Summer Vacation!

01


 八月。  世間様は、所謂夏休みの真っ最中である。社会人ともなれば、夏休みとはイコール盆期間を指すものだが、家主を筆頭に住人の半数が高校生である衛宮邸においては、家中、バカンス気分が全開で満開だった。勿論、宿題というノルマがあることはあるが、一日中それにかかずらっているわけでもなし、だ。
 残る住人の半数は、自宅警備王だったり、専業主夫だったり、読書好きの骨董品屋のアルバイターだったりする上に、しかも普通の人間ではなかったりするので、直接は夏休みとは関係は無い。もっとも、いつもは朝から学校に行っていて、不在である学生達が家にいるというのは、やはり家の中の雰囲気が変わる。夏特有の暑い気候もあいまって、衛宮邸は、全体的にどこか弛緩したような、それでいて明るい開放感に包まれていた。
 例え、クマゼミの声がどんなにじゃーじゃーやかましくても、うだるような暑さに汗まみれになっても、蚊に刺された後が痒くても、学生の夏休みとは、基本的に楽しいものなのである。何せ、多少自堕落に過ごしたところで、時間はたっぷりとあるのだから。
 そんな中、衛宮士郎も、アルバイトを平日の朝から多めに入れたり、友人達とキャンプに出掛けたり、家人達と庭で花火大会をしたり、海水浴に行ったり、セイバーと剣の稽古に励んだり、凛に出された課題に取り組んだりと、夏休みという時間を、それなりに有意義に過ごしているわけだが。
 実は、彼にとって、非常に由々しき、重大な問題が発生していた。
 その問題とは、一人の人物のことである。
 現在、衛宮邸の専業主夫となっている、弓兵のサーヴァント・アーチャーは、決して本人はそうとは認めていない(ちなみに、百歩譲って、情人であるとは認めるらしい)が、一般的には、士郎とは恋人同士と言える間柄だろう。その筈だ。そうでなければ、実は意外にプライドの高いアーチャーが、一度は本気で憎んで殺そうとまでした、かつての自分である男相手に、身体を開くわけが無い。
 そもそも、二人の関係の始まりはというと、重傷を負い魔力不足に陥ったアーチャーに対し、士郎が自分の、好きだという気持ちを自覚して、彼を失いたくないと魔力供給のために彼の身を抱いたことだった。真剣さに半ば流されるようにしてだが、戸惑いながらアーチャーも士郎を受け入れた。まずは体を繋いだことから始まった関係ではあれど、だからといって、アーチャーを想う士郎の心情に、嘘や偽りが一つも含まれていないことは、あまりにも明白だったからだ。
 以来、口では文句は言いつつも、アーチャーは士郎を拒絶はせず(たまには夜の生活を拒むこともあったが)、衛宮邸の他の住人達からは「馬鹿ップル」と、大変に生暖かい目で見守られている。
 そのアーチャーが、夏休みが始まってからというもの、ろくに顔を見せない。
 家にはずっといる。用事があって呼べば返事はあるし、家事をするときは出てくる。だが、それ以外はほとんどの時間、それも常時と言っていいほど、自室にこもりっぱなしなのである。
 何をしているのかというと――内職だ。
 ともかく、衛宮邸は収入に比して、出入りする人間が多く、それに伴う支出が馬鹿にならない。一番がエンゲル係数であることは、言わずもがなである。毎月の家計簿は真っ赤、とまではいかないまでも、結構カツカツ状態であることは確かだ。もっとも、士郎の亡き義父である衛宮切嗣は、遺産を相当額残してくれたので、本来であれば、生活そのものは逼迫ひっぱくはしない筈である。しかし、士郎は後見人である藤村雷画に管理を全て任せ、必要最小限以上には手をつけていない。かなりの額になるとはいえ、だからといって、いつまでも切嗣に頼り切りになるのは好ましくない、というのが士郎の考えだった。
 アーチャーはそんな士郎の意を酌みつつも、専業主夫であるが故に、家計の問題点を指摘し、かつそれを解決するために、日中の空いている時間を利用して、外に働きに出ると以前に申し出てくれたのだが、それは士郎が、自分のバイトを増やしてでも何とかやりくりしてみせるから大丈夫だ、と大見得を切って却下した。
 家計の助けにと、そのアーチャーの心は大変ありがたい。ありがたい、が。
 何せ、アーチャーはサーヴァントである。人のような実体を持ってはいても、その本質は霊体であるから、魔力の貯蔵さえ十分であれば、人間と違い、睡眠という休息を取る必要が必ずしも無い。であるからして、平気で何日でもぶっ通しで働き続けることが可能だ。
 もしそんなことになれば、一緒にいられる時間が大幅に減ってしまう。それに、家に帰れば想い人がそこにいる、と思えばこそ、色々とますます頑張ろう、という気になるというものだ。気分的には、その辺、ある意味、新婚夫婦の夫の気分と似ているのかもしれない。と、正直に言ったら、アーチャーに馬鹿を言えと、耳をつんざく雷鳴同然の大音声で怒鳴られた。
 それに、凛との契約を破棄した今のアーチャーには、マスターがいない。だから、繋ぎ止めておかないと、何処かへ行ってしまうのではないか、消えてしまうのではないかと、不安になってしまうというのもあった。もっとも、アーチャーに言わせれば、「今更何処かに行くぐらいなら、最初からこの家に住んだりせんわ、たわけ」ということになるのだが。
 ともかく、アーチャーには家にいて、自分の帰りを待っていて欲しい、というのが士郎の偽らざる希望だった。アーチャーの正体も過去も全て理解した上で、それでも彼のことが好きで傍にいたいのだから、仕方が無い。
 不承不承、といった風にではあるが、アーチャーがその時は引き下がったのは、ごり押しして士郎が拗ねても面倒くさい、と思ったからに違いない。正直、その時の二人の言い合いは、頭痛がするほど実に低レベルだったので。
 ただしその後、士郎達が夏休みに入るとほぼ同時に、アーチャーが内職を始めて姿を見せなくなった、というのは、わざとか、わざとなのか? と問い詰めたくなるタイミングだった。
 外には出ていないのだから良いだろう、とアーチャーはしれっと言ってくれたが、そういう問題では無かった。
 せっかくの夏休みだというのに、学校に行っている時よりも、顔を会わせる機会も言葉を交わす機会も少ないというのは、一体全体どういうことだ。これでは、アーチャーの外でのバイトを却下した意味が、ほとんどゼロも同然である。
 その辺りの、士郎の微妙な男心を、アーチャーは当然というか、斟酌しんしゃくするつもりが全くこれっぽっちもない。アーチャーに言わせれば、知ったことかそんなもの、というところだろう。士郎からすれば、つれないにも程があるが、それがアーチャーの基本姿勢デフォルトだと言ってしまえば、まあそこまでである。
 そんなわけで必然的に、夏休みが始まって以来、士郎はアーチャーを抱いていない。夜の方が仕事がはかどるのだから邪魔をするなと、文字通りに蹴り出されたことも既に一度や二度ではないのだ。精神的にも、肉体的にも、ぶっちゃけ欲求不満が募ってしまうのは、心身共に健全な十代の青少年として致し方ない、といったところである。好きな相手と同じ屋根の下に日々暮らしているというのに、何という生殺し。
 夏の陽光はきついくらいに明るいけれども、士郎の心中は、高く広がった蒼天のようには、からりと晴れ上がることがない。ちょっとばかり、表情だって荒んできた気がする。
 そんな、衛宮士郎のささやかな(?)鬱屈はさておき。
 天気はこの日も晴れ。夏空の色は気持ちがいいほど、鮮やかに青い。絵の具のセルリアンブルーを想像させる、綺麗な青だ。天頂に近づくほどに、浮かぶ雲の数も減り、殆ど遮られることのない強い夏の日差しは、午前中でも既にじりじりと、路面のアスファルトを苛烈に焼き付かせ始めている。
「出掛けてくるわね、アーチャー」
「お昼は食べてから帰りますね」
「分かった」
 朝食後、掃除と洗濯を終え、玄関先で打ち水をしていたアーチャーに、凛と桜が声を掛けた。姉妹で、新都までショッピングに行くのだ。夏のバーゲン商戦はとっくに終盤戦というかもはや消化試合で、残ったセール品は「七十〜九十パーセントオフ!」など、投げ槍な値札と共に、店の片隅のワゴン台などにひっそりと追いやられている。まだ暑い盛りでありながら、店頭のディスプレイは気の早い秋物に占拠されているが、今日の二人のお目当てはセールでも先取りの秋物でもなく、夏祭りに着ていくための浴衣と、それに合わせる下駄や、髪飾りなどの小物だそうである。
 一時期は、当人達の意思によらずして引き離された、姓の異なる姉妹だが、今ではすっかりわだかまりも遠慮も解け、ごく普通に仲の良い姿を自然に見せている。
「アーチャーは、家にはずっといるのよね?」
「そうだ。鍵は持たなくていい」
「じゃ、改めて。行ってきまーす」
「ああ」
 ひらひらと手を振りながら、楽しそうに、凛も桜も、足取り軽やかに出掛けていった。
 ところで、服と言えば、最近のアーチャーはいつもの黒ずくめの上下ではない。今日も、涼しそうな麻混の半袖シャツに、ジーンズといった軽装である。
 基本、サーヴァントは暑さ寒さは感じはするが、あくまでも感じるだけで、人間と違って身体に大幅に影響を受けることはない。なので、服装で温度を調節をする必要は無いわけではあるが、ただ、当人は良くても、周りに与える視覚的影響というのはまた別だ。
「あんた、図体がでかい上に地黒で暑っ苦しいんだから、服ぐらいはせめて、少しは涼しそうにしなさいよ!」
 と、酷い言われようと共に、凛に夏服を買いに引きずられていったアーチャーの姿は、「ちょっとした見物でした」とはライダー談。もっとも、彼女もマスターの桜に、「あら、夏服が必要なのは、あなたもよ? ライダー」と、同じように夏物買いに連行されたのは、言うまでもない。
 ともあれ、士郎は朝からバイトに出掛け、ライダーも同様にバイト。セイバーは、何やら藤村大河に呼ばれてやはり不在。アーチャー以外は誰もいなくなった衛宮邸は、妙にしんと静まりかえっていた。
「……進められるだけ、進めておくか」
 呟いてアーチャーは、打ち水に使った道具を片付けてから自室へ向かった。
 彼が現在請け負っている仕事は、出来高制の打ち込み系だ。長時間パソコンの前に座っていても、幸いというか、サーヴァントには、肩こりも腰痛も眼精疲労も無縁である。ならばこそ、可能な限り多くをこなして、給金もより多く得た方がいいに決まっている。そうすれば、士郎だって、家計のやりくりに頭を悩ませることも減るはずだ。
 ――士郎の心、アーチャー知らず。その逆もまた、然り。
 元を糺せば、本来は同一人物のこの二人。無意識にもアーチャーも根っこでは実のところは士郎を思いやりつつ、そのくせ、絶妙にすれ違っている。
 そのすれ違いぶりは、オー・ヘンリーの短編『賢者の贈り物』の主役であるジムとデラの夫婦のようだと言えば、まあ、あまりにも美しすぎるが。ついでに、夫婦になぞらえられると、アーチャーが猛烈な勢いで否定する。


「ただいま戻りました!」
「おかえり。……そのスイカは、どうしたのだね? セイバー」
 ちょうど、仕事に一区切りをつけて、気分転換に庭へ水を撒いていたアーチャーは、セイバーが提げて戻ってきた、大きな袋に入っている物に目を留めた。
 頷いたセイバーは、アーチャーに袋ごと、そのスイカを手渡した。
「はい、タイガから、知人の剣道場を手伝ったお礼にと、バイト代とは別に頂きました。冷やして皆で食べてね、と」
 緑地の上に、ほとんど黒に近い濃い緑色の特有の縦縞模様が入った、ずしりと重みのあるスイカは、軽く叩いてみると、中身が詰まっています、とぼんぼんという音を返してきて、きっと食べ頃だろう。実に立派な、大ぶりの大玉スイカだった。
「道場の手伝い……。それで呼ばれたのか」
「ええ」
 剣道五段の腕前を持つ大河だが、セイバーに挑んだ際に全く歯が立たなかったことから、その腕を遊ばせておくのは勿体ない、と知人の運営している剣道場を紹介してくれのだ。
 さぞかし、セイバーの可憐な見た目に対して、勝手に勘違いした連中が、たるんだ心身を、他ならぬ彼女自身にこてんぱんに叩き直されたことだろう。セイバーの剣の稽古への容赦の無さは、アーチャーは生前に身にしみて知っている。
 それはともかくとして、スイカを受け取ったアーチャーは、庭から母屋の中に戻りながら、セイバーに言った。
「では、皆が帰ってきたら、これは切って今日のおやつにしよう」
「楽しみです」
 と、満面の笑みを浮かべたセイバーだったが、ふと、あることに気付いたようだ。
「……けれど、これは冷蔵庫に入れられませんよね?」
 長身のアーチャーの腕にも一抱えもあるスイカを前に、セイバーは困ったように首を傾げた。
 衛宮邸の冷蔵庫の中は、いつだって食材達で満員御礼だ。とてもではないが、こんなに大きなスイカが入る余地は無い。
 だが、アーチャーは自信たっぷりに答えた。
「大丈夫だ、冷やす方法はある」
「そうなのですか?」
「見ていたまえ」
 そう言ったアーチャーは、一旦スイカを置き、何故か居間を出て行った。戻ってきた時には、七分ほど水を湛えた、普段は洗濯物を手洗いするために使っているたらいを携えていた。  それをどうするのか、と不思議そうにセイバーが見ていると、アーチャーは畳に滴が垂れないようにシートを敷いて、その上に盥を置いた。
 そして、水の中に冷凍庫の製氷室から出してきた氷をざらざらと入れてから、スイカを浸す。更に、タオルを盥の中の水で濡らしてスイカを覆うようにかぶせ、扇風機の風を当てる。
「これで、一時間ほどで、冷蔵庫に入れるよりもずっと冷えるぞ」
「なるほど、生活の知恵というものですね」
 セイバーが感心する。
 そうやってスイカを冷やしている間、アーチャーはふと思いついて、今度は土蔵へ足を向けた。
 確かこの辺りにあった筈だ、と探していた物を作り付けの棚から見つけると、それを手にする。
 蚊遣かやり豚である。
 愛嬌のある、少々間の抜けた顔がついた、丸っこい豚を模したフォルムの陶器製のそれは、どうやら、その形状がセイバーの可愛い物好きの琴線に触れたらしい。興味津々の体で、セイバーはアーチャーの手元を見た。
「何ですか、それは?」
「これは、蚊遣豚といってな。この中で蚊を駆除するための蚊取り線香というものを燃やすのだ。まあ、言ってみれば、蚊取り線香用の灰皿のような物だよ。せっかくなので、今日は少しばかり風情を出してみようかと思ってね」
 そう説明したアーチャーは、じーっと豚を見つめるセイバーの視線の、言わんとすることを察し、先んじて言った。
「――ライオンの形をした蚊遣器というものは、私は見たことが無いな」
「……それは、残念です」
 そう言ったセイバーの声音は、表情と合わせて、まさに心底から残念そうだった。
 苦笑したアーチャーは、蚊遣豚の中に蚊取り線香を設置して、火を点けた。家主の士郎がエアコンの人工的な涼気をあまり好まないため、基本、衛宮邸の窓はすだれを吊るして夏場は開けっ放しだ。普段は、蚊避けには匂いも煙もない電子蚊取り機を使用しているが、たまには昔ながらの蚊取り線香も、夏の風物詩として良いだろうと、アーチャーは蚊遣豚を風上に置いた。
 そうこうしているうちに、凛と桜が帰宅してきた。
「ただいまー、あっつー!」
「ただいまですー」
 二人とも、上機嫌でそれぞれ両手に紙袋を手にしているところを見ると、収穫は上々のようである。アーチャーが声を掛けた。
「おかえり。冷蔵庫に麦茶を入れてある」
「ありがと、さすが気が利くわね」
「あら? この扇風機、何です?」
 桜が、誰も人がいない方向に回っている扇風機に気づき、目を瞬かせた。セイバーが答える。
「アーチャーが、頂き物のスイカを冷やしてくれているのです」
「ふうん、主夫の知恵袋ねえ」
 凛の反応は言葉はセイバーと似ていたが、セイバーとは違い、感心というよりは、からかいの成分が大半を占めていた。
 以前は執事と言われていたアーチャーだが、最近ではすっかり、「衛宮邸のお母さん」で定着してしまっている。アーチャーはその呼称にいたく不服そうであるが、異を唱えているのはアーチャー自身だけ、である。
 洗面所で手と顔を洗ってきて、さっぱりしたという風な凛は、冷えた麦茶を飲んで水分補給をしてから、紙袋をがさがさと開き、中から紫と水色の花火が描かれた浴衣を取り出した。
「ほら、これ、セイバーのよ」
 手招きしたセイバーの胸に軽く当てて、凛は満足そうな笑みを浮かべた。
「うん、やっぱり似合うわね。桜とわたしで選んだのよ。見立てに間違いはなかったわ」
「私の物まで、買ってきてくださったのですか」
「ええ。皆で浴衣着て、今度の夏祭りに行きましょうね」
 少女達は浴衣や帯などの、色とりどりの戦利品を前に、今後の予定について賑やかに語り合っている。凛は深い紅地に麻の葉柄と朝顔の描かれた浴衣、桜は淡いグリーンからピンクのグラデーションになった地に、自分の名と同じ花が散りばめられた浴衣を、それぞれ選んでいた。
「ただいま帰りました」
 涼やかな声と共に、ライダーも帰ってきて、居間に姿を見せた。「魔眼殺し」の眼鏡と共に、彼女のトレードマークとも言える長い銀紫の髪は、夏真っ盛りにも流れる滝のように下ろされたままだが、その目を瞠るばかりの美しさのためか、アーチャーが凛に言われたようには「暑苦しい」などとは誰も言わない。それは男女差別のせいではない。多分。
 そのライダーに、桜が振り向いて紺地に桔梗柄の入った浴衣を広げて見せた。
「おかえり、ライダー。ねえ、一緒にお祭り行くのに、ライダーの浴衣も買ってきたからね」
「それは……ありがとうございます」
 にこにこと、楽しそうに笑う桜につられたように、ライダーも微笑んだ。ライダーも加え、華やかなお喋りが続行される。
 そんな女性陣の傍ら、扇風機を止め、スイカの冷え具合を確かめたアーチャーは、キッチンへ盥ごと持って移動した。
 水の中から取りだしたスイカに、俎板の上で包丁を入れると、ごとんと音を立てて実が真っ二つになった。白い果皮にくるまれた紅の果肉の中に、円状に黒い種が散りばめられた中身が現れる。
 それを、手で取って食べやすい大きさに切り分けて、皿に載せる。
「皆、スイカを切ったぞ」
 濡れた手を拭くためのおしぼりや、種を入れる小皿も用意して、アーチャーは凛達の話の腰を折らないタイミングを見計らい、キッチンから出てきた。
「わあ、美味しそうですね」
 桜が歓声を上げる。
「今日は風が通るから、縁側で食べよう」
「いいわねー!」
 アーチャーの提案に、凛が賛意を示した。誰か若干一名、無視されているというか、忘れられているような気がするのは、あくまでも気のせいである。おやつの時間に不在なのだから。
 皿を囲むようにして各々座り、スイカを手に取る。
「本当によく冷えてますね」
 一口食べたセイバーが、翡翠色の目に感嘆の色を浮かべた。
「ええ、とても美味しいです」
 ライダーも頷く。
 遠く重なり合って青空に白くそびえ立つ入道雲。合唱を奏でる蝉の声。吊るされたすだれ、軒先で風に揺れて音を立てるガラスの風鈴、薄く煙をくゆらせる蚊遣豚。その傍ら、日本家屋の縁側で、皆で食べるスイカ。
 凛が、感慨深そうに言った。
「何か、由緒正しい、伝統的な日本の夏って感じよね」
「そうですね、何だか懐かしい雰囲気です」
 和気藹々、とした雰囲気でスイカを皆で食べていると、
「ただいま」
 と、最後の住人(というか家主だが)が帰ってきた声が、玄関から聞こえた。
「シロウも帰ってきましたね。おかえりなさい、早かったのですね」
 はむはむこくこくをしたまま、セイバーが出迎えの言葉をかける。
「ああ。今日は、仕事が早めに終わったんだ」
 座卓ではなく、縁側に一同勢揃い、の図を見た士郎は、一瞬、不思議そうな顔をしてから、その中にアーチャーがいることを素早く確認した。
 もっとも、士郎に横顔を向けたアーチャーは、素知らぬ顔である。士郎とアーチャーの「仲」については、家人達皆が知っていることではあるが、基本的にはアーチャーはツンデレなため、人の目があるところでは、士郎に対して冷淡ともいえる態度を取ることが、往々にしてある。
 ただ、最近どうも、アーチャーから二十四時間常に、邪慳にされ続けている士郎は、何となくもやっとしたものを感じてしまう。互いに反目し合って、アーチャーに至っては殺意を抱くほど士郎を憎悪していた、聖杯戦争の頃ならいざ知らず、今では既に何度も肌を重ね、少なくとも反発とは程遠い、正反対の間柄だというのに。
 時々、アーチャーの内心が、士郎には分からなくなる。嫌われていないことは確実だが、それだけに余計に何ともいえない気分になる士郎だった。
 そんな士郎に対して、セイバーは手に持ったスイカを示して見せた。
「タイガから頂いたのです。シロウも食べましょう」
「ぬるくなっちゃうわよ、せっかく冷たくて美味しいのに」
「あ、うん」
 セイバーと、凛にも促された士郎は、アーチャーを再びちらりと見たが、当人はやはり我関せず、の態度のままだった。
 アーチャーの歯がスイカの朱色にかぶりつき、咀嚼して嚥下する。その喉仏の動きも、果汁に濡れた唇を無意識に軽く舐めたり、口の中から種を出す仕草も、何もかもがひどく艶めかしく見えた。
 意識せずにいようと思うと、余計に意識がアーチャーに向いてしまう。それを誤魔化すように、士郎はなるべくアーチャーが視界に入らない場所を選んで座り、スイカを口にする。
 だが、どうしたって、気付いたら目が勝手にアーチャーを追ってしまう。士郎には、甘く熟している筈の果実の味も、何だかよく分からなかった。
 悶々としているなあ、と自分でも思わないでもないが、アーチャーを好きだと思う気持ちは、本当にどうしようもない。
 身の裡に押し込んでおけないほど、堪え難く胸奥を疼かせる、この情動。夏の暑さよりも、ずっと激しく。
 もっと顔を見て、もっと声を聞いて、もっと肌に触れたい。あの身体を抱いて、喉から甘い啼き声を奏でさせたのは、もうどれくらい前になるだろう。
 そろそろ、限界かもしれないと、士郎は恋という感情が熱病などとも言われてしまう理由を、何となく理解した気がした。
 夏空は相変わらず、士郎の内心とは裏腹に、抜けるように明るく青い。