王様とメイドさん

02 魔境、その名はマウント深山商店街


 奇天烈な秘薬のせいで女にされたアーチャーが、ギルガメッシュ邸にてメイドさんとして働くことになり、一夜が明けた。
 朝。馬鹿みたいに広い家の中を、アーチャーは掃除機をかけていた。
 昨日は本当に大変だった。とりあえずは最初に言われたとおりに家の片付けにとりかかってみれば、腹が減ったので食事を作れだの、風呂で背中を流せだの、案の定と言うか、金ピカの王様は勝手気儘のやりたい放題にアーチャーをぶん回してくれた。段取りとか、手順とか、全くもってあったものではない。
 こんなのが毎日続くのか、と思うと、磨耗が凄まじい速度で進みそうだった。というか、この契約期間は何時までなのだろう……。そもそも、期間限定なのだろうか。え、期間がもし決まってなかったら、まさかずっとこのまま?
 ――考えたくない。
 とりあえずは、家事に没頭することが一番の……まあ、現実逃避だ。少なくとも、余計なことは考えなくても済む。
(それにしても、確かに宣伝どおりだな、この掃除機は。高価なだけはある)
 彼――もとい、彼女が手にしている掃除機は、アレである。吸引力の変わらない、唯一つの掃除機、とか宣伝しているやつの、最新型だ。この家の主人は、貴重な財物だけでなく、新しいものも好きなのだ。
(ただ、一般家庭で使うには、少々音が大きすぎるか……)
 何だかんだ言って、身に染みた主夫――この場合は主婦か、ともかくその身に染みまくった性質はそう簡単には消せない。絨毯の毛並みを乱さないように丁寧に掃除機をかけながら、そんな分析をするアーチャーだった。
「アーチャー」
 掃除機の爆音のせいにして、アーチャーはその声を聞こえないふりをした。背後に気配だって感じるが、無視である。掃除が忙しい。忙しいったら忙しいのだ。
「聞こえぬふりをするか。全く、つくづく良い度胸だ」
 だが、そんな無礼を許す王様ではない。
「ひゃっ!?」
 変な声が出た。
 背後から、腰を掴まれたせいだ。きゅっとくびれた腰は、さぞ掴みやすかっただろう。そうじゃなくて。
「な、ん……ちょ、ちょっとやめ……」
 そのまま、掴まれた腰を絶妙に揉まれて、アーチャーは何とか逃れようとするが、それを容易に許すギルガメッシュではなった。
「なかなか悦い声を出すではないか」
「こ、……このっ……!」
 実に楽しそうにセクハラを続ける英雄王に、基本的には辛抱強い、流石のアーチャーの忍耐力もぶち切れ寸前になる。重い掃除機を思い切り向こう脛にぶつけてやろうかと、スイングの要領で腕を振り上げかけた。
 すると、そんなアーチャーの行動を見越していた、と言わんばかりにひょいとばかりに抱き込まれる。がっちりと。
 本来の姿であれば、ギルガメッシュより背が高いアーチャーだったが、女となった身では、上から見下ろされることになり、何だか非常に不本意であった。ただでさえ、いつもの自分とのリーチの違いに戸惑っているというのに。後、胸を下から押し上げてくるのは止めろ。何か、揉まれるより嫌だ。
 と、不平不満はいくらでも出てくるが、アーチャーは、現時点では音ばっかりで役目を果たせない掃除機のスイッチをとりあえずは切った。どうせ、電気代など気にしたところで、自分が払うわけではないのだからいいといえばいいのだが、習性である。何といっても、会話の邪魔になるくらい音がでかすぎる。
「……そんなことより、何か用があったのではないか、英雄王」
 深呼吸して、アーチャーは何とか平静な声を出す。平常心、平常心。
「無論、用があるから呼んだのだ」
 わざと、そんなアーチャーをからかうように、耳元で囁かれる魅惑のヴォイス。アーチャーは露骨に眉を顰めるが、そんなのギルガメッシュの知ったこっちゃない。
「ジャ○プを買って来い」
「……何?」
 ワンスモアプリーズ。
「……ジャ○プ?」
 確かに、港で釣り対決をかました時に、英雄王がその週刊少年漫画誌をご愛読なさっていたのは知っている。そうか今日は月曜日か、王様は土曜の早売りがどうのと、細かいことはキニシナイのだなとか――違うだろう!
「何だ、ジャ○プを知らんのか?」
「たわけが、知っとるわそれくらい! 私は元々、この時代の出身だ!」
 問題は、だ。
 深山町のこの辺りは高級住宅街である。であるからして、お手軽に雑誌が買えるコンビニなどは近所に存在しない。となると、商店街まで行かなければいけないのだが……。
 現在のアーチャーにとって、マウント深山商店街は、魔境も同然である。学生連中は今は学校に行っているからいいとしても、おやつを買い食いしに来る騎士王やら、花屋や魚屋などのバイトを転々とする蒼い髪の槍兵やら、古道具屋でバイトしている長髪眼鏡美女の騎兵やら、食材を買いに来る柳洞寺の若奥様は魔女やら、森の孤城から俗世間を視察に来る銀髪少女とそのおつきのメイドやら、こんな姿見られたくない相手が多すぎて、危険な遭遇率が高すぎる。
 褐色肌に白い髪、鋼色の瞳、という、あまりにも特徴的な己のカラーリングが哀しくなるアーチャーだった。何せ、普段の彼を知っている者が見れば、一発でこのメイド姿の彼女が実はアーチャーだとばれること確実だ。
「ならば、何も問題は無かろう」
「問題だらけだ! 大体、外にこの格好で行けと言うのか!」
 事も無げなギルガメッシュに、アーチャーは怒鳴りつけた。
 今朝、アーチャーは眩暈で倒れるかと思ったのだ。自室として宛がわれた部屋、用意されていたクローゼットを開けてみたら、デザインは様々なれど、本当にメイド服しか入っていなかった(しかもミニ丈限定)という事実に。ちなみに、今日のアーチャーの服装はというと、チューブトップのシャーリングブラウスにパフスリーブの付け袖、付け襟風チョーカーとカマーベルト、サイドのリボンでたくし上げられたスカート、フリルたっぷりのエプロンである。ガーターは言わずもがな。ミニスカートにガーターベルトは、英雄王的に絶対譲れないらしい。そんな拘り捨ててしまえ、とアーチャーは声を大にして主張したい。
 着るものがメイド服しかないから仕方なく着ているだけで、今だって物凄い抵抗感があるのに、見る者がギルガメッシュしかいないということで何とか我慢しているのだ。大体、アーチャーだと知れない人間が見たところで、誰が見ても恥ずかしいコスプレ姿も同然の服装で外を歩けるほど、彼――ええい紛らわしい訂正しよう、彼女は厚顔無恥ではないのだ。昔のアイドルのステージ衣装か、というようなへそ出しの格好で平気で歩き回れる、何処ぞの黄金の王様と違って。
「おかしなヤツだ。恥ずかしいと思うから恥ずかしいのだろうが」
「……ぐっ……もっともらしいことを言いおって」
 現代の常識と真逆の位置に存在する、このギルガメッシュに妙な正論めいたことを言われると、何だか腹立たしいというか、ムカつく。大体、そもそも貴様に羞恥心など存在せんだろうが、ということだ。
「アーチャー、忘れるなよ。今のお前は、オレのメイド、なのだぞ」
「嫌な現状を改めて認識させるな!」
「認識しているのならば、オレの命に従うのだな」
「……」
 偉そうに言っているが、その命とやらがジャ○プを買って来い、というのはどうなんだ。
 が、今日もまた、アーチャーは結局べっきべきに折れてしまうのだった。これがアレか、英雄王の呪いレベルのカリスマA+のスキルの威力か。ちなみに、自分がド級のお人好しだという観念は、アーチャーには無かった。
「――分かった。分かったから、離せ。これでは、行くにも行けん」
 相変わらず背中から抱き寄せられた姿勢のままで、アーチャーはギルガメッシュを振り返った。
「最初から、そう素直に従えば良いものを――まあ、素直でない者を力ずくでも素直にさせるというのも、なかなか乙なものよな」
 何か今、凄ーく聞き捨てならないことを言われた気がする。
 いや、この際は気にしないことにしよう。王様が力ずくとやらでセクハラを再開したりする前に! 可及的速やかに、さっさと素直に出かけてしまおう!
「英雄王、行って来ると言っているのだから、手を離せ」
「ふむ、その言葉遣いはまだ、矯正の余地があるな」
「――行って参ります、ご主人様マスター! これでいいか!!」
 激しくやけくそだ。
「まあ良かろう。行って来い」
 思ったよりもあっさりと、ギルガメッシュはアーチャーの身体を抱きこんでいた手を解いた。
 やっとこさ解放されたアーチャーは、律儀に掃除機を部屋の隅に寄せてから、じろりと一度だけ英雄王を睨みつけた。そんなものが、かの面の皮が極厚の人類最初の英雄に対して、何らかの効果を及ぼすことなど無いのは承知の上だが、気分の問題だ。
 げにすまじきは宮仕え、とは昔の人はよく言ったものだ、などと思いながら、アーチャーは財布入りの買い物袋を手にして英雄王の邸宅を出た。どうでも良くないが、エルメスのトロカを買い物袋にお気軽に利用するのはどうなのだろうか……。



 かつては馴染み深かったものの、今では魔境としか言いようの無いマウント深山商店街に、恐る恐るアーチャーは足を踏み入れた。住宅街はほとんど人通りが無いので、この姿を見咎められることも無かったが、流石に商店街は人目がある。奇異なものを見る目が自分に集中するのを痛いほど感じながら、アーチャーは早足で――歩けなかった。
 世の女性達は、よくもこんな細い靴で颯爽と歩けるものだな!? と、ヒールこそさほど高くないものの、小作りな女物の靴に奮戦するのに、アーチャーはかなりいっぱいいっぱいだ。
 だから、気付くのが遅れた。とことこ、と軽い足音が近づいてくるのに。
「……アーチャー?」
 ぎくり。
 アーチャーは、聞き覚えのありまくる可愛らしい声に身を強張らせた。
 案の定の大当たりだ。流石はアーチャーの幸運Eは伊達ではない。こんな時に限って、下界に降りてきていらっしゃるドイツ出身のご令嬢に、早速捕縛されてしまった。
「アーチャー! 何、どうしたのその格好!!」
「……イリヤスフィール……」
 いつもならば、遥かに見下ろすような位置にあるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの顔が、15センチくらいは縮んだ今のアーチャーには少し近い。
 そのイリヤスフィールの顔が、異様にきらきらしているのだって、より近くで見て取れる。
 冷や汗が流れた。このイリヤスフィールの表情は、アーチャーにとっては鬼門だ。とんでもないことを言い出す前兆だ。
 果たして。
「可愛い! 可愛いわアーチャー! 素敵!! わたし、お姉ちゃんも欲しいなって思ってたの!!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちたまえ! 君は、この状況に何も疑問を持たんのかね!?」
 随分と細く、たおやかになってしまった手をぎゅーっと握られて、アーチャーは慌てふためいた。
「何で?」
 大変愛らしく、小首を傾げて赤い目を瞬かせるイリヤスフィール。
「いやその、おかしいだろう。この姿だって、この服装だって……」
「自分で言っててちょっと空しくなってるでしょ、アーチャー」
「……」
 自覚はしているので、駄目押しはしないで欲しい。
「いいじゃない。シロウがお兄ちゃんで、貴方はお姉ちゃん。完璧だわ!」
「なんでさ!?」
 褐色の手の甲を柔らかな白い頬に押し当てられながらそんなことを言われて、アーチャーの口から衛宮士郎時代の口癖が思わず出た。本当に何でだ。後、衛宮士郎と同列扱いなのも納得できかねる。
「さ、じゃあ帰りましょう。うふふ、楽しくなりそう!」
 しかし、お金持ちという人種は基本的に人の話を聞かないものなのか。イリヤスフィールは完全に、アーチャーをテイクアウトする勢いだった。無論、アーチャーがイリヤスフィールを振りほどくことなど出来ないことは、充分以上に承知している上での行動だ。何という小悪魔娘!
「じゃあ、ではなくて! イリヤスフィール、私は一応、その――この服の通りの、仕事中なのだよ」
「あら、コスプレじゃないの、それ?」
「違います!」
 趣味でなんか、こんな格好しない。ついでに、外を歩いたりもしない。いや、それより深窓のお嬢様がコスプレなんて単語を口にするのはどうなんだ。
「へえ、リンも随分と趣味が変わったものね」
「これが凛の趣味に見えるかね?」
「見えないわ」
 むしろ、男の夢と野望と希望がいっぱいに詰まったみたいな、ギルガメッシュの趣味嗜好によるアーチャーのメイド服姿を、イリヤスフィールは改めて眺めやった。
「まあ、いいじゃない。とっても似合ってるわ、アーチャー、その服。ああでも、もっと似合う服があるわね、きっと色々と! 楽しみ!」
 アーチャー=イリヤの姉、が、決定事項になってる!?
「い、いや、そのだな、イリヤスフィール。今の私には、凛ではない雇い主が居て、その――色々あって、義理を欠くわけにはいかんのだ」
 そのままイリヤスフィールにぐいぐいと引っ張っていかれそうになり、アーチャーは急いで弁明する。
 色々、とは主に金銭とか金銭とか金銭とかの話なのだが。世知辛い。
「何、まさかとは思うけど、リンにお金で売られたの、アーチャー?」
「――!!」
 直球がぐっさりと突き刺さる。しかも、本当のことだからダメージは莫大だ。
 返答に詰まるアーチャーに、イリヤスフィールはふうと溜息をついてみせた。
「リンにも困ったものね。貴方がわたしのサーヴァントだったら、そんな苦労させやしなかったのに」
「まあ、彼女は魔術の特性が特性だからな……」
「……アーチャーってば、本当に女だったら、絶対に駄目な男に引っかかるタイプね。この人には自分がついてなきゃ駄目だって思っちゃうんだわ」
 衛宮士郎エミヤシロウの妹であり姉である少女は、しみじみと的確に呟いたのだった。
 そして、一転。
「だから、わたしが守ってあげる! わたしのお城に来るのよ、アーチャー!」
「そこに戻るのか!! いや、命令形!?」
 思わず後ずさりたいアーチャーだったが、慣れない靴では身動きも不自由だった。
 いや、イリヤスフィールのことは嫌いではないけれど。好きか嫌いかで分類すれば、多分、彼女はむしろ好きな部類に入る。だからといって、義理堅すぎるアーチャーには、ギルガメッシュ邸での諸々を放っていけない。スタートが不本意でも、手をつけてしまえば途中で投げ出せない、厄介な性分のせいだった。
 にっちもさっちもいかない。
 すると。
「人形風情が。オレの所有物に、勝手に手を出そうと言うのか」
「ギ、ギルガメッシュ!」
 いきなり、アーチャーはぐいと金髪の英雄王の腕に――抱き上げられた。俗に言う、お姫様抱っこという形である。さすがは王様、ナチュラルにやってくれる、公衆の面前で。商店街の皆様だけでなく、イリヤスフィールもドン引きだ。
「何故、ここにいる!?」
「お前が、あまりにも危なっかしい歩き方をしていたのでな。わざわざ、このオレが迎えに来てやったのだ。存分に感謝するが良い」
「やめろ、下ろせ、恥ずかしい! 自分で歩ける!! ジャ○プはまだ買ってないぞ!!」
 アーチャーはじたばたするが、所詮は筋力D。いや、女性化したことで、Eにまでなってるかもしれない。後、いくらレース満載のペチコートをはいているからといって、ミニスカートで暴れるのはやはり大変危険なので、止めたほうが良い。そんでもって、胸が相当の勢いでゆさゆさ揺れているのも要注意だ。
「構わん、気が変わった。帰るぞ、先に昼食にしろ」
「だから下ろせと言っている!!」
「ちょっと! アーチャーは嫌がってるじゃないの! 離しなさいよ!」
 ギルガメッシュが、両腕にアーチャーを抱き上げたままで悠然と歩き出したところ、ようやくイリヤスフィールが呆然状態を脱して、声を上げる。対して、英雄王は倣岸な笑みを浮かべた。
「人形、何を聞いていた。こいつはオレの所有物、オレのメイドだ。オレ以外の誰をも、こいつを好きには出来ん。アーチャー自身にさえもな」
「何だと!?」
 めちゃくちゃ傍若無人な宣言をされてアーチャーは気色ばんだが、罵る声はあっさりとイリヤスフィールから遠ざかって行った。
「……本当に、駄目な男に引っかかってるのね」
 同情じみたイリヤスフィールの感慨は、無論、アーチャーには届かない。
 アーチャーの受難の日々は、まだ続く。

誤字脱字の報告、ご感想などありましたらご利用ください。お返事はmemoにて。

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