王様とメイドさん

01 王様はサーヴァント、メイドさんもサーヴァント


 それは、ある日のことだった。
「アーチャー、ちょっとここへ行って来て」
 そう言いながら、凛はメモをアーチャーに渡した。深山町の住所が書かれたその場所は、ここ遠坂邸からさほど遠くない。
「……ただ行って来るだけでいいのかね?」
 何か(ことづけ)とか渡すものとか、そういうのは無いのか。そもそも、これは誰の家なのだ。
 不審そうに首を傾けるアーチャーに対して、凛は、
「いいから! 行けば分かるから!」
 と、いかにも挙動不審全開な態度で答えた。怪しんでください、と言わんばかりだ。当然、アーチャーは鋼色の眼を細めて、胡散臭そうにマスターの少女を見やる。
 だが、相手はあかいあくまこと、遠坂凛である。常人ならば、それこそ千の数を超える剣を投げつけられたのごとくにざくざくと突き刺さってきて居たたまれなくなるようなアーチャーの視線にも、彼女は動じずに、それどころか怒鳴りつけてきた。平たく言えば、逆ギレである。
「行って来いって言ってるでしょーが!! 余計な詮索してないで、さっさと行きなさい!!」
「……分かった。全く、君は相変わらず横暴だな」
 がーっといわんばかりの凛の勢いに呑まれたというわけでもないが、特に断る理由も思い当たらなかったアーチャーは頷いた。
 後悔先に立たず、後悔とは後で悔やむので後悔と言う。だが、残念なことに、いくら英霊だって未来視の能力を持っていなければ、先のことなど分からない。
 そういうわけで、アーチャーは、この時、凛に向かって頷いたことを猛烈に後悔する羽目になるのだが、それはもう少しだけ後の話。遠坂邸を出たアーチャーは、とにかくは、メモに記された住所に向かった。


 そして目的地に辿り着いたアーチャーは、やたらと馬鹿でかいサイズの門扉を見上げて、白い眉を思い切り顰める。
 門からして、豪奢そのもののしつらえだ。その向こうに見えるのは、お屋敷というよりお城と言いたくなる規模の、華美で立派すぎる建物。遠坂邸や間桐邸のような、由緒ある瀟洒な洋館が多い地区ではあるが、これはその中でも群を抜きすぎて豪壮だ。
 物凄く嫌な予感がする。
 それはもう、巨大で莫大で、この先は伏魔殿に違いないという、確信に近い予感だった。すぐさまこの場で回れ右をして、何処かへと逐電してしまいたい気分になったが、律儀な弓兵は、それはきっと遠坂凛をとても困らせる行為ではないだろうかと思い直して、通用門の脇にある呼び鈴を鳴らした。
 そして、スピーカーの向こうから応じてきた声に、アーチャーは地獄の釜の蓋が開いたことを知った。
「ほう、ようやっと来たか、贋作者フェイカー。まあ、入るがいい」
 限りなく尊大で傲慢でありながら、それを当然のこととして聞く者に受け入れさせ、奇妙に不快感を与えない、その声。
 紛れもない。人類最古の英雄として名高き、英雄王ことギルガメッシュだ。
(……やっぱり……!)
 前言撤回。全速力で、アーチャーは逃げ出した。
 確かに、無数の武器を繰り出す宝具“王の財宝ゲート・オブ・バビロン”を使う英霊ギルガメッシュに対し、タイムラグ無しに武器を用意できる宝具“無限の剣製アンリミテッドブレイドワークス”を展開する英霊エミヤはアドバンテージを持ってはいる。しかしそれは、単に戦闘行為においてのだけのこと。天然危険物としか言いようのないあの厄介な性格と、日常生活において相対するのは、出来る限りごめんこうむりたい。アーチャーならずとも、それはきっと、全人類の共通認識に違いない。
 が。
 無情にも、アーチャーの逃走は阻まれた。
 じゃらじゃら、という音と共に頭上から鎖の束が降ってきたせいだ。のみならず、それは明確な意図を持って、アーチャーの四肢をがっちりと絡め取る。
 これはギルガメッシュが蔵に収める数多くの宝具中でも最も信頼し、天の牡牛すらも捕縛し得る、彼の唯一無二の親友の名を冠した天の鎖エルキドゥだとアーチャーが理解した瞬間。
「な……!?」
 彼の長身は、何かフィッシュされた。物理法則? 何それ美味しいの? のレベルで。


オレの前から逃走しようなどとは、良い度胸ではないか」
 アーチャーの眼前で、ソファに身を沈めてそっくり返っている、凛曰く金ピカの男ギルガメッシュが、咎める言葉とは裏腹に楽しそうな笑いを浮かべている。
 あれだ。捕らえた獲物をどうやって愉しく料理してやろうかとほくそえむ、そんな嗜虐の笑顔というヤツだ。
 神性の無いアーチャーにとっては、本来この天の鎖は少々頑丈な鎖でしかない。腕を動かすことが出来れば、干将莫耶を取り出してぶった斬ってやるのだが、それを見越してか、ご丁寧に英雄王は鎖でもってアーチャーの全身を蓑虫よろしくぐるぐる巻きにしていた。これでは流石に、脱出不可能である。何せ、アーチャーの筋力は悲しいかなDしかないので、力ずくで鎖を引きちぎるなんて力技は到底無理だ。
「……一体全体、これはどういうことなのだ。何故、凛はお前の家の住所を知っていて、私にお前の所に行けなどと言った?」
 とりあえずは抵抗を諦めたアーチャーだが、毛足の長すぎる絨毯の上に転がされたままというのはいくら何でも屈辱的なので、何とかして体を起こした。中途半端な体育座りみたいな姿勢になる。鎖でそりゃもうぎっちぎちに縛られているから、それが精一杯なのだ。
 そんなアーチャーを見やり、ギルガメッシュは笑みを深くして彼の疑問に答えた。
「簡単に言うとな。お前は、マスターによって、このオレに売られたのだ」
 返答に絶句するアーチャー。何故か、物悲しすぎるドナドナのメロディが勝手に脳裏で再生された。
「な、ん……」
「あの魔術師の女に施しの手を差し伸べてやったのは、もう1人のオレではあるが、どちらも同じオレであることに違いは無い。あまりに、物欲しそうに店先で宝石を眺めておったので、少々融通してやったのだ」
 もう1人のオレ、というのは言うまでも無く若返りの秘薬によって、この唯我独尊で傍若無人な英雄王とは似ても似つかぬ、至極まっとうに常識的な言動を有する愛くるしい少年と化した状態のことだ。あの天真爛漫な天使めいたギルガメッシュ少年を相手にしては、ギルガメッシュ(大)と同一人物だと理解はしていても、警戒心など陽に当てた雪よりも容易く溶けてしまおうというもの。
 しかし、どれだけ違うように見えても、根っこは同じなのだ。何せ、記憶を共有しているのだから。
「凛――!!」
 思わず、アーチャーは唸った。
 済んでしまったことに文句を言っても詮無いのだが、どうせ借りを作るならもう少し相手を選んでくれ!
 いや、金銭的なことにかけては、この黄金律スキルAを有する王様にかなう存在などいないのだが。いないのだが、それにしても。
 基本的にはアーチャーには関係ない話のはずだが、何でこんなことになっている?
 そんなアーチャーの愕然とした様子が、心底面白かったのだろう。ギルガメッシュは、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「すると、殊勝なことにせめて何か礼を、と言う。そこでだ。お前は、家事全般が万能だと聞いた。それで、この建てたばかりの家を片付けたり、オレの世話をさせたりするために、お前を、代金代わりに貰い受けたというわけだ。納得したか、アーチャー?」
 早い話が、アーチャーは質草にされたようなものだが、そんな現実認めたくない。
「納得出来るか! というか、したくないわ!」
「だが。問題がある」
 アーチャーの抗議を、華麗にスルーする英雄王。言いながら、高そうなクリスタルガラスのテーブルの上に置かれた瓶に手を伸ばす。これまた、バカラかラリックか? というような、凝った意匠のガラス瓶である。この家の中では、高価そうでないもの、を探すほうが難しいだろう、きっと、多分、絶対。
「……人の返事を聞く気が無いなら訊くな」
 バビロニアに君臨したかつての英雄王の、空気一切読む気が無いマイペースぶりは知ってますけどね。この男、本当に自分が言いたいことだけ言って、自分が聞きたいことしか聞く気がありません。何様かっていうと、まあ、王様なわけですが。
 自分の幸運Eというステータスを、心底呪いたくなるアーチャーだった。何処の世界に、金に困ったマスターに売り飛ばされるサーヴァントがいるというのか。世知辛いにも程がある。もうおうちに帰りたいと思っても、その家はアーチャーを売った悪魔の住処である。
「だからこれを飲め」
 世の無常を改めて儚みたくなったアーチャーの眼前に、ずいとばかりに瓶が突きつけられた。何か無色透明の液体が、ちゃぷんとガラスの中で揺れる。
「一応訊くが、それは中身は何だ?」
「我が財の一つ、飲んだ者の性別を変える薬だ。オレは、むくつけき筋肉男に世話を焼いてもらう趣味は無いのでな。これを飲んで、女になるが良い」
 しれっとギルガメッシュは言う。とてもじゃないが、聞き捨てならない内容を。
 どうでも良くないが、王の宝物庫って、至高の財物だけを納めておくものとか本人が言っていなかったか。これでは、ドラ○もんの四次元ポケットとどう違うという。
「たわけ! そんなもの飲めといわれて素直に飲むヤツがいるかぁぁぁぁッ!!」
 卓袱台がそこにあれば、ひっくり返す勢いでアーチャーは怒鳴った。が、やっぱり王様聞いてない。
「確かに、傍に置いて鑑賞するならば、セイバーなど実に相応しい。だが、あれは愛でる対象の女であって、家事にいそしむという女ではないからな」
 そりゃ向こうセイバーも王様だし。
「だが、その点、お前は違うのだろう?」
 がつ、と身動きのろくに取れないアーチャーの褐色の喉を掴む、ギルガメッシュの白い手。鋼色の瞳を、血色の瞳が覗き込む。
「王が手ずから、飲ませてやるというのだ。これ以上の栄誉があるか、贋作よ?」
 ギルガメッシュに喉を圧迫され、アーチャーの唇が無理矢理に開かれる。片手で器用に瓶の蓋を開けたギルガメッシュは、アーチャーの口にその中身を流し込む。
「……っ……ん、ぐッ……!?」
 そのまま、ごくりと否応無しにアーチャーは流れ落ちてきた液体を嚥下し――。
 ブラックアウト。



 次にアーチャーが気付いた時は、鎖による圧迫感はなくなっていた。いや、それどころか、薄絹一枚の重量くらいしか体の上には感じられない。
 柔らかい感触が、全身を受け止めている。これは……ベッドの上?
「!!」
 がばりと身を起こすと、はらりとシーツが零れ落ちた。ついでに、胸の上でやたら弾むものがある。ゆさゆさ、ばいんばいん、擬音で表現するならそんな感じで。
(な、な、な……!?)
 見たくない。知りたくない。そうは思うが、そうすればこの現実は変化するかと言われると、答えは否。アーチャーは、恐る恐る、自分の体を見下ろした。
 一糸纏わぬ、褐色の肢体。
 いわゆる全裸という状態である。誰が脱がせたかとか、怖いので考えたくないが、それ故に、はっきりとアーチャーは認識をせざるを得なかった。
 男として生まれ、男として生きたアーチャーの体は、完璧に誰が見ても女性の体になっていた。しかもこう、見事なまでに、ボン、キュッ、ボンだった。そのスタイルの良さときたら、ライダーとも立派に張り合える。しかも、胸だけでいえば、筋肉が全部乳になったのかといいたくなるでかさだった。ひょっとしたら、それこそライダーより大きいかもしれない。しかし、そんなことは、本来男性であるアーチャーには嬉しくも何ともなく、むしろ悲しみに満ち満ちてしまいたい。
「眼が覚めたか」
 意識が覚醒したとき、この手の台詞をかけられるのはお約束の類なのだろうか。
「ギルガメッシュ……。…………!?」
 声を発したアーチャーは、自分で自分の声にぎょっとして、思わず手で口を塞いだ。声まで聞きなれた今までの低い声とは違う、女の声になっている。体が女になったのだから、当然といえば当然なのだが。
「何を今更うろたえている」
 これまた豪奢な椅子に腰掛けて、悠然とワイングラスなど傾けていたギルガメッシュは、立ち上がるとアーチャーが座り込むというかへたり込むベッドの脇まで歩み寄ってきた。
「お前の体を、女のものにすると言ったではないか」
 いっそ無邪気に笑って、ついとアーチャーの顔を上向かせ、自分へと向かせる。鋼色の双眸が、いささか曇っていることなんて、王様は勿論そんな細かいこと気にしない。
「というわけで、これを着ろ!」
 ばーん、とか、ちゃらーん、とか効果音をつけたくなる仕草で、それも宝物庫から取り出したとでもいうのか、ギルガメッシュはアーチャーの目の前で服を広げた。
 それは。その服は。
 確かに、仕立ては良さそうだし、生地だって見るからに高級そうな光沢を放っている。だが、問題はそこではない。いやにブラウスの胸元が開いているのも、スカートの丈が凛の私服並に短いのも、不問にしよう、この際。
 最大の問題は、服のデザインが、一般にメイド服と言われるものであるということだった。しかも、アインツベルンの侍女達が着ているような、奥ゆかしく慎ましい正統派メイド服ではなく、メイド喫茶なんかで着用される、コスプレ的メイド服だ。更に正確な表現を期すなら、メイド風服、である。むしろ、何と言うか――イメクラっぽい。
 何処でそんな余計な知識を得るものやら、ろくでもないことから覚えるというのは、人間も英雄もそう変わらないということだろうか。ギルガメッシュは受肉して10年も現界していたのだから、尚更だ。
 思わず、力を失っていたアーチャーの肩が跳ね上がる。
「だっ……誰が着るか! それより、今すぐ私の体を元に戻せ!!」
「物分りの悪い奴よ。いい加減に自分の立場を理解せよ、アーチャー。お前の今の主人は、オレだ。そして、これしかお前が着る服は無いぞ? ずっとそのように裸のままでいたいのか。酔狂よな」
「――ッ!!」
 わざとらしく舐めるような視線を向けられて、アーチャーは自分の現在の状態を思い起こして顔を真っ赤に染めるや、膝の上にわだかまっていたシーツを拾い上げ、慌てて体を覆い隠した。まあ、既にばっちり見られているので、もう遅いんだが。
「安心しろ、ちゃんとお前のサイズに合わせてある。ほれ、早く着て見せよ。それとも――」
 あくまでも優美に、ギルガメッシュは、アーチャーに向けて指を伸ばした。そして、にやりと笑う。
オレが着せてやろうか?」
 これはただの揶揄なんかでは断じてない。この男、やると言ったからにはやる。やりかねない、ではなくて、本当にやる。
 慄然とし、半ばやけくそで、身の危険を感じたアーチャーはギルガメッシュの手から、服をひったくった。
「い……いらんいらんいらんッ!! 分かった、着ればいいのだろう、着れば!!」
「ガーターベルトは先に身に着けるのだぞ。下着はその後だ」
 セクハラだ。というか、何でそんなこと知ってる英雄王。
 服を着る間もじっくり見られた。重ね重ねも、セクハラだ。
 さて。
「ふむ。――まあ、悪くはない」
 すっかりと服装を整えたアーチャーを見た、我らが王様のご感想はそれだった。基本的に、他者を有象無象の雑種扱いする彼にしてみれば、最大級の賛辞に等しいといえよう。
 胸の谷間を主張させるようなブラウスに、アーチャーの概念武装の外套の色を意識したのか、ルビーがあしらわれた点け襟。前編み上げのベストが、豊かな胸を更に強調している。フリルとはしごレースで飾られたエプロンは、エプロンというか装飾品の類に見える。ぶわぶわにパニエで膨らませられたスカートの丈は、言うまでもなく絶対領域。髪の短いアーチャーだが、カチューシャ型のホワイトブリムを着けさせられたのは、やはり様式美というヤツか。いつもは上げられている前髪が下ろされていて、童顔というかもはやロリ顔である。
 ロリ顔にダイナマイトバディ、プラスメイド服。何というか、紛う事なき、それなんてエロゲ? な登場人物そのものだ。
「それでは、今日からよく働いてもらうとするぞ――アーチャー」
 そんな宣告を受けてしまったアーチャーは、掌に爪が食い込むほどにぎりぎりと拳を握り締めた。可憐なメイド服姿で。
「返事をせぬか、メイド」
「メイド言うな!」
「メイドをメイドと言って何が悪い、メイド」
「連呼するな!!」
「返事をしろと言っている」
 王様はとことん王様だ。折れるなんてことは知らない。とすれば、結局は一方的に折れるのはアーチャーでしかない。
「……了解した。地獄へ落ちろ、ご主人様マスター
 召喚されてすぐに、凛に居間の掃除を言いつけられて同じ文言を口にしたアーチャーだが、心境は比べ物にならない。それはもう、血の涙が流れてもおかしくない心情だった。
 かくして、傍目で見てる分には非常に愉快な、ギルガメッシュ邸におけるメイドさんとして、アーチャーの受難の日々が始まったのである。

誤字脱字の報告、ご感想などありましたらご利用ください。お返事はmemoにて。

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