Fate/another night

Prologue

召喚 2


 朝の白い光が、カーテンの向こうに揺れている。
「……うーん……」
 暖かいベッドの中で、凛は呻き声を上げた。
 何だろう。体が異様に重い。何か、体中の魔力を根こそぎ持っていかれたような……?
「あ、そっか……」
 ごそごそもそもそとシーツの中で体勢を変えて、凛は夕べの出来事を思い出した。
 わたし、サーヴァントを召喚したんだっけ。狙い通りのアーサー王ことセイバーを……。それで、繋がったパスから魔力がセイバーに流れているから、自分の体内の魔力の量が少ないのだ。
 鈍い動作のまま、凛はぼんやりと頭をもたげた。すると。
「おはようございます、マスター」
 鎧から洋服に着替えた当のサーヴァント・セイバーが、静かに椅子に腰掛けていた。
 何の変哲も無い白いブラウスに、深い青のスカート。襟元には、スカートと同じ色のリボンが結ばれている。一見、地味に見えるその取り合わせは、類稀な美少女であるセイバーが身に着けると、騎士姿の時の勇壮さとは違う、彼女の少女としての清楚な美しさを際立たせていた。
 それは、いつまでも武装されていられるのも何だか落ち着かないという理由で、「とりあえず着替えて。好きなのを選んでいいから」と、凛がクローゼットの中から何種類か用意した彼女の私服の中から、セイバーが自分で選んだ服だった。
「あー……おはよ、セイバー……」
 とりあえず、むっくりと起き上がり、凛は挨拶を返す。普段は乱れなく綺麗に整えられている美しい黒髪はぼさぼさで、目も半開き状態。そんな寝起きの悪さ全開のマスターを、セイバーは案じる様子で傍に寄ってきて顔を覗き込んだ。
「気分はどうですか?」
「……んー……ちょっとだるい……。……けど、多分、時間が経ったら落ち着くと思うわ。わたし、朝は基本的に弱いし……」
 大量に献血した後って、こんな感じなのかなと何となく凛は思った。セイバーは、僅かに眉をひそめる。
「サーヴァントを召喚したマスターは、召喚してすぐに意識を失って倒れる者も少なくないのです。貴方は私を召喚後、この広い屋敷中を案内してくれるくらい元気でしたけれど、やはり疲れが出てしまったのですね」
「大丈夫よ、セイバー。別に病気ってわけじゃないんだし……」
 語尾が欠伸にちぎれた。余計にセイバーが心配そうな顔つきになるが、凛はひらひらとあくまでも軽く手を振ってみせた。
「ってか、にしても今何時……」
 それから、いかにも億劫そうに手を伸ばし、凛は目覚まし時計を掴んだ。目に映った時計の文字盤の上の針は、既に午前9時を回っていた。
「……あー学校、もう始まってるじゃない。しょーがない、この体調じゃどっちにしても今日は休みだわ……」
 学校では優等生で通っている遠坂凛は、本日は体調不良で欠席だ。決してサボりではない。後で学校にちゃんと連絡を入れておこう。
 ことんと目覚まし時計を元の位置に戻し、凛はベッドから滑り降りて思いっきり伸びをした。冬の冷たい空気がパジャマ越しに体に触れて、少し頭がすっきりする。
「セイバー、先に居間に下りてて。身支度したら、すぐに行くから」
 凛がそう言うと、セイバーは素直に頷いた。


 服を着替え、顔を洗って肌の手入れをして、髪を丁寧に梳く。仕上げにはいつものリボンを結ぶ。髪は女の命、わけても女魔術師の髪は特別だ。
 常に優雅たれ――遠坂家の家訓通り、姿を完璧に整えた凛は、セイバーの待つ居間に向かった。
 いずれも上品な年代物、と分かる趣味のいいアンティーク家具で調度を揃えた居間の中にセイバーがいると、それだけで一幅の名画じみた光景に見えた。
「さて、セイバー。とりあえずは、状況確認といきましょうか」
 お気に入りのリチャード・ジノリのティーセットで、アッサムを使って丁寧に淹れたミルクティーに口をつけ、凛はそう口を開いた。いただきます、と行儀良く紅茶を飲んでいたセイバーは、凛のその言葉に顔を上げた。
「でしたら……マスター。私は、貴方にまず認識していただかなければならぬことがあります」
 芳香をくゆらせる薫り高い湯気の向こうから、セイバーは凛を見る。
「何かしら、セイバー?」
 凛がソーサーの上にカップを置くと、かちりと小さな涼やかな音がした。
「……貴方は、所謂『アーサー王伝説』には詳しいようですが」
「ええ、アーサー王を召喚するのに、随分と色々調べたもの」
「それでは――“私”の最期に関しても」
 セイバーに言われ、凛は伝承を思い浮かべる。


 アーサー王の死の端緒となったのは、王妃ギネヴィアと不義の恋に落ちた、サー・ランスロット(ラーンスロット)の、王の宮廷・キャメロットからの離反だった。故郷のベドウィック(フランス)に帰ったランスロットを支持する者、相変わらず王に忠誠を尽くす者、円卓の騎士達は敵味方2つに割れ、両者の戦いの中で、アーサー王はサー・ガウェインら数々の騎士を失った。その中で、遠征中の留守を預けた、実子――異父姉であるモルガン・ル・フェイとの間にそうとは知らずもうけた子であるモードレッドの反逆の報を受けたアーサー王は、ランスロットと和議を結んで帰還する。そして、ソールズベリー郊外のカムランの戦いにおいて、モードレッドと相討つ最期を遂げることになる。
 その後、アーサー王の遺骸は、モードレッドに反逆したために追放され、隠者となった元のカンタベリー司教によって、グラストンベリー僧院に葬られたともいい、杳として行方が知れることはなかったともいう。
 グラストンベリーにあるアーサー王の墓碑銘には、次の言葉が刻まれていたとマロリーは記す。
ここに過去の王にして未来の王アーサーは眠るヒッグ・アケット・アルトゥス・レックス・クウアンダム・レクスケ・フュチュールス
 伝承にいう。実は、アーサー王は死んだのではない。アーサー王は死に瀕して、3人の湖の貴婦人ダーム・ドュ・ラック達に小船で妖精達の異界たるアヴァロン島に連れて行かれ、そこで傷を癒すために眠っている。そして、国の危機が来れば角笛の音に起き上がり、アヴァロンより戦いに馳せ参じるのだ――。

 はたと凛は、セイバーの言わんとすることに気付いた。
「……って、じゃあ、セイバー、貴方はまさか……?」
「はい。私は、伝承にあるように、まだ言葉通りの意味では死んではいません。死の直前に私は世界と契約しました。生きているうちに聖杯を手に入れるため、サーヴァントとなるという交換条件を了承したのです。私は聖杯を得て望みを叶えた後、本来の時間に戻って死に、そうして初めて正規の英霊となるのです」
 「かつての王にして未来の王ワンス・アンド・フューチャー・キング」、アーサー王。時として、一見、荒唐無稽にも思える伝承は、真実の一端を明かす。
 アーサー王は生きている。ただし、アイルランドの信仰に古くからある、妖精の丘シー・ブルーにて死なずに眠り、民族が危難に遭うと目覚めて国を救う、眠れる戦士スリーピング・ウォリアーズとしてではないが。
「……最優のサーヴァントが、英霊としては不自然な、そんな中途半端な存在だったなんて」
 凛は自分の表情を隠すように口元にカップを持ち上げ、
「聖杯を手に入れるためにサーヴァントになった……順序が逆ね」
 口の中で、いびつだわ、と独り言を呟いた。
「だから、貴方には、是が非でも聖杯が必要なのね? セイバーアーサー王
 キャメロットに開かれたアーサー王の宮廷にはサー・ランスロットやサー・パーシヴァル、サー・ガウェイン、サー・トリストラム(トリスタン)、サー・ガラハッド(ギャラハッド)等の勇敢で優れた円卓の騎士達が集い、幾多の冒険を繰り広げた。中でも、最も有名な冒険譚は「聖杯探求」であろう。
 そう、聖杯だ。いずれにせよ、アーサー王と聖杯は切っても切れない縁がある。
 アーサー王伝説においては、聖杯はランスロットとエレインの息子である「最も優れた騎士」サー・ガラハッドが手に入れるが、彼は聖杯を手に入れたがために、現世での目的を果たし天に召されることとなった。セイバーの望みが何であれ、その行き着く先はガラハッドと同じ。己の死を前提として、契約を交わしたセイバーにはそれを厭う理由など無いのだろう。
 無いのだろうが。
「無論です。私には聖杯が必要だ。そのために、私は召喚に応じたのですから」
「……そう。何で、貴方に聖杯が必要なのかは訊かないけど」
 きっぱりと言い切ったセイバーに、凛は何かが引っかかった。それは、何処となく不安に似ていた。が、自身がそう感じた理由を掴みかねたため、とりあえずはふうと溜息をつき、胸の前で腕を組んだ。
「つまり、貴方はまだ生きているということね。じゃあ、霊体にはなれないんだ」
 本来のサーヴァントは霊的存在であるため、任意で霊体になることが出来る。霊体となれば、現世への干渉力は落ちるものの消費するマスターの魔力の量も減るので、戦闘時以外は他のサーヴァントに所在を探られぬ意味もあって、実体化していないサーヴァントも少なくない。現代風の言葉でいえば、省エネといったところか。
 だが、セイバーは厳密にはまだ死んではいない。死の一歩前で踏み止まっている。
「マスターには負担をかけることになってしまい、申し訳ないのですが……」
 セイバーはテーブルの上で指を組んで、そこに目を落とすように、少し睫毛を伏せた。凛は、しかし微笑んで、頭を振った。黒い髪が涼やかに揺れる。
「ううん、変に隠されるよりずっといい。だって、貴方はわたしをマスターとして信頼してくれてるから、全部話すってことだものね」
 暗いところの一切無い凛の声に、セイバーが顔を上げた。
「マスター……」
「何よ大丈夫よセイバー。だって、わたし達は絶対に最後まで勝ち残って、聖杯を手に入れるんだから。でしょ?」
 凛の、力のあるその笑顔は、思わず引き込まれて一緒に笑ってしまいたくなるような笑顔だった。ついでに、男らしく握り拳など作って目の前にかざして見せると、さすがにセイバーもいささか苦笑じみてはいたが、笑いを浮かべた。
「それが、わたし達の契約だものね」
「そうです、契約です。マスター」
 何気ない凛の一言に反応して、唐突に、セイバーは僅かに凛に向かって身を乗り出した。
「ん、何?」
「私は貴方と契約を交わしました。私の真名にかけて。名前は、契約を交わした重要な証です。ですが、私も失念していましたが、私はまだ貴方の名前を聞いておりません。教えていただいてよろしいでしょうか」
「ああ……そういえばそうだったわね」
 自分では冷静だったつもりだが、セイバーのサーヴァントのクラスに召喚したアーサー王は、想像していたような偉丈夫ではなく実はアルトリアという女の子で、しかもまだ英霊となっていない状態でサーヴァントとして召喚されているとか――予想外の出来事の連続で、どうやらそんな初歩的なことを綺麗さっぱり忘れていたらしい。凛は内心で気を引き締めた。不測の事態に弱いのは、自分の悪いところだ。もし戦争が本格的に始まったら、こんなことではいけない。
「わたし、遠坂凛。呼び方は貴方の好きにしていいわ」
「遠坂、凛」
 確認するように、セイバーは凛の名を復唱した。
 実のところ、その名に不思議と聞き覚えがあるような気がセイバーはしたのだが、この際、それはさしたる重要事とは思えなかった。
「では、凛、と呼ぶことにします。――良い名前ですね。毅然として誇り高い響きで、潔い感じがします。とても貴方に似合っていると思います」
「そう? ありがとう。わたしも、自分の名前気に入ってるの」

 正式にそうやって契約を交わした主従は、次の確認事項に入った。
「しかし、問題は――貴方の宝具は、勿論、エクスカリバーよね?」
 凛の言葉に、セイバーは頷いて肯定の意を示す。
 エクスカリバー。それは、アーサー王伝説において、アーサー王の佩剣はいけんとしてかくも名高き聖剣。よく混同されるのだが、アーサー王がブリテン王の選定の際に岩から抜いた剣は、実はエクスカリバーではない。選定の剣は、ペリノア王との戦いで折れてしまっている。その後、湖の姫によって授けられた剣こそが、エクスカリバーである。
 この世ならざる地において作られたその剣は、たいまつ30本を灯したほどに輝き、『鋼を断つ』という名の通り、鋼鉄をも断ち切るという。そして、剣そのものの力もさることながら、それ以上に価値があるのは剣を収める鞘にある。エクスカリバーの鞘は負傷を癒し、持つ者を不死身にするのだ。この鞘を失ってから、アーサー王の運命の落日は始まる。
「有名すぎるのも困りものだわね……。うかつに使っちゃったら、一発でセイバーがアーサー王だってばれちゃうわ」
 そして、宝具とは英霊を英霊たらしめる、生前に所持していた武器や象徴が魔力によって具現化された、一撃必殺の威力を持つ最後の切り札となる、神秘の武装のことである。宝具は、常に英雄本人と対になって語られる、形となった伝説だ。例えば、ジークフリートとバルムンク、ローランとデュランダル、ディートリッヒとエッケザックス、シャルルマーニュとジュワユーズ――アーサー王とエクスカリバー。
 それだけに、難点がある。有名すぎる宝具は、それだけに恐ろしく強力だが、クラスに素性を隠したサーヴァントの正体を赤裸々に明かしてしまう。正体が知られるこということは、敵に弱点も推察されるということだからだ。
 話している間にだいぶ冷めてしまった紅茶のカップは、だが、両手で包むと、まだほんのりとした温みが残っていた。セイバーは、喉を軽く潤して、マスターの心配は尤もですが大丈夫です、と告げた。
「ご安心を。私の宝具“約束された勝利の剣エクスカリバー”をまともに食らって、生き延びられる敵など存在しえません」
 そのセイバーの言は、根拠の無い大言壮語などではなく、確固たる事実を語る者のみが持つ、静かな自負の声音に満ちていた。
 それを疑う理由など無い。セイバーが嘘など口に出来る性格ではないのは、ほんの二、三言を交わすだけで彼女の潔癖な姿勢から分かることだ。セイバーは、単に真実を述べている。味方からすればこの上なく頼もしく、敵にすればこの上なく恐ろしい真実を。心中で、凛は頷く。
「頼もしいわね、セイバー。ホント、貴方を召喚できて良かったわ」
 言いながら、凛はテーブルに手をついて立ち上がった。
「じゃ、出かけよっか、セイバー」
「は?」
 セイバーが目をしばたかせる。その表情は、彼女の外見の年齢相応に見えて、ひどく可愛らしかった。
「だから、出かけるんだってば。今のセイバーの戦場はこの冬木なんだから、戦場フィールドを予めよく知っておいたほうがいいでしょ。案内してあげる」
 そう楽しげに言う凛に対して、セイバーは衝撃的な一言を放った。
「いいえ、凛。私は、この土地が冬木なら、私はここを知っています――知っているのです、凛」

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