜(ぶんし)される酒を造っている。従って、この屯互司で造られた酒は、最も良い酒なのである。
 大伯が料理を運んでくる。様々な種類の食べ物の「いい匂い」が、祥竜の鼻腔に流れ込んできて、更に彼は幸福そうな笑顔になった。
(これで、あの小憎ったらしい口きくことが無かったら、可愛いんだけどね……。綺麗な顔してるんだし)
 暁華は、そんな、笑顔満面の祥竜を、そっと眺めて苦笑した。
 祥竜が大人しくしている時といえば、食べて飲んでしている時くらいである。喋れば口は悪く、歩けば喧嘩っ早いし、売られた喧嘩は必ず買う。大体、葉喬(ようきょう)をうざいうざいと言うなら、最初から相手にしなければ良かったのである。それなのに、いちいち勝負を買ってやるのだから、何時までも縁が切れないわけだ。――本人がそれに気付いているのかどうかは、謎だが。
(それにしても、これだけ食べて、食べた分は一体何処へ行くのかしら)
 卓上の料理を盛大に片付け始めた祥竜の食いっぷりたるや、その速度といい、量といい、ちょっと感動的ですらあった。最近では暁華も見慣れてきたが、最初はぎょっとしたものである。
 何せ、祥竜、それだけ食べるというのに。
 小さい。
 年頃の男性であり、武芸を売り物にする武侠である身としては、本人も、それはいささか、それなりに気にしているようであるが。食べたものは全て、彼の活力に回されてしまうのかもしれない。


「ところでねえ、祥竜くん」
 さすがに、祥竜の食事光景に、暁華は呆然と見蕩れてはいなかった。本日の「本来の目的」を切り出す。
「祥竜くんは雑劇(芝居)、見たことあるかしら?」
「話ってそれかよ。全然。大体、中通りの桃花棚(とうかほう)とか芙蓉棚(ふようほう)とか、それに奥通りの柳煙座(りゅうえんざ)翼座(よくざ)? その辺なんか、中にも入れねえくらい、いっつも人でいっぱいだっていうじゃねえか」
 皇城の東の角から南へ行く通りの界隈は、盛り場になっていて、数多くの芸人が人々を楽しませる。小唄、懸糸傀儡(いとあやつり)(所謂マリオネット)、影戯(かげえしばい)、講釈、講談、様々な曲芸や軽業……。いちいち挙げていればキリが無い。見物客用に、軽い食べ物や飲み物も売られているので、この場所に一日いると、日が暮れるのも忘れると言われている。
 雑劇は、華京を賑わすそんな様々な演芸の中でも、最高の地位に立つものである。「棚」とか「座」とかいうのは、劇場の事を指す。棚は楽棚、つまり舞台を意味する言葉だ。
 桜桃煎を口の中に放り込んで、祥竜は興味なさそうに言う。桜桃煎は、桜桃を白梅の肉を浸した水で煮て種を取り、そぼろ状になるまで搗いてから、(かた)押しして餅にして、蜜をかけた菓子である。花鈿(かでん)(簪に垂れる薄板の飾り。花の簪。額にも貼る)のように、煎餅状に薄く作るので、「煎」という。氷に似た紫色をしていて、詩にも「此の味(まこと)に独り()し」と美味を詠われる。
「で? 今回の仕事ってな、その雑劇絡みなワケ?」
「そうよ。それも、とても入れないうちの一つ、桃花棚なんだけど」
 あからさまに、祥竜の視線が、“胡散臭い”ものを見やる目つきになる。が、そんなことで怯むようなら、暁華は、女一人で情報屋などという商売をやってはいないだろう。

「何処の座でもそうだけど、お抱えの花形がいるわ。桃花棚の今の看板は、女優。それも若い綺麗な娘」
 祥竜は、目つきだけでなく、顔全体を“胡散臭い”から“警戒”へ、と変化させたが、暁華は無論、素知らぬふりだ。
「名前は、蔡昭怜(さい しょうれい)。この娘を護衛して欲しい、というのが今回の仕事よ」
「……何で、その仕事を俺に回そうってんだ? それこそ、若くて綺麗な娘の護衛だってんなら、引く手数多だろうによ」
 そう言われて、暁華は作り物で無い苦笑を浮かべた。
「あのねえ、それこそ、若くて綺麗な娘の護衛なのよ? 迂闊なのに任せて、手でも出されたら大変じゃないの。本末転倒もいいところだわ。その点、祥竜くんなら、そんな心配無いものね」
「……」
 確かにそうではある。祥竜は、十九歳という年齢の、健康的で整った容姿を持つ(背は低いが)男性でありながら、浮いた噂を一つも立てたことが無い。暁華が、二年前、初めて彼と会った時、(けい)から出てきたという若者に、何か厄介な色事でも起こして故郷に居辛くなったのだろうか、と思ったほどの容貌であるというのに、だ。どうやら、あまり女性に興味が無いらしい。
 それは祥竜自身否定しないが、だからといって「しょうがねえな、引き受けてやらぁ」という気分にもなれなかった。
「大体、何で護衛が必要なんだよ? そりゃ、花形女優ともなれば、多少は行き過ぎた贔屓が、まあ、ちょっと眼に余るような行為に出ることも、あるかもしれねえけど。その程度じゃねえのかよ?」
「どうもね。命に関わるみたいなのよね。狙われてるらしいのよ」
「あん?」
 深刻そうに、心もち暁華は声を低めた。
 情報屋は、いかに正確な情報を売るか、が商売だから、嘘はご法度である。だから、暁華の言うことは嘘ではないだろう。

 だが、何と言うか祥竜には、暁華の言葉にどうもぴんと来なかった。女優であるという娘が、何で命を狙われるんだ?

 華京は、国都である巨大都市である。繁栄が大きければ大きいほど、その暗部も大きくなる。だから、突然、犯罪の被害者になったり、逆に加害者になったりすることは、決して珍しいことでもない。しかしそれでも、ごく普通に暮らしている人間なら、恒常的に命に危険を感じるようなことは、まず、無い。
「本人も、全然、そんな心当たりは無いということなのよね。だから、気持ち悪いし怖いし、で、護衛が欲しいって座長からも言われてね。分かるでしょ?」
「そりゃ、まあな」
 祥竜の相槌は、ひどくお座なりであった。卓の上に並べられていた料理は、全て姿を消している。祥竜としては、食べるだけ食べて、飲むだけ飲んで、話も聞いたので、もう帰る、という無言の主張を、全身で示していた。背から下ろしていた剣にも、既に手が掛かっている。
「……とりあえず、明日、桃花棚に来てくれるかしら? 一度、彼女を見てから、この仕事を受けるか受けないか、決めてくれていいわ」
 暁華も、早急に結論を求めなかった。ともかく、祥竜が「分かった」と頷いたので、この場は良しとした。
 というのも、暁華には確信があったからである。項祥竜、実の所はかなり人の良い性分を有していることを、彼女は知っている。相手が若い娘でなくても、心底に困った相手を見たら、彼は見て見ぬふり、が出来ないのだ。
 祥竜本人は、自分がそういう性格を持っていることを、少しも意識していないようだが。


■ ■ ■ ■ ■ ■


 祥竜の「家」は、武器屋が軒を連ねる、組練街(それんがい)と呼ばれる通りにある。正確には、その中の一軒の店の二階に、祥竜は下宿しているのである。
「ただいまー」
「ああ、祥竜。おかえり」
 店先に座っているのは、この店の主人の、王武承(おう ぶしょう)ではない。いずれは自分も商売をするために、父親の知人の息子である武承を頼って、修行をさせてもらっている張秀昂(ちょう しゅうこう)だ。
 祥竜とは逆に、大柄な身体の持ち主の青年で、年齢は祥竜より四歳上の二十三歳。気質も祥竜とは逆で、穏やかで争いごとは好きではない。もっとも、体格に見合った膂力を持つ、所謂「気は優しくて力持ち」であり、祥竜からは相棒と見做されている。
 本来なら、秀昂にしてみれば、武侠の真似事など本意ではないのだが、祥竜と出会ってしまったのが運の尽き、というところだ。もっとも、秀昂がやくざ者に絡まれて困っている時に、たまたま、上京してきたばかりの祥竜がその場を救ってくれたのが縁の始まりなので、そうそう無碍(むげ)にも出来ない縁でもある、秀昂にとっては。少なくとも、祥竜は友人として付き合うには、なかなか「イイ奴」であるため、秀昂は時々、「俺、何でこんなことしてるんだろ……」と、祥竜と武侠の仕事をしながらも、「ま、いっか」などと思ったりもしている。

「武承さん、何時帰ってくるんだっけ?」
 祥竜は秀昂に訊いた。武承が出かけた時刻には、祥竜はまだ寝ていたからだ。
「明後日になるって言ってたけどな。武承さんに何か用事か?」
「いや、暁華さんがさ。明日、桃花棚に、雑劇見に来いっつうんで。どうせだったら、秀昂もどうかと思ったんだけどな」
「桃花棚? 下手したら、朝から並んでも入れないって話じゃないか。どんな仕事だ、それ」
「いやな、何かそこの花形の女優が、命が狙われてるとか何とか。ま、どうなるか分かんねえけどな。念のため、これ、研いでおいてくれよ」
 と、祥竜は背に負った剣を止める帯を外し、無造作に秀昂に放り投げた。
「おいおい、俺でいいのか? 武承さんの方が、腕は確かだろう」
「修行だと思えよ。大体、武承さんに頼んだら、しっかり金取るんだぜ、あの人」
 ひらひら、と祥竜は手を振って、「ちょっと昼寝してくらあ」と、店の奥の、住居部分にさっさと姿を消した。二階への階段を上る、軽快な足音が、とんとんとん、と音律を伴って聞こえる。
「あ、祥竜、今……」
 秀昂がそう言いさした時には、祥竜の姿は、彼の視界になかった。
「あーあ。俺、知らねえ」
 少し苦笑して、秀昂は祥竜の剣を抜き、研ぎの作業を始めた。

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Copyright (C) Ryuki Kouno