Je te veux

02


 石を抱かされた上で、針の筵の上に正座させられている気分である。
 もっとも、そう思っているのはアーチャーだけのようであって、彼の隣で同じように正座している士郎は、堂々と真っ直ぐに胸すら張っている。士郎の場合は、アーチャーと違って、正座「させられている」のではなく、自主的に正座「している」といえた。それはあたかも、これから対決に臨む決闘者(デュエリスト)のごとく。
 どんな神経だ。本当に、我々は元は同じ存在だったのだろうか? アーチャーには、士郎が何を考えているのか、さっぱり分からなかった。いくら何でも、過去の自分はここまで臆面の無い性格ではなかった、と思うのだが。同じ遺伝子を持つ存在である筈なのに、あまりにも士郎と自分が乖離してしまった、そのせいで、思わずアーチャーは自分達の似ているところを探してしまいそうになる。以前ならば、そんなことは考えることも忌々しかったのに。
 今すぐに霊体化して、何処かへと姿を消してしまいたい気もするアーチャーだったが、桜の背後にちらちら黒いアレが見えては、それも無理だった。アレに捕まったら、ただでは済まない。せめて、傷みやすいイカナゴの仕込みだけはさせてくれ、というアーチャーの頼みは、主にセイバーによって聞き届けられたものの。そうこうしているうちに、バイトに行っていたライダーまで帰ってきた。ライダーは事情は知らないが、マスターの桜に、ここに居て、と言われると拒む道理は無い。
 最優のサーヴァントたる可憐な騎士王、全元素属性(アベレージ・ワン)の天才魔術師、架空元素属性を持つ黒い聖杯、かつては女神であった美しき騎兵。包囲網は完璧だ。
 どうしてこうなる? 自分は示された選択肢を、全て誤って来たのか? ああ、そうなのかもしれない、そうなのだろうな! アーチャーは自問自答したその結果出てきた、どうしようもない結論に頭を抱えたくなった。
 と、アーチャーの膝の上に手が置かれる。いたわるような士郎の表情が、今のアーチャーには逆にムカつく。人の気も知らないで、だ。
「アーチャー、そんな、この世の終わりみたいな顔するなよ」
「触るな、貴様! そもそも、一体誰のせいでこんな……」
「どうせ、何時までも隠せるものじゃないだろ」
「そういう問題では無いわ!」
 ちゅいん。
 何か、2人の間を弾丸が音を立てて駈け抜けて行った、というのは決して気のせいではない。凛の人差し指がガンドを放った形で、士郎とアーチャーの間の隙間に向けられていた。ほぼ同時に、2人は口を閉ざして、女性陣に向き直る。この辺り、何気に息が合っていたりするのだが、それを指摘するとアーチャーは猛烈に否定するに違いない。
 凛が、冷ややかに言い放った。
「仲が良いのも結構だけど、痴話喧嘩なら後にしてちょうだい」
「痴話っ……」
「何よ。人前で熱烈なキスをかますぐらいなんだから、間違ってないんでしょ」
 アーチャーが絶句する。それでも、さりげなく士郎の手を払い落とすことは忘れなかった。更に、手の幅分くらいの距離を、士郎から離れる。士郎は微妙な顔つきをしたが、とりあえずは何も言わなかった。
「まず、確認するわ」
 そのまま、凛は口火を切る。
「士郎、あんたの言った『アーチャーを好きだ』っていうのは、普遍的な人類愛を示す意味じゃないわよね?」
「ああ。恋愛感情としての、好き、だ」
 凛の問いに、衛宮士郎は言い切った。きっぱりはっきり、誰が聞いても聞き間違えなどではない、と分かるくらいに。アーチャーの眉間の皺も、いつもより絶賛増量中だ。
「……シロウ」
 セイバーが、溜息混じりに言う。
「私は、確かに貴方にもっと自分を大切にしてください、とは言いましたが、こういう意味ではありません」
「分かってる。俺とアーチャーは、もう別の存在だからな。その、違う心で俺はアーチャーが好きなんだ」
 アーチャーからすれば、士郎に、貴様はもう余計な口をきくな、と言いたいところだが、それを口に出せる空気ではない。何せ、これは尋問だ。いや、その表現はこの実情には生温い、吊るし上げだ。下手をすると、比喩ではなく本当に吊るされかねない。
「先輩、先輩は男の人のほうが好きな人だったんですか」
 胸の前で祈るように手を組んだ桜が、切羽詰って問いかける。当然だろう。桜は、ずっと士郎を一途に想っていたのだから。ただし、そんな健気さも、今は見え隠れする黒いアレのせいで台無しになっていたりする。はっきり言って怖い。反転寸前だ。
「いや、セイバーも遠坂も桜もライダーも、皆、綺麗で可愛くて魅力的だと思う」
 この時点で、自分を憎からず想っている女性達に対して、物凄い客観的な台詞を吐いたということを、士郎は気付いているのかいないのか。多分気付いていないだろう。鈍いだの朴念仁だの言われる由縁である。
「けど、俺はアーチャーが良いんだ」
 そして、士郎はたじろがない。恋は人を強くする、というヤツだろうか。以前の士郎ならば、セイバーや凛や桜に詰め寄られれば、たじたじとなっていたところを、真っ向から自らの主張を貫き通している。
 そんな強さは、別の場面で見せて欲しい。そう思ったアーチャーは、自分に刺すような視線が集中しているのに気付いた。
 責められている。どういうことだ、と無言の詰問。
 いや、もうこれ以上は本当に勘弁して欲しい。行き着くところまで行ったら、彼女らの前で、あの夜のことをぶちまけることになってしまう。それは困る。困るどころではない。だからといって、アーチャーから士郎にちょっかいをかけた、と思われるのも非常に厳しい。多大なジレンマ。
「……頼むから、人を、いたいけな青少年を誑かした酷い大人、という目で見るのは止めてくれないかね……」
 いたたまれない、というように大柄な体を縮こまらせて、アーチャーはぼそぼそと言った。歯切れが悪いのは、墓穴を掘らないように用心しているからだ。が、アーチャーがどれだけ言葉を選んでも、それを士郎が激しく台無しにする。
「そうだ、アーチャーに手を出したのは俺の方だ」
「手を出した!?」
 一斉にそこに食らいつかれて、アーチャーの上体が傾いだ。士郎を畳の上に沈めたくなるのを、アーチャーは何とか意志の力で押さえ込んだ。そんなアーチャーの努力にも、士郎はてんで気付いた様子は無い。
 まるで知らない男だ。衛宮士郎とは、こんなあけすけな人間だったか? 自分にもこんな素養があったのに、気付かなかっただけ、なのだろうか。まあ、こんな調子ではこの衛宮士郎は、絶対に英霊にはなりえないだろうとは確信は出来る、が……。
 ライダーが、眼鏡の奥の瞳を細める。
「……まさかとは思いますが、士郎。貴方はつまり、アーチャーと」
「うん、俺がアーチャーを抱いたよ」
 ――あっけらかんと言いやがった。
 ぼっ、とアーチャーの顔が紅潮する。もう、怒るとか恥ずかしいとか、そういうのも全部ひっくるめて、憤死しそうなレベルだ。既に死んでいるだろう、という突っ込みは無しの方向で。
「き、貴様、こ、こ、こ、この、たわけ! たわけたことを……!!」
 思わず、アーチャーは士郎の胸倉を掴み上げた。それでも士郎は、実に平然とアーチャーを見上げる。
「本当のことじゃないか。お前だって、俺のこと受け入れただろ」
「あれは一度きりの過ちという類だろうが!! 第一、オレはお前に魔力を分けてくれとは一言も言っていないのに、なし崩しな形でお前がオレを抱い……」
 そこまで言ってしまって、アーチャーは見事に自ら墓穴を掘ってしまったことを理解して慌てて口を噤んだが、もう遅い。
 しまった。
 認めてしまった。
 ああもう、自分で掘った墓穴に入って埋まってしまいたい。
 空気はもはや、絶対零度。もういっそ、ライダーの魔眼キュベレイで石化してもらっても良い。いや、是非そうしてくれ。
 アーチャーの手から力が抜けてというか脱力して、士郎を手放す。どうしても常識と理性を捨てきれないアーチャーには、とてもではないが士郎のように開き直ることは不可能だ。アーチャーと根を同じくする士郎とて、本来は常識人の筈だが。常識を、そんなもの、と吹き飛ばすほどに士郎はアーチャーを好きだとでもいうのか。
 その、恐らくは若さゆえの真っ直ぐすぎる感情に向き合いたくなくて、士郎の未来へ落とされる影になりたくなくて、同じ家に住んでいても、アーチャーはあえて必要以上に士郎と接触を持つことを避けてきた。それがかえって逆効果だったのか。こんな形で、士郎が全てを明らかにしようとするほどに。アーチャーに、もう逃げられないと告げるように。――士郎には、もうアーチャーを逃がしてやれるだけの余裕が無い、と。
「……貴方達が同性同士だということを、闇雲に否定する気は無いのですが……。この先、決して幸福な結末などありえないのですよ、シロウ?」
 かつて、女性同士での婚姻を行ったセイバーが言い聞かせるようにそう言うと、説得力がありまくる。何せ、彼女が女性でありながら性別を偽り、男として王妃ギネヴィアを娶ったことが、ブリテンを滅ぼす遠因の一つとなったのだから。
「別に未来に結末が欲しいわけじゃない。今は今、だろ」
 士郎は笑った。
 その気持ちを覆すことは誰にも不可能だ、と嫌でも分かってしまう、そんな笑い方だった。
「……どうして。なんですか」
 しかし、まだ納得しかねるのか、桜は俯きつつ押し殺した声を出す。納得しかねるのはアーチャーも同様だったが。いや、頼む、本当に恋敵みたいにこちらを見るのは止めてくれ……! むしろ、喜んで進呈するから! 違う間違った、進呈というのは正しくない、士郎はオレの何でも無いのだから、勝手に持って行けばいいのだ、黒いアレで拘束してでも!! 是非そうして欲しい!
 かように、アーチャーの思考の混乱はもう極限に達していた。それを表情に出さないくらいには己を律することなど容易に出来るが、他人の言動はどうしようもない。
 ああもう、士郎、そこで照れくさそうに笑うなこの底抜けの馬鹿が。明日から、というか、この後からどうやって彼女らと顔をあわせていけというのだ。
「そりゃ、好きな相手が弱ってたら、どうにかしたいと思うだろ。それが、抱くって手段でもあったってことだけど」
「つまり」
 はーっと息を吐いた凛は、諦観すら漂わせる貫禄でもって、ずばりと言った。
「士郎は、魔力不足に陥って弱ったアーチャーにムラっときて、そのまま手篭めにした、と」
「ぶっちゃけすぎだ!!」
 昔の自分も確かに憧れていた、花も恥らう美少女の口から、そんな言葉は聞きたくなかった、とアーチャーは項垂れる。
「私の見たところでは、士郎はアーチャーと決して仲が良くはなかったように思うのですが、何故そういうことになったのですか」
 淡々と、ライダーが指摘した。彼女の冷静さは、持ち前のものもあるだろうが、同性同士の交わりが禁忌ではなかった古代の出身である、という由来もあるのだろう。あんまり慰めにならないが。
「いやそりゃ、顔合わせる度に厭味と皮肉ばっかり言われてたから、反発もしたさ。けど、俺がアーチャーに憧れてたのも事実だぞ? 俺の理想をアーチャーに見て、いつか、あの背中に追いついてやるって」
 結局、全く違う方向で士郎はアーチャーに触れることになったのだが。凛が腕組みしながら、士郎を見据えた。何か、眼が据わっている。
「……士郎、分かってる? アーチャーは、もともとわたしのサーヴァントなのよ。今は契約は破棄されたとはいえ、アーチャーがわたしを依り代にして現界している事実に変わりは無いってこと」
「分かってるけど、何さ。アーチャーと付き合うのに、遠坂の許可が必要とか言うのか?」
 何かおかしくないか?
 凛のモードが「何処の馬の骨が、誰に断ってうちの可愛い娘に手を出しとるんだコラ」的父親にいつの間にか変化していて、対する士郎のモードが「お嬢さんを僕にください! 必ず幸せにします!」的男になっているのは。肝心のアーチャーは置いてけぼりか。その方が多分、アーチャーにはもっけの幸いなのだが。
 そろそろとアーチャーは立ち上がり、台所へと移動する。時計を見れば、いい加減に夕食の仕度をせねばならない時刻だ。いずれ、セイバーが腹ペコ王と化して、もっと大惨事が起こりかねない。まかり間違っても、今日は断食でござる、などと言えるものか! 何にせよ今日の食事は、予定よりも豪華なものにせねばならないだろう。
 冷蔵庫を覗いて中身を確認したアーチャーは、頭の中で献立を組み立てなおす。これが単なる現実逃避であることは分かっているが、この際はそれを自分自身に許可するアーチャーであった。
「士郎」
 厳かに凛は言った。
「瓶ビールを一ダース、買ってきなさい。いや、むしろ酒屋の在庫全部買い占めてきなさい!」
「なんでさ!?」
 士郎とアーチャーが全く同じ反応を返す。ほとんど忘れていた昔年の口癖が飛び出るところに、アーチャーの動揺っぷりが現れているというものだ。
「うっさいわね、こんな状況、飲まなきゃやってらんないわよ!!」
 未成年と思えぬ台詞を吐いた凛に、桜が同調した。
「そうです、やってられないです! 先輩にもアーチャーさんにも、とやかく言われる筋合いはありません!!」
 アーチャーにしてみれば、未成年飲酒など、断固として許し難い。だが、今、彼の立場からすると、この姉妹に説教などと大それたことは、とてもではないが出来たものではなかった。
「私も、非常に飲みたい気分ですね。他ならぬマスターに、このような類の隠し事をされるなど……」
 セイバーまで。小柄な少女の姿である彼女だが、実は食欲の方だけでなく、凄まじい酒豪でもあったりする。
「お付き合いいたします」
 静かに、ライダーも言う。
 これはもう、彼女らに唯々諾々と従う他、アーチャーには何も道は残されていなかった。



 結局、狂乱の宴は日付が変わる頃まで続いた。人間である凛と桜が完全に潰れたところで、強制的にお開きとなったのだった。それぞれを、セイバーとライダーが介抱しながら部屋に連れ帰っていった。ちなみに、酒に弱い士郎は一足先に女性陣によってたかって潰されて、強制的に御退出である。弾除けにもならない。役立たずめ、とアーチャーは心中で毒づいた。
 アルコールの一滴も口にしていないアーチャーだったが、悪酔いした気分だった。ひたすらつまみと酒を作り、その上、酌までさせられた。何か、胸や尻や脚とか妙な手つきで触られた気もするのだが、それは全力で気のせいということにしておく。男の体なんか触って、何が楽しいのだ。
 とりあえず、氷水を飲んで頭だけでもすっきりさせると、アーチャーは後片付けを始めた。窓を全開にして空気を入れ替え、燃えるごみと燃えないごみを分別し、食器類を洗う。カレンダーで燃えないごみの日を確認して、ひとまとめにしておく。吹き掃除を終えると、全部完了。
 今日は、誰も風呂掃除する人間がいなかったから、風呂は沸かされていない。せめて、シャワーだけでも浴びて寝よう、とアーチャーは窓を閉めて鍵をかけ、ふらふらと居間から出た。
 強烈な疲労感が全身を襲っている。だから、廊下の上に座り込んだ人影を見ても、アーチャーは長い脚を生かして、どけとも言わずにその上を跨いで行こうとした。
「……アーチャー」
「……足を掴むな。蹴り飛ばすぞ」
 がっしりと足首を掴まれて、アーチャーは思い切り険悪な声を出す。だが、それで士郎がひるむわけが無いということも、アーチャーは知っていた。
 人工の灯りが存在しない暗い廊下だが、鷹の目を持つアーチャーには、士郎がどんな顔で自分を見上げているのか、はっきりと見て取れる。
 ただ見られているだけで、息が詰まりそうなくらい熱情に満ちた琥珀色の目。
「まだ酔っているのか」
「もう醒めたよ。あんだけ吐いたら」
「吐いたのなら、おとなしく寝ていろ。オレももう寝る」
「アーチャー」
 もう一度、士郎が呼ぶ。あからさますぎる熱のこもった声で。

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