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Past 1 旅立ち前夜 後編


 指が引き抜かれる。身体を折り曲げられ脚を広げられて、熱い塊をあてがわれる。士郎を受け入れるために、アーチャーは一度大きく身震いしてから、体の力を抜いた。腰を掴まれて引き寄せられ、幾度となく身の裡を抉ってきた、指よりも圧倒的な質量に蕾をこじ開けられる。こればかりは、何度抱かれても避け得ない、身を裂かれるほどの衝撃だ。それでも、士郎に抱かれることに慣れた身体は、最初は侵入者に対して拒絶をしても、次第に順応を示していく。
 きつい部分を一息に抜けられて、内部に一気に体重をかけての侵略を受ける。胸郭を波打たせ、アーチャーは背を反らせた。
「ん……は……、ぁっ……」
 ゆっくりと揺らす感じに動かれて、その度に士郎の熱が奥へと進んでいくのが分かった。
 狭い場所を押し開かれる苦痛はすぐに散っていき、むしろ待ち焦がれていたように、アーチャーの内壁は士郎を歓迎して包み、絡みついた。繋がっている箇所から、溶け合っていきそうな甘い愉楽を、互いに感じる。
「アーチャー、お前、いい、最高にいい」
 最奥までアーチャーに肉塊を埋めきった士郎は、熱い息を吐き、白い髪を指先で梳いた。痛みに無意識に涙を滲ませた、無防備な鋼の瞳が見上げてくるのに、思わずどきりと胸が高鳴る。他人の前では決して弱みを見せないアーチャーの泣き顔を、知っているのは士郎だけなのだ。その事実に、独占欲が満たされる。
 どれだけの距離と時間を離れることになったって、お前は俺のものだ。
 士郎、と声にならない声で、アーチャーが呼んだ。それが、忘我の喜悦への合図だった。
「……アーチャー!」
「っぁああ、あ……!」
 止まっていた士郎の体が、動き始める。腰が引かれて、収められていたものが半ばまで抜き出された。名残惜しげに締め付けようとする粘膜へ再び押し込んでは、迎え入れてくれる熱を士郎は心地良く感じる。気持ちいい、気持ちよくて仕方が無い。アーチャーの身体も、潤んだ表情も、艶に満ちた嬌声も。何もかもが、背筋をぞくぞくさせる快感をもたらしてくる。
 繰り返し繰り返し、不規則な律動で士郎はアーチャーの中へ打ち込んでは抉りたてる。その度に、頼りなげな喘ぎがアーチャーの唇から零れ落ちた。
「く、ふ……う……ッ、ぁ、は……」
 身体の中心に杭打たれて、引き抜かれて、貫かれる。灼熱の楔に奥深くを暴き立てられ、アーチャーは腰を持ち上げられるようにして、士郎に引き寄せられる。深く入ったまま揺さぶられて抉り突かれると、応じるようにして蠕動する内襞が、きつく士郎を締め付けた。それが、耐え難く甘い疼きと快楽を与えてくる。アーチャーの理性の砦は、とっくに溶けて崩れ去っていた。ただ、煮え滾った屹立に体内を浸蝕され、激しい熱に犯される感覚に酔いしれる。
 剥き出しの欲望を包み込まれた士郎にしても、それは同様で、いっそ凶暴なくらいの快感に恍惚とする。時折、下腹部の皮膚が触れ合うまでに入り込んだら、二人の腹の間に挟まれた、アーチャーの喜悦に熟れた性器がぬるりと擦られる。汗で肌同士がぴたりと貼りついて、動くと滴の跳ねる音がした。
 熱い息を吐く。堪らない。何時までもこうして繋がっていたい、とすら思う。一方で、絞り込むようにアーチャーに締められる度に、昂ぶりが絶頂へと解放されたがってうねる。動悸はもう既に、胸を突き破りそうに荒々しい。
「っは……熱……」
 士郎は小さく呟く。そして、がくがくと震えるアーチャーが、最も感じると分かっている場所を狙って激しく突き上げた。
「や――」
 神経を直接刺激してくるような、狂おしい悦楽に、アーチャーは啜り泣きに似た声を止められなくなる。
 容赦なく与えられる快感に、身悶えする。どろどろに蕩かされて、体内にある士郎の熱が与えてくる快感以外は、何も感じられない。
 啼く声を高く上げ、アーチャーは無意識に自分からも腰を士郎に擦りつけていく。すると、士郎は溶けきった下肢を存分に掻き混ぜて、唯一人、彼だけが触れることを許された最奥を深く抉った。
「あ、ああ、くっ、う、あああああああ……!!」
 襲い掛かって来る、とてつもない強い悦楽。その渦巻く中に、為す術もなくアーチャーは呑み込まれる。
「好きだ、アーチャー、お前が、お前だけがいい、お前だけが好きだ……、俺のアーチャー――!」
 熱に浮かされる中、真っ直ぐな声が、はっきりとアーチャーの鼓膜に突き刺さった。そして、士郎にこれ以上ないほど深く深く楔を沈められて、強く貫かれた。
「ぁあ……――!」
 弾ける。悦びに。高みへと連れて行かれて、乱れきった身体が堰を切る。吐き出された白濁が、褐色の肌の上を淫靡に彩った。
 達した身体を更に突き上げられ、結合した箇所がきつく収縮した。その強烈な収斂に士郎も解放を迎え、アーチャーは体内に焼けつきそうに熱い飛沫を浴びる。濡らされるというよりも、高熱に炙られたようだった。絶頂には果てが無いのか、断続的に震えながらも、体の奥がひくひくと未練がましく蠢いた。魔力の源である奔流を一滴残らず搾り取ろう、とでもするかのごとく。
 腰から這い上がってくる、痺れるような疼き。目の前が一瞬白くなり、意識が飛ばされかかる。それが戻ってくると同時に、快楽の熱が穏やかに引いていき、呑まれていた他の感覚も甦ってきて、アーチャーはぐったりと力を抜いた。
 身動ぎすら出来なくなるほどに弛緩しきったアーチャーの身体を、士郎が乗り上げてくるようにして抱き締めてきた。肩の辺りに頭を載せられて、少しくすぐったく感じる赤銅色の髪の感触が、何故だかひどく安心感をもたらした。
 体は重くて仕方がなかったが、それでもゆっくりと腕を上げて、アーチャーは士郎の汗に塗れた背中を、そっと撫でてみた。
「アーチャー」
 声と共に、首の付け根に与えられる唇の感触。柔らかく押し当てられ、アーチャーは目を閉じた。
 士郎の首に腕を回し、唇を求める仕草をする。無論、士郎に否やはなく、アーチャーに応じて甘く優しい口づけを交わした。
 少年の柔らかさを残した掌に、頬を撫でられる。情交による激しい悦楽も決して嫌いではないが、事後の、名残を分け合うようにして、穏やかにただ抱き合っているのも悪くなくて、結構心地がいい。小さい笑みを、アーチャーは唇に刷いた。
「……お前、本当に、可愛いよな」
 笑いを滲ませて、士郎が言った。
「あんまりにも可愛いから、さ」
「――っ!」  アーチャーは息を呑んだ。体の中にまだ迎え入れたままの士郎の熱が、再び大きく膨らみ、脈動するのを感じ取ったからだ。
「なぁ、……いいだろ」
 回答を待たずに、身を起こした士郎はアーチャーの左の膝裏を抱え、自分の肩に担ぎ上げた。
「た、たわけ……!!」
 繋がっている部分を曝け出されるという、あられもない姿勢をとらされたアーチャーは、士郎を振りほどこうとしたが、先手を打たれた。
「ぁ、くぅっ……!」
 体液に濡れそぼった急所である陽物を掴まれて、やんわりと握りこまれる。絞るように先に向かって擦られて、直接的な刺激に腰が跳ねた。
「あ、馬鹿、やめ、もう、やめろ、触る、な……!」
「嫌だ、やめない。まだ足りない」
「士郎ッ――!」
 ずり上がり逃げようとする腰を押さえ込まれて、勢い良く突き上げられるから、アーチャーは悲鳴じみた声を上げた。
「ひッ……や、あぁっ……!!」
 開かされた体は、為す術もなく欲望の抽挿を受け入れてしまう。既に中に吐き出された士郎の精が、潤滑に肉棒が入り込むのを手助けして、予想もしないほど奥を一気に抉られるのに、アーチャーは身悶えした。
 内部に強く打ちつけられ、醒めた筈の情欲がまた、ぞろりと頭をもたげてくる。揺さぶられて、アーチャーは無意識にきつく士郎を締め付けた。そのせいで、はっきりと士郎自身の形や質量を感じ取ってしまい、中に深く入り込まれていることを改めて認識させられる。
 抗えなくなる。体の方が、勝手に再びの享楽に溺れようとする。熱い。
 頭の片隅に追いやられつつある理性が、アーチャー自身を嘲笑う。男に、しかも元を糺せば同一の存在である者に、ありえないほど身体を拓かれて、貫かれて濡らされて、それでもまだ飽き足らずに、更なる快を得ようというのかと。
 もうやめろと士郎に言った筈なのに、淫乱にも程がある。
 けれど、どんどん高まる体温が、思考を浸蝕してきて、乱れることに躊躇いはもう感じられなくなってきた。また、欲しくなる。アーチャーは腰をくねらせた。
「……しろ……う」
「アーチャー!」
 何処までも甘美な内襞をとことん貪り尽くそうとでもするように、士郎は熱烈にアーチャーに突き入れては引き、また深く突き上げる。熱っぽい粘膜を手荒く擦りたてて、絡み付かれる愉悦に浸る。
 凄まじい快感。恐ろしいほどの淫楽。士郎しか知り得ない、アーチャーの乱れて啼く痴態。弱いと知っている箇所を重点的に攻め立てると、アーチャーは喉から嬌声を迸らせながら仰け反った。
「は……あ……、ん、あ……」
 引き絞られる内壁の動きに、ぞくぞくする。戦慄にも似た、脊椎を鋭く駆け上がる感覚は、至上の喜悦だ。
 お前は、俺のものだと、強く心に念じて、アーチャーを士郎は穿つ。離れなければならないと分かっているから、だからこそ、愛しいと思いを込めて。欲しい。この男が欲しい。好きで、欲しくて、耐えられない。
 今、腕の中に抱いているのは同性である男で、しかも、未来の自分の可能性だということは、ちゃんと理解している。だが、どんな理屈を並び立ててみたところで、この胸の中にうねる感情の前では、所詮はそれは空疎な言葉遊びに過ぎない。
 これは、衛宮士郎がようやく手に入れた、誰かのためでは無い、唯一無二の、自分のための想いだ。歪んでいようと狂っていようと、それだけは絶対の、かけがえのない真実。
 好きだ。
「し……ろ、う……!」
 そんな士郎の心の声が聞こえたわけではあるまいが、アーチャーが応えるように呼んだ。
 刃と同じ色の、銀灰の双眸は完全に快楽の色に潤みきっていた。
 その眼差しに、欲情が加速させられる。
 揺さぶりながら、叩きつけるように腰を打ち付ける。アーチャーの狭く熱い体内を隈なく味わいつつ、奥深くを士郎は何度も抉った。脚を抱え上げているせいで、アーチャー本人すらも触れたことの無い秘蕾に、自分の屹立が出入りする様がはっきりと目に映る。その卑猥な光景に、士郎の神経は昂ぶりきる。
「アーチャー……好きだ、好きだ、お前が……!」
「あ、は……ぁ……、し……ろ、う……、士郎……」
アーチャーの手足は伸びきって、士郎に身を沈められる毎に、びくりびくりと引き攣った。粘膜が収縮し、腹の中いっぱいに入り込んだものを強く絞る。すると、張り出した先端が、嫌というほどに、痺れのある敏感な箇所を擦り上げてきた。
 結合部から、聞くに堪えない乱れた音が響く。次第に早められる士郎の動きに、アーチャーは切ない喘ぎと共に身を捩った。しかし、それは逃れようとする動きではなく、与えられる快楽に応える動きだった。
 肉が擦れ合い、熱い。互いを求めて貪り合う熱さだけが、今は全てで。過去も未来も関係はなく、この今の刹那だけが、きっと永遠に近い、そんな感覚。
 手に手を取るようにして、二人して絶頂へと上り詰めていく。溶け合って、一つになる。
「は、あ、あああッ――!!」
 士郎が、猛り狂う白い情欲を解き放った。内側から溶かされる快感に、弓なりにアーチャーの背が反り返る。どくどくと熱湯じみた液体をまた新たに一番深いところへ注ぎこまれ、アーチャーも極まった嬌声を上げて、頂点まで到達した。


 獣のように絡み合い交わりあって、もうやめろという懇願も、喘ぐ声も嗄れ果てた頃、ようやく士郎はアーチャーの身体を解放した。
「……お前は、空港まで、歩いて、行け。この、……馬鹿士郎」
 かすれた声で毒づいたアーチャーは、軽く咳き込んだ。
 ロンドンに発つ士郎と凛、そして見送りのセイバー達を、アーチャーが車で送っていく約束だったのだが、これほどに疲れきってしまっては、かなりの距離がある空港まで、運転がちゃんと出来るかどうか、少々不安になる。体内に大量に注ぎ込まれた魔力を消化しきってしまえば、サーヴァントである身、この凄まじい疲労も回復はするだろうが。
 ただ、精神的な疲労の方は如何ともし難い。限度があるだろう、と思いながらも、最後まで士郎の求めに付き合ってしまう自分も、相当な馬鹿野郎だとアーチャーは耐え難いほどの羞恥に、居たたまれなくなる。
「魔力の貯蔵が充分出来て、良かったろ」
 悪びれもせずに、士郎はアーチャーの背中をさすった。アーチャーは士郎を睨むも、涙の痕も鮮やかな、色香の残滓ざんしを濃く纏わりつかせた顔では、あまり意味が無い。
 夜明けまで、後何時間だろう。この部屋には時計を置いていないから、正確な時間は不明だ。
 暫く、士郎は瞼を閉じていたが、眠ったわけではないのは、唇が動いて声を発したことから明らかだった。
「アーチャー」
 黙って、アーチャーは士郎を見る。次の言葉を待つように。目を開いた士郎は、指を伸ばして、額の上に落ちかかっていたアーチャーの白い前髪をかき上げた。
「俺が帰ってくるまで、待っててくれるか」
「……それは、命令か?」
 返答の代わりに呈された反問に、士郎は苦笑する。
「お前に命令できるのは、遠坂だけだろ。だから、これはお願いだよ」
「――凛には、管理者の一部業務の代行を、依頼されている。だから、凛の帰りならば、待つ」
 ややの間を置いて、アーチャーは実に素直さとは縁遠く、淡々と言った。
 まあ、士郎に対して素直なアーチャーというのは、性行為の最中以外ではまずお目にかかることが無いので、その辺は士郎は気にしない。士郎は凛の弟子扱いとして時計塔に行くため、凛を待つということは、イコール士郎を待つということでもある。果てしなく遠回しにだが、アーチャーの言質を得られたので、士郎は一応満足しておく。
「俺さ」
 士郎は、一旦そこで言葉を切った。躊躇うためではなく、決然と告げるために。
「帰ってきたら、お前に言いたいことがあるんだ」
「……今では、駄目なのか?」
 不思議そうに、アーチャーが眼を瞬かせる。士郎は頷いた。
「今じゃ駄目なんだ。ちゃんと――」
 憧れた赤い背中に、胸を張って並び立てる男になれたら。
「お前に、小僧扱いされなくなってから、な」
 鋼色の瞳が軽く瞠られた。それから、薄くアーチャーは笑った。
「――ふん、百年早い」
「百年って……お前、幾つなんだよ」
「英霊に年齢があるか。ものの例えというやつを、まともに受け取っているうちは、まだまだ小僧だ」
「言ってろよ。どうせ、今のうちだからな」
 他愛も無い言い合い。こんなやり取りも、明日以降は簡単に出来なくなるのだ。そう思うと、鈍い痛みめいたものを、士郎は胸に感じる。
 けれど、自分で決めたことだ。見果てぬ夢を追いかけると同時に、本当に言いたいことをアーチャーに告げられるようになるために、士郎は時計塔に修行に行くのだ。
 そう、アーチャーにまだ言えない言葉が、士郎にはある。
 ――愛している、と。
 世界で一番、尊くて美しい言葉だと思う。だからこそ、未熟な自分には、到底軽々しく使えない。好きだ、と言うのが精一杯だ。
 とても不器用にしか生きられなかった人。優しさを与えることは知っているのに、自分にそれを与えられるのは拒む。他人は大切に出来るけれど、自分を大切にすることが出来ない。皮肉や厭味は挨拶代わりで、滅多に本心を人に明かさないが、一旦、懐に入れた人間に対しては恐ろしく甘い。世界のために殺戮を続けるしかない己のあり方に絶望しながら、誰かのために戦うことを捨てられない。不幸と絶望に慣れすぎて、自分の心が傷ついているとも気付かない。
 そんなアーチャーを、全部、受け入れてやると誓った。アーチャーが自分を否定するのなら、俺が肯定してやる。それはきっと、本来は同一の存在である、俺にしか出来ないから。
 ただ、折に触れて小僧呼ばわりされる現状では、自分はアーチャーとは対等といえない。どこか、アーチャーは士郎を庇護すべき対象として見ている節がある。それは、まだ危なっかしい士郎が自分と同じ轍を踏んで道を踏み外さないようにとの思いからだろう。とどのつまりは、まだまだ未熟者にしか見られていないのだ。それを乗り越えなければ、胸を張って愛している、とは告げられない。
 だから代わりに言う。今口に出来る、最大限の言葉を。
「大好きだ、俺のアーチャー」
 その響きのあまりの真摯さゆえか、アーチャーは何時ものようには「たわけ」と突き放すことはせずに、小さな溜息をついて、士郎の髪を梳いた。
 それは確かに気持ちが良かったけれど、正に士郎がアーチャーに子供扱いされている証ともいえた。
 来るべき再会の日のために、離れる。それでもやはり離れている間はきっと寂しいから、全部、覚えていこう。アーチャーがどんな顔で怒るのか、どんな顔で笑うのか、どんな顔で困惑するのか、どんな顔で驚くのか、どんな顔で呆れるのか、どんな顔で眠るのか、どんな顔で啼くのか――。一見、無愛想に見えてその実は意外に豊かな、ありとあらゆる彼の表情を、この網膜に焼き付けていこう。士郎はそう思って、自分と似て、やはり自分とは違うアーチャーの、褐色の相貌をただ見つめた。
 凝視されて、アーチャーはいささか居心地悪そうに、視線を逸らしたが、疲れきっているせいもあるだろうし、夜が明けたら、という僅かな感傷もあるのか、無言で士郎のしたいようにさせていた。もう一度、アーチャーは溜息をつく。
 つくづくと、この状況の奇妙さを感じ入りながら。
 自分を殺すために聖杯の召喚に応じた筈が、当のその過去の自分自身である衛宮士郎に救われ、それどころか好意を囁かれて、その腕に抱かれて幸福めいたものを感じるにまで至った。そして、今では、同一の根から発しながらも、自分とは進む道を違(たが)えた士郎の行く先を、可能な限り見守ってもいい、とすら思っている。
 自身でも確(しか)とは量りかねる、己の心の動きに、アーチャーは今更ながら驚く。いつの間にか、士郎の存在は、随分とアーチャーの心の奥底にまで入り込んでいた。既に遠くなった過去、愛しながらも救えないままに失った、金の髪の美しい少女以外に、こんな気持ちを抱くことがあるなど、想像もしなかった。
 胸の奥を覗くことが出来るのならば、一番大切なところに収められているのは、今だってきっと、あの少女の姿の筈だ。だが、それとは別の場所に、衛宮士郎はアーチャーの中にしっかりと根付いている。
 待っていて欲しい――か。
 士郎が、アーチャーの手を握ってきた。剣や弓を握り慣れて、人を殺すことに慣れきった自分の手とは違い、まだ柔らかい少年らしさを持った、人を殺めることを知らぬ手だった。その手を、温かい、とアーチャーは思った。人の体温は、それまでアーチャーにとって忌避すべきものだった。生前に流離った戦場でも、人類の守護者となってからも、その温もりは、必ずアーチャーの手から冷たくなって零れ落ちていくものだったから。
 今は、違う。離れてはいくけれど、失われるものではなく、必ず戻ってくるという。そのことに、穏やかな安寧を覚えて、アーチャーは士郎に見えないようにして、こっそりと微かに笑った。
 その心地のまま、疲労した体が、ゆるゆると眠りに引き込まれていく。目覚めたら、離さなければならない手を、握り返したまま。



 こうして、士郎とアーチャーは、ロンドンと冬木とで、それぞれの生活を送ることになったのだった。