Close to You

01


 湯船に体を沈めて、アーチャーは溜息をついた。
 士郎と自分が身体を結んだことを暴露されてからこの方、どうにも、主に凛辺りに生暖かい目で見守られているような気がしてしょうがないのだが、絶対に気のせいではない。その生暖かさに時折、黒いものが混じっていると感じるのも、気のせいではない。
 士郎は士郎で、それまでアーチャーとの距離を測りかねていたのが嘘のように、完全に吹っ切れまくったらしく、まるきり遠慮会釈が無くなった。それこそ、「お前を俺のものにする」という宣言通りに、昼も夜もだ。
 今日だって。
 イリヤスフィールが遊びに来ているというのに、士郎はいきなりアーチャーに口づけてきた。ご丁寧に、逃げられないように腰と背に手を回してホールドして、だ。一応、物陰で、という配慮くらいはあるにはあったが、どちらにしても、ばっちりイリヤスフィールに目撃されるようでは意味が無かった。
『あら、シロウ達ってば、随分、仲が良くなったのね』
 その日の気分で、士郎への態度を変えるイリヤスフィールの、本日の気分は、姉、だったらしい。男同士のキスシーンにも動じずに、それどころか衛宮士郎とエミヤシロウの仲を喜ぶように微笑みすら浮かべて見せた。
 彼女の出身であるヨーロッパでは、確かにキスは親愛を示す挨拶だろうが、それは普通は頬や額になされるものである。唇と唇を合わせた上で舌まで入れてくるような激しいキスは、微笑ましく済ませて良いものではないのではないか。
 とりあえずアーチャーは士郎を殴っておいたが、あれはきっと懲りていない。
 肩身が狭い。
 大体、こんな関係、大っぴらにしていいものか。同性同士だぞ、しかも、元を糺せば同一人物だぞ。倒錯などというレベルをどれだけ飛び越えているのだ。言ってしまえば、自分達が身体を繋ぐのは、性行為というより、自慰行為に近いのではないのか。思春期特有の、発散しきれないどうしようもない熱。士郎が自分とのセックスに夢中になって溺れるほどなのも、きっと、そういう側面が無いとは言い切れないだろう。10代後半の真っ盛りの男といえば、性に対してそんなものだろうと、自分も通ってきた道として理解はしている。
 けれど、程度や限度といったものがある。大体、自分はあそこまで激しくなかった、多分。
 ――いくら何でも、嫌いな相手に、よりにもよって女役として体を許したりはしない、が。
 アーチャーが士郎を拒みきれない、のが一番の問題なのだろう。だからといって、2、3日おきという頻度で身体を求めてこられては、たまったものではない。いくら自分がサーヴァントで、精によって魔力供給を受けられるとはいえ、男の身で雄を受け入れる負担の大きさを少しは鑑みろ、付き合いきれん、と夜の街の哨戒を増やして、士郎を突き放してはみるものの。
 顔を合わせれば捨てられた子犬みたいな、寂しそうな表情をされるのに、アーチャーは硝子の心を抉られてしまい、渋りながらもつい士郎の求めに応じてしまう。そうなれば、間隔をあけた分、気絶も許されないくらいに、より激しく一晩中でも揺さぶられる。結局はどっちもどっちだ。
 それでも、引き裂かれるような苦痛だけを与えられるのならば、まだ耐えようがある。最大の問題は、士郎との行為に、明らかに己の肉体が愉悦を感じているということである。士郎は、何時だって、自分の欲望だけを優先させるのではなく、時間をかけてもアーチャーの快感を引き出そうとする。好きだ、という言葉よりもよほど雄弁に士郎の想いを語るように。だから、士郎に抱かれる度に、アーチャーは理性を霞まされて、昂揚させられて、啼いて喘いで官能に狂わされるのだ。そして、事後に我に返り、死ぬほど恥ずかしい思いをするのが常だった。火傷させられたような精神の方が、素直に士郎との交情を享受し始めた身体についていけない。
 アーチャーも、まあ、男であるから、性の快楽自体が嫌いなわけではない。が、男としては貫かれて喜悦を得るのはどうなんだ、という話だ。自分の体が、男を咥え込んで快楽を覚えて物欲しげに締め付けるなんて、知らなかった。しかも、それに慣れつつある上に、嫌悪感が湧かないどころか、歓喜に震えることすらあるという事実を、どうしたらいいのだろう。
 あの、真っ直ぐすぎる琥珀色の眼で、お前がお前だから好きだ、好きだから欲しいと告げられて。振り払おうとして失敗し、受け入れてしまった。
 ――士郎の、一方的な執着などではないことを、嫌でも知らされてしまった。もうとっくに、自分は士郎に敗北しているのだと。
 もう一度、溜息をついて、天井を仰ぐ。
 そんな風に、随分と長時間、湯に浸かったままアーチャーはぼんやりしていたらしい。何せ、人の多い衛宮邸ではなかなか望めない、貴重な1人の時間だ。別に、アーチャーは人嫌いというわけでもなく、むしろ人は好きだが、自らの死の直前まで戦場を流離い、守護者となった今では目にするのは破滅の光景ばかり、という身には、この家の暖かい賑やかさに時々、居心地の悪さを感じるのも事実だった。磨耗してしまい、かつては自分の住処だったこの家に郷愁をあまり感じられないという、何ともいえない寂しさのせいもある、のかもしれない。
 だからといって、生前のように、独りここを離れて戻らないという選択肢がお前にはあるかと問われると――答えは、躊躇いながらも否、と返すだろう。であるからこそ、たまには1人になりたいと思うのだが。全く、業が深い。
「おーい、アーチャー、起きてるか」
「……寝てなどおらん」
 ガラス戸一枚で隔てられた向こうから、長湯を案ずるような家主の声が聞こえてくる。
 そうか、士郎は風呂にまだ入っていなかったな、とアーチャーは湯船から身を起こそうとした。
 だが、何故だかガラガラと音を立てて引き戸が開かれて、すっかり服を脱いだ士郎が姿を現す。腰を浮かしかけたアーチャーは、そんなに士郎が入浴を急ぐほど遅い時間になってしまっただろうか、と眉根を寄せた。
「……士郎、今上がるから、少し待て」
「いや、せっかくだから、一緒に入ろうぜ」
「!?」
 士郎はさっさと有無を言わさぬ勢いで洗い場を横切り、その勢いのままで浴槽に入ってきたというか、むしろ飛び込んできた。半分、上がりかかっていたアーチャーを中に押し戻すように、勢い良く。
 盛大な飛沫が上がる。
 向き合った姿勢で士郎に膝の上に乗り上げられたアーチャーは、一瞬呆気に取られ、次いで猛然と文句を吐き出した。
「たわけ、湯が溢れるだろう勿体無い! それと、掛け湯もせずに湯船に入るな、明日の洗濯に使うのに残り湯が必要以上に汚れるだろうが! いや、それ以前に狭いわ乗ってくるな!!」
 衛宮邸の風呂場に設えてある浴槽は1人で入るには決して小さくはないが、2人で入るには流石に狭い。更には何といっても、アーチャーは日本の成人男性の平均数値よりも遥かに雄偉な体格を有しているのだ、余計に窮屈に感じる。
 湯に濡れたアーチャーの褐色の身体をじっくりと眺めやった士郎は、実に生活感溢れるアーチャーの言葉に苦笑した。勿論、抗議の方は華麗にスルーだ。
「お前さあ、言うことにホント色気無いよな。体はこんなにエロいのに」
「なっ……何を、馬鹿な! 貴様がそういう色眼鏡でオレを見ているから、そういう風に見えるだけだ! ……っ、さ、触る、な……!」
 胸の上に手を当てられ、やんわりと撫で下ろされて、アーチャーはびくりと肩を震わせる。
 隆々と引き締められた頑健な筋肉で形成されているアーチャーの長身は、普通は同性の賞賛や羨望こそ得るものの欲望を招くものではない筈だが、お前を好きだと公言する士郎には、とてつもなく蠱惑的に見えるものらしい、とは既に本人の口から聞かされている。水気に湿った肌に、士郎の手が吸い付いてくるような感触を覚えて、アーチャーは背筋が粟立ちそうになるのを懸命に堪え、士郎を押しのけようとした。
「いいだろ、アーチャー。抱かせてくれ」
「お、一昨日に、……したばかりだろうが、しかもこんな場所で、……やるつもりか、やめ……ろ……! オレは嫌だ……!」
 しかし、士郎にとってアーチャーの拒絶の言葉は日常茶飯事であるため、まるでものともしない。まあ、抱こうとする度にいつもやめろとか嫌だばかり言われていれば、慣れてしまうというものである。ただ、士郎は言わないが、そう言うアーチャーの理性を甘く焦がして、切ない喘ぎ声に変えさせるのが実は楽しみでもあったりする。士郎は、アーチャーの耳を甘噛みし、その耳孔に囁いた。
「俺は毎日でも、アーチャーとセックスしたいけど」
「こっちが保たんと言うんだ、たわけ! せめて一週間はあけんか!! 貴様の頭の中に詰まっているのは、脳でなくて海綿体か!!」
 耳元であまりにあからさまに言われ、アーチャーは思わず赤面しながら怒鳴る。
 ちなみに、自分が士郎に抱かれることを決して否定はしていないということには、アーチャーは気付いていない。
 抱き寄せられたせいで、士郎の雄の象徴がアーチャーの身体に押し当てられる。それに体内を抉られる感覚を思い出してしまい、アーチャーは身をよじった。
「馬鹿者、卑猥なものを腹に押し付けてくるな!」
「卑猥って失礼だな……。アーチャーだって、同じものついてるだろ」
「あッ! やっ……やめ、やめろ馬鹿……!」
 士郎の手が、アーチャーの下肢に潜り込んできて、身体の中心部を緩く握りこんできた。ぎくりと身体を強張らせるアーチャーを、追い立てようとする動きを与えてくる。戦慄が、腰から背骨を上ろうとしてくるのに、アーチャーは何とか熱を逃がそうとした。
「んっ……ぁ……、……し……士郎……!」
「アーチャー……」
「……っく、……本当にいい加減にしろッ……、このたわけが!!」
 アーチャーがサーヴァントという人外の存在であることを差し引いても、士郎とアーチャーには、歴然とした体格差による膂力の違いがある。その上に、それまで積み重ねてきた戦闘経験から来る体術や身ごなしの差が加わるのだから、アーチャーさえその気になれば実際のところ逆転は容易だった。
 士郎を投げ技の要領で自分の上から払い落としたついでに、赤銅色の頭を掴んで湯の中に沈めてやる。その隙に、アーチャーはさっさと浴槽から長身を引き上げた。
 少しばかり湯を飲んでしまったのか、士郎は頭の先からびしょ濡れになりながら、軽く咳き込んだ。
「ぶはっ……何すんだアーチャー!」
「ふん、それでは頭は冷えんな」
 間一髪、肌の奥が情欲の炎に炙られる寸前に士郎の下から逃れ出たアーチャーは、むしろ自分の身を冷やすためにシャワーを手に取った。このまま、士郎に流されるわけにはいかない。
 大体、音がこもって反響しやすい浴室での交わりなど、あられもない声が響き渡ってしまうではないか。そんな、より羞恥を煽られるようなことが出来るわけがない。
「やらんと言った」
 性懲りもなく自分に触れてこようとする少年に、アーチャーは水を噴き出すシャワーノズルを垂直に向ける。盛大に頭のてっぺんから今度は冷水をかぶる羽目になった士郎は、大声で不満を口にした。
「冷たっ! 風邪引くだろ!」
「ほう、そんな簡単に風邪を引くほど、やわなのか貴様は。ならば、そんな虚弱さでは毎日など到底無理だな。喜ばしいことだ」
 水を浴びて体を程良く冷やし、平静な呼吸を取り戻したアーチャーは、滑らかに厭味を言いつつ、水を止めたシャワーを元の位置に片付けた。
「まあ、風邪など引く前に、ゆっくりと風呂で暖まるといいさ。ではな」
「……アーチャー」
 実にすげなく、アーチャーは士郎の前から背を翻す。その手が、引き戸に掛かる寸前。
 士郎は、ほとんど強引にアーチャーの腕を掴み、自分の方へと振り向かせた。
 しつこいぞ、と痛罵しようとしたアーチャーは、見つめてくる琥珀色の両目が、欲情とは違う、哀切さえ湛えているのを目の当たりにして、悪態を飲み込んだ。
「士郎……?」
「……もっと、お前の近くにいたい。お前の存在をもっともっと近くに感じたいんだ。なあ、好きだよ、アーチャー」
 貪欲に己を求めてくる希求の言葉と、眼差し。そのあまりの真っ正直さに蝕まれそうになるのを、アーチャーは心中に叱咤する。
 いつもこうだ。あの目と、あの言葉に抵抗の意がそがれてしまう。
 士郎がアーチャーを抱きたがるのは、若さ故に迸る劣情もあるだろう。それと共に、士郎にとっては、なかなか素直に好意を受け入れようとしないアーチャーに対して、体で示す愛情の行為なのだ。
「だからといって……な、何もここでなくてもいいだろう……!」
「今日は、ここでしたい」
「し、士郎!」
 つまるところ、最終的にはアーチャーは士郎に甘い。顎を捉えられ、壁に押し付けられて為す術もなく士郎の口づけを受けてしまった時点で、勝負は決まったも同然だった。



「……ふっ、あぁ……」
 どれだけ声を押し殺しても、いや、殺そうとするからこそかえって、掠れた声が艶かしくこもる。
「あ――しろ、う……」
 答える声は無い。士郎は、壁に背を当てたアーチャーの胸に顔を寄せ、突起を口に含み丹念に吸い上げることに専念しているからだ。舌が、小さく尖った部分を転がしてくる。次第にその場所が痛いほどに張り詰めてきて、心音が早まってくる。呼吸も荒くなってきた。
 体温が上昇するのは、湯気のせいじゃない。アーチャーは、士郎の頭をかき抱いた。それは、もっと刺激を与えて欲しい、といわんばかりの態度だった。士郎は、アーチャーの腰に手を回し、褐色の体を抱きしめながら、ぷくりと立ち上がった赤く色づく胸の飾りを唇で押し潰した。
「ぁあ……、……っや……!」
 立ったままの脚が震える。アーチャーの胸から唇を離した士郎は、左腕で長身を支えつつ、気を抜けばたちまちのうちに崩れてしまいそうな、美しく筋肉が緊張した脚の内側に右手を下ろした。もう既に、アーチャーの男の証は反応を見せていた。
「……アーチャー」
「はッ……う、あ……」
 士郎にすがり、アーチャーは辛うじて床の上に倒れこむのを耐える。先端を濡らし始めていた欲望を、掌で包み込まれて、扱かれる。熱いぬめりを掬い取られて、全体に擦り付けられる。断続的に湧き上がってくる快感に、アーチャーは身悶えして身の内の熱さを持て余す。
 アーチャーが腰をよじる動きに逆らわずに、士郎は濡れた指で入り口を探った。指の腹で周辺をなぞり、確かめるようにして少しずつ指先を押し込んでくる。
「う……、んッ」
 狭い隙間をこじ開けて異物が侵入してくるのに、無意識にアーチャーは腹の辺りに力を込めた。士郎は、苦痛と快楽の狭間を揺れる、アーチャーの悩ましい表情に見惚れながら、ゆっくりと指を沈めていく。押し返そうとする内壁の抵抗もかわし、ずるりと指がアーチャーの中に入り込む。
「あ……」
 頼りなげな吐息が零れた。
「アーチャー」
 熱っぽい、真剣な声で呼ばれて、アーチャーは鋼色の双眸を茫洋と士郎に向ける。
「好きだ、好きだから、お前が」
「……っ、し……ろ……、う……」
 他愛も無い、けれどこの上ない真摯な思いを含んだ言葉に、アーチャーの背が震えた。それで体が緩み、締め付けていた指に、より深い侵入を許した。
「ひっ……」
 アーチャーの体の内部を攪拌しつつ、士郎の指は抽挿を始める。その感触に、アーチャーは短い呼吸を繰り返すことしか出来ずに、自分を抱く男に全てを明け渡していく。指が増やされて、身体の奥を暴かれる。
 開かれて、違和感と痛みが少しずつ消えていって、ふわふわした快感に満たされていく。口を開けば、泣き声のような喘ぎだけが落ちそうになるから、アーチャーは唇を噛んだ。
「もう、いいか……アーチャー」
 問われて、アーチャーは小さく頷く。いつも――士郎は、アーチャーの体が開かれるまで我慢しているのだ。その分、喜ばせてやりたい、と思う。それに、正直、早く、とねだりたがっている自分も確かにいた。一瞬、それに羞恥を覚えるアーチャーだったが、指を引き抜かれた喪失感に、勝手に腰が揺らめくのを自覚しないわけにはいかなかった。
 アーチャーは、士郎に腰を抱えられて、後ろから指よりも強大な熱を埋め込まれる。何度受け入れても、この瞬間の、身を裂かれるような衝撃にだけは慣れられないが、最初ほど辛くはなかった。
「……ぁ、は……」
 何よりも、士郎の大きさと形に馴染み始めたそこは、いっぱいに拡げられながらも確かな愉悦を得て火照っていた。浅ましい、とはアーチャーは自身に思うものの、士郎に満たされることをもはや受け入れているのだ、と認めるほどには情を抱いていると、改めて思い知らされるのだった。

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