王様とメイドさん

03 冬木の港は異世界か


 慣れというものは実に恐ろしい。
「アーチャー、今日は港に釣りに行くぞ」
 などと、ギルガメッシュが朝から突然言ってくるのも慣れたし、
「……弁当を作って、飲み物も用意して、釣竿とリールを投影すればいいのだな?」
 などと、慣れたおかげで相手が望む返答が反射的に出来るようにもなった。まあ、基本的には、はいはいと大人しく言うことを聞いていれば、ギルガメッシュという男は害は(おおむね大体)無いので、学習した、とも言えるかもしれない。もっとも、害があるというのはつまり、彼に殺されるに即繋がるというのが英雄王クォリティではある。
 ともあれ、そんなアーチャーの返答に対して、
「ふむ、よく分かっているではないか」
 王様はにやりと笑ってご満悦そうだった。
 ただ、それはそれとして、慣れと言えば、毎日、メイド服を着るのにも慣れてしまったのは、自分にとって大問題ではないのかと、アーチャーはふと気付いた。当初は非常に抵抗があった女物の下着やらガーターやらも、仕事着だと割り切って手早く身に着けられるようになったし、苦戦していたヒールが高く幅の細い靴を履いても、かなり不自由なく動き回れるようにもなった。その上、割り切ってしまったおかげで、常時絶対領域堅持のミニスカメイド服姿で「買い物に行ってくる」と自分から出て行くことすらある。しかし、冷静に考えて、それは果たして良いことなのだろうか。大体、褐色肌で白い髪のメイドが、マウント深山商店街を中心に出没するとか噂になってしまったら、知人には一発で身元バレ確実である。いや、ひょっとしたら、もう手遅れの可能性莫大だ。こんな目立つ姿が噂にならないと思う方がおかしい。というか、既にイリヤスフィールにはばれていることを考えれば、彼女の口から衛宮邸の面々などに伝わっている恐れが大ありだ。やりたい放題のギルガメッシュに振り回されて、うっかり摩耗しそうになったために失念していたが。
 ある意味、これは男としての、アイデンティティ崩壊の危機といえなくはないか。――本当に恐ろしい。感覚の麻痺だ。そもそもはといえば、とんでもない理不尽(=当人には何の落ち度もないのに、マスターに売り飛ばされた)から始まったこの異常事態に、慣れてどうする。
 無論そんなことは、あまりにも傍若無人という言葉が凄まじく当てはまりすぎる、この我様オレ様王様な人類最初の英雄にとってはどうでもいいことだろうが。むしろ、「今は女なのだから、何が問題がある?」と、素で追撃ダメージを食らわしてきそうである。体は女だろうが、精神は男だ! とアーチャーは激しく主張したい。……例え無意味なこととは分かってはいても、自分の精神衛生上のためだ。
 充分に開いた胸元にリボンをあしらった小さなヨーク切替つき、パフスリーブにウエストのラインをはっきり見せるサイド編み上げワンピース、フリルたっぷりのカフス、プリーツと丸形の二枚重ねのエプロンを着用したアーチャーは、今更ながらに己の状況に愕然とした。ちなみに余談ながら、金持ちの道楽なのか、メイド服は日替わりで、同じ服を着ることは不許可となっている。更にちなみに、メイド服以外の服装も却下である。これを無視した場合、下手をするとその場で着替えろと服を脱がされるなどと、とんでもない屈辱を与えられかねない。そんな仕打ちを受けるくらいなら、自主的に着た方がまだまし、というものだった。何と言っても、色んな意味で有言実行な王様なので。
 こういう具合に、自分の中の色んなハードルがどんどん下がっているという苛酷な現実には、勿論、アーチャーは気づいていない。
 もはや日常習慣となってしまった、ため息をつきつつアーチャーはそれでも弁当を作り始める。
 さすが、黄金律スキルAを有する英雄王の居住する豪邸の厨房――台所やキッチンというレベルでは断じて無い――は、あらゆる食材に事欠かない。テレビや雑誌でしかお目にかかったことがない、高級食材、山海の珍味もあっちこっちにてんこもりだ。某騎士王セイバーの食への拘りぶりは特別だという話は置いておくにしても、古今東西、王様という種族には、想像を超えた贅沢とか絢爛豪華とか山盛りの美食とかいうイメージが付き物だが、まさにその通りといった感である。
 しかし、ギルガメッシュの性格からすると、自分の作った料理を「こんな庶民くさい味はオレの舌に合わぬ」とか言って、ちゃぶ台返しの一発でもかましてくるのではないか、とアーチャーは最初、警戒していた。しかし、意外にもギルガメッシュは、「なかなかやるではないか」と、やはり彼にしては最上級の褒め言葉を口にした。アーチャーを「贋作者フェイカー」と蔑むこともあるギルガメッシュだが、料理の腕は本物だと認めたようである。とにかく横暴な王様ではあれど、やはり王なので認めるべきは認める器を持っている、らしい。
 ただ、ギルガメッシュにとっては、本来は自分よりも長身で(ここは非常に重要なポイントなので、テストに出します)、鍛え抜かれた屈強な肉体の持ち主の男性であるところのアーチャーが、今では非常に胸元豊かな女性の身体を可憐なデザインのメイド服に包み、渋々ながらも「ご主人様マスター」にご奉仕するビジュアルが愉快でたまらない、というのもあるに違いない。所謂ところの愉悦である。
 ともかくにも、アーチャーはてきぱきと手際よく調理を続ける。どんな状況であっても、基本的に働き者の性分は覆せないのが、どうにも因果だ。
 数種類のサンドイッチをメインに、つまみやすいおかずも多種用意する。幸いというか何というか、利用できる食材が非常に豊富なので、料理すること自体は楽しいアーチャーだった。それに、物事の判断基準が良いものか悪いものかにあるギルガメッシュは、食べ物の好き嫌いという地雷はどうも無いようなので、それなりに腕の揮いがいもあるというもの。
 妙な話ではあるが、ギルガメッシュがとてつもない暴君であることは当然として、そこにはきちんと一本筋が通っている、ということは(不本意ながら)一緒に暮らしているうちにアーチャーも理解し始めていた。少なくとも、王としての明確な“理”を持っており、どうしようもない昏君アホ暗君バカではない――本人曰く、あまりに良すぎて紙一重らしいが――のは確かだ、一応。ただし、アーチャーが今の自分の境遇を丸ごと受け入れるのかというと、当たり前だがそれは全く別の話。
「飲み物はこちらのボルドーワインの他に、何かいるのかね」
「シャルドネがあるであろう。それを入れておけ」
「……承知した」
 英雄王の飲み物とは、お前は川島な○美かと言いたくなるレベルで、基本ワインである。しかも、地下のワインセラーに収めてあるワインの総額で、下手をしたら一般的な家が一軒買える値段になるだろう。具体的な金額を知ってしまったら卒倒してしまいたくなりそうなので、アーチャーは知りたくない。
 さて、と弁当を取り皿などの一式も含めて用意したアーチャーは、いかにもずっしりと重そうなギルガメッシュのマイ釣り竿も手に取ろうとした。
 しかし、別の手がさっと釣り竿を取り上げた。
「……え?」
「間違えるなよ、それはオレの荷物だ」
 アーチャーは咄嗟に状況が飲み込めなかった。まさか、あの、あのギルガメッシュが自分から重荷を手にするとは思いもよらなかったせいである。ちなみに「あの」は大事なことなので二回繰り返しです。ついでに、心情的には太字で強調したい。
 ぽかんとするアーチャーを尻目に、釣り竿を入れたケースを自分の肩に掛けたギルガメッシュは、軽く鼻を鳴らした。
「貴様は、女にこのような大荷物を持たせていると、殿方に恥をかかせる気か?」
「……あ、いや」
 昭和時代の青春ドラマなどにありがちな、『普段は乱暴な不良が、雨の中で子猫あるいは子犬を拾っていた』的意外な優しさシチュエーション。べたべたではあるが、やはり効果的だからこそべたべたに手垢がついて真っ黒になって、あまつさえ黒光りするまで使い回されるのだ。
 外見は完全に女性であっても中身はれっきとした男性であるアーチャーからすれば、勿論ときめく筈はなくギルガメッシュのプライド? から来る行為だというのを理解しつつも、何というか生前はこうやって人心を掌握していたのだろうか、とぼんやりと思ったりした。そういえば、意外なほどに子供好きで子供にも好かれていたな……。
「ならば行くぞ。ぼやぼやしておらずに、早く来い」
 やたら颯爽と英雄王は上着の裾を翻した。効果音は“バッ!”でお願いします。
「あ、ああ。分かった」
 促され、弁当と飲み物を詰めたバッグを持ったアーチャーは、慎ましくギルガメッシュの後ろをついて目的地へと向かうのだった。メイド服姿で。


 さて、冬木港である。
 天気の良い日などは、散歩中の家族連れや釣り人で賑わう筈のスポットであるが、このところめっきり人が寄りつかなくなって閑散としている。
 言うまでもなく、派手な色のアロハシャツに身を包み、咥え煙草に傍らには真っ昼間っから缶ビールと酒のつまみを置いた、この上なく柄の悪い蒼い髪の男が居座っていて、暇さえあれば「譲ってもらった(本人談)」を竿を手に日がな一日釣り糸を垂れているからである。
 ――曰く、人呼んで「チンピランサー」。
 彼の故国アイルランドの人々が聞いたら泣きそうな呼称だが、これ以上に現在のランサーの実態を的確に表現している言葉もあるまい。下手をすれば、現界しているどのサーヴァントよりもどころか、この時代が生まれ育ちのアーチャーよりも現世に馴染みまくっていた。
 そんな風に今日も今日とて、ランサーの楽園ランサーズ・ヘブンと化した港にて、槍兵のサーヴァントはのんびりと釣りをしていた。
「ふははははは、相変わらずしけておるな、狗!!」
 まあ、平穏とは破られるために存在しているとも言える。聴覚的にだけでなく視覚的にもどころか、もう存在そのものが大変に賑やかというか煌びやかというか、とにかくトレードマークの黄金の鎧を着ていなくても金ピカとしか表現のしようのない人物の到来を、この上なく知らしめる笑い声にランサーは露骨にうへえ、という表情を隠そうともしない。ギルガメッシュとランサーは非常に曲者なマスターを同じくするサーヴァント同士であり、そういう意味では同僚、あるいは仲間とも言っていいのかもしれないが、良識ある小さい方のギルガメッシュであるならともかくとして、こちらの大きい方ではランサーと話から何から、とにかく合うわけがないからだ。
「来やがった……」
 と、うんざりしたように呟いたランサーだが。
 すぐに、彼の注意は別のものに向けられた。
 その黄金の英雄王の後ろに隠れようとしているが、体格的にはともかく、ふんわりと拡がったスカートのせいでばっちり無理になっているメイド服姿の――。
「……おい、アーチャー、お前」
 褐色肌に白い髪、銀灰の目。冬木が広かろうが狭かろうが、その組み合わせのカラーリングの持ち主に該当するのは一人しかいないわけだが、ランサーの記憶とは姿形どころかそもそも性別まで全く違っているため、さすがに突っ込まざるを得ない。アーチャーの方は、返答どころか思いっきり目を合わせようともしないけども。
「さて、では始めるとしようか、アーチャーよ」
 至ってマイペースすぎる王様は、さっさとお気に入りの場所に移動する。アーチャーも、よく出来た付き人よろしくギルガメッシュに無言で従う。
 運が良ければランサーは今日はバイト中で港にはいないかと思ったが、所詮は幸運Eの身分、そんな都合の良いことはなかったか……と、せっせとアーチャーは釣り竿をセッティングあるいは投影していく。これだけの本数、旗がついていたら完全に祭りの幟だな、などと現実逃避をしつつ。何となく、ギルガメッシュ以外の視線をちらちらと感じなくもないが、あえての絶賛スルーである。
「うむ、絶好の釣り日和というヤツだな!」
 何か知らんが、青い海に向かって英雄王は非常に上機嫌。誰でもそうだが、殊にギルガメッシュの場合、機嫌は不よりも上の方が良いに決まっているので、アーチャーは適当に相槌を打っておいた。
 青い空。青い海。時々ウミネコの鳴く声。遠くに響く船の汽笛。護岸に打ち寄せる波の音。
 暴力団関係者っぽい男、セレブ全開ゴージャス男、褐色肌のメイド。
 ……シュールだ。ここだけ異界に放り込まれたようだ。ついでにこのまま、何処か遠くへ行けないだろうか。
 釣り竿を見守りながら、アーチャーはとても遠い目をした。それでも、引きの反応があればリールを巻き、魚をクーラーボックスに入れる動作は自然に行う辺り、もはや条件反射の域である。アーチャーの心境は関係無く、釣果は上々、といったところだ。ひょっとしたら、釣り具にも餌にも金に糸目をつけないギルガメッシュのおかげで青い釣り人がオケラかもしれないが、まあアーチャーの知ったことではない。まともに釣りたかったら、気を散らしてこちらを見るなというのだ。
「今夜は魚料理で良いのか」
「構わんぞ」
 などと、あくまでも鷹揚な王様は、何やら楽しげなことを思いついたらしく、ぽん、と両手を叩いた。
「釣りと言えば、冬になったらオオマノマグロとやらを釣りに行かねばならんな! 黒いダイヤだというのだから、どんな形であれ、宝と呼ばれるものは手ずからオレの宝物庫に収めねばならん!」
 その宝物庫ゲート・オブ・バビロンにはナマモノも入れるのかというか保存も出来るのかそもそも食べないのかいやマグロが入っている宝具とかどうなんだとか、一瞬にして色々一度に突っ込みたくなったアーチャーだが、呑み込んで沈黙を守る。アレはそもそも独り言だし、口は災いの門、下手に藪を突っついて要らぬ蛇を出す必要も無い。しかし、まさかこんなメイド姿でついてこいと言われやしないだろうかというのは、少々不安にはなった。
 思わず想像する。雪交じりの寒風が吹きつける中、並み居る漁師船を威圧する純金製とも見まがうばかりのクルーザー。しかも何故か反重力的? 不思議テクノロジーで空まで飛ぶ。そんな船の舳先で高笑いする我らがAUO。
 そんなに想像力が豊かな方だとは自分で思ったことはないが、何故かそんな冬の海の光景がくっきりはっきりリアルに脳裏に浮かんできて、現在の冬木の空と海の青さが何だか目に染みそうなアーチャーだった。出来ることなら、そのAUOの隣にはいたくない。
 束の間、ぼうっとしていたらしい。
「……アーチャー」
「うわっ!?」
 気付いたら、ギルガメッシュの顔が目の前にあった。改めて間近で見ると、ギルガメッシュはあまりにも整いすぎた顔立ちをしていて、ふと人が目にしてはいけない天上の美を盗み見ているのではないか、という気にすらさせられる。言動がその辺を台無しにしている感はあるが。
「何をぼんやりしている。昼にするぞ」
「……了解した」
 何だかんだと甲斐甲斐しく働き者のメイドは、頭を振って想像を脳裏から追い出すとすぐさまに昼食の準備にとりかかる。いつものように、何でも取り出せるがあくまでも四次元ポケットではない宝物庫から、簡易テーブルセット一式が出てきた。これも逸品もの(一品物?)なのだろうか。
 豪邸から持参してきた弁当を広げる。弁当とはいうが、単純に食費だけで言えば福沢諭吉様が何枚も軽く飛んで行く。嗚呼、こんな生活を続けていたら金銭感覚が麻痺しそうだ。げに恐ろしきは英雄王のスキル「黄金律」。アーチャーが凛に売られた原因の一つとも言えなくもない。
 ともあれ、ピクニックというには豪華すぎる野外の昼食テーブルが完成。取り皿にまずは軽い物から載せて、ギルガメッシュの前に置く。
 と。
「おい、アーチャー。さっきから気になってたんだけどよ」
 無視を決め込んでいたアーチャーだったが、次のランサーの発言はそれが出来難かった。
「そのスカート、随分短いのに中身が見えないけどアレか、中に穿いてるのはやっぱり女物か? しかしお前、筋肉が全部胸にいったんか乳でけーな」
「……」
 自分のこめかみ辺りで、ぴきっという音がするのをアーチャーは聞いた。さっきから時々こちらを見ていたのは、そんな理由か。
「少し失礼する、英雄王」
「む?」
 ギルガメッシュに一言断ってからつかつかつかと、大股にアーチャーはランサーに歩み寄った。全く目が笑っていない笑顔で呼ぶ。
「ランサー」
「んあ?」
「男の下着なぞ、気にするなこのたわけがーッ!!」
「その見た目で男主張は無理があるだろおおおおおおおおっ!?」
 フルスイング。
 アーチャーが独楽の回転よろしく思い切り振り抜いた右脚(注:ミニ丈ワンピース着用)は見事にヒットし、その勢いで蒼い髪の槍兵は悲鳴の残響をドップラー効果で残しつつ、美しい放物線を描いて海に飛んでいった。中が見えたかどうかはウミネコのみぞ知る。
 ぼちゃーん。
 遠くで水音と水柱。
 しっかりそれを見届けていたギルガメッシュは、実に愉快だ、という風に言った。
「これだから雑種は分かっておらんな。見えそうで見えないのがいいというのに!」
 胸を張って言うことなのかそれは王よ。その日本的チラリズムの精神も、十年間の生活の中で覚えたのですか。
「……随分と俗っぽい発言だな」
「当然よ、王とは俗の上に君臨するものなのだからな」
 更に威張られた。
「ほれ、狗が片付いたのなら、給仕をせぬか」
「今行く……」
 まさか「あーん」しろなどと言わないだろうな、などと思いながらアーチャーはギルガメッシュの座るテーブルまで戻っていく。
 アーチャーも一枚どころではなくしっかり噛んでいる、冬木港の異次元状態は今日一日解除されそうにない。

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