Fate/another night

Introductory chapter

目撃 4


 少年は、反射的にか本能的にか、その場に背を向けて走り出した。すかさず、ランサーが捕食者そのものに少年の後を追う。
「セイバー!」
 凛はセイバーに駆け寄り、素早く彼女に治癒の魔術を施した。サーヴァントの自己治癒能力は人間を遥かに凌駕はするが、セイバーの負傷が治ったように見えたのが表面上のことだけであるのを、凛は理解していた。不可解なランサーの一撃による傷は、何せ宝具によるものだ。そう易々と全快を赦す代物ではあるまい。
「ありがとう、凛。これでまた、問題なく動けます」
「だったらセイバー、すぐにランサーを追って。ランサーを止めて! わたしも後からすぐ行くから!」
 礼を述べるセイバーに対して、凛は常の彼女らしくなく、優雅な余裕を欠いた声で答えた。いやに切羽詰った凛の表情に、セイバーはやや戸惑ったように首を傾げた。
「凛、どうしたのですか。そんなに慌てて、貴方らしくない」
「しくじった、ランサーに気を取られて、気付かなかった……。このままだと、アイツ殺されちゃうわ……!」
 凛が指す「アイツ」というのが、先程、不運にもサーヴァント同士の戦いの場に、足を踏み入れてしまった少年のことだというのは分かる。そして、聖杯戦争の原則として、ランサーがその目撃者を消すつもりであることも。
 セイバーとて、聖杯戦争の関係者以外が無闇に命を落とすことを、よしとするわけではない。また、魔術師として冷徹であろうとする凛は、彼女が自身で思っている以上に実はお人好しだから、犠牲者を出すことを許し難いと思う、その気持ちも理解できる。だが、凛の動揺ぶりが想像以上のものだったため、セイバーは驚きの目で凛を見る。
 その疑問の氷解は、すぐに凛が行った。
「アイツが――衛宮士郎なのよ!!」
 衛宮切嗣の類縁者。
 未熟なりといえど、魔術師の力を持つ者。
 セイバーの、失われた聖剣エクスカリバーの鞘を持つかもしれない者。
 凛の言葉を聞いた瞬間に、セイバーはランサーを追って駆けた。逆巻く風を残して。



(何で、こんな、ことに)
 息も絶え絶えになるほどに走りながら、一方で衛宮士郎は奇妙なほど冷静に、ここに至るまでの状況を思い返していた。
(まさか、これが走馬灯ってヤツか?)
 馬鹿なことを、と自分で思いながら、士郎は足を止めない。階段を駆け下り、廊下を必死に走る。生物としての生存本能の全てが訴えかけてくる、だからはっきりと分かるのだ。
 あの蒼い男が、自分を殺すために追ってきているということを。立ち止まり、追いつかれた瞬間に自分は赤き槍を手にした男に殺されるのだと――。



 士郎の中で巻き戻された時間は、数時間前に遡る。
 土曜日の、午前中だけの授業を終えた士郎は、柳洞一成の居城たる生徒会室に向かおうとしたところ、肩を軽く叩かれ呼び止められた。
「よ、衛宮」
「美綴」
 現在の弓道部の部長である美綴綾子は、面倒見のいい姉御肌、といったタイプの美少女である。いや、同年代の生徒よりも、少々大人びた雰囲気を持つ彼女には、美少女というよりも、美人という表現の方が相応しいかもしれない。士郎とは一年生時、同じクラスだった。そして、同じ部に所属していた仲間でもある。
「どうよ衛宮、久しぶりに道場覗いていかない?」
 そういった関係で、綾子は士郎に気安く声を掛けて来る。士郎にとっての彼女は、気のおけない友人といえる存在だ。しかも、綾子には申し訳ないが、同性の友人に近い感覚で。
「いや、俺はもう部外者だから。邪魔しちゃ悪いだろ」
「あ、またそうやってはぐらかそうとするな。アンタ、弓道部の話になると、途端に冷たくなるよねー」
「む。そんなつもりは無いが」
「そう聞こえる」
 少々、綾子は気分を害した様子で、士郎の鼻先に指を突きつけてきた。
「いいご身分よね。アンタが手綱を取らなくなったおかげで、慎二のヤツの問題児ぶりは増す一方だってのに」
「慎二? あいつと俺は確かに腐れ縁だけど、手綱って……」
 自分を悍馬の調教師であるかのように言われて、士郎は綾子をいなしながら、失礼だなと言いたげに口元をむっと曲げる。
「だって、慎二って女友達は多いけど、男の友達はアンタだけでしょ。あたしはこう見えても結構忙しいから、問題児の問題行動をじっと見張ってるわけにはいかないってのにさ。女の子ばっかやたら部員を勧誘して増やすし、もう、やりたい放題だよ、あいつは」
 憂鬱そうに、綾子は溜息をついた。基本的に、すっきりきっぱり、竹を割ったような、という表現が相応しい綾子にしては珍しい。
 二度瞬きして、士郎は若干、眉を寄せた。
「また何かやらかしたのか、慎二」
「あーやらかしたやらかした。慎二のせいで、昨日なんて一年生の男子が1人、辞めちゃったんだから」
「部員が辞めた? ……何やったんだ、アイツ」
 士郎は、綾子の言を聞きとがめた。間桐慎二は、確かに傲慢で多少性格が歪んでいるということは否めないが、それでも根っこまで腐ってはいない筈だ。綾子は、渋い表情で士郎に返答する。
「女子を集めて、弓を持ったばかりの子に射をさせたらしい。勿論、そんなの当たるわけないのに、当たるまで笑い者にしたんだって。……残念ながら、あたしは道場の外で用事があってその場にはいなかったんだけど」
 ついでに、腹立たしげに鼻を鳴らす。
 士郎は、解せないといった態度で、考え込む仕草をした。
「……何やってんだ、慎二……。アイツ、癇癪持ちで必要以上に厳しいことはあるけど、意味無く素人を見世物にするようなヤツじゃないだろ」
 再び、綾子の溜息。呆れた、と言いたげに腕を組み、これだから衛宮は、とか何とかかんとか呟いたようだが、士郎は聞こえないふりをした。
「噂では遠坂にふられたってのが相当堪えたみたいだけど、だからって何の罪も無い子に八つ当たられちゃ困るのよ、ほんとに」
「遠坂……?」
 その固有名詞を耳にした途端、今朝、向けられた遠坂凛の笑顔が勝手に士郎の脳裏に再生される。類稀な美少女の、そこに大輪の華が咲いたかのような笑顔。同時に、ぼっと顔が赤面しそうになるが、それは日頃の自己鍛錬の賜物か、何とか抑えきることが出来た。
「遠坂って、あの遠坂凛か」
「ウチの学校で遠坂ったら、あの遠坂凛しかいないでしょ。学園のアイドル、ミスパーフェクトこと2年A組遠坂凛」
「……そんな呼び名は初めて聞いた」
 普通の人間なら、そんな呼び方をされたら羞恥でのたうちまわってしまいそうだが、遠坂凛になら、とても馴染む気がした。何というか、ちょっと浮世離れした印象を与える少女だから。
 しかし、意外な気がした。遠坂凛は、間桐慎二の異性の好みとは合致しないとは、士郎の思い込みだったのか。慎二は、女の子を自分を飾る腕時計やアクセサリーじみた感覚でいる、と思っていたのだ。ああいう、綺麗ではあるが、その名の通りに常に凛然とした佇まいを崩さずに、いかにも誇り高く背筋を伸ばした少女は、あるいは、今まで慎二の周囲にはあまりいなかったから、手を伸ばす機会が無かっただけなのだろうか。
 まあ、そういった相手なのだから、どういう風に彼女が慎二をふったかは想像に難くない。それこそ、慎二が怒りに荒れ狂うほど、手酷いふり方だったのだろう。多分、けちょんけちょんの木っ端微塵、といった具合に。
「そういうわけでね。あたしも色々と気苦労が絶えないってわけ。何か知らないけど、遠坂ってよく見学に来てるから、また慎二とトラブるんじゃないかって。慎二、無意味にプライド高い上に懲りないヤツだから、遠坂本人に手を上げかねないし」
「遠坂が道場に? それも初耳だ」
「そりゃ知らないでしょ。アンタ辞めちゃったからねー」
 言葉だけ聞くと恨み節にも取れるが、綾子のからっとした口調のおかげで、全く厭味さは感じられない。士郎は、やれやれ、という風に笑った。
「うん、まあ、大変だろうけど、慎二のおもり、よろしくな」
「はいはい。……っと、いけない、それこそ時間時間」
 思い出したように左手首の腕時計に、綾子は目を落とした。その時計の針が示す時刻を見て、部活動の開始時刻が迫っていることに気付いたようだ。
「じゃあ、あたし行くわ。またね、衛宮!」
「ああ」
 軽やかに士郎に手を振って、綾子は早足で廊下を去っていった。同じように手を振り返して、士郎は慎二の件を意識に引っかからせつつ、生徒会室に改めて向かった。



 機器というものは、調子が悪くなるときは、一斉に悪くなる。学校の備品は、えてして同時期に購入するのだから、ほぼ同時期に調子が悪くなるのは当然といえば当然か。
 士郎が、一成に頼まれて備品修理を手がけるのは、がらくたいじりが好きな彼の趣味であるともいえるが、それ以外にも「物質を前にして解析し、本質を理解する」という魔術修行の一環でもあった。
 この日は、大物のテレビを片付け、その他諸々の細かいものを直した後、陽が傾いてきたので工具をロッカーに片付け、荷物をまとめて帰ろうとしたところ。
「あれ、衛宮じゃん」
「慎二」
 教室から出て、間桐慎二と出くわした。その後ろには、彼の取り巻きか、きゃいきゃい騒ぐ女子生徒の姿が何人も見えた。
「こんな時間まで生徒会手伝って媚売って、ご苦労さん。内申稼ぎ? いいねえ衛宮は。部活やらなくても進路に不安がなくてさ。それとも暇なのかい?」
「別に生徒会の手伝いって訳じゃないぞ。自分達が使ってる学校の備品が調子悪いから直してるだけだし、自分の出来ることだからやってるだけだ」
「へぇ、たいした優等生だね、衛宮は。じゃあ、直せるものなら何でも直してくれるんだ」
 そういや、桜のことで大喧嘩してから、士郎は慎二とはろくに口をきいていない。だから、慎二の何処となく人を小馬鹿にした話し方にも反感を抱くでもなく、慎二は相変わらずだな、と士郎は半ば変な感心をしたのみである。
「何でもってわけにはいかないが、直せるものなら直すぞ」
「だったら、頼まれてくれない? うちの道場、今、割と散らかってるんだよね。部員が増えたおかげで、副部長のこの僕も色々忙しくて、なかなか掃除にまで手が回らなくってさ。弦も巻いてないのが溜まってるし、安土の掃除も出来てない。暇だったら、そっちもよろしくやって欲しいね。元弓道部員だろ? 衛宮の役に立つところ、生徒会ばっかりじゃなくて僕たちにも見せてくれよ」
「えー、それって先輩が藤村センセイに言われたことじゃなかった?」
 女生徒の声が上がる。他にも、ちゃんとやっとかないと駄目じゃないんですか、とか、でもこれから掃除してたら店が閉まっちゃう、とか、部外者に掃除させるなんて良くないんじゃないのかなー、とか、あの人元弓道部員だって慎二が言ってたから任せちゃえばいいんじゃない? とか、大変賑やかだ。
 慎二が最近勧誘して入部したという弓道部員だろうか。士郎の知った顔はいなかった。
 さりげなく、士郎は慎二を観察する。慎二は一見、元からの間桐慎二と同じにしか見えなかった。その筈だが、もう少し突っ込んで見てみると、些細な違和感があった。何だろうか。
 敵意というほど明快ではない。ただ、何というか、士郎に向けてくる慎二の感情が、以前と微妙に良くない方向へ変質を遂げている――そんな感じだった。最も近いのは、圧迫感めいたもの、といえるかもしれない。
 何が原因なのだろう? 慎二と暫く疎遠になっていたから、そう感じるだけなのか?
 あるいは、別の原因があるのか。だが、そこまでは士郎には分からなかった。ただ、綾子の話が引っ掛かったのもあり、慎二の強引な頼みを断る理由が思い当たらなかった。
「ああ、それくらいなら構わないよ。どうせこの後は暇だし」
「はは、サンキュ! やっぱり衛宮は話が分かるヤツだね。鍵とか掃除用具とかの場所は前と変わってないから、じゃあ、後は頼むよ、茶色さんブラウニーの衛宮くん」
「よろしくお願いしますね、せんぱーい」
 あくまでも浮薄な陽気さで、慎二は女子生徒達と共に去っていった。
 それを見送った士郎は、
「よし!」
 気を取り直して気合を入れ直すように、両手でぱんと自分の頬を叩き、弓道場へと足を向けた。


 懐かしささえ感じる、弓道場。部を辞めてからは、ほとんどが大河に弁当を届けるくらいにしか中に入っていなかったそこは、士郎が在部中の時に比べて、細かい汚れが目立って見えた。どうせ乗りかかった船だから、徹底的にやるか――そう、腕まくりして張り切った結果、士郎が掃除を完璧に終えた後には、時間は門限の6時をとっくに回り、気の早い冬の夜はすっかりと黒い帳を下ろしていた。
(こりゃまた、藤ねえにどやされるなあ)
 掃除のために脱いでいた制服の上着を羽織り、弓道場の電気のスイッチを切った士郎は、靴を履いて外に出た。後は、いつのもように下校して家に帰るだけだ。
 それなのに。
 士郎の聴覚は、それを捉えてしまった。
「……?」
 人気のある筈が無い校舎の何処かから、場違いな音が聞こえてきたことを。
 高く冴えて、澄んでいるようにさえ聞こえるその音は、紛れも無く金属音だ。鋼と鋼が、打ち合わされる音だ。
 好奇心は猫をも殺す、と俗に言う。
 この日は、風が強く雲の流れが早くて、月が隠されていた。そのため、周囲はとても暗くて冷たかった。冬が長いわりに、あまり寒さが厳しくない冬木にあって、何かが起こるには相応しい、寒さが厳しい夜。
 何が起こっているのかと音の出所を探して、首を巡らせた士郎は、ふいと屋上を見上げて、そこに人影らしきものが動いているのを見た。
「……何だろ」
 些細な好奇心。
 それを満たすために、士郎は校舎に入って、屋上へと続く階段を上って行った。
 屋上へ近づくにつれ、音はますます間断ない激しさをもって、はっきりと伝わってくる。その音の響きは、一つの想像しか導かない。
(誰かと誰かが斬り合ってるとか……? そんな馬鹿な)
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、士郎は本能からかそっと足音を忍ばせて階段を上り、半開きになっていた扉から用心深くその先を覗き込んだ。
 そこにあったのは、士郎の想像を絶する光景だった。
 火花が散る。
 この現代日本にあってあり得ない、鎧姿に武装した少女と男が、“本当に斬り合っていた”。
 息が詰まる。息が止まる。
 目に見えない「何か」を両手で振り上げて、少女が男に打ちかかり、男は手にした長大な赤い槍で少女の攻撃を防ぐ。青い閃光と、蒼い疾風。2つの影はめまぐるしく交錯し、信じられない速度で刃を交え合う。
(何だこれは、何なんだ一体……!!)
 士郎は混乱しながらも、理解できたことがあった。
 少女と男は、間違いなく殺し合いをしているのだということと。
 人間では不可能な動きをする少女と男は、人間ではないのだろうということと。
 アレに関われば、間違いなく死ぬのだということ。
 そうだ、一成から聞いた、今朝の一家殺人事件。使われた凶器は、槍や刀のような武器だったというではないか。
 あの、ヒトガタをした何かは、敵と見做した相手を殺すために存在するものだ。手にした物々しい武器が、息詰まるほどに充満する殺気が、全てがその事実を告げている。
 逃げなければ。思えば思うほどに、脚が萎え、呼吸が縮む。動けない。
 やがて、音が止まった。少女と男は距離をとって睨み合う。殺気が薄れた。それに士郎が安堵した瞬間だった。
 蒼い男に、桁違いの魔力が集中していく。違う、集中している、というほど生易しいものではない。男は、空気中の魔力という魔力を、力ずくで全て自分に引き寄せているのだ。
(な……、……嘘だろ!?)
 朱色の光が奔った。血の糸を引きながら、少女の体が跳ね飛ばされて宙に舞った。
 殺された。
 人ではないにせよ、人と同じ姿をした、ましてや少女が、殺された――!!
 士郎はそう思ったが、少女は倒れる前に踏み止まった。辛うじて致命傷を免れたのか、ともかく、胸を押さえながらも少女は死んではいなかった。
 思わず、士郎の全身から緊張感が抜けた。しかしそれは、人外の戦場に、衛宮士郎という異分子が存在することを知らしめる行為だった。
「――誰だ!!」
 男の赤い双眸が、ぎらりと士郎を射抜いた。
「……あ……」
 力が抜ける。自分を支えるよすがであるかのようにして、ずっと手に持っていた革の鞄が、どさりと足元に落ちた。
 殺される。
 瞬時に、体がそれを理解した。
 全ての呪縛を解かれた士郎は、一目散に走り出した。
 背後にぽかりと穴を開けた、死から逃れるために。

 結局は、ここに至るまでの経緯とは、全てが自分でそうとは知らずに提示された選択肢を選んできた結果なのだ。
 運命の夜に。

誤字脱字の報告、ご感想などありましたらご利用ください。お返事はmemoにて。

お名前: 一言コメント:  返信不要 どちらでも
コメント: