Sweet Pain

01


 思ったよりも早く帰れたな、と士郎はほとほとバイト帰りの夜道を歩いていた。今日の食事当番は桜だから、夕飯のメニューは何だろう、などと健康的な男子高校生らしいことを考えながら。
 今日のバイトは普段通りのコペンハーゲンではなく、単発の荷物運びのバイトだった。メインのバイトのシフトに余裕があるときは、士郎は時々、こうして別のバイトを入れている。衛宮邸の若き家主としては、やはり少しでも家計を楽にしたいとの思いからである。お金はどれだけあっても困らない、とは真に至言だった。切実に。――一番大きなエンゲル係数的な意味で。料理の作りがいがあるのはいいのだが、それに関わる食費は本当に馬鹿にならない。
 ともあれ、いつもと違う帰宅ルートを辿っていた士郎は、冬木中央公園を通りかかった。ここを突っ切っていけば、近道だからだ。
「……あれ?」
 本来なら、市民の憩いの場であるべき公園は、未だ10年前の第4次聖杯戦争の傷痕も癒えきっておらず、聖杯戦争が原因の大火災で500人余りがこの場所で亡くなったという事実が、何処か陰鬱さを感じさせてか利用者があまりいない。気のせいか、芝生の育ちも悪いようにも見える。士郎自身にも、血の繋がった実の両親を亡くし、危うく己の命まで失いかけた過去がここにはある。聖杯から「この世全ての悪(アンリマユ)」の呪いが解け、徐々に死者達の無念も和らいできたとはいえど、すぐに明るく雰囲気が変わるというものでもないだろう。ましてや、夕刻から夜に掛けて、という大抵は夕食を摂っている頃の時間帯のために人影は皆無だ。
 だが、士郎にとって見間違えの無い人を、そこに見かけた。目をこらす必要など無い。
(アーチャー……?)
 薄闇の中では、彼の白い髪は仄明るく浮き上がるように。精悍な長身の立ち姿が、鍛え上げられた利剣じみて、街灯の投げかける光に映えていた。
 そして、彼は誰かと話していた。その相手も、士郎はよく知っている。
(……ランサー、と? 何してるんだ?)
 蒼い髪の槍兵のサーヴァントとアーチャーは、その特徴とする蒼の武装と赤の武装との対照的な色合いの対比も相俟って、聖杯戦争中は好敵手(ライバル)とも目されていた間柄だった。性格的には、頭が固く融通の利かないアーチャーと、豪放磊落で何にでもそれなりに楽しみを見つけるランサーと、正反対のこの二人だが、あまりにも違いすぎるとかえって馬が合うとでもいうのか、しばしば、釣りなどでつるんでいる姿を見かけられている。本人達は、腐れ縁であって決してつるんでいるわけではないと言っているが、周りからしたら悪友扱いである。
 二人が視界に入ったほとんど瞬間、妙に、士郎は胸の裡が奇妙にざわつくのを覚えた。
 理由は、すぐに分かった。
 声が聞き取りづらいくらいの距離が開いていても、目の良い士郎には、アーチャーの顔が見える。その、アーチャーの浮かべた表情のせいだ。
 自分によく見せる皮肉っぽいものとも、凛や桜など、身近な女性達に向ける保護者じみた顔とも違う。
 それは、同世代の親しい友人と接する時の、対等な目線。アーチャーは自分は“世界”に使い捨てられるだけの薄汚い掃除屋に過ぎないと自らを卑下するが、それでも彼は衆に優れた才や特殊な血筋なくとも、研鑽と努力により、名だたる英雄達と堂々渡り合う力を得た、それは誰もが認めることだった。誇りなど持たぬと言うが、彼が英雄であることは事実以外何物でもない。故に、英雄は英雄を知るとでもいうのか、ランサーとアーチャーの間に流れる空気には、どことなく砕けたものがあった。
 親しい、同性の友人同士特有の。表面的に仲が悪そうには見えても、実は根っこの部分では認め合っているところがあるからこそ、互いに遠慮無しの口をきく、というような。
 物理的なものもある。若干アーチャーが上回るとはいえ、二人の身長は大した差が無いため、真っ直ぐに視線を見交わすことが出来ている。士郎が常に見下ろされているのとは大違いだ。
「……」
 何だか。
 もやもやする。
 もの凄く了見の狭い感情だということは、分かる。
 ついぞ感じたことのないこれは、紛れもなくランサーに触発されたものだ。自分ではまだ、あのランサーと同じ位置に近づくことも、アーチャーにあんな顔を向けられることもないのだと、それが妙に士郎には苛立たしく感じられた。普段は意識しない、劣等感にも似た思いがのしかかってくる。それでもなおアーチャーから目を離すことが出来ずに、無意識に、士郎は拳を握りしめていた。
 立ち尽くす士郎に、赤と蒼のサーヴァント二人は気付いた様子は無い。
「じゃあ、明日の夜な、アーチャー」
「いいだろう」
 そんなことを言い交わしながら、弓兵と槍兵は、それぞれ違う方向に歩き出した。ランサーは今日の(ねぐら)にもで戻るのか夜釣りでもしに港に行くのだろうし、アーチャーは家に帰るのだろう。その際に、ぽんとランサーがアーチャーの肩を気安く叩いていったのが、ひどく士郎の気に障った。
 ――もう、10日余りも、あの褐色の素肌に触れていない。アーチャーと何度も体を結ぶ関係になってから、こんなに間を開けたことは無いのに。
 そうなってしまったきっかけは、凛に言わせれば「ほんとに、とてつもなくつまらない痴話喧嘩」が原因だった。ひょんなことで臍をとことん曲げまくったアーチャーが、「オレが許すまで、貴様はオレに指一本でも触れるな!!」と、士郎との“夜の生活”を断固拒絶姿勢に入ったのである。
 何せ、アーチャーは人外の存在――魔力で編まれた身体を持つサーヴァントとして現世に召喚された英雄の魂の具現化、英霊だ。人を遙かに超える存在である彼に、殴り飛ばされたり蹴り飛ばされたり投げ飛ばされたりと、ともかくそんなバイオレンスな本気の徹底拒否に遭えば、人間の士郎が太刀打ちできるわけがない。聖杯戦争時には、確かに士郎が曲がらない信念を持ってしてサーヴァントであるアーチャーに打ち勝ったが、だからといってしょっちゅう命を賭けた真剣勝負をするのか、という話である。しかも理由がセックスしたいからだとか、それはさすがに情けなくなる。
 それにしてもそろそろ解禁されても……という頃合いに、何やら「明日の夜」に、アーチャーはランサーと約束をしていた。それはつまり、アーチャーは士郎よりもランサーとのつきあいを優先した、ということだ。その事実が、更に士郎の胸中を荒らす。それとこれとは関係ないとは分かっていても、俺とよりもランサーといる方が良いのか、ランサーが肩を叩くのは良くて、俺には指一本でも触るなって言うのかよと、釈然としない気分がわき上がって止まらない。
 もしも、アーチャーが話をしている相手がセイバーや凛、桜、大河やイリヤスフィールなどだったら、士郎もここまで癇には障らなかった。彼女らは士郎にとっても大事な友人や仲間、姉妹のような存在の人々であり、いわばアーチャーとは共有する人間関係だからだ。
 だが、士郎から見てランサーはそうではない。会えば普通に話はするし、友人というほどではないにせよ、知人よりは親しいだろう、という間柄でしかない。先ほどのアーチャーのように、何か二人で約束する、ということはまずない。
 ランサーは、アーチャー個人の交友関係の中にいる相手だ。士郎が知らない顔を、アーチャーが向ける相手だ。
 それがとてつもなく嫌だ、と反射的に士郎は思った。
 ああ。
 そうか、これが嫉妬という感情なんだ。
 頭の中にあった知識でしかなかった感情の名が、引き出された。
 確かに、アーチャーの素肌に触れ、アーチャーを抱くことが出来るのはこの世に士郎一人だけしかいない。しかし、そんな士郎相手にも見せない顔をランサーには見せるなんて、と、あまりにも身勝手な苛立ち。そんな苛立ちに、また、何でと意味が分からずに更に苛立つ。酷い負の連鎖だ。
 この意味不明な腹立たしさが、嫉妬、という明確な名を持ったことで、余計に士郎にそれを意識をさせた。
 まさかこんな理不尽な、どろどろした自分本位な激情の嵐が自分の中にあるなんて、知らなかった。好きだと思うからこその独占欲、なんてものが自分にもあったなんて知らなかった。誰かのために、と生きてきた士郎にとっては今まで無縁の感情だっただけに、持て余して、どうやって扱ったらいいのかよく分からない。きっと、今の俺は酷い顔をしている。士郎は、何度か深呼吸を繰り返し、とにもかくにも気を静めようとした。気付かないうちに爪が皮膚に食い込むほどに強く握っていた手を開いて、頬をゆっくり撫でてみる。
 引きつったり強ばったりはしていない、筈だ。先ほどのランサーとのことがあるから、余計にアーチャーにみっともない様を見せたくないと思うのは、くだらない対抗心かもしれないが。
 よし、と一つ頷く。
 わざと士郎は、アーチャーの行く先を遮るようにして進み出た。
「アーチャー」
 名を呼ぶ声は、思ったより荒れずに遙かにするりと出た。
「……何だ、今、帰りか」
 一瞬だけ、アーチャーはほんの少し驚いた表情を見せたが、それだけだった。単に、予期せぬ相手がその場に偶然現れた、その程度でしかない。
「……ああ、バイト行ってた」
 士郎がそう答えると、別段興味を引かれた風もなく、アーチャーは「そうか」とだけ答えて、止めた足を再び家へと向かって動かし始める。たまたま士郎が通りかかって、たまたま会った、くらいの認識しかアーチャーには無いのだろう。
 その場に置いて行かれそうになった士郎は、慌ててアーチャーの後を追いかける。そして、訊いてみた。
「なあ、お前、こんな所で何してたんだ」
「オレが何処で何をしていようが、オレの勝手だろう。お前にいちいち報告せねばならんのか」
 アーチャーにしてみれば、やましいことなど一点も無いのだから、士郎に気など使う筈もない。振り返りもせずに、すげない言葉だけを投げ付けてきた。
 いつもの対応といえば、実にアーチャーのいつもの対応なのだが。それまでの経緯があるだけに、士郎の胸中の、落ち着けた筈の感情が再びざわめき立つ。
(……人の気も知らないで)
 互いの背の高さが20センチも違えば、当然、脚の長さも違う。脚の長さが違えば、やはり当然、コンパスの大きさも違う。アーチャーは、後ろにいる士郎に特に斟酌することもなく、すたすた歩いて行く。距離が開こうが何だろうが、お構い無しだ。
 ちゃんと俺を見ろよ、俺の名前を呼べよ、……俺を。
 お前は一体、俺のことを何だと思ってるんだよ。
 長身の後ろ姿を追うようにして歩いているうちに不意に、士郎はアーチャーをひどく啼かせてやりたくなった。あの広い背中を快楽に震わせて褐色の肌を紅く染めさせて、淫らな喘ぎ声を上げさせてやりたい。自分だけが知っている奥処を侵略して、啼いて、泣かせて、自分の名だけを悲鳴のように叫ばせてやりたい……。
 アーチャーの、引き締まった腰に自然と目が行ってしまう。
 あの中に包まれる凄まじいまでの悦楽を、思い出す。その時の、アーチャーの痴態や嬌声までが一緒に脳裏に再生されて、かっと頭に血が上った。
 士郎の愛撫によって、鍛え上げられた肉体が艶めかしく戦慄き身悶えして、鋭い鋼と同じ色の双眸が涙に滲み潤む。歯を噛み締めて押し殺すようだった声が、徐々に甘く濡れた喘ぎ声になる。汗が流れる滑らかな肌、しなやかな筋肉の感触、荒い呼吸、熱い体の中。頑迷な理性が剥ぎ取られて、快楽の本能に忠実になっていく。
 欲望を喚起させるのに十分すぎる映像と音声が、妄想と言い切ってしまうにはあまりにもリアルなのは、紛れもない士郎自身の記憶だからだ。
 それは先ほどまでの苛立ちの感情と激しく混じり合い、家に帰るまで待たずに今すぐ、アーチャーを抱かなければ自分は気が狂うのではないか――そんな衝動が、確実に士郎の全身を支配しつつあった。
 年若い、少年の肉体はそれを押さえる術を知らない。
 どんなに今の自分の心理状態が醜悪か、脳裏に残された冷静な部分で士郎も分かっている。しかし、凄まじいほどの速度でまともな思考は駆逐されていき、末梢神経から情欲の色に染め上げられていく。
「……アーチャー」
 アーチャーが振り向いたのは、士郎の声がいやに低く、くぐもっていたからに違いない。
 浮かべられた僅かに不審そうな表情は、すぐに驚きに取って代わられる。
 飛びかかる勢いで、士郎がアーチャーの背中目掛けて思い切り体当たりしてきたせいだ。
「うわっ!?」
 予想だにしていなかった士郎の唐突な行動に完全に不意を突かれてよろめいたアーチャーは、そのまま木立の傍ら、植え込みの影になる地面の上に押しつけられた。
「何を、す……っ!?」
 至極当然のアーチャーの抗議は、強引に途切れさせられた。言葉を発するための唇は、食いつかれる勢いで士郎に塞がれる。ほとんど容赦なく、乱暴に口腔に押し入った舌がアーチャーの舌を絡め取り、痺れるほどに吸ってきた。
 舌の半ばをそのまま噛まれて、唇が離れないようにされる。口内の粘膜に絡めて嬲るかのように、アーチャーの口の中で士郎は舌を我が物顔で動かした。
「んんっ……!」
 甘さなど一切ない、犯すにも近い口づけにアーチャーは抵抗して、膝の上に乗り上げてのしかかる士郎の両肩を掴み自分の上から押しのけようとするが、下肢に手を伸ばされて服の上から股間を撫でられ、びくりと背と肩を震わせた。お構いなしに、士郎はアーチャーの身体の至る所に触れながら、反応と感触を楽しむ。
 相変わらず、アーチャーは敏感な体をしていた。
 生前、どれだけ禁欲的な生活を送っていたのか、アーチャーは苦痛には限りなく耐性があるが、快楽にはとにかく弱い。はっきり言って、士郎はアーチャー自身以上に彼の身体のことを知っている自信がある。性感を刺激する箇所にわざと触れてやると、その度にアーチャーは小さく震え、唇と唇の間から噛み殺すのに失敗した小さな声を漏らした。当人の意思はともかくとして、確実にアーチャーの四肢の方は悦楽の本能に目覚め始め、抵抗の力を失っていっていた。
 たかが、と言われても本人には非常に大きかった10日間の空虚を埋めんとせんばかりに、執拗に士郎はアーチャーの口唇を求めた。結び閉めることが出来なくて溢れる唾液が口角から溢れそうになるのを啜り上げ、甘美な口腔と舌をひたすら貪る。
 そうやって、唇と口内を堪能した士郎は、しかし、それだけで到底満足出来るわけが無い。脇腹を辿り腰骨、腿を撫でながら唇から頬、耳へと熱い吐息を這わせて耳朶を軽く歯で弄ぶ。
「くっ、あ」
 アーチャーが身を捩る。眉を上げ、士郎を睨みつけるが、それが意図とは逆に挑発的に見えるのは眼が半ば潤みかかっているからである。肢体の内側に溜まろうとする疼きに、彼が蝕まれつつある証だった。
「まさか、こっ、……こんな、野外で事に及ぼうとでもいうのか、貴様……っ」
 少し上ずった声。いくら人通りが少ないとはいえ、人跡未踏の地などではないのだから誰かに見咎めらでもしたら、というアーチャーの懸念を、士郎はすっぱりと断ち切った。
「そうだ。今から、お前をここで抱く」
 士郎の、あまりにも強引にすぎて常識的にそれはどうかという言、そしてあからさまに普段とは違う飢え滾った、獰猛な貪欲さを剥き出しにした雰囲気に、組み敷かれたアーチャーが本気の危機感を抱き、渾身の力で拒絶に入ろうとする。士郎を撥ね除けようと、熱のこもりつつある腕に力が込められた。
「馬鹿者……! 悪ふざけは、この、やめ、や……っ!」
 しかし、シャツの上から士郎が探り当てた、緩く立ち上がりつつある胸の飾りを擦られて、アーチャーは布と指、両方の摩擦による刺激の感覚に堪えきれぬ声を上げる。一緒に吐き出された呼吸にも、隠しきれぬ甘みのある艶が確実に含まれていた。
 アーチャーが自分の愛撫に快を得ている、という事実に士郎はほくそ笑む。
 そうだアーチャー、こんな風にお前は俺のものなんだから。他のヤツ――ランサーに、気なんか取られるなよ。
「やめろって? そう言う割には、お前、感じちゃってるみたいだけど?」
 ゆるゆるとあまり力を入れずに更に擦ってやると、徐々に突起が尖ってくる手応えがあった。その感触は何よりも素直で、士郎はもっと感じさせてやろうとアーチャーを服越しの愛撫で苛み続ける。
 手ひどく抱いてやりたい、などという嗜虐心が湧いてきて、止まらない。
「……や……め、……この、たわ、け……! あッ……!」
 合意によらぬ行為をやめない士郎に対して、罵声を放とうとするアーチャーだが、途中で艶声に変わってしまった。
 親指と人差し指、乳首を2本の指で摘みくりくりと捏ね回す士郎の動きにアーチャーは悶える。
「胸が弱いなんて、女の子みたいだな、アーチャー」
「……ぁ……っ……、ッ……、ふ、ぅ……っ、……や、め……、やめ……ろ……」
 夜陰の中で僅かに届く街灯と月の光の下、いやいやという風に頭を振るアーチャーの白い髪が、土の茶色に汚れる。その様ですら、ひたすらに士郎を煽り立てた。

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