Fate/another night

Chapter-1 運命の扉が開かれる夜

邂逅 2


 青年の影が、士郎の上に落ちかかる。士郎は、たっぷりと頭一つ分は上にある、青年の顔を見上げた。
 人と同じ姿を持ちながら、明らかに人とは違う存在。士郎が一方的に狩り立てられ、追い詰められ、一度は殺された相手ランサーと対等に渡り合っていた彼が、人間であるわけがない。人間は、あんな風に魔法陣から現れたりしない。確かに、この青年が突如として現れたおかげで、士郎は助かったわけだが、だからといって、そう易々と気を許して良いわけはないだろう。何せ、アーチャーと名乗ったこの青年は、まるで得体が知れないのだから。先程は、その剣運びに思わず見とれてしまったが、それとこれとは話は別だ。
 鷹のように引き締まった、褐色の相貌。銀灰の瞳の色のみならず、アーチャー本人の存在そのものもまた、鋭い剣であるかのように感じられた。警戒を自分の心に命じた士郎は、知らず半歩下がった。
「お、お前……一体、何者なんだ」
 そして、精一杯に睨みつける。士郎を見下ろしたアーチャーは、呆れた風に言った。
「聞いていなかったのか。言っただろう、私はアーチャーのサーヴァントだと」
 事も無げに、何を当然のことを、と言いたげなアーチャーの口調に、士郎は抗議の声を上げる。
「だから! サーヴァントって何なんだよ! ――それに、その『アーチャー』っての、お前の本当の名前じゃないんだろ?」
「……事情も分からずに、そのくせいきなり核心を突いてくるのか」
 ふうとアーチャーは溜息をつき、胸前で腕を組んだ。そうやって、精悍に整った顔立ちの上にチ色うんしょくを浮かべていると、アーチャーはその堂々たる長身に似合わず、実は意外に童顔であることが知れる。
「だがな、全く、不服なのは私のほうだ。これでは、何のために聖杯の召喚に応じたか分からん」
 体格も相俟ってかどうか、アーチャーの態度はあくまでもでかい。身体的に見下ろされるのは両者の身長差から仕方が無いとしても、どう考えても、精神的にもアーチャーは士郎を見下ろしていた。士郎には、面白くないことこの上ない。
「偶然にしろ事故にしろ、貴様は聖杯に選ばれて私を召喚し、契約が行われた。既に貴様は好むと好まざると、聖杯戦争という、聖杯の奇跡をめぐる魔術師同士の殺し合いの渦中に巻き込まれているのだ、未熟者のマスターよ。分かったか」
 いかにも物分りの悪い生徒に対して渋々教えてやっているのだとでもいるように、簡潔かつ要点だけを抜き出した説明をするアーチャー。無論、それは士郎に対しては不親切で説明不足極まりないものである。士郎を、主人マスター、と現代の常識に照らし合わせればとんでもない呼称で呼ぶ割には、アーチャーの態度には敬意や尊重の精神の一欠片もない。大体、士郎を殺しにかかってきたランサーのように非友好的な出会いならともかくとして、そうではない初対面の相手を、いきなり「貴様」呼ばわりはしない、普通は。
 そう思った士郎は、ふと気付いた。そういえば、自分は名乗っていなかった。それは流石に礼を失するだろうと、士郎は名を告げる。ささやかな抗議も込めて。
「……俺は、マスターなんて名前じゃないぞ。俺の名前は士郎――衛宮士郎だ」
「――そうか、マスター」
「おい!」
 わざとか、と言いたくなる反応を返してきたアーチャーに思わず、士郎は半歩下がった分詰め寄った。
 だが、アーチャーはまるで意に介せず、あまつさえフンと鼻で笑うおまけまでつけて、士郎をあしらう。はっきり言って物凄く腹の立つ態度だ。コイツ、腕は良いのかもしれないが、無茶苦茶性格悪い! 歪みまくってる! 士郎は胸中でアーチャーを罵った。声に出さなかったのは、どうせ厭味が3倍、いや5倍から10倍くらいになって返ってきそうだと、短時間で悟ったからである。
「互いの名を知るのは、確かに契約を交わした証だ。……だが、おいそれと貴様に私の本当の名を教えるわけにはいかんな」
「なんでさ!?」
「貴様のように、魔術をかじっているくせに秘匿の精神が一切欠けているマスターでは、うっかりと私の真名が敵に洩れ知れる恐れがあるからに決まっているだろう。サーヴァントの真名がどういう意味を持つか、知らぬ貴様ではな」
「真名の意味だって……?」
 士郎にしてみれば、名前は名前だろう、と思うのだが、アーチャーにとってはそうではないらしい。それすらも知らんのだからな、とぼやいたアーチャーは、更にとんでもない言を士郎に放ってきた。
「こんな役立たずのマスターには、いっそのこと、聖杯戦争が終わるまで、そこの土蔵にでも閉じこもっていていただきたいくらいだが……」
「ふざけんな! 何が起こってるか分からないからって、そんなの嫌に決まってるだろ!」
 アーチャーの暴言の語尾を引きちぎって、士郎は断固拒否の意を示す。だが、士郎の反発も、アーチャーには何処吹く風だった。広い肩をすくめたアーチャーに、さらりと流される。
「――まあ、こちらもサーヴァントの端くれ。呼び出されたからには、主従関係を認めざるを得ないのは致し方ない。貴様が令呪を持っている上に、私とのパスも繋がってしまっていることだしな。だが、だからといって貴様は私に命令する権利はないし、今後の戦闘方針は私が決め、貴様にはそれに従ってもらう。いいな?」
「な、い、いいわけあるかーッ!!」
 あまりにも一方的かつ理不尽な言い草に、士郎は深夜零時過ぎの時刻を考えれば、明らかに近所迷惑な、今までで最大音量の大声で叫んだ。幸い、衛宮邸の敷地は広く、隣近所とは離れているので、この大騒ぎも周囲に知られることはないだろうが。
「これが私のできる最大限の譲歩なのだがな。形式上では従ってやるというのに、何が不満なのだ。貴様とて死にたくはないだろう」
 む、とアーチャーは半眼で士郎を見た。どうやら、士郎とアーチャーの間には、根本的にして決定的な認識の差があるようだ。しかも、その差はエベレストよりも高く、マリアナ海溝よりも深く、越え難く埋め難い。
「……お前、一体、何しにここに来たんだよ」
 桁外れの上から目線でものを言ってくる相手に、とことん噛み合わないものを感じて、士郎は苛立ちや腹立たしさを通り越して、何だか疲れてきた。
「無論、聖杯戦争に参加するためだが? 我がマスター殿」
 最後の「我がマスター殿」という言い方が格別に厭味ったらしかった、とは士郎の被害妄想だろうか。
「貴様が、私が忠誠を揮うに相応しい相手であれば、私も労を厭う気は無かったよ。ともかく、後のことは私に任せて、貴様はおとなしくしていろ。安心するがいい、契約のある限りは、貴様を死なせはせんさ」
「……」
 もはや、突っ込む気力も失せた士郎は、がくりと肩を落とす。アーチャーは主従関係を認めざるを得ないと言ったが、どっちが主でどっちが従だか知れぬ、これは何のための主従関係だというのだろう……。
(よく分からんが、マスターって呼ばれている以上は俺が主で、コイツアーチャーが従らしいけど、明らかに実情は逆だよなあ……、……ん?)
 と、士郎は、あることに気付いた。激しく遠回しな言い方だったが、アーチャーは何と言った?
 アーチャーは断片的な情報しか示さないが、そこからはっきりしたことは、士郎は聖杯戦争という、魔術師同士の殺し合いに巻き込まれたこと。アーチャーは、自分が何者かは言わないが、一応、士郎を主として「召喚」されたということ。そして、アーチャーは士郎を死なせないと言った。
「つまりは、俺を……守るっていうことか?」
 それについての、アーチャーの返答は無し。明らかにというか、露骨に話を逸らす態度で、それまでの嘲笑含みから、アーチャーは微妙に表情を変えた。
「ところで、招かれざる訪問者のようだが?」
「誰か来たってことか?」
 ひとまずは追求しても無駄っぽい、と悟りに至った士郎は、言われて、耳を澄ました。なるほど、ここでは遠く微かにしか聞こえないが、確かに玄関の方角から、呼び鈴のチャイムの音がする。
「……誰だ、こんな時間に」
 不審がりながらも、急いで母屋に戻ろうとする士郎を、アーチャーが渋い声で呼び止めた。
「招かれざる、と言っただろう。どういうつもりで正面きって訪れてきたのかは知らんが、サーヴァントがいる」
「サーヴァント……って、お前みたいなヤツか」
 アーチャーを振り向いた士郎は、首を傾げた。
「何かまずいってのか、それ」
「当たり前だ。聖杯戦争に関わった以上は、自分以外のマスターは皆、敵と知れ。無論、マスターに従うサーヴァントも言うに及ばずだ」
「けど、ランサーとかいうヤツみたいに、俺を殺しに来たんなら、奇襲をかけてくるもんじゃないか」
「む」
 士郎の何気ない一言は、どうやら正鵠を射ていたらしく、アーチャーは反論しなかった。図らずも、一矢を報いる形になった士郎は、思わず小さくガッツポーズを作った。ただし、心中で。
 が、アーチャーは別角度から士郎を咎めてきた。
「……ちょっと待て。いくら現時点で相手が敵対する気がないとしても、いかにも自分が弱っていると知らしめるような、その格好で出るつもりか」
「え?」
 言われて、士郎は自分の姿を見下ろす。
 確かに、アーチャーが眉を顰めるのも仕方が無い、酷い有様だった。制服の心臓の辺りが破れ、血がこびりついているだけならまだしも、右袖も下の皮膚ごとざっくりと切り裂かれている。ガラスを破って外に転がりだした時に、破片で幾つも細かく傷付いた痕からもうっすらと血が滲んでいる。本当ならば、体中が切傷や裂傷や打撲やで痛んでしょうがないはずが、痛覚はもはや限界を通り越してしまったのか麻痺してしまったようで、自分の状態に士郎は気付かなかった。
「治癒の術の一つも……使えるわけがないか」
 はーっと大きく息を吐き、アーチャーは低声こごえで何かを呟きながら、士郎にむかって手をかざした。
 と、見る間に、士郎の全身の負傷箇所が、とじ合わされ、癒着して治っていく。
「あ、あれ?」
 ぽかんと士郎はそれを見た。多分、我ながら相当な間抜け面だったろう、と自覚はあるが、仕方が無い。
「魔術……?」
 まさか。
 治癒の魔術があるということは士郎も聞いたことがある。事実、死の寸前だった士郎を治したのも誰かが使った魔術だった、筈だ。そうでなければ、紛れも無く致命傷を負った士郎が助かった理由に説明がつかない。だが、魔術とは縁遠そうな、目の前の騎士然とした青年が、それを行使出来ようとは。
「全く、貴様は本当に魔術師か?」
 士郎が瞠目したのに、アーチャーはうんざりした口調で言う。士郎はむっと口を尖らせた。
「悪かったな、未熟者で」
 それも束の間、一転、悪童めいた笑いを浮かべて、
「けど、お前が守ってくれるんだろ?」
 そう言った士郎はくるりとアーチャーに背を向け、今度こそ母屋へと戻っていく。
 おかげで、士郎はアーチャーの、呆気にとられた表情を見ることが出来なかったわけだが。
 それから、アーチャーの顔は、ゆっくりと、小さな、不確かな笑いへと変化した。士郎の後を追って悠然と歩きながら、アーチャーは静かに、己を召喚したマスターへの返答らしき言を唇から零した。
「そうだ、私はお前を守る、マスターよ。誰かに殺されてはかなわんからな」
 囁くように、誓うように、こいねがうように。
 弓兵のサーヴァントとして、冬木の地に降り立った青年は誰にも聞こえぬように呟く。
「衛宮士郎。貴様を殺すのは、他の誰でもなく、この私なのだから」




 最初に玄関のチャイムが鳴らされてから、結構な時間が経過したのではないかと士郎は思うのだが、このような時刻に訪れてくるだけあって、客人はなかなかに辛抱強いようだった。ぴん、ぽーん。暢気なチャイムの音が、もう1回響いた。
 とりあえず、ぼろぼろになった制服は脱ぎ捨てて、手近な服を引っ掴んで着ながら、士郎はばたばたと廊下から玄関に向かった。足音はしなかったが、アーチャーが確実に後ろについてきているのは、気配で分かった。
「はいはい、今出ますよ……っと」
 あんなふらふらの状態だったのに、しっかり玄関の戸締りはしてたんだなあ、と数時間前の自分に変な感慨を抱きつつ、鍵を開ける。
 すると。
「こんばんは、もぐりの魔術師の衛宮くん」
 あくまでもにこやかに、極上の笑みを浮かべてそこに立っていたのは、士郎も面識だけはある人物だった。
 美綴綾子曰く、「ミス・パーフェクト」こと穂群原学園2年A組、学園のアイドル、品行方正、優等生の美少女、遠坂凛。
 そんな彼女が、こんな夜更けに我が家に訪れてくるなんて。驚きだの動揺だので、士郎は声をひっくり返した。
「な、え、と、遠坂!?」
 そういえば、桜が言っていた。子供の頃、坂の上のお屋敷には、怖い魔法使いが住んでいると言われたと。坂の上には、遠坂凛の住む家があるという。
 遠坂凛は、衛宮士郎を魔術師と看破した。魔術師を魔術師と知るのは――魔術師だけ、だ。
 そして、ひっそりと彼女の後ろに控えるように、金髪の少女の姿があった。今はあの時の鎧姿ではないが、間違いなく、学校の屋上でランサーと刃を交えていた少女だ。人ではない、アーチャーやランサーと同じ、濃い魔力の気配を漂わせる少女。
 ランサーと戦っていた少女が、凛と一緒にいる、ということは……。
「貴方がわたしの知らない魔術師だっただけじゃなくて、マスターでもあったとはね。世の中って、ほんと分からないわ」
「遠坂も魔術師だったのか……」
「もぐりなんだから知ってたわけないわよね。この冬木の管理者セカンドオーナーは、わたしよ。そして、このセイバーのマスターでもあるってわけ」
 軽く胸を張って言いながら、凛は、背後に立つ少女――セイバーを右手で示した。
管理者セカンドオーナー……。そんな、まさか、お前が?」
 士郎の、今は亡き養父、衛宮切嗣は魔術協会には気をつけろ、と言っていた。彼等は、魔術のみを至高のものと考え、世間の法から外れた人間達の集団だ、故に、時には秘密裏に人の世に災厄を撒き散らすことも厭わない。だから士郎、君はなるべく連中と関わっちゃいけないよ――。
 切嗣の言葉が、士郎の耳に甦る。しかも、管理者セカンドオーナーとは、魔術協会の中でも、エリート中のエリートだという。思わず、士郎は凛を指差してしまった。
 何が彼女の癇に障ったのか、凛は明らかに不機嫌そうな面持ちになり、士郎の肩越しに視線を向けた。
「ということで、わたしは貴方のことに関して、色々知る権利があると思うの。話は中でしましょ。まあ、本来はわたし達は敵同士なんだけど、とりあえずは、わたしのセイバーも貴方を攻撃することはないから、貴方のサーヴァントにも、その怖い顔をやめさせてくれない? 衛宮くん」
「敵同士と分かって、警戒を緩めろと言うつもりかね」
「……敵? 俺と、遠坂が?」
 士郎と、その背後に立つアーチャーが、それぞれ正反対の反応を見せるのに、凛はますます表情を尖らせる。
「衛宮くん、貴方、現状を把握出来てる? 出来てないでしょ。どうせ、貴方、何も知らないのよね」
「う」
 図星をつかれて、士郎は口ごもった。アーチャーはというと、士郎に助け舟を出すつもりなど毛頭無いらしく、慎ましい沈黙を守っている。
「だから、ついでに全部教えてあげるわ。聖杯戦争の何たるかをね。いくら敵とはいえ、何も知らない相手を一方的に倒すのもフェアじゃないから。どう、衛宮くんのサーヴァントさん。悪い話じゃないでしょう?」
 凛は、士郎を通り越して、そんなアーチャーに話をふった。アーチャーはうっすらと笑う。
「確かに悪くない話ではあるが、そこまでする利点が、君にあるとは思えんな」
「勘繰るのね?」
「当然だろう」
 険悪な空気が流れる。何しろ、アーチャーは、最初から凛を敵と認識しているのだ。それは凛も同様であることは、他ならぬ彼女自身が口にしている。今はまだ、戦闘の端緒となる宣戦布告が為されていないだけだ。
 今度は、アーチャーと一触即発になりかねない凛をなだめようと、士郎は口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待てよ遠坂、あのさ……」
「衛宮くん、突然の事態に驚く気持ちも分からないでもないけど、そろそろ受け入れたほうが良いと思うわよ。そうでないと、命取りになることもあるんだから。ちなみに、今がその時。分かった?」
 何だかよく分からないが、凛の怒気のオーラは収まっていない。士郎には、何が彼女を怒らせたのか、ちんぷんかんぷんだった。
 唯一つ、確実に分かったことはといえば。
 この遠坂って、学校でのイメージと180度違うんですけど……?

 士郎にとって、夜は混迷の度合いを増すばかりだった。

誤字脱字の報告、ご感想などありましたらご利用ください。お返事はmemoにて。

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