Fate/another night

Chapter-1 運命の扉が開かれる夜

教会 1


 それにしても。
 さっきから、遠坂凛に一方的に振り回されているというか、遊ばれていると思えるのは、士郎の気のせいではない、きっと。
 だが、完全無欠な憧れの優等生だと思っていた彼女の、意外すぎる一面を目の当たりにして、それでも士郎は不思議と不愉快ではなかった。何と言うか、普段の凛は猫をかぶっているとは分からないくらいに完璧だったが、今の凛は、ただありのままの遠坂凛という感じで、むしろずっと親しみを感じられる。
 ……若干、というかいささかというか、かなり? 問題がある性格であるとは思うが。
 士郎がマスターに選ばれなかったら、こんな風に凛を知ることは出来なかったわけで、訳の分からない聖杯戦争とやらに、その点は感謝、するべきなのだろうか。
 それはそれとして、凛がさっさと玄関に向かおうとするのを、士郎は呼び止めた。
「なあ、遠坂」
「何、まだ質問があるの?」
「さっき、今から新都まで行くってさりげなく言ったけど、まさか、ここから新都まで歩いていくのか」
「当然でしょ。今、何時だと思ってるのよ。もうバスも電車も無いし。ま、夜の散歩ってのもなかなか乙じゃない」
 その、今何時だと思ってる時間に外を出歩く、という選択肢はありなのか。この深山町から新都まで、徒歩だったら一時間くらい掛かるんだぞ。士郎はそう思うのだが、凛はその辺りは一切、気にもしていない様子だった。ので、士郎は率直なところを言ってみた。
「けど、最近物騒だろ。こんな深夜に、その、女の子が長時間外を出歩くってのは……。何かあっても、俺は責任持てないぞ」
「はあ?」
 士郎の言葉に、凛が目を丸くする。
「何言ってるの? 衛宮くん、頭大丈夫?」
 本気で、士郎の言っていることが意味不明だという顔をして、凛は首を傾げる。
 そんな凛と士郎の間に、己がマスターを庇う仕草でセイバーが立ちはだかった。そして、淡々と士郎に告げる。
「アーチャーのマスター。どんな危険があろうと、凛の身はこの私が守ります。何を心配しているのか分からないが、貴方の気遣いなど無用だ」
 しかし、小柄で華奢な少女は、鎧を纏っていない今、可憐さや清冽な美しさばかりが目に付いて仕方が無い。
 結い上げられた黄金の髪、白皙の肌、鮮やかな緑の瞳。瑞々しく澄み渡った美貌は、御伽噺の姫君めいて繊細でありながら、繊弱さとはまるで無縁だった。さながら――そう、緑柱石エメラルド青玉サファイアなどの宝石のごとく、セイバーという少女は硬質に綺羅に、誇り高く麗しい。
 改めてまじまじと見つめると、士郎はその彼女の美しさを意識せずにいられない。
「……けど、セイバーだって女の子じゃないか」
「は?」
 士郎の返答を予想だにしなかったらしく、ぽかん、とセイバーが呆気に取られる。それは僅かの間で、すぐに、翡翠と同じ色の瞳が、す、と細まった。剣呑な気配。
「女だからと、私を愚弄するつもりですか」
 いわれなき侮辱は許さぬと、言葉以上の強い視線を受けて士郎はあたふたする。
「い、いや、そんなつもりじゃなくってその……」
 そんな士郎を見て、ぷ、と堪えきれない、といった様子で凛は吹き出した。
「ひょっとして、痴漢にでも遭ったら、衛宮くんが助けてくれるって言うの? 屋上での戦いを見たんでしょ? なら、わたしのセイバーがとんでもなく強いってことぐらい分かるでしょうに」
 確かに、それはそうではある。ランサーと戦っていた、彼女の姿を思い出す。目に見えぬ剣らしきものを振るい、下手をすれば士郎よりも年下にも思える少女の身で、凄まじく果敢に、勇ましく。
 しかも彼女は、ランサーの放った奇怪な一撃を受けても持ち堪えていた。確か、胸を貫かれたと見えたのに、その傷の痕跡も後遺症も糸ほども感じられない。
 セイバーは、間違いなく強い。士郎よりも、明らかに。ただ、士郎が未だにサーヴァントという存在にぴんと来ないために、実感が追いついてこないのだ。
 凛はまだ、くすくすと声を上げて笑っていた。
「衛宮くんって、ほんっと魔術師とかサーヴァントとかどうでもいいのねー。一度、頭の中を見てみたいくらいだけど、抜けすぎてて何か心配になっちゃうわ」
「……寝ぼけているのか、マスター。むしろ貴様の方が、無防備に敵の刃の前に身を晒している状態なのだぞ。誰が一番の弱者か、まだ分からんのか。今、ここに生きていられるだけで僥倖だというのに」
 アーチャーが、やってられんと言わんばかりの声音を発し、士郎に歩み寄る。鋼色の双眸が、頭ごなしに士郎を見下ろしてきた。侮蔑すら感じられるその目に、士郎は反発心を呼び起こされる。
 敵だろうが何だろうが、そうなるとまだ決まったわけじゃないし、そもそも相手は女の子なんだから心配したらおかしいのか。
 この場にいる全員から踏んだり蹴ったりな扱いを受けているといってもいい士郎だが、一番、当たりがきついのが彼自身の従僕たるサーヴァントのアーチャーだというのは、どうにも納得しかねる。
「遠坂が、俺を殺すってのか」
「さっきまで何を聞いていた。まだ、彼女からお前は敵するに値せず、と見做されているに過ぎん。逆に言えば、それはいつでも殺せるというのと同じ意味だ」
 言い捨てて、アーチャーは士郎にさっさと背を向ける。その足が玄関に向かおうとしているのを見て、士郎は広い赤い背中を呼び止めた。
「まさか、お前も俺たちと一緒に教会に行くってのか、アーチャー」
「気は進まんがな。貴様が殺されるのも困る」
 単なる義務感のみに支えられたとはっきり分かる声で、アーチャーは士郎を振り向きもせずに答える。士郎もまた、むっとした感情を隠さずに言った。
「そんな仕方なく、ついて来なくてもいい」
「貴様の指図は受けんと言った」
 ああ言えばこう言う。サーヴァントとは英雄の魂を具現化した存在というが、このアーチャーに関しては、何処の誰だか正体は不明ながらも、全く、実に性格の悪い英雄もいたものである。まあ、英雄というのは、才が桁外れに衆に優れた人間を指すのであって、必ずしも人格者だとは限らないのだろうが。
 そういえば。
 当初から普通に会話も成立することために士郎は失念していたが、アーチャーの正体が何者か分からないということは、この現代社会は恐らくは彼にとって異境も同然だろう。そんな状態で外をうろうろされるのも、何やら危なっかしい気がする。
「お前、いつの時代の人間だったか知らないけど、召喚されたばっかで、この時代のこととか右も左も分かんないだろ。大丈夫なのか」
「たわけ。召喚された時代に即応できぬサーヴァントなど、何の役に立つ。我々は、人の世であればあらゆる時代の知識を与えられている。無論、この時代のこともよく知っているさ。何が優先事項かも分かっておらんのに、余計な心配などしている場合か」
 だが、士郎の気遣いも、大きなお世話だとばかりにばっさりと切り捨てられた。けんもほろろ、だ。
「けど、いくら夜中だからって、そんな格好で外を歩くってのかよ」
 せめてもの抗弁として、士郎はアーチャーの赤い外套姿の、この時代における珍奇さを指摘する。
「本当に何も聞いていなかったのか。霊体化するに決まっているだろうが。いずれにせよ、貧弱な魔力供給しか得られんのだから、基本的にはほぼ霊体化している必要があろう」
 もっともそれすらも、士郎を愚弄する材料にしてしまうのだから、アーチャーの根性の曲がり具合は筋金入りだ。
「俺のことマスターって呼ぶくせに、お前はその態度なんだな!」
「おや、気を悪くしたのか。そんな上等な感情があるとは知らず、それは失敬した。だが何分、せめてマスターと呼んでおかないと、貴様が私のマスターであることを忘れそうなのでな」
 ……いちいちむかつく。
 士郎はアーチャーを睨みつけるが、薄笑いと共にあっさりと受け流される。凛は、サーヴァントを上手く使って聖杯戦争を戦えと言うが、このアーチャーとただ顔を合わせているだけでも相当な苦労を強いられる確信だけは、士郎は十分に実感していた。それこそ、魔術師同士の生存競争であるという聖杯戦争に参加なんかしたら、真っ先に脱落するんじゃないか、というくらいに。
「何やってんのよ、衛宮くん。さっさと行くわよ」
 それまで、曰く「凸凹コンビ」のやり取りを面白そうに眺めやっていた凛だったが、さすがにその歩み寄る気の無い険悪さに呆れたのか、そう声をかけてきた。
「あ、ああ。分かった。今行く」
 士郎は頷き、凛と共に玄関に向かう。
 未知なる領域へと、踏み出す一歩を。




 街灯の照明以外、家々から路上に洩れてくる光は殆どなく、街は寝静まった静寂に包まれている。このところ冬木市に頻発する怪事から、息を潜めるかのように。
 そんな夜道を歩く3つの人影。親密なような親密でないような微妙な間隔を保ちながら、時折雑談など交わしつつ、特に足音を潜めるわけでもなく、ごく自然に。
 士郎、凛、セイバーの3人だ。アーチャーは本人の言った通り、家から出てすぐに不可視の霊体となったため、姿は目に見えない。それでも彼が士郎からつかず離れずの距離でついて来ているのは、マスターとサーヴァントとの繋がりのためか、はっきりと士郎には感じられた。
 そのアーチャーと同じサーヴァントであるセイバーは、凛の隣で普通に歩を進めていた。
「セイバーは霊体化しないのか」
「必要ないじゃない。別に、アーチャーみたいに変わった格好してるわけでもないし」
 士郎は訊いてみたが、凛が何をそんな当たり前のこと、という風に答える。まあ、確かに、黒い鎧の上に赤い外套を纏うという、現代の一般的な装いとは一線を画した身なりのアーチャーと違い、セイバーは白いブラウスに青いスカート、茶色のブーツといったごく普通の服装をしている。この冬木は、古くから外国との往来が盛んな地であったため、明らかに西欧人の風貌を持つセイバーも特に奇異な目では見られまいが。
 何となく、彼女らと並ぶのに気が引けたので、士郎は凛とセイバーの手前に立って歩いていた。
 変に意識してしまうのは、ちょっと前のやり取りのせいだ。
 セイバーが、士郎を「アーチャーのマスター」と呼ぶため、士郎は、
「……その、アーチャーのマスターって呼び方やめてくれないかな。俺はどうもアーチャーにはマスターだとか思われてないみたいだし、それに俺には衛宮士郎って名前があるんだ」
 と、控えめに異を唱えたのである。すると、セイバーは、少し考えた後でこう言ったのだ。
「――分かりました。ならば、シロウ、と」
 よもや、そんな親しげに下の名前で呼ばれるとは思わなかったため、士郎は他愛も無く動揺してしまった。それで、なるべく凛もセイバーも顔を見ないで済むように歩く士郎だった。
「あら? どっちに行くの衛宮くん。新都に行くのなら、道はそっちじゃないでしょ」
 急に横道に逸れた士郎に、凛が声をかける。
「いいんだよ。橋に出ればいいんだろ。なら、こっちのが近道だ」
 士郎が答えると、2人の少女は何も言わずに後をついてくる。
 冬木市を深山町と新都に分ける境界として流れ、海に注ぐ未遠川。その上を跨ぐアーチ型の冬木大橋のふもと、川縁には市民の憩いの場となっている海浜公園がある。士郎の行く道を辿り、3人はそこへ出た。
 夜間照明のライトを投げかける橋を見上げて、感心した風に凛は言った。
「へえ、こんな道あったんだ。そっか、橋には公園からでも行けるから、公園を目指せばいいのね」
 夜の公園。
 実態はほど遠いとしても、何だかカップルのデートコースみたいな選択だと、何となく士郎は思ってしまった。そんなことを考えたせいで、凛の横顔が普段以上に綺麗に見えて仕方が無い。しっかりしろ、俺、と一つ自分に気合を入れて、士郎は凛を促した。
「行くぞ、遠坂。遊びに来たんじゃないんだし、用事はさっさと済ませてしまおう」
 そう言って、士郎は大橋の歩道部分に繋がっている階段を上っていく。この橋を渡れば、新都までは一直線で辿り着ける。何よ余裕が無いわね、とでも言いたげな顔を凛はしたが、文句は口にしなかった。
 車通りもほとんど絶えた時間。昼間でも行く人の少ない歩道は、よけいに寒々しい。新都と深山町の往来はバスや電車が一般的なのだ。歩くには少々距離が長いのと、海からの強い風に煽られて、足元が不安定に感じられるせいもあるかもしれない。こうやって、歩きながらの眺めは決して悪くないのだが。ロケーション的に考えると、夕日時とかきっと綺麗だろう。
(いや、さっきから何考えてんだ俺)
 後ろを歩く2人の美少女を努めて意識しないようにしながら、士郎は早足でつかつかと歩く。相変わらず、アーチャーの気配は近くも無く遠くも無くの距離に感じられる。何となく、士郎の動揺ぶりを嘲笑っているような気がするのだが、それは全くの気のせいということにしておいた。
 そうやって橋を渡りきると、先頭は士郎から凛に変わった。彼女を護衛するかのごとく、セイバーがぴたりとその隣に並ぶ。
 新都は、古くからの住宅地である深山町と違って、駅を中心にオフィス街として開発された近代都市の観を示している。それでも、街の中心地から離れれば昔ながらの街並が姿を現す。その郊外へと、凛は士郎を案内する。
 なだらかに続く坂道、海を臨む高台。冬木は古くから外国人居留者が多いため、異人館と呼ばれる建物や、丘の斜面には外国人墓地もある。そこはかとなく漂う異国情緒。
 士郎を、凛が振り向いた。
「この丘の上が目的地の教会よ。衛宮くんは行ったことがある?」
「いや、ない。あそこが孤児院だったってことは知ってるけど」
「なら初めてなのね。さっきも言ったけど、あそこの教会の神父はエセ神父と呼ばれるのに相応しい曲者だから、充分注意して気を引き締めてかかった方がいいわ」
 事情を知らない士郎からしてみれば、何だか罰当たりだなあと思うような忠告をして、凛は先導をきって坂道を上がっていく。坂が頂点に近づくにつれ、冬木教会は壮麗なる全容を次第に現してきた。
 小高い丘の上の教会。掲げられた十字の印。
 今まで、士郎が寄り付くことなど考えもしなかった、神の家。
 高台をまるまる削り取って敷地にしているのか、レンガを敷き詰められた広場がかいなを広げて、おとなう迷える子羊たちを出迎える。奥に見える教会の建物は、決して巨大ではないが、不思議なほどに威厳を示している。
 教会へと足を進めながら、凛は念話でセイバーに話しかけた。
(セイバー、アーチャーはどんな様子?)
(こちらの出方を伺っているようです。少なくとも、害意は今のところ感じられません)
 一旦、霊体化したサーヴァントは、人間にはマスターにしかその存在を感じ取ることが出来ないが、同じ霊体であるサーヴァント同士ならば知覚は可能である。
 現段階では衛宮士郎は、アーチャーが指摘した通りに、遠坂凛にとってはまるで脅威には値しない。だが、そのサーヴァントであるアーチャーはとなると話は別だった。彼は魔力不足で力を充分に発揮できない状態だとは言うが、仮にもセイバーと並ぶ三騎士の一角である弓騎士アーチャークラスに据えられたサーヴァントがそこまで脆弱だとは思えない。マスターの士郎との仲は良好ではないにしても、どうにも油断のなら無い言動が警戒を促す。
(そう、だったら引き続きアーチャーの監視を頼むわ。何かあったら報告お願い)
(承知いたしました)
「じゃ、セイバー。わたし達はちょっと行って来るから、ここで待ってて」
「はい、凛」
 今度は声に出して凛は言った。士郎が、その言葉に眼を瞬かせた。
「え、遠坂、セイバーを置いていくのか」
「私は凛を守るためにここまで来たのです、シロウ。目的地が教会である以上は、これ以上遠くには行かないでしょう。ですから、私はここで待ちます。無論、貴方が凛を害そうとするのなら話は別ですが」
 セイバーはあくまでも静かに、それでいて確かな烈気を感じさせて士郎に応じた。
「何言ってんだよ、そんなことするわけないだろ!」
「出来るわけがない、の間違いだろう」
 霊体化を解いたアーチャーが、あからさまに冷笑含みの言を発しつつ姿を現す。
「アーチャー……それはともかく、お前はどうするつもりなんだ。ついてくるのか」
 この男は、厭味や皮肉を混ぜ込まないと会話が出来ないのだろうかと、限りなく確信に近い疑問を抱きながら士郎は問いかけた。
「私がついていないと不安なのか?」
「誰が! そんなわけあるか! むしろお前がいたほうが、絶対に話が進まないからついてくんな! 行こう、遠坂!!」
 くく、と低い声で笑われて士郎は激昂気味にアーチャーに背を向けて教会へと身を翻した。

誤字脱字の報告、ご感想などありましたらご利用ください。お返事はmemoにて。

お名前: 一言コメント:  返信不要 どちらでも
コメント: