Fate/another night

Chapter-1 運命の扉が開かれる夜

教会 2


「……なあ、遠坂。ここの神父さんって、エセ神父とかお前、随分酷いこと言ってたけど」
 士郎は、さっきから少々気になっていたことを凛に訊いてみた。相当の規模があると見えるこの教会を任されている神父なのだから、さぞかし立派な人物だろうと士郎は思うのだが、凛から見れば、その認識は正反対にあるものらしいからだ。
 果たして、凛は神父の名を言峰綺礼、と士郎に教えた後で、溜息をついて肩をすくめた。
「エセ神父はエセ神父よ。十年来の知人だけど、未だにわたしだって、あいつが何考えてるのかさっぱり分からない」
「十年……。そりゃまた、年季の入った知り合いだな」
 確かに付き合いが長ければ長いだけ、その分、余人の知らぬところが見えたりするだろうが。
 一点の曇りも無い美少女優等生だと思っていた遠坂凛が、実は意外に口が悪く、かなり「いい性格」の持ち主だと知ってしまった士郎は、遠坂ってその神父さんのこと嫌いなんだろうなあ、とか思わないでもなかった。
「別に、知り合いたくて知り合ったんじゃないけどね。綺礼は元はわたしの兄弟子で、父亡き後の今は第二の師にして後見人……って間柄の腐れ縁」
 そんな士郎の内心はともかくとして、つまらなそうに凛は説明したが、その中に気になる単語が混じっていた。そして士郎は、そこに驚愕せざるを得なかった。
「兄弟子!?」
「そう、兄弟子。わたしの父の弟子だったんだけど……、何をそんなに驚いてるのよ」
 ぎょっとした士郎に対して、自分で訊いてきたくせに、と言いたげな顔で凛は呆れた声を出した。
 が、いくら魔術師未満とか言われる士郎だって、魔術協会と教会の関係くらい知っている。
「いや、驚くだろ普通! 教会の神父が魔術なんて、普通、あり得ないじゃないか!」
 魔術師が属する魔術協会と、異端を嫌う教会とは、犬猿の仲である。魔術とは、魔力を生成することであらゆる事象に干渉する、人の手による神秘の技術。教会から見れば、それらは神の御業、聖人の奇跡に属するものであり、大いなる神への冒涜であるため、それを行使する魔術師は教会の敵に他ならない。
 物事には裏面が付き物である。神の愛を説き、人に慈悲と救済をもたらす教会の裏の顔を、聖堂教会という。「教会」と名が付きながら、聖堂教会には、神の摂理に背き、教会の教義の外にある吸血種、魔獣――そして、魔術師、そんな“異端狩り”のために、お抱えの処刑人がいる。彼らを「代行者」といい、苛烈に異端を屠り、駆逐することを任務とする純粋な戦闘要員である。無論、魔術師側も黙って狩られるわけがなく、魔術協会と聖堂教会とは隙あらば争い、血で血を洗う壮絶な殺し合いすら繰り広げられる関係だ。現在では休戦協定が結ばれているとはいえ、小競り合いや秘密裏の闘争までがなくなったわけではない。
 そんな、魔術を忌避どころか憎悪する教会に属する神父が、事もあろうに魔術協会の、しかも超エリートである凛の兄弟子だというのだ。驚くなという方が無理がある。特に、教会での位階が高くなればなるほど、魔術の汚れは禁じられているというのに。
 教会流の魔術ならば、神父が使うのも納得できる。いわゆる、“悪魔祓いエクソシズム”に代表される、洗礼詠唱だ。だが、凛の口ぶりでは、この教会の神父は教会と敵対する魔術師の魔術の技を修めているらしい。
 その矛盾。あり得ない。
「……いや、ひょっとして……」
 しかし、それはこの壮麗な教会が“一般の教会”であれば、おかしな話になるだけで、それが偽装でしかなく、もしも、ここの本当の顔が聖堂教会であったとしたら。
 代行者とは、神父であって普通の神父ではない。教義と信仰を守るという点では確かに立派な神父ではあるのだが、その生業なりわいとは要は神の名の下に行われる生命の粛正、殺戮である。速やかなる任務の遂行のためなればこそ、天敵であるべき魔術を学び、その力を利用する者がいてもおかしくはない。
 組織として魔術協会と教会が反目しているとはいえ、個人的な交流までが禁じられているわけでは無い。また、魔術協会にも、魔術の“法”に反した外法の魔術師を狩り立て、魔術が決して人目に触れぬよう秘匿を徹底して行う存在がいる。それを封印指定執行者といい、代行者とターゲットが被った場合は、共闘することもあった。
「当たり。聖杯戦争の監督役を任されたくらいだもの、そりゃもうばっりばりの“異端査問官インクィジター”――代行者よ。しかも、第八秘蹟会所属の。十年前の聖杯戦争では、マスターでもあったくらいなんだから。普通の神父なわけないでしょ? だからこそ、エセ神父って言うのよ」
「そういえば、監督役って言ってたけど……」
「聖杯戦争にはルールがあるって言ったわよね。無差別無秩序の殺し合いにならないように、魔術協会のしがらみとは無縁の聖堂教会から、聖杯戦争が円滑に、かつ秘密裏に行われるように監督役が派遣されるの。聖杯っていうのは聖遺物だから、教会側も無視できないってわけ」
 第八秘蹟会というのは、世界各地に散逸した聖遺物を回収し、管理することを任務とした特務機関である。“第八の秘蹟”とは、教義の外、“存在しない恵み”のことだ。その名を冠する聖堂教会内のこの機関は、聖遺物のためには魔術と関わることも恐れない特殊な聖職者の集まりであり、こと、聖遺物の最たる聖杯とは関わりが深い。であれば、魔術師同士の闘争たる聖杯戦争に関わってくることも頷ける。
 しかし、いくら縁があるからといって、神父までが以前マスターに選ばれたことがあるなどと、士郎には、ますます、聖杯がマスターを選ぶ基準が分からなくなってくる。魔術回路さえ持っていれば、正規の魔術師でなくてもいいとか、員数合わせにもほどがある、という気がする。だから尚更、この聖杯戦争がどうして始まり、何のために7人のマスターとサーヴァントを必要とするのか、更には殺し合わなければならないのか、知らなければ、戦えと言われたところで、はいとは到底、頷けない。
 ――果たして、正義はそこにあるか否か。
「……」
 士郎は、扉の取っ手に掛けた手に、力を入れた。聖杯戦争とは、そもそもが何であるのかを知るために。
 重い軋みと共に、両開きの扉が開かれる。
 ミサの時はきっと人で埋まるのだろう信徒席がずらりと並ぶ、祈りの場所。広い礼拝堂は、柔らかな燭台の光に照らされていた。
 静謐で、荘厳な空気。
 その祭壇の前に、一人の男が立っていた。
 士郎が呼び出したサーヴァントのアーチャーも長身だが、聖職者であることをこの上なく示す漆黒の僧衣カソックを纏い、首から十字架ロザリオを提げた言峰綺礼という神父も、負けず劣らずだった。異端の存在を仕留める代行者であるという神父は、慈悲の心よりも罪を罰する者が持つ威圧感じみたものを、強く感じさせた。
「……ほう、彼が七人目ということか、凛」
 時ならぬ二人の若い来訪者に、神父が口を開く。重々しい声だった。凛が応じる。
「そうよ。マスターに選ばれた魔術師とはいえ、ずぶの素人同然だから、見てられなくって。……マスター登録、なんてあんた達教会側が勝手に決めたルールだけど、今回は従ってあげるわ」
「ふむ、再三の呼び出しに応じなかったお前をここに連れてきてくれた、まずはそこに感謝せねばなるまいな、少年。私はこの教会を任されている、言峰綺礼という者だ。――7人目のマスターよ、君の名は、何という」
 凛に向けられていた神父の視線の行く先が、士郎へと変えられた。
 それだけだ。
 ただそれだけで、苛烈な敵意を示されたわけでも無いのに、士郎は知らず、足が勝手に後退りそうになるような圧迫感を受けるのを覚えた。士郎はそれを懸命に堪え、表情に力を入れた。一つ深呼吸して、問いに答えを返す。
「……衛宮、士郎。けれど俺は、そのマスターとかいうものになった覚えもないし、納得したわけでもないからな」
 その士郎の言葉を聞いたときの、言峰神父の反応をどう表現したら良いのか。
「衛宮――士郎」
 表面上は、言峰綺礼は衛宮士郎の名を復唱して微かな笑みを浮かべただけだ。しかし、ここまで人の不安を煽り立てる笑顔というものを、士郎は見たことがなかった。
 背中に、悪寒すら走る。
 まるで、何か喜ばしいものに出会った、というような、士郎には不可解な笑い。一体、自分の名の何処に、この神父の琴線に触れる者があったのかと、士郎は身を固くした。
 笑みを浮かべたまま、言峰は鷹揚に口を開いた。
「なるほど、……では、改めて凛を連れてきたことに礼を言う、衛宮士郎。この師を敬わぬ弟子は、こういった口実が無ければ、最後までここを訪れる気は無かったようだしな」
「好きで、あんたの弟子なんかになったわけじゃないわよ」
 士郎の隣で、凛が毒づいた。もっとも、十年来の付き合いだという凛のそんな反応には慣れきっているのだろう、言峰はそれを無視し、士郎に改めて向き直った。
「では、始めようか。君は凛が伝えてきた通り、召喚したアーチャーとマスターとして契約した。これに間違いは無いな?」
「さっきも言ったけど、俺はマスターなんかじゃない。聖杯戦争とかマスターとかサーヴァントとか、俺にはさっぱりだ。だから、マスターっていうのがちゃんとした魔術師がなるものなら、別の魔術師を選び直した方がいい」
 あくまでも本気で士郎はそう言ったのだが、凛は呆れた表情を浮かべ、言峰は愉快そうに喉奥から笑い声を漏らした。
「ほう、これはこれは――本当に何も知らぬのか、彼は」
「だから言ったじゃない。本っ当になーんにも知らないんだから、一から躾てあげてよ。そういう追い込み、アンタ得意でしょ」
 あからさまな溜息をつきつつ士郎の無知を強調して、肩に掛かる豊かな黒髪を凛はかき上げた。
「そうか、どういう形であれ、凛、お前が私を頼ったのは初めてのことだな。これは極めて貴重な体験だ。衛宮士郎、君にはいくら感謝してもし足りないな」
 祭壇から降りた言峰が、士郎に歩み寄る。板張りの床に、こつこつと靴の踵が音を鳴らす。
「まず、君は大いなる勘違いをしているということを伝え、それを糺しておこう。衛宮士郎、マスターとは他人に譲れる権限ではなく、恣意によって辞められるものでもない。その手に令呪を与えられた者は、マスターとして聖杯戦争を戦わねばならん」
 凛にも、それが令呪というサーヴァントへの強制命令権を持つ刻印だと説明された、左手の甲に刻まれた赤い三画の紋様に、士郎は目を向けた。
 けれど、頼んでもいないのに一方的に、人を、殺し合うための魔術師同士の戦争などに巻き込んでおいて、お前はそこから逃れられないなんて、そんな理屈があってたまるものか。俺は、あくまでも正義の味方になるために魔術師になろうとしただけで、人殺しになんかなるつもりはない。士郎は、ぎりと左手を握りしめた。
「勝手に決められたってのに、辞められないってどういうことだよ」
「令呪とは、聖痕スティグマでもある。マスターとは、聖杯に選ばれし者に与えられた、ある種の試練だ。都合が悪いからと言って、放棄は出来ん。聖杯を手に入れるまで、マスターは令呪を持つ痛みから解放されない」
 不満たらたらの様子をあからさまにしながらも、アーチャーが士郎をマスターと呼ぶのも、凛やセイバーが何の疑問も無く士郎をアーチャーのマスターとして扱うのも、つまりはそういうことなのだ。如何に不条理な人選であれど、既に定まってしまったことは、覆せぬと。
 しかし、どうして納得できよう。聖杯戦争に意義を見出さぬ者は、勝者への賞品たる聖杯を欲せざる者だ。そんな人間を、聖杯の意思とやらは、何故担い手になり得る者としてマスターに選び出したのか。
 そんな士郎の不服を読み取ったのか、言峰は諭すように言った。
「だが、聖杯を手に入れれば、その、マスターを辞めたいという望みも叶おう。あれこそは、万能の釜――万物の願望機なのだからな。そう、勝ち取った聖杯に願えば、何もかもを元に戻すことも可能だ。その裡に溜まった泥を掻き出すことも」
 士郎は唇を噛む。その前提からして、既におかしい。聖杯戦争になど参加するつもりが無いのに、聖杯戦争の最終勝者とならなければ、士郎がマスターであるという事実からは逃れられないという。
 目眩がしそうだ。
 士郎は聖杯なんか要らないのに、6人のマスターと、6騎のサーヴァントを倒し尽くしてそれを得なければ、この状況から離脱できないなんて。他者の命という犠牲の上に成り立つ、そんな“試練”があっていいのか。
「故に望むがいい。もしその時が来たれば、君はマスターに選ばれた幸運を思い知り、感謝するだろう。簡単なことだ、目に見えぬ火傷の痕を消したいのなら、聖痕を受け入れるだけでいいのだ」
 誘いかけるように、言峰は語を継ぐ。士郎を混乱させる、意味が不明瞭なその言葉の連なりは、さながら、蝶が蜘蛛の巣に絡め取られる様を連想させた。
 粘って、纏わり付く。その蜘蛛の糸は、血の色をしていて――。
「ちょっと、綺礼。勿体ぶった、回りくどい言い方はしないで。わたしは彼に、聖杯戦争のルールを説明してあげてって頼んだ筈よ。告解に来たんじゃないんだから、傷を開く必要なんかないでしょ」
 割って入った凛の声に、士郎は、はっと我に返った。
「……遠坂……?」
 凛が、腕組みをして言峰を睨んでいる。
「そうか。随分と迷いを抱えているようなので、少しは楽にしてやろうかと思ったのだが。こういった手合いには、理を説いても無駄だからな。情けは人のためならず……とはよく言ったものだ。私自身も、つい楽しんでしまったようだ」
「なによ。迷える若者に救いの手を伸べるのは、聖職者の本懐とでも言いたいわけ? それとも、彼を助けるとアンタにいいことがあるっていうの?」
 士郎とアーチャーを「凸凹コンビ」と評した凛だが、師弟関係にあるという言峰と自らの間も相当なものである。凛が、言峰をエセ神父と連呼していたのを、今なら士郎も同意できそうだった。
「無論、あるとも。他者の救済とは、神父にとって何よりの喜びであり、いずれ自分自身を救う事だからな。今更、お前に説法するまでも無いだろうが」
 そう言う口ぶりが、何とも胡散臭く聞こえる。
「さて――では、本題に入るとしようか、衛宮士郎」
 あくまでも、士郎には理解出来ない楽しげな笑いの気配を含んだまま、言峰神父はおもむろにそう切り出した。


 雲厚い曇天の下、セイバーは教会の方を振り仰いだ。話は長引いているのか、士郎と凛、二人の姿を吸い込んでいった扉が再び開かれる兆しは、今のところ無い。凛が監視を頼んでいったアーチャーも、霊体化したまま、やはり動きは無い。不可侵の中立地帯である教会の敷地内での争いは御法度であり、それを破った場合にはペナルティが課されることもあるのだから、進んでそのような愚行を犯すなど、少しでも思慮のある者ならば、普通はすまい。
 と、不意に、霊体化を解いたそのアーチャーが、セイバーの前に姿を現した。赤い外套を纏った長身の弓兵は、セイバーの真正面に立った。
「……まだ、望みは変わらないのか」
 そして、アーチャーはそんなことを言った。発せられた声には一切の嘲弄はなく、いやに乾いていた。
 セイバーは、アーチャーを翡翠の両瞳で見据える。
「私が何を望もうとも、貴方には関係の無いこと。聖杯が叶える望みは一つだけしかないのだから。それとも、私に何か言いたいことでもあるのですか、アーチャー」
 静かに、アーチャーはかぶりを振った。
「聖杯を使い、ブリテンの滅びの運命を変える――その望みは本当に正しいのか。胸を張って、それがまったき救いであると言えるのか、アーサー王。……いや、アルトリア・ペンドラゴン」
「!?」
 セイバーの小柄な身体が、ぎくりと強ばった。
 何故。
 何故この男は、青史に名を刻まれた王の名・アーサーではなく、一人の少女としてのアルトリアの名を知っているのか。この名と、アーサー王が実は男性ではなく女性だった、と真実を知る者は、王妃ギネヴィアや義兄のサー・ケイ、異母姉のモルゴースやモルガン・ル・フェイなどの親近者か、それ以外では朋友たるサー・ランスロットなど、ごくごく近しい人間だけしかいない。
 また、錚々たる円卓の騎士の中、アーチャークラスとして召喚される可能性がある者といえば、まず連想されるのが、『無駄なしの弓フェイルノート』を持つサー・トリスタンだが、彼はセイバーの眼前にいるアーチャーのような褐色の肌も白い髪も、鋼色の瞳も持っていなかった。少なくとも、このアーチャーの風貌を持つ円卓の騎士など、セイバーには見覚えが全く無い。これだけ特徴的な容姿を、アーチャーが持っているにも関わらずだ。
 それなのに、アーチャーはセイバーを知っている。その運命も、聖杯にかける望みすらも。
(この男、何者……!)
 危険だ。セイバーの脳裏で、警鐘が激しく打ち鳴らされた。理由の如何によらず、向こうは、一方的に自分の素性を知っている。つまり、必勝の切り札たる宝具のことまで知られていると思って、まず間違いない。アーサー王の名を知るならば、『約束された勝利の剣エクスカリバー』を知らぬ道理が無いからだ。だが、私は何も彼について知らない。このままアーチャーを捨て置いては、自分にとっても、マスターである凛にとっても、不利になる。
 咄嗟に身構えるセイバーに対して、アーチャーは一瞥を与えた。
 その瞳の中に含まれた色に、セイバーは一瞬、怯んだ。
 敵意とは対極にある、それはひどく哀しみに似た感情に見えたからだ。
 戸惑うセイバーにそれ以上何も言わず、アーチャーは再び、霊体化して姿を消した。
(私、は……)
 セイバーは、胸の上で手を組んだ。祈りの形に、それはよく似ていた。
(……それでも私は、故国を、ブリテンを、……救うために、聖杯の召喚に応じたのだから……)

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