Lunatic

04


 ……何をやっているのだか。
 箍が外れたように士郎と交歓を続けながら、アーチャーは脳裏の片隅でちらりとそう思った。思いながらも、更なる快感をせがむように、体の中に打ち込まれた楔をきつく締め付ける。
「ああっ……、……ふ、ん……」
 そうすると、応えて士郎が強く内壁を擦ってくるから、淫らな喘ぎが零れた。
 現界してからこの方、満月の夜など初めて経験するわけでもないのに、どうして今日に限って、こんなに狂って乱れるのだろう。今夜が、稀に見るほどの美しい月夜、であることは確かだが。
 凍えるほどに冴えた光は胸の奥の微かな濁りを、残酷なまでに引きずり出す。身体の熱は上がっていく一方なのに、思考はどんどんと冷めていく。
 ――これほどの快楽に打ち震える自分は、それなのに生きてはいないのだと、心の奥底でアーチャーは自身を(わら)った。
 繋ぎ止めて欲しい。手放して欲しい。忘れて欲しい。忘れたくない。願いなど無い。本当は望んでいた。
 かつての自分が愛していた、金の髪の美しい少女。今の自分を抱く、かつての自分と同じ顔の、赤銅色の髪の少年。自分を相棒と呼んだ、名前の通りに凛然とした、黒い髪の少女。遠い日に失った、正義の味方という理想。平凡だったが故に、本当は幸せだった筈の戻らない日々。英霊の座にあり、“世界”の命じるままに守護者として殺戮を繰り返すしかない自分。歯車の軋む赤い空の下、無数の剣が墓標のように突き立つ丘。
 好きだと言われることは、実は口で言うほどに嫌ではない。けれど、本来ならばそれは、自分に与えられるべき言葉ではない。この身を肉で穿たれることにいいようのない悦びを感じるのだって、自分は女ではないのに考えるまでもなくおかしなことだ。それなのに、まるで女のように一人の男を求めて、男の下に組み敷かれて女のように喘ぎよがる己は何なのか。
 ああ、本当に月の光は狂気を呼ぶ。打ち寄せる快楽の波の中から、洗い出される小石のようにとめどもない思考が埒も無く浮かんでは消え、消えては現れる。
 どうせ狂うのならば、何もかも振り捨ててただこの愉楽にみっともなく溺れ、どうにかなってしまえばいいものを。
 いや、意味の無い思考を止められないからこそ、狂っている、のか。
 そうだ、狂っている。
 そうでなければ、何故、今、思い出す。
 自分殺しを求めて始まったアーチャーの聖杯戦争は、他でもない憎んでやまなかった過去の自分自身に示された答えによって終結した。以来、現界を続ける今、何でもない日常の中で昇華された筈の、その昏い自己への憎悪の念を、今になって再び。
 抱かれて歓びを得ながら、その一方でめちゃくちゃに壊されてしまいたいと、同時に思っている。体の中で膨張する熱に、快楽と共にそれを期待する。いつまでも続く快楽と、拷問の責め苦とは、おそらくは紙一重だ。
 だが。
 何かを望むなど、全てを捨ててきたお前に許されているのか。何かを願うなど、理想に絶望した、世界のための殺戮人形でしかないお前が何という分際知らずな。
 笑みが浮かんだ。
 穏やかさや安らかさとは無縁の、決して「笑顔」とはいえない表情が、アーチャーの褐色の相貌をよぎる。
「しろ……う……っ、あ、い……いいっ……、……気持ち、いい――そこ……もっと……!」
 アーチャーは途切れ途切れに啼きながら、自嘲の色に微かに唇を歪めつつ、その表情を見られないように、自分の上にある背中を抱き寄せた。筋肉の張ったしなやかな脚を、しっかりと士郎の体に絡める。
 もっと強くと、もっと深くと。
 この、沸き起こって消えない飢餓感は。
 本当は、何を自分は望んでいるのだろうか。
「……アーチャー……!」
 呻くように、荒い息と共に少年の声がそう呼んだ。ねだられるままに、士郎はアーチャーが激しく感じる箇所を何度も突き上げる。アーチャーの身体はそれに反応して、士郎の欲望を強く包み込んだ。それが、ぞくぞくする快感の震えを互いの体にもたらしてくる。アーチャーは声高く喘いだ。
「や――は……!」
 そして、思う。
 ぞろりと鎌首をもたげる、ほの黒い感情。生きている人間であれば、あるいは“死の欲動(タナトス)”と呼ばれるであろう、それ。消滅への甘い願望。
 このまま。
 月の光に溶けて、消えてしまえればいい。悦楽に狂わされて、溶けて崩れて、壊されて、その果てに。
 だから、あんなに抱いて欲しかったのか。
 ――そう、いっそ、そうやって他でもない衛宮士郎に抱き殺されてしまえれば、きっと――。
「……アーチャー」
 ふと動きが止まったのに気付けば、士郎がアーチャーの顔を覗き込んでいた。涙の滲む瞳を訝しげにアーチャーが瞬かせると、士郎はむっと口元を曲げる。
「お前、変なこと考えてるだろ」
「……別に、何も」
 アーチャーは士郎から目を逸らした。
 だが、士郎は欲望に顔色を上気させたまま、表情と声はいやに真剣に、アーチャーに言い聞かせるようにして、耳元に顔を寄せた。
「嘘つけ。お前がそういう顔するときは、絶対にろくなこと考えてない」
「あっ……!!」
 びく、とアーチャーが背を引きつらせる。士郎がアーチャーの腰を強く掴み、中を大きくぐるりと掻き回して来たせいだ。更に、ぐっと身を倒してアーチャーの中に士郎が深く入り込んできた。そうすると、アーチャーの体液に濡れた性器が皮膚と皮膚の間に擦られて、後ろからと前からと同時に、強烈な快楽を与えられる。緩く、強く、間断なく追い上げられる感覚に、アーチャーは身悶えした。
「――あ、や、あ、ああぁ……!」
 士郎は、まるでアーチャーの内心を見抜いたかのごとく、そしてそれを奪うべくしてか、より一層動きを激しくする。
「余計なことなんか考えるなって、前にも言ったじゃないか。……セックスしてる最中くらい、俺のことだけ、見てろよ、……ってさ」
「見、て、いる……、……い、あ……!」
 アーチャーは仰け反った。身体の奥に深く入り込まれたまま、繰り返し強く抉られる。すっかり熱を持った粘膜を、手荒いほどに擦りたてられる。
 そのたびに、ぐちゅぐちゅと淫猥な音が響いた。士郎の肉棒の動きに合わせて、アーチャーの体の内側が粘った音を立てる。
 士郎の精液に満たされたアーチャーの腸内は、まるきり女の膣であるかのように濡れそぼっている。もはや、性器も同然だ。それで、余計に潤滑に士郎を受け入れて、最奥までをたやすく突き上げられる。蠕動するアーチャーの体内に熱く包み込まれて、士郎の怒張が更に存在感を増した。
「ひっ――ア、や、ああ、しろ、う、……あ、も、う、イく……!!」
 がくがくと揺さぶられながら、奥深く内壁を抉るような動きが続き、アーチャーは素直に快感を訴えた。
 強すぎる快楽の波に、意識の全てを持っていかれる。四肢が突っ張って、アーチャーの喘ぐ声が切れ切れになる。
「ああああああっ……!!」
 熱が四散する。体をびくびく震わせながら、アーチャーは逐情した。
 その際の強烈すぎる収斂も掻き分けて辿り着いた奥で、士郎は奔流を解放する。
 サーヴァントの体内に染み込んでいく、魔術師の精。魔力で形作られた「エミヤシロウ」の細胞の一片一片が、「衛宮士郎」の色に馴染んでいく感覚。そして、それに潤わされている、とアーチャーは確かに知っている。こうして、アーチャーの身体は士郎を忘れられなくなっていくのだ。
 それを、確かな悦楽と感じている自分自身をわからぬほど、いくら鈍いと、彼を知る者皆に口を揃えて言われるアーチャーといえどさすがに、自覚が無いわけではなかった。そもそも、抱かれることが嫌であるならば、最初から抱いて欲しいなどと求めたりしない。
「……アーチャー……」
 暫く、はあはあと互いの荒い息だけが聞こえた。汗まみれのアーチャーの、首筋にかけて筋肉が盛り上がった肩に、士郎の頭がことんと乗せられる。互いに余韻の冷めぬ肌が、確かな熱を伝えてくる。それから、一度大きく息を吐いて、士郎はアーチャーから身を離した。
 体の中を塞いでいたものが、ぬるつきと共にゆっくり引き抜かれる気配に、アーチャーは僅かに身を震わせた。濡れきった媚肉が未練ありげに雄に絡もうとする、その感覚に小さく呻きを零す。
 褐色の肌を濡れ光らせる汗と、腹部に飛び散った白濁。逞しい身体に、滴り落ちるような淫靡な彩を与えるその様は、あまりにも官能的だった。
 この体を組み敷いて、征服することのできる唯一の男の前で、アーチャーはひたすら無防備だった。
 不敵で皮肉屋の弓兵のサーヴァントが、閨では驚くほどこんなに甘い声を上げるということを、知っているのはこの世界でたった一人、衛宮士郎だけだ。士郎は、確認するようにアーチャーを見た。
 精悍な顔立ちはすっかり血の色に上気しきり、蕩けた双眸には、ほんの僅か、理性にも似た光が朧に揺らめいている。その様が、やたらと艶めかしい。アーチャーの、こんな顔、こんな姿、自分以外の誰にも見せたくないし、見られたくない。士郎は鍛え上げられて引き締まった身体に、手を這わせる。
「なあ、アーチャー、ここ」
 士郎の指が、アーチャーの後孔の周辺をゆっくりと撫でた。度重なる交わりに、そこはもう痺れてかなり感覚が鈍っている。だが、中に指を入れられれば、白い体液に濡れそぼった内壁は、たやすくそれを咥え込んで吸い付こうと盛んに動いた。
「あ、っく……」
 ぐちゃり、と淫猥に濡れた音と共に指を中で回されて、アーチャーの体が跳ねる。
「とことんまで可愛がって、物凄くいやらしくして、俺なしでいられないような体にしてやろうか、アーチャー」
 ひどく色めいた言葉でありながら、士郎の目には真摯なほどの熱が浮かんでいた。
 アーチャーは士郎を見上げた。熱の冷め切らない自分の鋼色の瞳に、士郎の顔を映し込む。
 薄めの唇を開くと、皮肉げな声が零れ出た。
「……やってみるが、いい。出来るのならば、な」
 わざと挑発するような言葉に、士郎は目を細めた。それは明らかに、士郎の求めに対して、また続きをしていいと、了承する返答と同じだった。
「じゃあ、それまで放さない――いや」
 言いながら、士郎が間に入り込んでいるせいで、アーチャーの閉じられずにいる両脚を、持ち上げて更に大きく広げさせる。体液に塗れて蕩け、ひくひく蠢く秘部が、否応なしに士郎の眼下に晒された。
「……あ」
 既にその箇所を見られている上に、何度も貫かれたアーチャーにはもはや、羞恥の感情は働かない。逆に、ぞくりと背を震わせる。淫らな期待に。それに応えるべく、士郎の欲望が宛がわれる。
「お前は、とっくに俺のものだったよな」
「ぁ、……あ、ふ、あっ」
 敏感な粘膜を爛れさせる熱が押し入ってきて、アーチャーは身悶えした。ただ、その反応が士郎を厭うものではなく、歓迎するものであることは、甘美な悲鳴を聞くまでもなく、疑いようがない。
 ぐっとアーチャーの体内で、挿入された性器が膨張する。アーチャーは、士郎の腰を抱え込むように脚を絡めた。まるで、逃がすまいとするように。
「っは、あ、ああ、ああぁっ! ……士郎……っ、あ、……ん、ああッ!!」
 何と、浅ましい体だろう。こんなにもあっさりと肉の悦びに陥落して、既に何度も交わったにも関わらず、なおも飽き足らずにしつこく愛撫をねだって、物欲しげに中に男を迎え入れようとするなど。アーチャーは喘ぎながら、自嘲する。
 それでも、何処かで。
 衛宮士郎に抱かれて、幸福を感じている自分を、アーチャーは改めて自覚していた。
 生前は、失うことが多すぎて、恐れすら抱いていた生きている人の体温が、こんなに熱く激しく――心地のよいものだったなんて。
 果たして、秘めやかな月光が曝け出したのは狂気なのか、それとも包み隠された本音なのか。
 分からないまま、士郎、士郎、とひたすらアーチャーは自分を貫く少年の名、かつて自分もそう呼ばれていた名を呼んだ。



 夜が終わる。
 妖しく冴えた月の光が、清廉な朝の光に切り替わっていく。
 士郎が目を覚ましたとき、既にアーチャーの姿は部屋の中になかった。
 初めてアーチャーから誘われた、その興奮のままに一夜が明け、今日は自分が食事当番だったと思い出した士郎は、上に掛けられていた薄い布団を跳ね上げ、慌てて起き上がった。そういや、あいつを初めて抱いた時もこんな感じだったなあ、と乱れた赤銅色の髪をかき混ぜた。
 まさか、サイズの全く合わないアーチャーの服を借りるわけにもいかず、かといって、素っ裸で廊下に出て行くのも、さすがに文明人として大問題なので、士郎は夕べ脱ぎ捨てた服をまた着直した。
 そして、一旦自室に戻り、新しい服に着替えてから、昨日の服は洗濯機に放り込む。ついでに、顔も洗う。
 小走りに居間へ向かうと、案の定、アーチャーはそこで朝刊を広げていた。
「……アーチャー」
 呼びかけてみると、さすがに無視するつもりはなかったのか、アーチャーは新聞から顔を上げて、士郎に目を向けた。もっとも、士郎以外の誰かが姿を見せていたなら、自分から先に声を掛けていただろうことは、容易に想像できるが。
「間に合うのか」
 言われて、士郎は時計を見た。いつもの起床時間よりも15分ほど遅い。アーチャーが言うのは、無論、朝食の時間のことだ。言うまでもなく、現在の衛宮邸において、食事とは何よりも優先すべき最重要事項になっている。
「間に合わせる!」
「手を抜いて、セイバーに怒られんようにな」
 手伝おうとか、代わりに、とかいう言葉が出てこない辺りが、いかにもアーチャーだ。
「当たり前だろ、そんなことするもんか」
 台所に向かう士郎に、アーチャーは低い声で笑った。絶妙に嫌味を混ぜ込んだ、通常の声音である。
 頭を芯から痺れさせそうな、昨夜士郎に見せた、あの妖艶さは欠片も残っていない。小面憎いまでの、いつも通りのアーチャーだった。
 その態度もまた平静そのもので、夕べ、あまりにも乱れきった彼を抱いたことなど錯覚だ、と士郎本人にまで思わせそうだった。性交の分かりやすい証明である、痕の残らないサーヴァントの身体が、ほんの少しだけ恨めしい。しかも、そんなことがあったか? などと平然とアーチャーは言いそうだ。
 冷蔵庫を開けて中身を確かめ、手早く朝食の準備を始めつつも、士郎は、そりゃ分かっていたことだけどさ、と一人、内心でごちる。ただでさえ、ツンケンした普段のアーチャーと、妙に素直なところがある閨のアーチャーは別人のようなのに。
 抱いてくれ、なんて。
 あれは夢だった、と言われれば納得してしまいそうになる。だが、想い人と快楽を分け合ったことで得られる充足感に満ちているのは確かな事実で、それが尚更複雑だった。
 このギャップが、アーチャーの魅力の一つだと、当人はまるで分かっていないが。
「……そういえば」
 そんな士郎の心の呟きなど、知ったことではないアーチャーは、あくまでもマイペースに新聞をめくりながら言った。
「夕べのお前の用とは、何だったのだ」
 調理をする手を止めず、士郎は答える。
「――ああ、遠坂が。来週から、1週間くらい協会の用事でロンドンに行くことになって、その間の、桜とお前と俺の食事当番のローテーションの話だったんだけど。お前、その話してたとき、いなかったからさ」
 その時のアーチャーの不在は、言わずもがな、屋根の上にいたためだが。
「……何だ」
 そんなことか、と、あからさまにアーチャーはつまらなそうな口ぶりで、僅かに眉を寄せた。
「わざわざ言いに来ることでもなかろうに」
「けど、勝手に決めたら決めたで、お前、後からどうせ文句言うだろ」
「む」
 さすがに、士郎の指摘は的確だった。思い当たる節がかなりあるアーチャーは、珍しく反論できない。
「おはようございます」
「ああ……おはよう、セイバー」
 これ幸い、とばかりにアーチャーは、士郎から目を逸らし、居間に姿を見せたセイバーに顔を向けた。
 はぐらかしは明らかだったが、そこを突っ込むとアーチャーの機嫌を著しく損ねることは明白なので、その点については士郎は追求を避けた。この辺り、彼の扱いに多少、慣れてきたと言えるのかもしれない。
 それにしても、相変わらず、自分に対する本音が読めないアーチャーだが、士郎はそこも含めて彼を好きなのだから、全く恋という感情は度し難いと思う。
 満月の夜、誘いかけるアーチャーの濡れた声、濡れた鋼色の眼差しはそれこそ月光じみて。
 めくるめくような一夜の後には、いつもと同じ日常。
 人を狂わせるという月夜に。
 果たして、狂わされたのはどちらだったろうか。
 埒もないことを考えながら、士郎は家人達の朝食作りに勤しむのだった。

Lunatic : Fin.

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