I 動き始める全ての運命の歯車

 雨が上がった後の草原を、一騎の騎馬が疾走している。馬の手綱を握っているのは、十六、七歳ぐらいの若者だった。黒い髪の下の眼差しが、厳しすぎるほどに、鋭い。
 澄んで、冴えた空は抜けるように青い。所々に点在する水溜りが、地上にも空の青色をもたらしている。空の上と水溜りの中を、同時に雲が流れていく。白い鳥が数羽、無邪気に囀りながら、優雅に羽ばたいていく。
 しかし、そんな穏やかな光景の中にあっても、若者の顔は、青空のようには、晴れない。
 何故なら、彼の胸に、脳裏に、去来するのは無残な「あの日」の光景だったから。
 あれは、一年前。冬でも比較的温暖な、彼の故郷である港町ゴリアテに、珍しく雪が降った、寒い日だった。暗黒騎士団ロスローリアンが町を襲撃し、静かに降りしきる雪の白さを否定するかのように、老人も女も子供も区別なく殺し、町を焼き、血と炎でゴリアテを赤く染めたのだ。「オベロ海の真珠」と、その風光明媚な美しさを称えられた港町ゴリアテは、流血の地獄と化した。若者の父親も、殺された者の一人だった。また、彼の幼馴染の父親は、殺されはしなかったが、暗黒騎士団によって何処かへと連れ去られた。
 ……理由も分からぬまま、無慈悲に、理不尽に、たくさんの命が奪われた……。
 その忌まわしい「ゴリアテの虐殺」の指揮者であった、暗黒騎士団団長ランスロットが、再びゴリアテにやって来るという。何故?何の為に?またも、ゴリアテに惨劇と悲嘆をもたらそうというのか?
 そんな危惧の一方で、若者達にとっては、その報は千載一遇の機会の到来の知らせでもあった。
 馬上の若者は、一心に馬を走らせ、町に入ると、馬から降り、町外れの、ある朽ちた教会の中に飛び込んだ。
 ドアを開くのももどかしい、という動作で彼はドアを開いて、息せき切った声で告げた。
「デニムッ、情報どおりだ、ランスロットの野郎が現れたぜ」
 階段の上から身を乗り出すようにして叫んだ、若者の名はヴァイス・ボゼッグという。
 ヴァイスは、そのまま、半地下の場所に築かれた室内へと階段を駆け下りた。
 窓が高い場所にあるため、薄く陽が差し込んできていて、室内は思ったよりほの明るい。そこには、二人の人影があった。
 一人は、ヴァイスと同じ年頃の少年。育ちの良さを感じさせるような、穏やかな整った顔立ちをしているが、その瞳に宿った光は、意外なほどの意思の強さを表していた。
 もう一人は、少年よりやや年上の娘。美しい娘ではあるが、手放しに、「美しい」と賛辞するには、容貌に少し憂愁の翳りがある、という印象を人に与えるだろう。
 二人は、揃いの細工の首飾りを胸に下げていた。少年の首飾りには青い石、娘の首飾りには紅い石が、それぞれ嵌めこまれている。その揃いの首飾りが示しているように、二人は姉弟である。弟の名は、デニム・パウエル。姉の名は、カチュア・パウエル。
「わかった。姉さん…いよいよだね」
 デニムは、ヴァイスに向かって頷くと、姉のカチュアへと向き直った。彼の眸には不安の色は確かにあったが、それを打ち消すほどの強い決意が溢れていた。そんな弟の顔を見つめ、しかし、カチュアは小さく首を横に振った。
「やっぱりやめよう…ね?私たちに勝てるわけないわ」
 たしなめる、というよりは、同意を求める言葉だった。
 カチュアの否定的な意見に、ヴァイスが声を荒げた。生来、気性の激しい若者である。
「何言ってるんだ、カチュアッ。またとない絶好のチャンスなんだぜ!?」
「だって…たったの三人であの暗黒騎士団に立ち向かうなんて…」
 ヴァイスの言う「絶好のチャンス」とは――それは、暗黒騎士団団長ランスロットの命を奪って、「ゴリアテの虐殺」の復讐を遂げることだった。しかし、カチュアは、このゴリアテで牧師をしていた、フィラーハ教の神父である父から手解きを受けて、僧侶としての修行を積んでいたせいだろうか。ともすれば、デニムやヴァイスの行動に、消極的な態度を見せた。
「大丈夫だよ、姉さん。やつらだって油断しているさ」
 姉を励まして、デニムは言った。そこへ、
「それとも、怖じ気づいたのか、カチュア。俺は一人でもやるぞッ」
 ヴァイスが挑発するかのような口調で言い、腰の剣を叩いた。そのヴァイスを、カチュアがムッとした眼で睨む。二人の間に険悪な空気が流れかかるのを、デニムがとりなした。
「やめろよ、ヴァイス、言い過ぎだぞ。行こうッ、姉さん」
 言いつつ、デニムはテーブルの上に置いていた剣を取り、腰に吊るした。カチュアは寂しげに眉をひそめたが、それでも弟の言葉に、小さく頷いた。

「やっぱり、上手く行くわけないわ。それに、彼等の命を奪って何になるというの?」
 船着場の近くの建物の影に身を潜めながら、カチュアは溜め息混じりに言った。ヴァイスの入手した情報によると、暗黒騎士ランスロットは、陸路でなく海路を通って、午後一番の船でゴリアテに上陸してくる、ということだったからだ。
「ランスロットは、暗黒騎士団の団長だ。そして、奴らはバクラムの力の源。だから、ランスロットを暗殺することは、一時的にでもバクラムの力を弱めることになるんだよ。そうすれば、ヴァレリア全土を征服したがっているガルガスタンが動き出すに違いない…」
 熱弁を振るうヴァイスを遮るように、カチュアは非難めいた視線を彼に向け、皮肉っぽく言った。
「落ち着いたばかりなのに、また戦争を起こそうって言うのね、あなたは」
「この状況のどこが落ち着いたって言うんだ、カチュアッ」
 今度は、ヴァイスがカチュアに食って掛かる。
「俺たちウォルスタ人は虫ケラ同然に扱われているじゃないか。そうさ、俺たちに死ねと命じているのさ」
 ――南方のバルバウダ大陸と、北方のガリシア大陸の海洋貿易の中継地である、オベロ海に浮かぶヴァレリア島。通常は、「ヴァレリア島」と呼び慣わされているが、本来は本島の名である。ガルドキ島、レンネル島、ウベア島、ドラク島、バニコロ島、ウッドラーク島、ディクニーガ島、バンハムーバ島、エクシター島、ゾーマン島、ディーオ島、レーゲット島、ベニクンガ島、リトルフェスタ島、の本島を取り巻く十四の小島と併せて、「ヴァレリア島」と呼ばれている。実際には諸島である。
 このヴァレリア島には、三つの民族が住んでいる。支配者階級に属するバクラム人、多数派民族のガルガスタン人、少数派民族のウォルスタ人。人口の割合としては、バクラム人が二割弱、ガルガスタン人が七割を占め、ウォルスタ人は一割にも満たない。その人口バランスから、ウォルスタ人は昔から搾取され、虐げられてきた。それでも、以前はまだ良かった。偉大なる覇王ドルガルアが健在だった頃は。
 今から約六十年前。大規模な戦乱が、ヴァレリア島を覆ったことがある。当時、ヴァレリアには五つの国家があった。バーニシア、フィダック、アルモリカ、ブリガンテス、コリタニ。現在も地方名として残されるこれら五つの国家は、互いに海洋貿易による莫大な利潤を独占せんと、一触即発の状態にはあったが、互いに牽制しあうことで、極めて不安定ながら何とか均衡を保っていた。その均衡を崩したのは、バーニシア国君主クレモント侯が、圧制に反発する民衆の蜂起によって殺害された事件である。これを契機として、「統一戦争」と呼ばれる、長い戦乱が始まった。
 五王国の中で、最も勢力のあったのは、軍事国家フィダックである。フィダックは、バーニシアとアルモリカを占領し、フィダック暫定政権を樹立する。しかし、バーニシアに組織された反乱軍は、フィダックに対し、度々組織的反抗を起こした。この反乱軍を率いていたのが、後に「覇王」と称される、若き日のドルガルアその人である。ドルガルアは卓越した頭脳と軍事的才能をもって、ブリガンテス王ロデリックと結び、フィダックを打ち破った。その後、ドルガルアとロデリック王は敵対したが、クァドリガ砦の決戦でドルガルアが勝利し、遂にヴァレリアは統一された。
 こうしてヴァレリアの玉座に即いた覇王ドルガルア・オヴェリス・ヴァレリアは、民族間の対立を解消するべく、他民族との婚姻を積極的に推し進め、国教を定めて、『民族融和』政策を打ち出し、ヴァレリア王国を平和に治めていた。こうして、ドルガルアは、猛々しい統一王というより、優れた治世をもたらした王者として、人望を集めた。
 しかし、そんな、非の打ち所の無い、と思われた王にも、欠点があった。後継者がいなかったことである。王には、王妃ベルナータとの間に王子が生まれたが、この王子は若くして事故により、父王よりも早く逝去してしまった。王妃もまた、王子を追いかけるかのように病に倒れた。そして、相次ぐ愛する者の死に衝撃を受けたせいか、王自身、二人の死から程無くしてこの世を去った。後継者を定めぬままに。
 カリスマを失った王国は、後継者争いから政情不安定になり、秩序を失い始めた。ここに、ドルガルア王の統治によって、沈静化していた民族問題が、再び浮上する。偉大なる覇王の死から一年。古都ライムを中心にした地域で、ガルガスタンとウォルスタの両民族陣営が、大規模な衝突を起こした。そして、この「ライム問題」と呼ばれる事件が、再びヴァレリアを戦乱の渦に叩き込む、血腥い幕開けとなったのである。
 ドルガルア王は、晩年、フィラーハ教に傾倒し、ブランタ・モウン司祭を厚く信任していた。王の死後、ブランタは変節した。ブランタは、バクラム人を煽動して、旧バーニシア、フィダックの地を中心に、エクシター島を含むヴァレリアの北半分をバクラム・ヴァレリア国として独立を宣言したのだ。他人からすれば、忘恩の簒奪行為としか見えない、そういったブランタの強引な行動の背景には、北方のガリシア大陸の支配者である強国・ローディス教国との密約があった。ブランタはいわば国を売ることと引き換えに、ローディスの庇護の下、ヴァレリアの支配権を得ようとしたのだ。暗黒騎士団ロスローリアンは、その密約に基づいて、ヴァレリアに派遣されてきたのである。バクラムが、ヴァレリアの北半分を苦も無く領有できたのは、大半は暗黒騎士団の圧倒的な軍事力のお陰と言える。バクラムがヴァレリアを一気に手中にしなかった理由も、また然り。暗黒騎士団団長のランスロット・タルタロスが、自軍の損耗を嫌い、ガルガスタン、ウォルスタの両陣営に不干渉を約束することで、様子を見ることを勧めたからだ。
 残された南半分の覇権を手にするため、ガルガスタン人の指導者であるレーウンダ・バルバトス枢機卿は、ウォルスタ人に対して宣戦布告を行った。そして、ウォルスタ人を排斥し、虐殺する『民族浄化』作戦――まるで、故ドルガルア王の『民族融和』政策を嘲笑うかのように――を掲げ、反対する者には、例え同胞であっても容赦せずに、血の粛清を行った。ウォルスタ人は、ジュダ・ロンウェー公爵を旗頭としてガルガスタンに抵抗したが、兵の動員数から来る圧倒的な武力の差は如何ともし難く、結局、衆寡敵せずに半年で敗北した。ロンウェー公爵は捕らえられ、アルモリカ城に幽閉された。バルバトス枢機卿は、ガルガスタン王国の設立と内乱の終結を宣言したが、後半の宣言を心から信じる者は、ヴァレリアには一人としていなかった。
 ウォルスタ人は、デニム達が今住んでいるゴリアテや、炭坑町であったバルマムッサの町などの、名ばかりの小さな自治区で、不自由な生活を余儀なくされている。その上、ウォルスタ人に対する弾圧が熄んだわけでもなかった。
 それでも、どんなに厳しい弾圧でも、人間が本来持っている気骨を、完全に消し去ることは出来ない。いや、むしろ、逆境にあるからこそ激しくなる勇気がある。デニム達は、座してただ殺されるのを待つのではなく、戦いを挑み、自ら堂々と生きる権利を勝ち取ることにしたのだ。その決意のきっかけとなったのが、「ゴリアテの虐殺」だった。
「だからって…戦争なんて始めたって、私達ウォルスタは負けるだけよ」
 もっとも、デニムやヴァイスと違って、カチュアがゲリラ活動に身を投じた理由は、弟と離れたくないから、である。幼い時に母親を亡くし、一年前には父親を連れ去られ、今やたった一人の身内となった弟・デニムに、カチュアは盲目的な愛情を注いでいる。デニムと離れたくない、デニムを亡くしたくない。そんな二つの感情が、彼女を戦いに参加させ、同時に反対させている。
 ヴァイスが口を開きかけたが、様子を窺っていたデニムが、それを制するように小さく鋭い声を上げた。
「…しッ!奴らが来た…」
 そう言って、デニムが指を差した方向に、ヴァイスも目を向けた。遠目ではっきりしないが、確かに港に接舷された船から、武装した男達が数人降りて来て、油断無く周囲に気を配っている様子だった。
「挟み討ちにするぞ。後ろへ回ってくれ」
 ヴァイスが音を立てないように剣を抜きつつ、言った。デニムは「わかった」と頷き、建物の裏手へ回りこんでいく。カチュアはまだ不安げな様子だったが、事ここに至っては、覚悟を決めたらしい。
 男達の目から死角になるような位置を伝い歩き、ヴァイスとデニムは、別方向から少しずつ目標へ忍び寄っていった。
 先に目的地まで辿り着いたのは、ヴァイスだった。男達の人数は五人いた。騎士が三人、有翼人が一人、魔法使いらしい老人が一人。騎士三人のうち、一際身分の高そうな騎士が一人いる。あれがランスロットだろう。
「……ッ!!」
 飛び出したヴァイスは、声にならない叫び声を上げて、目の前に立った有翼人に斬りかかっった。渾身の一撃を見舞った、筈だったが、燃えるような紅い髪と、同じ色の翼を持つ有翼人は、不意打ちにも動揺した様子も無く、軽く腕を動かして、手にしていた槍で、まるで難なくヴァイスの一撃を受け止めた。
「うわッ!」
 動きそのものは軽捷だったが、そこに込められた思いもかけぬ膂力の強さに、ヴァイスは体勢を崩し、痺れる手を押さえながら、よろめいて数歩後退った。
「ヴァイスッ!!」
 失敗した。デニムとカチュアは飛び出した。相手が暗黒騎士団なら、容赦無い誅戮の刃が、ヴァイスに向かって振り下ろされる。その光景を想像し、デニムの心は冷えた。
 だが、その想像とは違い、有翼人は槍を納めた。代わりに、白銀の立派な鎧を纏った騎士が、一歩進み出て、デニム達に問い掛けた。
「…君達は何者だ?」
 穏やかな声だった。あの「ゴリアテの虐殺」を指揮した、残忍な暗黒騎士団団長が、このような声を出すだろうか?それに……あのような静かな眼差しで、僕達を見るだろうか?何よりも、あの白銀の鎧は、「暗黒」騎士団団長には、相応しくないのではないだろうか?
 ヴァイスに駆け寄ったデニムは、騎士を見つめ、そう思った。デニムと同じような違和感を、ヴァイスも感じ取ったようだが、ヴァイスはあくまでも強気に言い放った。
「俺たちはウォルスタ解放軍の戦士だ!皆の仇を討たせてもらうッ!」
「仇だと?」
 怪訝そうに、騎士は微かに首を傾げた。その騎士と、ヴァイスを交互に見て、有翼人が呆れたように言った。
「随分と、手荒い歓迎だな…。…なんだ、ガキじゃないか?」
 有翼人を制するように、騎士は口を開いた。炎のような目つきで、自分を睨みつけているヴァイスに、
「待て。我等を知っているのか?人違いではないのか?」
「お前はランスロットだろうが!なら、確かに俺たちの仇だ!!」
 激しい口調で、ヴァイスは叫んだ。それは騎士に対して、というよりも怯みかける自分を叱咤するためのようだった。
 反対に、騎士はあくまでも冷静だった。
「いかにも、私の名はランスロットだ。何故、私を知っている?」
 静かに、訊いた。
「一年前にこの町を焼き払い、人々を殺したのは、お前たち暗黒騎士団だ!」
 ヴァイスの言葉に、あの惨劇の様相を思い出したか、カチュアが僅かに顔色を青ざめさせた。それに気付いたデニムは、大丈夫だよ、という風に、姉の手を軽く握った。
「暗黒騎士団だと?我々は東の王国、ゼノビアかたやってきた者だが」
 騎士の声に、その時初めて意外そうな響きが混じった。カチュアが、その騎士の言葉に、はっ、とした。ある事実に思い至ったのだ。
「…そういえば、暗黒騎士ランスロットは片目のはず。あなたは違うわ…」
 と、いう事実に。騎士は、両目を開いてデニム達若きウォルスタ人達を見ていた。
 先刻、ランスロットの名を肯定した騎士は、その時、ちらりと表情を動かしたように見えた。それが何に対してかは分からないが、ともかく、騎士は自分が、見知らぬ若者から敵意を浴びせられる理由に、ようやく得心がいったようだ。
「片目の暗黒騎士…どうやら、同じ名前のせいで、間違われたようだな」
「オレたちは傭兵の仕事を求めて、この島にやってきた」
 騎士の言葉を補足して、有翼人が言った。
「私の名は、ランスロット・ハミルトン。ゼノビア王国の聖騎士だ」
 宣言するかのごとく、騎士は名乗った。
「オレは、カノープス。『風使い』と呼ばれている。そっちのジジイは…」
 紅い髪と翼の有翼人は、自分の名を告げてから、視線を隣に立つ老人に向けた。老人は、蓄えた白い髭の奥で苦笑したようだった。
「…。私は、ウォーレン・ムーン。占星術師でございます」
 次に、聖騎士ランスロットを護衛するように立っていた騎士二人のうち、一人が優雅な動作で礼をする。
「私はミルディン・ウォルホーン。同じくゼノビアの騎士です」
「俺の名はギルダス。同じくゼノビアの騎士だ。…そんなに怖い顔するなよ」
 もう一人の騎士は、ミルディンとは対照的に、豪快に笑った。
「そんな…違うなんて…なら、俺は一体…」
 一方のヴァイスは、明らかに当惑の様子を隠せない。
「…ともかく、謝ります。騎士様、どうか私たちに力をお貸し下さい」
 半ば落胆したヴァイスとは反対に、カチュアは戦わずに済んだことに安堵して、顔が明るくなっていた。
「詳しい事情を聞かせてもらおう。我らとて、この地は初めてなのだ」
 聖騎士ランスロットは、カチュアの要望にそう答えた。
 カチュアが目で促すと、ヴァイスは俯き加減に名乗った。
「俺は…俺は、ヴァイス。仇があんたたちじゃなくて残念だ」
「私はカチュア。僧侶です。そして、こっちは弟です」
 カチュアはそう言って、隣で聖騎士ランスロットを見上げている、デニムを示した。
 デニムの視界の中で、聖騎士ランスロットの鎧が、午後の光を反射して輝いていた。デニムが迷うような眼をしたのは、ほんの一瞬だった。
「僕の名はデニム。どうか僕らをお許しください」
「気にすることはない。…驚きはしたがな」
 聖騎士は微笑した。
「…ここは暑い。さあ、どこか別の場所へ移り、そこで話を聞かせてくれないかな?」
「では私たちの隠れ家へ参りましょう。大したもてなしはできないけれど」
 ゼノビアからやって来たという男達は、顔を見合わせたが、ランスロットが頷くと、彼の意に従う様子だった。そして、ゼノビアからの来訪者達は、デニムらの案内に従い、彼等が隠れ家にしている教会へと向かった。

「…ガルガスタンの勢力に立ち向かうには、そもそも頭数が少ないのです」
 異国の騎士達が席につくと、カチュアはそう切り出した。
「それは私たちウォルスタも一緒だけれど、バクラムはその弱点を補うために、ローディスと手を結んだんです」
「そうして派遣されてきたのが、暗黒騎士団ロスローリアンってわけか」
 朽ちた教会の中は狭く、人数分の座席を確保できなかったため、吹き抜けの階段に腰掛けたカノープスが、カチュアの言葉に解説をつけるように言った。
「…ロスローリアンはローディスの君主、サルディアン教皇直属の騎士団。十六の騎士団の中では最強といわれ、教皇の信頼も厚いとか。しかし、彼等の実務は隣国の情報収集であったり、秘密工作といった、公にできない任務ばかり。暗黒騎士団とはそうした闇の諜報活動からついた名なのです」
 ランスロットと並んで座ったウォーレンが、暗黒騎士団についてそう説明する。この老人は、魔法使いである、というだけでなく、非常に博識でもあるようだった。
 暗黒騎士団。それは、デニム達にとって、恐怖と憎悪の対象の名である。彼等が、バクラム人にいらぬ肩入れをしなければ、ブランタがバクラム・ヴァレリア国を建国することはなかったのではないだろうか。バクラム・ヴァレリア国が建国されなければ、バルバトスはガルガスタン王国を建国しなかったのではないだろうか。ガルガスタン王国が建国されなければ、あのような、苛烈な『民族浄化』作戦は行われなかったのではないだろうか。そして、何よりも。暗黒騎士団がヴァレリアに来なければ、間違いも無く「ゴリアテの虐殺」は行われなかったのだ。
「しかし、何だってそのロスなんとかがバクラムに肩入れするんだ?」
 ギルダスが口を挟む。
 その暢気そうな口ぶりは、まるで「答えが分かっているのに、わざと言っている」ようにも聞こえる。少なくとも、ヴァイスはそう受け取り、眉を跳ね上げた。
「じゃあ、あんたたちはどうしてこの島へやってきたんだ?」
 バン、と乱暴にテーブルに掌を叩きつけて、ヴァイスは激情の言葉を、ゼノビア人達に投げつけた。
「この島を…ヴァレリアを、ゼノビアのものにしたいからじゃないのかッ!?ローディス教国とゼノビア王国の奴らは、この島で戦争をおっぱじめようっていうのかッ!!」
「やめなさい、ヴァイス、言い過ぎよ」
 さすがに、カチュアがたしなめる。
 それまで黙ってヴァイスの言葉を聞いていたランスロットは、ヴァイスの激昂が静まるのを待つかのように、暫く間を置いてから口を開いた。
「事情は分かった。ヴァイスくん、君の質問に答えよう」
 言葉自体の対象はヴァイスだったが、その言わんとしていることは、ウォルスタ人の若者達三人に等しく向けられたものだった。デニムは、好奇の色を、表情に混ぜた。この少年には、ヴァイスのように、ゼノビアから来た騎士たちを胡散臭く思う気持ちは、欠片も無かった。
「我々は、確かにゼノビアの騎士だ。しかし、今は王国の騎士ではない。我々は追放されたんだ」
 淡々と、ランスロットは己の境遇を語った。ギルダスが言葉を継ぐ。
「俺たちは罪人なのさ。もう、帰る故郷はないんだ」
「だから、オレたちは仕事を探している。この腕を高く買ってくれる仕事をな」
 カノープスの口調は、自分達の立場を自嘲している様にも、楽しんでいる様にも取れる、判断のつきにくいものだった。直情的なヴァイスには、そういう、本心を韜晦するような態度が気に入らないらしい。
「そんな話…信じられるものかッ!!これは俺たちの戦いなんだッ!!」
「もういいわ、ヴァイス。…騎士様、ご無礼の段、何卒ご容赦くださいませ」
 頑なな態度を崩さないヴァイスを制して、カチュアが頭を下げる。が、デニムには聖騎士はヴァイスに対し、気を悪くしたようには見えなかった。
「詮無きこと。それより君たちは、これからどうするのか?」
 そう言って、ランスロットは若いウォルスタ人達を見渡した。その視線が、ふと先刻から発言していないデニムの面上に止まった。デニムは、ランスロットの顔を真っ直ぐに見つめ返した。
 聖騎士は、精悍で、気品のある端整な顔立ちをしていた。少なくとも、下劣な偽りを言うような人物でないことは、確かなように思える。この人は信頼することができる。デニムはそう確信して、口を開いた。
「…アルモリカ城に囚われたロンウェー公爵を助けなければ…」
「ロンウェー公爵とは?君達のリーダーか?」
「そうだ。俺たちウォルスタ人全員のリーダーだ。ガルガスタンの奴らに捕まっている。処刑が近いってウワサなんだ。何とかしなくちゃいけない…」
 言いつつ、ヴァイスは悔しそうに拳を固めた。
 何か思いついたのか、風使いカノープスが、ぱっと顔を上げ、腰を下ろしていた階段から跳び下りた。そして、ランスロットに背中から声をかける。
「助ければ、いいカネになりそうだな。どうだ、ランスロット、やらねぇか?」
 カノープスの提案に、ミルディン、ギルダスもランスロットを見る。祖国を追放されたと言うゼノビア人たちのリーダーは、どうやら聖騎士ランスロットであるらしい。
 ランスロットは即答しなかった。むしろ、意見を若者達に求めるようだった。彼自身は、カノープスの提案に異存は無いとしても、その申し出をデニム達が受けるかどうかは、また別問題だからだ。
「…悪かったよ。確かに、俺たちだじゃ無理だ。あんたたちの力が必要だ」
 聖騎士に視線を向けられ、ヴァイスはいささか決まりが悪そうにボソッと言った。ヴァイスは激情家だが、物の理が通じないほどに愚かではない。冷静に状況を考えると、ロンウェー公爵を幽閉しているガルガスタンの軍勢に、自分達だけではあまりにも戦力不足で、太刀打ちできないだろう。そう予想するのは、あまりにも容易だった。従って、先程までのやり取りからすると意外なほど素直に、ヴァイスはゼノビア人たちの助力の申し出を受け入れた。
「そうと決まれば『善は急げ』だ。アルモリカ城へ行こうぜ」
 ミルディンと同時に立ちあがった、ギルダスが言う。
 しかし、カチュアは異を唱えた。彼女がゼノビア人たちに期待していたのは、大人の分別を持って、血気に逸る弟達を止めてもらうことだったからだ。
「ちょ…ちょっと待って。城には大勢の兵がいるわ。私たちに…いえ、騎士様にだって勝てないわ。無理よ、死んじゃうわ。もう、戦いは…たくさんよ」 
 カチュアは気丈な性格だと思われがちだが、その一方で、どこか陰がある。誰かに必要とされたい、誰かに愛されたい、そして、誰もこれ以上傍から失いたくない、という上の深さのせいかもしれない。
「君はどうなんだ?君の意見を聞かせてくれ」
 ランスロットは、デニムに訊いた。
 もっとも、問われるまでも無く、デニムの気持ちはもう決まっている。
「僕らだけでは無理です。是非とも力をお貸しください」
 きっぱりとデニムは言った。
カチュアが訴えかけるような眼でデニムを見るが、デニムの決意は動かなかった。
「よし、決まったな。では、準備にとりかかるとしようか」
 聖騎士ランスロットは立ち上がった。カノープス、ウォーレン、ミルディン、ギルダスも、ランスロットに従って、隣室へ移動する。彼らは、あくまでも平和的に会見を行う意志の証明として、そこに武器を置いてきたからだ。ヴァイスもゼノビア人達に続き、デニムも行こうとしたが、
「…どうして姉さんの言うことが聞けないの」
 カチュアが呼び止めた。どこか責めている声音のカチュアに、デニムは少し困った顔をしてみせた。
「…言いたいことはわかるわ。でも、私はあなたを失いたくないのよ。…考えたくないけど、父さんはきっと死んでいるわ」
 あの虐殺が行われた日。姉弟が父親と平和に暮らしていた教会に、突如として暗黒騎士団が踏み込んできて、有無を言わせず、理由も言わずに、二人の父プランシー・パウエルを連行していった。デニムは父を追って飛び出したが、カチュアは必死でデニムを抱き止めた。そうしなければ、デニムはきっと殺されていた。暗黒騎士団に抵抗してみたところで、敵うわけがない。それはデニムにも判っていた。だから、姉に止められるままに引き下がったが、あの一件が、デニムの心に静かな闘志の炎を灯したのは確かである。
「私には、あなたしかいないの…。そう、この世に血を分けた肉親はあなただけ。たった二人の姉弟なのよ。死なせたくない…」
 カチュアとて、おとなしげに見える弟の胸の裡を、知らないわけではない。それこそ、たった二人の姉弟なのだから。十六歳のデニムが、幼さを留めた瞳に、年頃の若者らしい理想と情熱を輝かせているのを、無論、カチュアは目の当たりにしている。
「…ごめんね。あなたを止められるわけないのに。でも、約束して。姉さんから離れないって。ね?」
 いやに切々としたカチュアの言葉に、何を言い出すんだろう、という風に、デニムは不思議そうな顔をした。
「ナニやってんだ?皆待ってるぞ」
 一瞬落ちた不透明な沈黙を、ヴァイスの声が破った。デニムが来ないので、様子を見に来たらしい。
 デニムは、カチュアの視線から逃れるように、ヴァイスの横をすり抜けていった。その後姿を見送り、ヴァイスは少し不満そうにカチュアに言った。
「…あんまり、弟を甘やかすなよ。あいつだって男なんだ」
 それが気に障ったのか、怒ったような声を、カチュアは出した。
「少し黙っていて。弟は、あなたみたいに血の好きな男じゃないのよ」
「戦いたくて戦ってるんじゃねぇや。犬死したくないだけだ、俺は」
 自分を狂犬みたいに言われて――また、デニムが戦いに身を投じるのはヴァイスの影響のせいだ、というようなカチュアの言い方に、ヴァイスはカチンときた。
「あの人達を当てにしているくせに、偉そうな口をきかないで」
 ツン、とカチュアは言いきり、ヴァイスは顔色を変えた。
「あいつらをここに入れたのはカチュアじゃないか!何を今更…」
 声を荒げかけるヴァイスに、
「利用できそうだから、おべっかを使ってるんじゃない。あなたみたいに我を通すだけの能無しじゃないの、私は。少しは感謝しなさいよ」
 あまりにも、カチュアがピシャリと言ってのけたものだから、かえってヴァイスはぐうの音も出なかった。その代わりに、
「ケッ、僧侶のくせに人を騙してもいいのかよ!やってらんねぇぜ」
 と、毒づいて、ヴァイスは隣室へと姿を消した。
 一人残されたカチュアは、テーブルの上で揺らめく蝋燭の火影に向かって、悲しげに呟いた。
「私は、もう、誰にも死んでほしくないだけよ…」

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