Fate/another night

Chapter-1 運命の扉が開かれる夜

邂逅 4


「……けど、受け入れろって、そんな……他の魔術師と殺しあえっていうのをか?」
 士郎は、ぎゅっと左手を握り締め、凛の顔を見る。凛は、呆れたようにさめた目で士郎を見返した。
「何言ってるの? 言っておくけど、貴方がマスターに選ばれた以上は、放っておいてくれって言ったところで無駄なのよ。そんなの関係無しに、他のマスターは貴方を殺しに来るわ。それが単なる事実。大体、魔術師が最初にする覚悟が、死を容認することでしょ。自分の死も、他人の死も。魔術師っていうのは、殺し殺されるものよ」
 至極あっさりと、遠坂凛は言う。
「本当は衛宮くんだって、薄々感づいてるんじゃない? 一度ならず二度もサーヴァントに殺されかけて、もう自分はこの現実に関わらざるを得ないんだって」
「――」
 確かに、それは。凛の言葉を受け入れ難い、と思う一方で、彼女の言葉が受け入れるしかない事実だ、と認める自分も、士郎の中にはいた。
 既に、ぼんやりとだが、思ったではないか。
 屋上での戦いを目にして、そのためにランサーに殺されて。もう、衛宮士郎はこの異常事態に無関係な人間ではないのではないか、と。
 ――心臓を突き刺されて、殺された。
「あ、違うか。殺されかけたんじゃなくて、殺されたんだっけ。よく生き返ったわね、衛宮くん」
 無意識に、士郎は自分の心臓の上を押さえた。ぎゅっと、心臓が萎縮した気がして、身震いする。
 冷たい赤い穂先に、肉を、心臓を、貫き通される感覚。あの時、衛宮士郎は確かに殺されて、死んだ。心臓が壊されて、血液が流れ出て、感覚が無くなって……。
 けれど、全てが闇に落ちてしまう寸前、今にも底へと転がり落ちそうだった死の淵から、誰かの手で引っ張り上げられた。
 そう。誰かが、衛宮士郎の命を救ったのだ。誰かが、魔術を使って、死者を生き返らせた。だから、衛宮士郎は生きている。
 ひょっとしたら。
 士郎は、さっきも、ちらりと脳裏に引っかかった、もしかして、を口に出して問うた。
「――待て。何で、俺が殺されたって遠坂が知ってるんだ」
「……え?」
「そっちの……セイバーって子、ランサーと学校の屋上で戦ってたのを、俺は見た。確かあの時、あそこに誰かもう1人いたけど、それって遠坂じゃなかったのか」
 凛の隣に座るセイバーに目を向けて、士郎は座卓に両手をつき僅かに身を乗り出した。セイバーは、ただ黙したまま、時折、アーチャーの淹れた茶を飲んでいる。話は聞いているようだが、口を挟む様子は無い。
「――ちっ、ちょっと調子に乗りすぎたか」
 美少女にあるまじき舌打ちをして、凛はあからさまに士郎から目を逸らす。
「今のは言葉のあやってものよ。つまんないことだから忘れなさい」
「そんなわけにはいくか。大体、遠坂はセイバーのマスターなんだろ。だったら……」
 凛が打ち切ろうとした話に、士郎は食い下がった。
「い・い・か・ら! 起こってしまったことより、これからのことの方が大事でしょ。何があったかっていうのはもういいじゃない、今、ちゃんと生きてるんだから。とにかく、貴方はマスターに選ばれて、聖杯戦争の主役の1人になったってことを、きっちり実感してよね」
 しかし、凛は強引に物凄い力技で、ねじ伏せるように士郎を遮る。どう考えても、この場合は何も知らない士郎よりも、凛の方が立場が強いのは明らかだ。士郎は、凛からレクチャーを受けている立場なのだから、当の彼女が避ける話を追究するには分が全く無い。
 結局、凛の勢いに押された士郎は、仕方なく口を噤んだ。真実を知る機会は、きっとこの先まだあるに違いないと思い直し、そっとポケットを上から押さえる。
 そこに入っている硬い手応えは、命を助けられた士郎の胸の上に、落ちてきたペンダントのものだ。これの持ち主は、きっと遠坂凛なのだろうと思う。凛は起こってしまったことはもういい、と言うが、士郎にとってはそうではない。救われたという事実が、少しも揺らぐことは無いのだから。
 そう、10年前に衛宮切嗣に助けられた、かつての大火の日のように。
 あの救い主が遠坂凛であるならば。切嗣の夢を叶えてやる、と誓ったように、凛に何かの形で、恩などという言葉ではいささか軽すぎるが、ともかくそれを返せることがあるだろうか。
「で、聖杯戦争というものは、戦争って名がつく以上、一応、ちゃんとルールがあるわ。そのルールに則って、聖杯によってマスターに選ばれたマスターは、サーヴァントを召喚できる。このサーヴァントを行使して、マスターは敵対するマスターを倒していくの」
 凛は、士郎の内心など知らぬげに、教師じみた口調で説明を続ける。
「わたしもマスターに選ばれ、セイバーを召喚して契約したわ。ま、貴方の場合は偶然からアーチャーを召喚したみたいだけど。サーヴァントは、聖杯が招き寄せた使い魔。魔術回路を備えた魔術師であるって、最低条件さえクリアすれば、衛宮くんみたいなへなちょこ魔術師でもマスターになれるってわけ」
 また、さりげなく酷い一言をさらりと混ぜ込んで放つ凛。傷つくなあ、と士郎は思いつつも、否定できない自分が少し切ない。
 それにしても、だ。
 士郎は、セイバー、次いで壁際に立つアーチャーに視線を走らせる。
「……なあ、さっきから疑問なんだけど」
「何?」
 言ってごらんなさい、という凛の視線を受けて、士郎は率直な質問を発した。
「サーヴァントって本当に使い魔なのか? アーチャーは自分をサーヴァントだって言ってたし、そのセイバーもそうなんだろ。けど、俺にはこいつらが使い魔だなんて思えない。使い魔ってのは、普通は小動物で、人の姿をしてるやつはほとんどいないって言うじゃないか。人の幽霊を使う魔術師もいるらしいけど、基本的には魂の存在が重過ぎる人間を常に束縛するなんて、魔力の消費量が半端無いから、本末転倒で避けるだろ」
 アーチャーもセイバーも、彼等は、その姿形は紛れも無く人間に見える。
 それどころか。サーヴァントと呼ばれる存在が、人間の自分よりも、ずっと優れた力を持つことを士郎は嫌と言うほど、既に知らされている。それこそ、アーチャーに未熟だの魔術師未満だの言われ、凛にはへっぽことかへなちょことか言われる士郎が、容易に従え得る存在ではないことだけは確かだ。
「そうね。大雑把な分類としては、使い魔に相当するけれど、彼等サーヴァントは、もっととんでもない存在よ。何せ、使い魔としては最強の、ゴーストライナーなんだから」
「ゴースト……? 幽霊ってことか」
 士郎は首を捻る。
 幽霊は体をも持たない。アーチャーやセイバー、ランサーがそんな霊的な存在だとしたら、士郎がランサーの持つ槍に貫かれて殺されたのはおかしい、ということになる。
「少なくとも彼らが既に死んでいる身、という事実だけ捉えればそうなるわね。けど、単純に幽霊なんかと一緒に出来るわけないでしょ。幽霊が、こうやってお茶淹れたり飲んだりできる? サーヴァントってのはね、過去の英雄の魂が現世での体を与えられたもの。もっと精霊じみた存在なのよ」
「過去の英雄だって?」
 えらく荒唐無稽な話を突然持ち出されて、士郎は盛んに眼を瞬かせた。だが、当の発言主である凛は、いたって真面目だ。
「そうよ。とにかく、過去だろうが現在だろうが、死亡した伝説上の英雄を“座”から引っ張ってきて実体化させたもの、それがサーヴァントの正体よ」
 そういえば、アーチャーが最初に、英霊の座より呼び寄せられた、とか言ってたような。と、士郎は思い出す。
「マスターに出来るのは、“座”にいる英雄の魂に呼びかけること。で、それに答えてもいい、と思った英霊が、聖杯を通じてこうして現世に実体を得てサーヴァントとして降り立つってわけ。ま、これも聖杯っていうアーティファクトによる奇跡の一端と言っても良いかもね」
「英雄……」
 学校の屋上でのセイバーとランサーの激突。先程、間近で目の当たりにした、アーチャーとランサーの戦闘。
 確かに、あれが英雄同士の戦いなのだ、といわれると納得せざるを得ないこともない。それほどまでに、彼らの力は人間離れしすぎていた。
 この時、もしも士郎がアーチャーに僅かでも注意を向けていれば、彼が実に苦々しそうに眉間に皺を寄せていたことに気付いたろう。だが、士郎はアーチャーのそんな変化には気付かず、従って、何が彼にそのような表情を作らせたのかも、当然分かりはしなかった。
「けど、そんなのアリなのか? そんな無茶苦茶な魔術、あり得るのか」
 士郎は、乗り出していた身を戻し、座りなおした。凛は豊かな髪をかきあげ、さらりと答える。
「魔術なんかじゃないわ。言ったでしょ、これは聖杯がもたらす奇跡の一種だって。でなきゃ、魂を再現して実体を与えるなんてできっこないじゃない」
「魂を再現……。幽霊じゃないけれど、既に死んだ英雄の魂が、英霊なのか」
「偉大な功績を残したものは、人間であれ動物であれ機械であれ、その寿命を終えたときに輪廻の輪から外されて、一段上の存在に昇華されるって聞いたことない? サーヴァントとしてばれる英霊っていうのはそういう存在ものよ。人々の信仰を受けて、擬似的な神様みたいになった、といっていいでしょうね」
 あまりにも、スケールの大きすぎる話に、士郎にはどうしても実感が伴ってこない。
 魔術回路さえ持つ魔術師であれば、誰でもマスターになる可能性はあるというが、何故自分がそれに選ばれたのか。ただの員数合わせというのなら、自身で言うのも何だが、もっと優れた魔術師は他にもいるだろうに。
 だが、士郎がマスターに選ばれたことについては、凛はさして疑問を抱いていないようだった。そういうものだ、という認識なのだろうか。
 士郎の中に、何かがもやもやとわだかまる。
 一方で、もっとこの聖杯戦争について知りたい、とも思う。なので、士郎は凛の講義の拝聴を続けた。
「サーヴァントっていうのは、そういった英霊本人を直接使い魔にしてるの。だから、基本的には霊的な存在なんだけど、必要に応じて実体化して戦わせることが出来るわ」
「霊体と実体を使い分けることが出来るってことか」
 士郎は、アーチャーを見た。相も変わらず無言で壁際に佇む、赤い外套を纏う弓兵のサーヴァントは、無表情の無反応だ。
 サーヴァントが、英雄の魂を形にしたものだということは、彼もまた何処かの英雄だということになる。凛の隣に座る、小柄な美少女であるセイバーも、同様に。
「で、サーヴァントが霊的な存在である以上は、実際の肉体を持つわたし達では対抗しきれないわ。ただでさえ、伝説上の英雄としての化け物みたいな力を持つサーヴァント相手には、人間の力なんて高が知れてる。サーヴァントを倒せるのは同じ霊体であるサーヴァントだけ。基本としては、サーヴァントの相手はサーヴァントに任せて、マスターは後方支援に徹する。これがセオリーね」
「……」
 化け物。
 それはそうかもしれないが。
 普通の人間が、剣戟であんな風に大気を切り裂き、地を穿つことなんて出来やしないのだから。
 けれど、二刀を操るアーチャーのあの剣技を。鮮やかに士郎の胸を打った、戦うための技を。化け物の力だなどと、断じてしまうことに、どうしても反発を感じてしまう。
「とにかく、分かった? マスターになった衛宮くんは、召喚したアーチャーを上手く使って、他の魔術師と戦って倒さなきゃならないの。そういうことを」
「言葉としてなら分かったが。けど、納得なんて出来ないぞ。そもそも、何だってこんな聖杯戦争なんて、馬鹿げた戦いをする必要があるんだ? 誰が始めたんだ、こんなこと」
 まだそんなことを言っているのか、と凛は腕を組んで士郎を見やる。
「そんなことは、わたしには知る必要の無いことだから、答えられることじゃないわね。その辺りは、聖杯戦争の監督役に詳しく聞くと良いわ。ただ、一つだけはっきりしていることは、貴方はもう逃げられないってこと。だから、わたしが言えるのはサーヴァントは強力な使い魔だから、使い方を誤るなってことね」
 一通りの説明を終え、さて、と今度は凛はアーチャーに視線を向けた。
「どうも煮え切らないみたいね、貴方のマスターは」
「……聖杯もどういう人選なのだろうな。辛うじてパスこそ繋がってはいるものの、この程度の魔力量では、宝具もせいぜい一回使えれば良いところだろう。しかも、消費した魔力の回復も覚束んことは明らかだから、宝具の解放を行うことは極力避けねばならん。霊体に戻ることがせいぜいだな。ただでさえ状況は不利だというのに、更には戦う覚悟すら無い人間をマスターにされても、実に迷惑だ」
 どういう意図なのか、アーチャーは口を開いた。
 その内容に、凛は眼を丸くする。セイバーも、僅かに眉を動かした。
「……食わせ者だと思っていたのに、随分、あっさりと白状してくれるのね。というか、そんなに酷い状態なの、貴方」
「敵であるとはいえ優秀なマスター相手に、隠しおおせるものでもあるまい。実に不本意もいいところではあるがな。全く、契約が為された以上は仕方が無いとはいえ、私の状況が酷い理由を、少しは我がマスター殿にも感じ入ってもらいたいものだね」
 アーチャーは組んでいた腕を解き、広い肩をそびやかす。口元には、これ以上に厭味な笑い方はあるまい、というほど皮肉に満ちた表情。言うまでもなく、それは士郎に露骨に向けられていた。士郎は、こいつ、やっぱり性格悪いと改めて思った。友好的とは正反対のぎすぎすした雰囲気を醸し出す、士郎とアーチャーの主従を面白そうに見やり、凛は軽やかに微笑んだ。
「ご愁傷様。ま、どっちにしても、この戦いはセイバーを召喚したわたしが勝ちをいただくわ。こんな噛み合ってない凸凹コンビになんか、わたし達が負ける道理が無いからね。ね、セイバー」
「ええ、凛」
 一くくりにしないでくれ、とアーチャーはさも不服だと言わんばかりにぼやく。凛は立ち上がって、居間を横切った。
「衛宮くん、ちょっと電話借りるわね」
「いいけど……こんな時間に、何処にかけるんだよ」
「教会よ」
「教会?」
「もっと聖杯戦争について知りたいんでしょ。理由とか、由来とか。だから、それを詳しく知ってるヤツに起きていてもらうためにアポ取っておくのよ。ついでに、マスター登録もしておくわ」
 言いながら、凛は軽快に電話のダイヤルボタンをプッシュする。るるる、るるる、と呼び出し音は3コール目で途切れた。がちゃり、と受話器の取り上げられる音。
「もしもし、綺礼?」
「――凛か」
「もう知ってると思うけど、わたし、セイバーと契約したから、マスター登録しておいて。それから、今日、アーチャーを召喚したヤツを、これから連れて行くわ。何も知らないド素人だから、色々教えてやって」
「……」
 受話器の向こうから、威圧感のありすぎる沈黙が伝わってくる。少々、それにたじろぎながらも凛は語調を変えない。
「……何よ、連絡が遅くなったことの文句なら聞かないわよ。今から顔を出すって言ってるんだから、文句は無いでしょ」
「……いいだろう。ご両親から預かっている物もある。君がマスターになった場合のみ、成人前に伝えて欲しいと頼まれていたものだ」
「父さんの遺言のこと? それなら必要ないわよ、もう解読したし。それはそれとして、じゃ、そっちに向かうから」
 通話を終えた凛は、改めて士郎を振り返る。
「ということで、行くわよ衛宮くん」
 命令形だ。
「今から行くのか……」
 とにもかくにも、色んなことがありすぎた一日だから、ゆっくりと休んで、とりあえずは頭の中身を整理したいと思った士郎だったが。
「あら、アーチャーはそうしろと言いたそうよ?」
「当然だろう。右も左も理解しえぬマスターでは、私が困る。私の足を引っ張るつもりならば、本当に土蔵に閉じこもっていてもらうぞ」
「……」
 アーチャーは、この場合、士郎の味方では全くなかった。それよりも、お前、一応俺のサーヴァントじゃないのか。何で遠坂には素直なんだよ。
「何か不服そうじゃない。あら、ひょっとして、わたしがアーチャーと口をきくのが嫌なのかしら。マスターとしての自覚が芽生えた?」
「ち、違う、そんなんじゃない!」
 色々と理不尽さを感じる士郎だったが、そもそもこの全ての状況が理不尽なのだ。もういっそ、毒食らわば皿まで、の気分で、士郎は半ばやけっぱちに凛に答えた。
「分かったよ、行きますよ、行きゃいいんだろ。で、教会って言ってたけど、遠坂、そこに行くのか」
「ええ。隣町の言峰教会。そこのエセ神父が、この聖杯戦争の監督役を務めているの」
 曰くありげな笑みを浮かべて、遠坂凛は赤いコートに袖を通した。

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