Fate/another night

Chapter-1 運命の扉が開かれる夜

教会 4


「どうだ、今のはなかなかいい考えだと思うが、どうかな少年」
 やや口調を変えて、いささか愉しげに言峰は士郎に言った。それは、提案の形を借りた挑発だともうはっきりと分かった。全く真意の読めない神父の言だが、士郎を聖杯戦争に参加させようという意図だけは嫌と言うほどに伝わってくる。
 その理由は不明だ。だからこそ、士郎の反発心は消えない。聖杯戦争に対しても、その監督役たる眼前の神父に対しても。意味が分からないし納得もできないのに、神父に言われるままに流されて、はい、起こるかも知れない禍を止めるために聖杯戦争に参加します、などと頷けるわけがない。
「……何処がだよ。だから俺は戦う気なんか無いし、聖杯も要らないって言ってるだろ。マスターだなんて、そんな押しつけ、知ったことじゃない。俺には戦う理由なんか無いんだ」
 呑まれて堪るか、と士郎は気を取り直した。しかし、せっかく士郎が心中の体勢を立て直したところで、突き崩すようにして言峰は事実を指摘してくる。
「ほう、ならば先ほどのお前の言通り、聖杯を手にした者がどんな厄災を起こそうとも、それも知らぬというのだな」
「そ、れは……」
 士郎は口ごもった。
 こう言われればお前は反論できまい、というのを見透かされているような言い方だと分かっているのに、そうなってしまう自分に士郎は腹が立つ。士郎の動揺を実に効果的に煽り立て、更に言峰は言った。
「戦う理由がないというのなら、それも構わんが。10年前の出来事にも関心を持たないと、そういうことか?」
「10年……前?」
 ぴく、と自分の眉が跳ね上がるのを士郎は自覚する。この冬木で、10年前の出来事と言われると、それ以前に生まれている者ならば確実に一つの事件を思い出すだろう。
「前回の聖杯戦争の最後にな、担い手になり得ないマスターが聖杯に触れた。そのマスターが何を望んでいたかは余人には知る術はないが、そのおかげでこの地には酷い災害の爪痕が残された」
「まさか――、まさか、それは!」
 赤い空。燃え盛る空気。黒煙。悲鳴。轟音。断末魔。
 今にも止まりそうになる呼吸。動かない身体。
 燃え崩れていく建物。何者とも判別もつかない死体。遙か高く天に浮かぶ月すらも黒く焼け爛れ。
 今もなお、鮮やかに記憶に浮かび上がってくる、赤と黒の色だけに染められた、地獄。
 切嗣という救いの手が無かったら、自分も慰霊碑に名を連ねることになっていた、あの――。
「この冬木に住む者なら、誰でもが知っている冬木大火災。死傷者500名以上、焼け落ちた建物は134棟。未だに原因不明とされるあの火災こそが、聖杯戦争による災禍なのだよ、衛宮士郎」
 足元の底なし沼が、一層深くなった気がする。そのままずぶずぶ頭まで沈み込んで、視界が塞がれ、何も見えなくなる。
 あの火災が、俺が何もかもを失った、寝静まった新都を突然に襲って人も建物も、あらゆるものを焼き尽くしたあの大火災が、聖杯戦争が引き起こしたものだって?
 ――奇跡を起こす願望器が、そんな使われ方をしたというのか?
 聖杯戦争が起こった、せいで?
 それこそ、良くない者が聖杯を使ったために?
 士郎は呼吸が止まったような気がした。沼を満たす泥が口から侵入し、肺の奥底まで詰まってくる。どくん、と心臓が大きな音を立てて胸の内側から叩いてきて、それがひどい吐き気を催してきた。体の均衡を失い、ふらりと膝からよろめきそうになる。
 だが、踏み止まった。それが出来たのは、体の底から沸き上がってくる怒りの感情のおかげだろう。こんな奴の前で、無様をさらせるかと。
 士郎は息を吸い、何とかして吐き気を追い出して正常な呼吸を再開する。懸命に、沼の中から這い上がる。それでも、一度顔から失った血の気はそう簡単に戻らなかった。自分の顔を見ることは出来ないが、もしも今鏡を見たら、衛宮士郎の顔はきっと青ざめているだろう。
「衛宮くん、どうしたの? いきなり顔色悪くしちゃって……。そりゃあんまり気分のいい話じゃないだろうけど、――少し休む?」
 傍らに立った凛が、いささか気遣わしげに信徒席へ導こうかと士郎の腕を取ったのは、尋常ならざる顔色を見たからに相違ない。
 そういえば、昨日も遠坂に顔色悪いけど大丈夫かって心配の声掛けられたなあ、と士郎は懐かしいことのように思い出した。あの時は、まさか憧れの美少女だった遠坂凛が実はこんな性格の持ち主だなんて知るよしも無かったが。
 そう、昨日の朝までは凛から優等生の形式的な顔しか向けられていなかった。今は違う。
「大丈夫だ。遠坂の変な顔見てたら治った」
 気遣いをありがたく受け取りつつ、士郎は凛の手を押し戻した。が、つい余計な一言を口にしてしまったのを、勿論、凛は聞き逃してはくれなかった。
「……どういう意味よ。引っかかるわね、それ」
「いや、そのまんまの意味だ。他意は無い。気にするな」
「余計に悪いっていうか単純に失礼でしょうが、この唐変木!」
 すっぱーん! と気持ちのいい音は士郎の頭と凛の手の間から発生した。もう完全に凛は士郎のことを猫をかぶる必要は無い相手と認識したのか、実に容赦が無い。学園一の優等生が、人を殴るとか想像もつかなかった事態である。
 それがかえって、士郎をしっかりと立ち直らせた。不思議なことに、はたかれたことで身の中にわだかまっていた良くないものが全部、飛び出したような感じがした。例え気のせいだとしても、気分がクリアになったのは嘘ではない。
 頭を振って、吐き気の残滓も追い出した。
「……いや、悪い。けど、今のは本当に助かった、サンキュ、遠坂。助かったから、あまりいじめないでくれ」
「誰のせいだと思ってんのよ」
「だから悪かったって。でも、もう少し、訊かなくちゃいけないことがあるんだ」
 凛が何となく右手をぐーぱーと握ったり開いたりしているのは、むっとした表情と合わせて、今ひとつ士郎をはたき足りないという現れのようだったが、それでも引いてはくれた。
「まだ何かあるのか。良いだろう、訊きたいことは全て遠慮無く訊いて、そして言いたいことは全て言うといい」
 いかにも愉快だという気配を隠しもせずに、士郎に改めて視線を向けられた言峰は口を開いた。士郎は神父の言動に惑わされないように、また自分の激情が暴発しないように、心中の水面を出来る限りフラットにする。
「じゃあ訊くけどな。聖杯戦争は今回で五度目だって言ってたけど、今までで聖杯を手に入れた奴はいるのか」
「当然だろう。毎回のように、相争った末に全滅、などという憂き目が起こっては、魔術師達も無能過ぎようというものだ」
「――」
 これまでに聖杯を手に入れられた勝者がいないから、何度も争いを繰り返しているのかと思いきや、そうでもないらしい。人間の欲望には限りがないということか。
「何せ、手に入れるというだけなら簡単だからな。何しろ聖杯そのものはこの教会で管理している。文字通りに手にするといえば、私は毎日触れている」
「この教会にあるだって!?」
 何だか、聖杯というもののうさんくささが一気に激増したようなと、士郎は思わざるを得なかった。
「もっとも、形だけだが。伝承に言われるような聖杯の外見を象った、いかにもそれらしいただの器だ。中身は無く、奇跡など起こしようも無い。先ほど凛が言っただろう、この街に現れる聖杯は霊体だと」
 自分の発言を引き合いに出されたのが気にくわないのか、凛が若干不機嫌そうにそっぽを向いた。
「この教会で保管しているそのレプリカを触媒にして、本物の聖杯を降臨させ、やっと願望器として機能させるようにする。そうだな……マスターとサーヴァントとの関係に近いとも言えるやもしれん。……ああ、そうやって一時的に本物となった聖杯を手にした男は、過去に確かにいた」
「……一応、ここにあるのは本物なのか。それで、手にした男ってそいつは一体どうなったんだ」
「どうもならなかった。愚かな男は感傷に流され、聖杯は完成に至らなかった」
 不意に、言峰の雰囲気が変わった。悔いるように、あるいは自省しているようにも傍からは見え、士郎に対する圧迫感が緩んだ。ふと、何処か遠いところを見るかのように、目が細められる。
「完成に、至らなかった?」
「要は、形を表しただけで中身が伴わなかった。7人のサーヴァントが揃い、時間が経てば聖杯はその姿を現す。凛の言うことは間違っていない。確かに、自分以外のマスターを全て倒す必要は無い。だが、それでは聖杯は完成しないのだ。自らを所有するに相応しいと、聖杯が認めないと真の意味では手に入らない。――故に、戦いを忌避した男には聖杯など手に入らなかった」
 それはまるで、魔術師の命を聖杯を完成させるための生贄として捧げよと言っているような。聖者の血を受け止めた杯は、人の血を啜らないと人の願いを叶えられないなんて、そんなものを本当に“聖なる杯”と呼んでいいのか。他者をことごとく打ち倒さねば、聖杯を手にする資格がない、なんて。
「ふん。ズルして他のマスターを出し抜いて聖杯を手に入れたところで、無意味ってことでしょ。前回の聖杯戦争で一番最初に聖杯を手に入れたマスターは、腰抜けだった。他のマスターと戦いたくない、なんて言って聖杯から逃げ出したんだから。ねえ、綺礼?」
 ちらりと言峰に一瞥をくれた後、凛は再び視線を背けた。凛からすれば、自分より先に聖杯戦争に参加した兄弟子の、過去の行為が癇に障るのかも知れない。
 なるほど、と一方で士郎は納得した。だからこの神父は前回の聖杯戦争にマスターとして参加しながらも、生き残っているというわけだ。勝ち残った者としてではなく、脱落者として。
「……逃げたのか、あんた」
 この男がそんな行為を選ぶことは少し意外にも思えたが、考えてみれば代行者として神の敵と戦ったのではない以上、己の命の保全を優先してもおかしくはない。生きていなければ、出来ないことは果てしなく多いのだから。
 あの時に死んでしまった人達と違って、俺は――。
 無意識に、士郎は心臓の上を撫でた。数時間前にここを貫かれ殺されて、また誰かに命を救われた。その時に、衛宮士郎の運命は聖杯戦争に結びつけられたのだろうか。それとも、10年前の火災で生き残った時に、既に?
「結果で言えばそうなるな。途中まで戦いはして、カラの聖杯に手を触れることは出来た。だがそこまでだ。私は判断を誤り、真っ先にサーヴァントを失った。そもそも他のマスターは揃いも揃って化け物のような者ばかりで、それが私の現界だったのだろう。私は監督役である父に保護され、私の聖杯戦争はそこで終わったよ」
 追想を語る言葉がそこで一旦切られて、言峰綺礼神父は、教会の真の主である礼拝堂に聳え立つ聖なる偶像へと祈りを捧げるかのように、士郎と凛に背を向けた。
「その当時から思っていたが、監督役の息子がマスターに選ばれるなど、やはりおかしな――あってはならないことだったのだ。父は聖杯戦争に巻き込まれる形で亡くなり、その後は私がこうして監督役を引き継ぎ、この教会で聖杯を守っている」
 士郎が自分がマスターに選ばれたのを間違いだと思うように、かつては言峰も自身がマスターであることに疑問を持っていたという。そして自分は聖杯戦争から逃げ出したのに、俺には参加して敵を倒せって言うのか。
 言峰の背に向かって、士郎は強く睨みつけた。握った拳に力が入る。
「――これ以上、話すことは無い」
 と、言峰は、振り向いた。威圧的に、士郎の目を見据える。
「衛宮士郎、サーヴァントを得たマスターよ。君たち7人が最後の1人となったとき、聖杯は自ずと真の姿を現して、手に取られることを許し、願いを叶えよう。その聖杯を手に入れるための戦い――聖杯戦争に参加するか否か、今この場で決意せよ」
 士郎は、即答は出来なかった。
 凛にこの教会に連れてこられるまで、衛宮士郎には戦う理由がなかった。故に戦う意志が無かった。
 詳しく話を聞いて更に、聖杯戦争なんて馬鹿げていると思う気持ちは強まった。
 しかし、その聖杯戦争こそが、10年前にあの原因不明と言われた災禍を生み出した真相だった。大火災の中から生き残って真相を知った以上は、聖杯戦争を見過ごしてはならないだろう。たった一人だけ、助けられて生き残ったのだから。
 理由が出来た。戦う意志が生まれた。
 それが決意というのなら、充分に出来ている。
 だが、それで、――良いのか? 本当に?
 自問自答する。
 聖杯戦争に参加することは正しいことなのかどうか。ただ、それが。
「まだ迷っているのか。マスターというのは希望して選ばれるものではない。そこにいる凛は、いつマスターに選ばれても良いように、幼い頃から魔術師としての修練を重ねてきた。必ずしもマスターに選ばれるとは限らずとも、心構えが出来ていた。マスターに選ばれるのは魔術師だけ、これはいかなる場合も覆されぬ鉄則だ。お前も魔術師であるならば、とうに生死の覚悟など出来ていよう」
「……」
「それが出来ぬと言うのなら、仕方あるまい。お前も、お前に魔術を教えた師も出来損ないだ。そんな者に戦場をうろつかれても迷惑だ、すぐにでもその手の三つの令呪を使い果たしてしまうがいい」
 一際、言峰に強い口調で断じられる。
 左手の令呪。マスターの証。赤い外套を纏った弓兵のサーヴァント。最後の勝者に与えられる聖杯。
 いずれも、士郎の実感には追いつかない。突如として降って湧いた、しかし、戦うか逃げるかどちらか選択肢が無いのなら、選択するのは前者しかない。士郎が逃げたところで、この聖杯戦争そのものが無くなりはしない。ならば、逃げはせずに立ち向かってやろう。自分が死ぬことは怖くない。怖いのは、死ぬことで誰かを助けることが出来なくなることだけだ。
 凛も神父も、魔術師としての覚悟と言った。衛宮士郎は、自他共に認める未熟すぎる魔術師だけれど。憧れ続けた衛宮切嗣の代わりに、正義の味方になってやると、月光の夜に誓った。その誓いに背くことは決してすまい。
「ああ、やってやるさ。マスターとして、この聖杯戦争を戦ってやる。10年前の火事の原因が聖杯戦争だったのなら、もう二度とあんなことを起こさせやしない」
 決然と、士郎は顔を上げた。しっかりと胸を張り、両眼に前に進むことへの迷いの色は無い。初めて、言峰は満足そうな笑みを浮かべた。
「良かろう、衛宮士郎。君はアーチャーのマスターとして登録された。この瞬間から、第五次聖杯戦争は開始される。――これより後、この冬木の地にてマスターたる魔術師達とサーヴァント達の戦いを許可する。各々、自身の誇りに従って存分に競い合え」
 ここに、重々しく聖杯戦争の幕が切って落とされたことが告げられた。
 士郎と凛の2人以外、余人は聞かぬ、それでも確かな聖杯戦争の開幕の鐘だった。
「始まったわね。じゃ、今日の所はとりあえず帰るけど、わたしもせっかく来たついでに一つくらい質問して良い? 綺礼」
 それまで会話の場を譲るように、一歩引いていた凛がすいと前に出た。言峰は鷹揚に頷いた。
「かまわんよ。これきりかもしれんし、大抵の質問には答えてやろう」
「それじゃ遠慮無く。綺礼、あんた監督役なんだから、他のマスター登録も受けてるんでしょ。こっちは、今回わざわざ教会が決めたルールに従ってあげたんだから、それぐらい教えなさい」
 何だかそれは狡くないのか、と思われそうなことを凛は言い出した。もっとも、言峰は特に異議は唱えずに、至極真面目に答えた。
「それは困ったな。知っているのなら教えてやれるが、私も詳しくは知らんのだ。そこの衛宮士郎もそうだが、ルールをわきまえた正規のマスターが今回は少ない。私が知っているのは凛、お前を含めて2人――衛宮士郎が加わって3人だな」
「ふうん。登録してきたってことは協会の魔術師なのね?」
「そうだ」
「うーん、でもまあ、まずアインツベルンは含まれてるだろうし……。それでも4人か」
 さほど期待はしていなかったのか、凛はあまりヒントにならなかったと落胆する様子は無かった。
「……まあいいわ。なら、サーヴァントが呼び出された順番なら分かるでしょ。あれだけ、わたしに残り二枠だから早く召喚しろってせっついてきたんだもの」
 一つ、と言いながら更に問いを重ねたのは、先ほどの質問には満足できる回答が無かったためだろう、彼女的にはノーカウントらしい。
「順番か。それならば、バーサーカーが大分早かったな。次はキャスター、後は時期的に似たり寄ったりだ。そして、お前が先日にセイバーを召喚し、そして数時間前に最後のアーチャーだ」
「これで全部揃った、のね」
 幼い時から魔術師としての修練を怠らなかった少女は、静かに瞳に戦意を光らせた。覚悟など、今更問われる必要も無く待ち受けていたこの時を、受け入れる。
 ただ、勝つためにと。
「ああ、正式に始まったということだ、凛。聖杯戦争が終わるまでは、この教会に足を運ぶことは許されない。その時は」
「分かってるわよ。途中敗退で自分のサーヴァントを失って、保護を願うときのみ。それ以外に兄弟子だからってアンタを頼ったら減点、ってことね」
「そうだ。最後に勝者として立っているのはおそらくは凛、お前だろうが、妙な減点がついては教会側が黙っていまい。ただでさえ、聖杯が魔術師の賞品となっていることが気に入らない連中だからな。結論の決まっている議論の末、聖杯を奪い取っていくだろう。それは私にとっても全く好ましくない」
 凛は肩をすくめた。
「……ほんっと、アンタってエセ神父よね。魔術協会の肩を持つのは、わたしの父への義理?」
「それはとんだ勘違いだな。私は神に仕えている身であり、教会に仕えているわけではないということだ」
「そんな言い方しても、アンタがエセ神父なのは覆らないわよ」
 そう言って完全に気が済んだらしい凛は、長い髪と赤いコートの裾を翻し、躊躇無く扉へ向かっていく。
「え――遠坂、もう良いのか」
 もっとこう、師を同じくする兄弟子相手に挨拶とか交わす言葉とか、そういうことは無くていいのだろうかと士郎は凛を呼び止めた。それは、士郎もこの神父を気に食わないから早くここを離れたいと思うのは凛に全く異論も無く、大賛成ではあるが。
 果たして、凛はひらひらと否定の意で手を振った。
「良いのよ。これで縁が切れると思うと嬉しいぐらいなんだから。もうこの教会に用は無いし、さっさと出るわよ。随分とセイバーも外で待たせちゃってるし」
 そして、言葉通りに、立ち止まりも振り返りもせずに礼拝堂を出て行ってしまった。
 取り残される形になってしまった士郎だが、凛以上にここにいても仕方ないので、彼女に倣って速やかに教会を去ろうとした。
 だが、圧迫感を覚えて足を止める。
「――っ!?」
 いつの間にやら、士郎の背後には神父の姿があった。
「な、何だよ。話は終わったんだろ、まだ何か……」
 見下ろされる。先ほど出会ったばかりだというのに、どうもこの神父は苦手だと士郎は思った。多分、こいつとは絶対に話が合うことはないだろうと、何とはなしに直感的な確信があった。
「――喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」
 厳かに。託宣を告げる声は、遙かな高み、天から降ってきたようにも聞こえた。
 自分の息を呑む音が、士郎の頭蓋の中にやけに響いた。出口へと向かうはずの足が、動かなくなる。
「な……」
 それは。
 何を言いたいのか。
「判っていた筈だ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。たとえそれが君の容認しえぬモノであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要なのだから」
 正義の味方のなり方が、判らなかった。
 魔術を学び、鍛錬を積み重ね、そうやって力をつけて。準備をしていても、その後でどうすれば良いのか道筋が不明だった。
 ああ。
 誰かを助けたい。誰かを守りたい。なんて、そんな理想は、そう。その「誰か」がまず虐げられていなければならないのだと、神父は冷酷に指摘する。
 立派な願いを掲げながらも、それは同時に不幸を望むということと同意義なのだと。
「……な、にを」
 違う、そんなわけがない。
 衛宮士郎は、別に悪人を倒したいと思っているわけではなくて、ただ、苦しんでいる人がいるならば助かって欲しいだけだ。衛宮切嗣が、火災の中で1人の子供を助けたように。それが正義の味方だ。
 だが、何という、ひどい矛盾だろう。崇高と醜悪とは紙一重で、あるいは同じ紙の表と裏の違いしか無いのか。
「なに、取り繕うことはない。君の葛藤は、人間としてとても正しい」

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