Fate/another night

Introductory chapter

目撃 3


 凛は、その場からばっと跳び退る。逆に、セイバーが凛を庇う位置に素早く前に出る。
「ほぉ、いい反応だ」
 給水塔の上に飄然と立った男は、腕を組んだまま凛を見下ろし、くっくっと低い笑い声を洩らした。
 蒼い。蒼い男だった。
 本来は人身には不自然な筈の蒼い髪が、何の違和感も抱かせない。額から上の髪は冠のように天に向かって逆立てられており、首の後ろで一つに纏められた後ろ髪が、夜の風になびいていた。均整の取れた長身を包む、軽装の戦装束も蒼い。
 そんな蒼の中で、両瞳だけが浮き立つかのように赤かった。その色は、毒々しい血の色というよりも、むしろ暁の中を昇り来る旭日を思わせる清々しい赤い色である。白い肌の上の赤い双眸が、戦いの予兆に猛りながらも奇妙な懐こさを湛えて凛を見ていた。
「……貴方、サーヴァントね」
 一見、馴染みの友人じみた親しげな態度の男の全身からは、しかし、息詰まるような殺気が隈なく放射されていた。魔力に守られていない人間ならば、その“気”に触れただけで失神どころか頓死しかねないだろう。それほどに凶暴な気配を撒き散らしながら、それでいてもなお、男の口元からは笑みの形が消えない。
 表情は粗暴だが、顔立ちのつくりそのものは端正な男は、気安い態度のままに飄々と凛に応えた。
「ご名答……と言いたいところだが、まぁ、魔術師である嬢ちゃんから見りゃあ、一目瞭然だわな」
 隠すつもりなどまるでない、迸らんまでの魔力を浴びせかけられながらも、凛は今にも凍りつきそうな己の背筋を叱咤し、目に力を込めて男を見据える。
 慄然とする。あの男は、一瞬で自分を殺すことが出来るのだ、と、生物としての本能が告げる。だが、凛はただ座して殺されるのを待つ無力な犠牲者ではない。彼女の前には、マスターを守らんとするセイバーが立っている。蛮勇と勇気は違うが、だからといって必要以上に恐れることはないのだ。
「念のために訊くけど、これ、貴方の仕業なの?」
 凛は屋上のタイルの上に刻まれた呪刻を指差した。男は、おどけた仕草で肩を竦める。そして、やおら、油断なく身構える小柄な少女に視線を転じた。
「こういうのはオレの仕事じゃねえな。オレはただ、戦うべき敵と戦うだけさ。なあ、嬢ちゃんのサーヴァント、お前もそうだろ?」
「……!!」
 男の殺気を真っ直ぐに向けられたセイバーの全身を、渦巻く魔力が包み込む。
 それが収束すると、それまでの普段着のブラウスとスカート姿から一転して、セイバーは彼女を象徴する青い衣を纏っていた。そして、白銀に輝く胸甲キュイラス草摺スカート籠手ヴァンヴレイス手甲ガントレット膝当てポレム)脛当てグリーブ)鉄靴ソルトレット)――眩いまでの武装に身を固めた、麗しくも力強い、気高き騎士王が顕現する。
 星も覆い隠された曇天の夜空の下、雲が風に流れ一瞬だけ現れた月の光が、セイバーの金色の髪と銀色の鎧を夢幻的なまでに美しく煌かせた。
 可憐な容貌には一切の変化はない。だが、戦う者というサーヴァントの本質を剥き出しにしたセイバーは、男に負けず劣らずの凄絶な、それでいてひどく清冽な闘気に覆われていた。
「はっ、小娘にしちゃいい気合だ」
 男のあからさま過ぎる挑発に、セイバーはあえて乗ってみせた。
「愚かな、外見の印象に左右されて敵の力を見誤るか。その軽口、すぐに後悔させてみせよう」
「そうかいそうかい、そりゃ楽しみだな!」
 言いしなに、男は右腕を大きく振るった。振るわれた先に止まった右手は、赤い槍を握っていた。
 長身の男の、身の丈を更に越える長槍だ。装飾の少ない、質実な造りの穂先から石突まで、全長2メートルは軽く越すだろう。恐らくは、男の宝具に相違あるまい。所有者の瞳と似た色の、いや、同じ赤という色であっても、何処となく禍々しさを感じさせる雰囲気は、魔槍の類か。それを軽々と片手で支えながら、男は跳躍した。何よりも、男のサーヴァントとしての素性を雄弁に語る、その武器を目にした凛は唸るような声で男の“クラス”を口にした。
槍騎士ランサー……!!」
 剣の騎士セイバー、弓の騎士アーチャーと並び、7騎のサーヴァントの中でも特に、三騎士の一角として高い対魔力防御能力を誇り恐れられる、槍を主武装とする英霊。それこそが、この蒼い男の正体だった。
 男――槍兵のサーヴァント・ランサーは、頭上に振りかぶった槍をぐるんと一回転させると、その穂先を鋭く繰り出した。稲妻よりも速く、激しい光が尾を引いて迸る。着地しざまのランサーの死の刺突が狙ったのは、しかし、相対していた敵である筈のセイバーではなく、彼女が背後に庇ったマスターの凛だった。
 鋼が、鋼に激突する音が甲高く響く。
 ランサーが、赤い目を軽く瞠った。
「!?」
「自分で言ったことを忘れたのか、ランサー。貴方の相手は、この私ではないのか」
 ランサーの真紅の槍は、凛の体を貫くことなく「何か」に防ぎ止められていた。目には見えない、だが確実に存在するその「何か」は、セイバーの両手に握られている。
 これこそが、セイバーの宝具の一つ、“風王結界インビジブル・エア”の力。剣身ブレードに風を纏わせることによって、光の屈折率を変化させ、彼女の剣、“約束された勝利の剣エクスカリバー”そのものを不可視にしているのだ。武器が見えないということは、間合いも分からず、英雄の伝説の結晶たる宝具からセイバーの正体を察せられる危険性も極めて低いということだ。戦闘には直接に関与せずとも、非常に効能の高い宝具といえた。
「凛、貴方は私が必ず守り、貴方に勝利を捧げます」
 セイバーが、静かに凛に告げる。揺るぎない自負に支えられた声だった。凛もまた、全身全霊の信頼を込めて、自らのサーヴァントに応じた。
「……ええ、信じてる。貴方の力を、ここでわたしに見せて」
「承知いたしました」
 ランサーの槍を跳ね上げたセイバーが、剛剣一閃、横殴りの一撃を叩きつける。ランサーは、手元に引き戻した槍の柄で、セイバーの攻撃を防いだ。
「ちッ……」
 ランサーが舌打ちする。膨大な魔力のこもったセイバーの見えざる剣は、ランサーの手にする朱槍を、内側から発光しているかのように激しく光らせた。
 更に、間髪入れずして、一撃、二撃。
 セイバーが腕を振るう、その度に、校舎の屋上のタイルは捲くれ上がり、大気が悲鳴を上げ、尋常ならざる閃光が散っては夜闇を灼き、防護フェンスが形を変える。
(想像していたのとは大違いだわ……。……何もかも桁違い。これが、サーヴァント同士の戦いなの……)
 凛が初めて目の当たりにする英霊達の戦闘は、いかに優秀な魔術師であろうと、所詮は人の領域に身を置く者には、到底割り込む余地などない。これは、不朽の英雄となった者同士の戦い、神話伝説の現代における再現だ。今、この場で凛が出来ることといえば、せめて破壊が必要以上に周囲に及ばないように結界を張った後は、物陰に避難して傍観に徹することだけだった。
 セイバーの猛攻は凄まじい。この少女の華奢な体の何処にそんな力が、と不思議に思えるほどの打ち込みの連続に、ランサーが僅かに後退する。
 それこそが、少女の身を持ちながら、最優のサーヴァント・セイバーとして召喚された、英霊アルトリアの力だ。
 一方的に攻め立てられているように見えるランサーは、それでも緩急自在に繰り出される槍捌きで、セイバーの攻撃を完璧に防ぎきっている。
 ランサーとて、防戦に徹するつもりはさらさらないのだろうが、何しろ、セイバーの武器が「見えない」のだ。形状も分からぬ武器は、間合いも不明。不用意に攻撃に転じれば、相手の間合いど真ん中に捉えられてばっさりとやられかねない。従って、ランサーは慎重に反撃に出る機を伺い、セイバーはそうはさせまい、と更に嵐じみた苛烈な連撃を仕掛ける。
 その様は、まるで絶え間のない集中豪雨のよう。不可視の剣の雨にさらされながら、ランサーはそれでも、実はかすり傷一つ負っていないし、髪の一筋も散らしていない。
 本来、槍という武器は、その長さを生かして敵の射程外から攻め立てるのが常道だ。その一方、長柄の武器であるが故に、懐に飛び込まれるとその長さが逆に不利になる。
 であるが、流石に槍兵のサーヴァントといったところだろう、明らかに槍の長さに余る距離まで迫られながら、巧みに槍の柄を操り、ランサーはセイバーの見えざる剣を全て打ち払っていた。
 美しいとさえいえる、剣戟の音が響き渡る。
「己の武器を隠すとは、卑怯だとは思わんのか?」
 幾度目か、もはや数えることも出来ない数の火花を槍から散らしながら、ランサーは悪態をついた。
「――泣き言か、ランサー。所詮はその程度ということか、槍兵の名も泣こうな」
 セイバーは、表情も変えずに重ねて一撃を見舞う。
 それまでの攻撃とて軽いものではなかったが、これは更に重く、強い。明らかに、そちらが攻めてこないのならばこちらが仕留めるまでだ、という意図が、袈裟懸けに振り下ろされた両腕に込められた、一際強烈な斬撃だった。
「なめるな!!」
 怒号と共に、ランサーはセイバーの腕の動きと足運びを頼りにして、赤き槍で風を切り裂き、中空で迎撃する。突き出された刺先(スパイク)は、正確にセイバーの剣とぶつかり合った。
 2つの武器が激突した勢いのまま、2人のサーヴァントは互いにばっと跳び退(すさ)った。
はやい!?)
 そして、セイバーが両脚を踏みしめるよりも先に、ランサーは後退した反動を利用して突進してきた。その速度はまさしく、蒼い疾風だ。
 寸分違わずに、セイバーの眉間を狙ってきたランサーの神速ともいえる槍の突きは、僅かに彼女の金の髪を掠めたのみだった。ランサーの攻撃箇所を知っていたかのようにして、セイバーが身を沈めたからである。そのまま、立ち上がりざまにセイバーは腕を振り上げる。不自然な体勢からの剣閃は、ランサーに薙ぎ払われた。
 渾身、ともいえる攻撃は両者ともに不発。長槍といえど、大きく踏み込まねば武器の届かない距離にまで離れ、相手の出方を互いに探る。無論、両者共に闘気はいささかも減退していない。
 セイバーは両手で下段に剣を構え、ランサーは槍を胸の高さで中段に構える。
 青い剣騎士と、蒼い槍騎士。睨み合うはほんの数瞬。ランサーが口を開いた。
「貴様、剣騎士セイバーだな」
「……」
「この真っ向勝負のやり方は、セイバー以外あり得ねえだろ。つまり、お前のその隠された宝具は剣。違うか?」
 セイバーは否定しない。消極的な肯定だった。不意に、そこでランサーは構えを解き、腕を下ろした。
「?」
 その行為を訝しんだのは、セイバーだけではない、凛もだ。主従は、ランサーの次なる行動を見極めようと、尚一層の警戒を意識に乗せる。が、ランサーは拍子抜けする言を放ってきた。
「ここらで分けるつもりはねえか」
「笑止な。先に仕掛けてきたのは、そちらではないか」
 セイバーは美しい翡翠色の瞳に、厳しい眼光を宿す。その表情は、何をふざけたことを、という彼女の内心の心情を雄弁に語っている。
「まあ、そうなんだけどよ」
 命のやり取りをしているというのに、ランサーは、にっと悪童めいた笑いを浮かべてみせた。
「こっちは元々、様子見の予定だったんでな。だが、この調子でり合ってたら、宝具を開放する所まで行き着くしかねえ。今のうちなら、まだ止められるだろ」
「断る。貴方の事情など、こちらには関係ない。遠慮なく、宝具を使うがいい」
 その上で、宝具ごと敗ってみせる――セイバーの声なき言葉が、ランサーにも伝わったのだろう。
「よくぬかしたな、セイバー。後悔とやらは、座に帰ってからするんだな」
 口元を釣り上げて、ランサーは笑った。まるきり、獲物を食い殺さんとする肉食獣そのものな、物騒極まりない笑い方だった。
「ならば食らえ。我が必殺の一撃を」
 すうっとランサーの体が沈む。穂先を地面すれすれに落とした構えをランサーがとった瞬間、呼吸困難になるほどの殺気が周囲に充満した。押し潰されそうな重圧が、容赦なくランサー以外の者に襲い掛かってくる。
 空気が凍る。ランサーの槍に、魔力が渦となって集中している様が目にも見えるどころか、音にもなって伝わってきそうだった。
 その禍つ気配は、呪槍、あるいは魔槍に相違あるまい。
 セイバーが、不可視の剣を握る両手に、力を込めた。彼女の方は、己の宝具を放つ気は無いようだ。
(駄目だわ、セイバー……! あのランサーの宝具は危険すぎる!!)
 ランサーの宝具の正体は、無論、凛とて知らぬ。だが、「それ」がどれだけ危険なものなのか、全身が悪寒をもって訴えてきている。
 あれが放たれれば、セイバーは死ぬ。殺される。
 アーサー王が、敗れる……!!
 そこまで分かっていても、凛にはどうすることも出来なかった。
「その心臓、貰い受ける……!!」
 目にも留まらぬ、などとは生易しい速度で地を蹴ったランサーはセイバーに迫り、槍を振るった。
 何故か、セイバーの足元目掛けて、朱色の光が奔る。まるきり的外れの狙いに、セイバーは槍を踏み越えてランサーに向けて剣を斬り下ろそうとした。
「“刺し穿つゲイ――」
 宝具の“真名”を宣言することで、ランサーは秘められた英雄の武器の真の力を発露させる。
「――死棘の槍ボルク”!!」
「なっ!?」
 驚愕の声は、凛とセイバーが同時に上げた。
 物理法則にはあってはならない動きで、ランサーの赤い槍の軌跡は折れ曲がったように、セイバーの足元から心臓目掛けて迸った。まるで、「最初からそう決まっていた」といわんばかりに、だ。
「セイバー!!」
 凛が絶叫する。防ぐことも出来ずに槍に貫かれたセイバーの小柄な体は、鮮血を吹き出しながら、宙に投げ出された。
 しかし。
「……何だと……」
 ランサーが呻くのも道理、そのままどうと倒れ伏すかと思われたセイバーは、着地をしたのだ。
 セイバーが重傷を負ったのは明らかだった。鎧が破れ、傷口からはぼたぼたと血を流している。それでも、心臓を貫かれるのは紙一重で避けたらしい。いかにサーヴァントといえど、存在する身体を「殺され」れば、セイバーは現界を解かれ、この場に存在することが出来なくなる。
「ゲイ・ボルク……。……因果を逆転し、投じれば決して過たずに必ず敵を仕留める……影の国よりもたらされた呪槍……。……御身は、アルスターの、……光の御子か……!!」
 苦しげな息の下から、セイバーはランサーを見据えた。逆に、ランサーは見る間に闘気を引っ込め、今度こそ槍まで収めてしまった。それから、忌々しげな溜息をつき、同時にぼやいた。
「……ったく、有名すぎる宝具も諸刃の剣だな。こいつを使う以上は、必ず敵を仕留めなきゃ意味が無いんだが――どうやって避けた? よほどの加護を得ているのか」
 胸を押さえたセイバーの手の下で、出血は止まり、傷口が見る見るうちに塞がっていく。ゆっくりと呼吸を整えようとするセイバーを見ながら、ランサーは身を翻した。
「……どうした、ランサー。敵に背を向けて、逃げるのか」
 およそ、騎士に対して最大の侮蔑ともいえるだろう、嘲弄にも似た言葉をセイバーから投げつけられても、戦いの気配をすっかり捨て去った蒼い槍兵は、平然と歩き去ろうとする。
「おうともよ。オレのマスターは腰抜けでな。お前のマスターの嬢ちゃんと違って、姿を見せないばかりか、槍が躱されたのなら帰って来い、なんて言いやがる。こっちもサーヴァントの端くれ、マスターの命令には逆らえなくてね」
 面倒だが浮世の義理ってやつだ、などと何処で覚えたのか背中越しに言ったランサーは、ぴたりと足を止めた。見る間に、その表情が変わった。
「――誰だ!!」
 ランサーが、牙を剥いたように見えた。


 どさり、とその場で聞こえるはずがない音が聞こえた。
「!!」
 凛、セイバー、ランサー。3人が共に、同じ方角に視線を向けた先に。
 異界の戦場を目の当たりにして、手に持っていた学生鞄を取り落とし、呆然とした様で立ちつくす制服姿の少年がいた。
 その少年の名が衛宮士郎ということを、この場では遠坂凛だけが知っていた。

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