華京騒動録  第一話 武侠と女優

一 華京暮らしは甘いかしょっぱいか
 国都の威容を以って、大(こう)帝国の都・華京(かけい)は、宮城、内城、外城、と三重の城郭で囲まれている。内城は古い時代からの旧城、外城は近年に築かれた新城のことである。そして、完成まで数年を要した宮城は、さすがに天下に号令する、皇帝陛下の住居たる壮麗さを誇る。外城を囲む外濠は、城内に引き込まれる多数の運河や川と繋がり、世界でも最大の都市・華京の繁栄ぶりを示して、幾つもの城門を介しつつ人や物資を忙しなく運ぶ。
 この光の時代に至るまで、国都というものは、政治都市であった。華京は無論、一国の首都であるから、政治の中心地であることには、無論、変わりは無い。しかしながら、今までの王朝の都と違うのは、華京は一国の商業の中心地でもある、ということだ。光は、戦乱続きで、幾つもの国に分断されていたこの()の大陸を、約五十年ぶりに統一した王朝である。初代皇帝は経済政策に熱心であり、それが実を結んだのだ。
 地上の夢の都、といわれる都市、華京。国都としての規模は、先代(おう)王朝の都、大京(だいけい)には一歩譲るとも、その溢れんばかりの活気は、華の歴代王朝のいずれの都も、華京には及ぶまい。
 国が豊かになると、人々の生活も豊かになる。
 先の王朝までは、都市は坊で厳重に区切られていた。坊とは、方形に区画された土地のことを言う。これらは坊壁で囲まれ、原則として街路へは一坊につき二つから四つ築かれた坊門からしか、出入り出来なかった。また、「犯夜(はんや)の禁」という法があり、夕暮れを告げる暮鼓(ぼこ)が千回鳴らされると、坊門は閉ざされ、坊と坊の行き来は出来なくなる。当たり前だが、違反者は罰せられた。坊内であれば行動は一日中自由だったが、人間の心理としては、窮屈さを感じるのは当然だろう。
 ここ華京は違う。坊制は崩壊し、それに伴って夜禁の法も、法としては一応あったものの、ほとんど意味をなさなくなった。夜市、つまり終夜営業の店の灯が、煌々と大都会の夜を照らし出す。豊かになった人々は、公然と明るい夜の街を闊歩し、輝く照明の下で酒盃を傾け、歓談にさざめく。
 夜ですらそのような様なのであるから、昼間の騒々しいまでの活気ときたら、何をか云わんをや、である。


 項祥竜(こう しょうりゅう)は、ぶらぶらと、賑やかな繁華街を歩いていた。宮城の南門の一つである朱雀門を出て、まっすぐ南。そうすると、運河にかかった竜梁橋(りゅうりょうきょう)に行き当たる。この、優美な弧を描いた橋――形の美しさだけでなく、船がその下を航行できるように、このような形に築かれているのである――を越えると、夜市の飲食店が軒を連ねている。祥竜は、そこを、特に当ても無く歩いていた。
(腹、減ってきたな。何か食おうか)
 などと考えながら。
 と。
「項祥竜!」
 非常によく通る男の声が、祥竜を背後から呼んだ。道行く人々が、「何だ何だ?」というようにぎょっとする程の大声である。が、呼んだ、というよりは呼ばわった、という方が正しい語気だったせいか、祥竜は振り向かずにすたすたと歩き続ける。
「待て、項祥竜!」
 もう一度。しかし、やはり祥竜は振り向かない。あからさまに、無視しているのが明らかだったが、呼ぶ声の主はそれに気付かないのか、それともわざとなのか、諦めずにまだ呼ぶ。
「待たぬか、項祥竜! 卑怯者め、逃げる気か!?」
「……うるせぇッ! 無視してるのが分かんねぇのか、この馬鹿!!」
 しつこく姓名を連呼され、項祥竜、根気負けす。遂に、祥竜は苛立たしげに怒鳴りながら、勢い良く振り返った。無造作に結った、艶のある髪が揺れる。
「やっとその気になったな、宿敵よ。今日こそ、決着を着けてくれるぞ!」
「うざいんだよ、お前はよ……。誰と誰が宿敵だってんだ。しつこいっての、文葉喬(ぶん ようきょう)……」
 げんなりした様子で、祥竜は肩を落とした。その彼に、意気も軒昂(けんこう)に拳を突きつける、一人の男。祥竜のいかにも嫌そうな呟きが示すとおり、祥竜とその男・文葉喬は知り合いではあるが、決して友好的な友人ではない。祥竜的には、「出来るだけ関わりあいたくない奴」である。が、世の中とは無情なもので、そういう奴に限って、向こうからわざわざ出向いてきてくれるのだ。ちっとも有り難くないことに。
「大体よ、決着っつってお前、何回俺に負ければ気が済むわけ?」
 うんざりだ、という態度を露にする祥竜に、葉喬は反対に胸を張る。
 周囲には、何が起こるのだろう、と期待一杯の野次馬が、人だかりを形成し始めている。民衆が物見高いのは、平和の証とはいうが。
「ええい黙れ! ともかく、俺と貴様は不倶戴天の敵同士なのだ。いざ、勝負!」
「勝手に決めんじゃねえ! 何遍付き合わせんだ、いい加減に懲りろ、てめえ!!」

 ――二人の出会いは、一年半ほど前に遡る。
 都で開かれた武術大会の決勝戦で顔をあわせたのが、初対面だった。剣士の祥竜、対、拳法使いの葉喬。祥竜に言わせれば、その時「うっかり勝ってしまった」せいで、葉喬に妙に(一方的に)敵視され、姿を見つけられると辺り構わず、勝負を吹っかけられるようになったのだった。その度に、葉喬は祥竜に叩きのめされているのであるが、祥竜にとっては、迷惑この上ない。というか、彼自身、口にしたように、心底うざいと思っている。
 ちなみに、祥竜が剣を持って、徒手の葉喬を叩き伏せるのは、誰にも非難されることはない。何故なら、剣だろうが棒だろうが棍だろうが、武芸者が扱う武器は腕の延長、と見做されるからである。とはいえ、葉喬にしてみれば、己の肉体のみを武器にする拳法が、剣という道具を使う剣士に敗れたのが、我慢ならないらしい。本来は良家の坊ちゃんであるところ、拳法好きが高じて、高名な道場で学んだだけでは飽き足らず、山篭りまでして修行したくらいの拳法気ち……もとい、無類の拳法好きの誇り、なのかもしれない。
 祥竜に言わせれば、「お前が俺より弱いから負けたんだろうが」ということなのだが……。

「今日こそは、貴様に地面を舐めさせてくれるぞ」
 自信満々の笑みを浮かべ、葉喬が構えをとる。祥竜は何処か諦めたような顔で、さも面倒そうに剣を抜いた。祥竜は男性としては小柄な部類なのだが、この剣は持ち主とは逆に、かなり大ぶりである。従って、祥竜は剣を腰に差すのではなく、背に負っている。
 先手は、葉喬が取った。突きこまれてきた右拳を、祥竜は軽く身を捻って躱す。すかさず蹴りが飛ばされてくるが、「おおっ」というどよめきが湧いた。
 祥竜は跳んでいた。背に翼でも持っているかのような身軽さで跳び、そのまま宙空で剣を振りかぶると、祥竜は剣の平を葉喬に叩きつけた。放物線の頂点から振り下ろされた剣は、実際の祥竜の膂力(りょりょく)以上の力が加わって、強烈な打撃で拳法家に地面(正確を期すなら、土が露出しているのではなく、敷石で舗装されているので、地面でなく街路である)を舐めさせた。祥竜にとっては、見慣れた光景である。
 哀れ。

「……ったく、これでまだ分かんねえんだからなあ。何度目だっつの」
 着地と同時に、祥竜は剣を鞘に納めた。見事な身ごなしを見せた剣客に、やんやの喝采が浴びせられる。卒なくそれに答える祥竜に、またもや背後から声がかけられる。今度は、女性の声である。
「相変わらず、いい腕ね、祥竜くん」
 ――さっきの葉喬とは違った意味で、祥竜は振り返りたくなかった。が、さすがに多数の人目がある前で、女性を無視するわけにもいくまい。やんぬるかな。
「……暁華(ぎょうか)さん」
 溜息混じりで、祥竜は声の主の方を見た。

 楊暁華(よう ぎょうか)は、美女である。一口に美女と言っても、色々な美しさがあるが、彼女は艶やかに咲き誇る大輪の牡丹、の類の華やかな美女だ。
 が、美しい花には棘がある、とはよく言ったもの(牡丹に棘は無いが)で、彼女が非常に食えない女性であることを、祥竜は身に染みて知っている。正確には、身に染みさせられた、と言うべきか。
「今日は秀昂(しゅうこう)は? 一緒じゃないの?」
「秀昂は、武承(ぶしょう)さんが砥石の買い付けに出てるんで、留守の店番」
「あ、そう。でも、いいわ。今日は、祥竜くんにその腕を活かして欲しい仕事があるの」
「やだね」
 項祥竜、即答。まさに「にべもない」とか「取り付く島も無い」とはこのことであろう。
「ちょっと、話ぐらい聞いてくれてもいいんじゃない?」
 が、それしき、予測していたらしい暁華は、にこりと笑う。大抵の男なら、その笑顔だけで「はい、はい!」と何度も首肯してしまいそうなものだが、この祥竜という若者、十九歳にもなって、未だに色気より食い気の支配下にある。なので、暁華の笑顔に、祥竜は釣られなかった。
「大体さぁ、この前の仕事。話だけ、なんつって、あれよあれよって間に引き受けさせられた上に、報酬、最初に聞いてた額の半分しかなかったような気がすんだよな。あの分の埋め合わせをしてもらわないと、話も聞けねえよ。つうか聞きたくねえ」
「ま、女の足元を見るのね」
「相手によったらな。あ、それと、話聞いても、受けるかどうかは別だぜ?」
 今度は、にこり、と祥竜が爽やかに笑う番だった。
 祥竜は、普段の乱暴に近い言動から、あまり気付かれないことが多いのだが、実は非常に整った容姿を持っている。それなりの格好をさせれば、貴顕の公子、と言って充分に通じるほどだ。その祥竜が、いかにも「作りました」という風の笑顔を浮かべ、やはり笑顔の美女と向き合ってる様子は、傍から見てちょっと異様である。
 と、その時、すっかりその存在を忘れられていた、拳法家が小さく呻いた。それに気付いた祥竜は、また勝負をふっかけられてはかなわない、とばかりに、
「じゃ、そういうことで」
 軽く手を振ってその場を去ろうとした。これも一種の交渉術。

 というのも、祥竜が暁華から請け負った仕事で、無事に終わった仕事は一つも無いからだ。
 楊暁華、彼女はいわゆる「情報屋」である。祥竜のような武侠(ぶきょう)は、定職を持たない。とは言っても、労働して収入を得ないと、特にこういう大都会では生きていけない。破落戸(ごろつき)とは違い、彼らは自分の武芸に誇りを持っているので、その腕で正当な報酬を得ることを尊ぶ。そういった彼等に、腕を活かした仕事を紹介する。それが、彼女の職業だ。そして、暁華は華京でも最も顔の広い情報屋である。祥竜としても、大変お世話になっている……と言いたいところだが。
 何というか、平たく言うと、彼女から仕事を請け負うと、碌な目に遭わないのである。いちいち数え上げているとキリが無いほど。ついでに、どうも報酬も時々、誤魔化されている……ような、気がする。
 そんなわけで、相手が美女だからと、祥竜としては、ほいほいと甘い顔を見せられるものではなかった。
 結局、暁華が折れたのは、大人の女としての余裕か、それとも、祥竜を逃がしたくないためか。
「……大徳楼(だいとくろう)でどう?」
 彼女の口にした大徳楼とは、「正店(せいてん)」と言われる、第一流の酒楼(しゅろう)の名である。都の、数えつくせぬほど多い酒楼のうちでも、正店は七十二軒のみ。それ以外は脚店(きゃくてん)という。
 しかし、奢りを前提にしたその暁華の言葉にも、祥竜は頷かなかった。
「ん、明延酒店(めいえんしゅてん)にいい新酒が入ったって聞いたなあ」
「……分かったわ、いいわよ」
 ひとまず、この場での軍配は、祥竜に上がったようだった。さて、それが吉と出るか凶と出るか。 

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Copyright (C) Ryuki Kouno