ロード

 海は、穏やかに凪いでいる。細かい波が、陽光を眩しく反射して、白く輝いている。その波を切り裂きながら、一隻の船が、ゆったりと西へと進んでいた。
 船の目的地は、南方のバルバウダ大陸と北方大陸との、海洋貿易の中継地として名高い、ヴァレリア島である。
「昼過ぎには、着くそうだ」
 船上の甲板に佇む騎士姿の男に、後ろから声をかけた者がいた。騎士は、振り向いた。端整な顔立ちではあるが、むしろ精悍さの方が印象に残る。それは、その瞳に宿る意志の強さを示す光のせいだろうか。その騎士に歩み寄ってきたのは、燃えるような紅い髪と、同じ色の翼を、筋骨逞しい背に持つ、有翼人の男である。ふてぶてしいまでの不敵さと、どこか悪童めいた表情が、その容貌には同居していた。
「ローディスは、一体何を企んでいるのだろうか……」
 騎士は、独語ともなく、呟くように言った。
 現在、この船の目的地のヴァレリア島が剣呑な状況にあることは、風聞ではあれど、彼等は知っていた。そのヴァレリア島に赴く船に、敢えて乗っている騎士の胸には、二年前に建国された東方の大国、新生ゼノビア王国の紋章があった。
「さあな、他人の所の宝をかっぱらっていくようなことだ、どうせロクなことじゃないだろうよ」
 風使いカノープスは、聖騎士ランスロットに、笑いかけた。
「……分かってるぜ。ローディスを探りに行った、あいつのことを心配してるんだろ?大丈夫さ、あいつは、オレ達の勇者なんだからな。絶対、大丈夫に決まってるさ」
 そう言って、カノープスは戦友の肩を軽く叩いた。ランスロットは小さく頷いたが、笑みは浮かべず、その手は、腰に差した愛剣・ロンバルディアの柄に触れていた。まるで、戦いの予感に備えるかのように。そして、再び海へと視線を落とした。何かがそこに見えるのだろうか。カノープスも、それ以上は何も言わずに、ランスロットに倣うように船縁に並んで立ち、海面に目を向けた。
 海は相変わらず穏やかだったが、彼にはそれが嵐の前の静けさに見えたのだろうか。聖騎士は厳しい表情を崩さなかった。

 与えられた一室で、老占星術師が、その占いの道具であるカードを卓の上に置いた。それを待ちかねていたように、カノープスは口を開いた。
「で、ウォーレンよ、『アレ』は間違い無くこの島に持ち込まれたんだろうなぁ?」
「それは間違いありません」
 預言者然とした風貌を持つ老人――占星術師ウォーレンは、淡々とした声で答える。
「まったく、面倒なことしてくれたぜ、ローディスの奴等」
「それにしても」
 と、騎士ギルダスが割って入った。腑に落ちない、といった表情で、
「何で本国じゃなくって、わざわざこの島に持ちこんだんだ?」
 ゼノビアからヴァレリア島にやって来た彼等は、現在、相争う三つの民族的勢力――バクラム人、ガルガスタン人、ウォルスタ人のうち、ウォルスタ人のウォルスタ解放軍の指導者・ロンウェー公爵直属の傭兵として、その根拠地であるアルモリカ城にいた。聖騎士ランスロットが、同じ「ランスロット」の名を持つ、暗黒騎士団ロスローリアンの団長と間違われて、ウォルスタ人のゲリラの若者達から襲撃を受けたことが縁となり、虜囚となっていたロンウェー公爵の救出に力を貸したからである。
 暗黒騎士団。思えば、皮肉な繋がりではあった。
 北方のガリシア大陸の大国・ローディス教国。ローディス教国は、十六ある騎士団のうち、最強とも噂される暗黒騎士団をヴァレリアに派遣し、バクラムを援助している。そして、ゼノビア人達は、そのロスローリアンを追って、ここヴァレリアまでやって来たのだ。いや、正確には、ロスローリアンがゼノビアから盗んでいった物を、だ。
「……やっぱり、奴等のねらいは、……カオスゲート、か?」
 その「物」がもたらす結果を憚るように、腰掛けていた出窓の縁から滑り降りて、カノープスはどこか薄ら寒そうに声を潜めた。ウォーレンは、静かに首を横に振った。
「可能性としてはあります。しかし、まだはっきりとは……」
 分からない、ということである。
 ウォーレンの占いは、その外見が裏付けているように、占いというよりは予言に近い。だから、その正しさを疑うまでも無いが、それでも何も彼をも全てを見通す、というわけにはいかない。あくまでも人である以上は、自ずと人の身の限界がある。カノープスも、それは充分に理解しているため、それ以上は言わなかった。
「ローディスの狙いが何であれ、あの剣は只の剣ではない。オウガバトルの伝説は知っているだろう?そして、あの聖剣ブリュンヒルドの役割も……」
 ランスロットは、ミルディンとギルダス、二人の部下に言った。この二人は、この“任務”のために、ゼノビア王・聖王トリスタンの許しを得て、特別に従ってきた。聖騎士団の中でも、「白騎士」といって、聖騎士に次ぐ実力を認められた高位の騎士である。それだけ、この“任務”をゼノビアが重要視している、ということだ。
「遥かな時代に行われたという、人と悪鬼の戦いのことですね」
 ミルディンが答える。
 オウガバトル。人と悪鬼が、大地の覇権を賭けて戦った、伝説の戦い。人には神が、悪鬼には悪魔が、それぞれ味方したが、人間は悪鬼――オウガに比べて、あまりにも非力だった。そこで神は、神に仕える天空に住まう三人の騎士と、十二人の賢者を遣わして、悪魔の力を封じさせた。悪魔の後ろ盾を失ったオウガ達は人間に敗れ、人間が大地に凱歌を上げた。
 大の大人が、真剣にこんな話をすると、「何時まで御伽噺を真に受けているんだ」と、一笑されるかも知れない。しかし、それが途方も無い“過去に起こった現実の出来事”であることを、ランスロット達は――先の、ゼテギネア大陸での反乱に加わった者は、全員が知っている。
 だからこそ、ローディスに奪われた「物」を取り返すことが、聖騎士団団長、魔獣軍団団長、魔法団団長を「追放」までして遂行せねばならない“任務”になったのだ。
「その剣を手にする者、神々と交信し、その大いなる力を行使せん――ブリュンヒルドは悪魔の封印に使われた剣、その真の力は『鍵』だ」
「『鍵』?」
 不審そうに、ギルダスがランスロットに問い返した。
「つまりだな、オレ達の住むこの世界と、異界。普段は閉じられている、二つの世界の間にある『扉』――カオスゲートを開く『鍵』なんだよ、あのブリュンヒルドは」
 引き取って答えたのは、カノープスである。
「とんでもない魔力を持つ人間なら、自力でゲートを開くことも出来ないことは無い。だが、ブリュンヒルドを使えば、どんな人間でもゲートを開けられる。そう……、魔界に繋がるゲートだって開くことが出来る。その『扉』たるカオスゲートが在りさえすればな。実際、オレ達も、魔界の将軍・暗黒のガルフの封印が弱まってきたから、ガルフを倒すためにカオスゲートを開いたことがある」
「ローディスは、我等がゼノビアの地に領土的野心を持っていると聞きます。その力を得るために、ブリュンヒルドを奪ったのではないか、ということをトリスタン陛下は危惧しておられるのですね」
 オウガバトルでの人間の勝利の後、人は人同士で醜い争いを始めた。神は、そんな人間に落胆し、天界に属する者に人間との接触を禁じた。しかし、天空の三騎士の一人、氷のフェンリルは、人のうちにも心正しいものが現れると信じ、その者がいつか自分達の力を必要としたときに、天空の島に上ってくる道標として、地上にブリュンヒルドをもたらした。彼女は、そのことで神の怒りを買い、天空の島の一つ、流刑地オルガナに、心正しいものが現れるまでその地に束縛される、という罰を受けたが、彼女は正しかったのだ。
 地上にもたらされたブリュンヒルドは、賢者ラシュディと軍事大国ハイランドの女帝エンドラによるゼノビアの滅亡、神聖ゼテギネア帝国の成立、という混乱の中、一時行方がわからなくなったこともあったが、聖剣は、まるでその者が現れるのを知り、待っていたかのように、『心正しいもの』の手に収まったから。
「いや、それだけではない。あの剣は……」
 ミルディンの言葉に対し、ランスロットはどこか遠い目をして言った。ウォーレンやカノープスも、同じ記憶を呼び醒まされたのか、懐かしむ、というよりももっと深い思いを込めた表情になった。共有した、あの時の記憶。辛く、苦しい、しかし、それ以上に何よりも誇らしかった、あの戦いの日々の記憶。
「ゼテギネアの恐怖政治の中で、敢然と立ち上がり、人々を絶望から救い上げ、そして、我等を勝利へと導いた、希望の女神が手にしていた剣――それが、私達にとってのブリュンヒルドだ。ゼノビアに自由と開放と勝利をもたらした象徴だ。そういう意味で、あの剣はゼノビアにとって、失ってはならない『至宝』なのだ。我等の勇者が掲げた剣なのだから……」
 女帝エンドラを倒し、魔宮シャリーアにて黒騎士ガレス、魔導師ラシュディを倒し、そして、ラシュディが己が命と引き換えにして復活させた、暗黒神ディアブロを倒し、ようやく平和の戻った新生ゼノビア王国。その新しい国の王にと、全ての人に――ゼノビア王国の正統の王位継承権を持つトリスタン皇子にまで望まれたのに、王にならなかった彼女。それどころか、ローディスの不穏な動きを探るために、数人の、僅かな仲間と共に、危地へと旅立っていった彼女。
 いつも真っ直ぐで、勇敢で、希望を失うことなく、凛々しく心優しい、可憐で美しい戦乙女。それが彼女だった。もし彼女が、光と戦争の女神イシュタルの生まれ変わりである、と言われれば、多分信じない者はいなかったろう。そう、彼女は、絶望と流血の大地と化したゼテギネア大陸の人々にとって、希望の、光の女神だったから。
「それにしても、どうものっぴきならんことに巻き込まれたようだなぁ」
 言葉の割には、いささか緊張感の欠けた声でギルダスは言い、椅子の背に身体を預けた。
 ヴァレリア島の内乱とは一口に言うが、実情としては、支配階級であるバクラム人は既に、ローディス教国の後押しの下、バクラム・ヴァレリア国として、島の北半分に確固たる勢力を築いている。南半分は、ほとんど多数派民族のガルガスタン人に領有され、ヴァレリアの全人口の一割にも満たない少数派民族ウォルスタ人は、一方的に迫害されている。
 そのウォルスタ人に助力することになったのも、あるいは奪われたブリュンヒルドに導かれたのか。弱者の味方になるべし、と。
「しかし、ある意味、都合が良いと言えないことも無いですよ」
 静かな声を、ウォーレンが発する。
「暗黒騎士団は、ブリュンヒルドを持ったまま、この島の争いに介入しています。干渉者である彼等を快く思わない人々も、少なくない筈です。ましてや、一年前、暗黒騎士団に肉親や友人を虐殺されたあの少年達なら、尚更のこと。いずれは、暗黒騎士団とは戦いになるでしょう。そうなれば、奪われたブリュンヒルドを取り返す機会も出来ようというものです」
 ロスローリアンに盗まれた、聖剣ブリュンヒルドをゼノビアに取り戻す。それこそが、公には出来ない彼等の任務だった。カノープスなどは、そのような自分の立場を楽しんでいるような節も見うけられるが、それはともかく、真実を知るものは、ゼノビア王トリスタンと王妃ラウニィー以外には、彼等しかいない。
 ランスロットは、ブリュンヒルドを奪われた日のことを、今も鮮明に思い出せる。

 不敵な王宮への侵入者は、宝物庫の警備の騎士達を、全て一太刀で斬殺していた。見廻りの衛士の報告を受け、現場に急行したランスロットは、厳重に保管されたブリュンヒルドに、あろうことか賊が手を掛けたのを見た。それは、あの彼女を侮辱するに等しい行為だったから、
『何者だ、我がゼノビアの至宝に触れるとは!返答次第によっては、生かしては帰さぬぞ!』
 そう言い放ち、ランスロットは剣を抜いた。
 返ってきたのは、さも愉快そうな、笑い声だった。
『貴公が、私と同じ名のゼノビア王国聖騎士団団長、ランスロット・ハミルトンか?我が名はランスロット・タルタロス、ローディス教国暗黒騎士団ロスローリアン団長だ!』
 言うなり、暗黒騎士ランスロットは、聖騎士ランスロットに斬りかかった。暗黒騎士の剣・アンビシオンの刃を、ロンバルディアで受け止めながら、その腕に、騎士達が不覚を取ったのもむべなるかな、と聖騎士は納得した。それ程の斬撃だったが、完璧に受け止めた聖騎士の腕もまた見事、と言わねばこの場合不公平だろう。その証拠に、暗黒騎士は賞賛とも驚嘆ともいえぬ表情をちらりと見せた。二本の剣が離れると同時に、二人の騎士も間合いをとる為に跳び退った。
 次の斬撃は、聖騎士の方が速かった。
 右払いに打ちこまれてきた剣を受け、暗黒騎士は薙ぐようにして聖騎士の剣を弾き返した。そして、更に間髪を入れずに、同時に互いの頚部を狙った剣が、空中でぶつかり合って、火花を散らした。
 暗黒騎士はそのまま勢いを持って、聖騎士の剣を叩き落そうとするが、聖騎士は素早く剣を引き、暗黒騎士の意図を阻む。
 暗黒騎士が攻撃を仕掛けると、聖騎士は完全な防御を見せ、逆に聖騎士が鋭く剣を迸らせても、暗黒騎士は堅く食いとめる。
 二合、三合、と剣を撃ち合ううちに、二人ともが敵手の技量をほぼ見抜いていた。すなわち、互角、と。このまま戦っていても、永遠に決着がつかないこともあり得る。
 互いの身体に剣が触れることは叶わず、それでも隙を見せた方が負け、つまり死あるのみだ。手を緩めることも出来ず、一瞬たりとも気も抜けず、ひたすら騎士達は剣を交えた。
 どちらも決め手を欠いたままに続いていた、斬撃の応酬に異変をもたらしたのは、外部からの声だった。
『ランスロット、大丈夫か!?』
 当時、魔獣軍団団長だったカノープスが駆けつけてきたのだった。瞬間、その声により気を取られたのは、どちらの方だったか。ともかく、暗黒騎士は半歩退き、聖騎士は大きく踏み込んだ。ただ、暗黒騎士の行動に意表を突かれたのか、聖騎士の剣の振りはやや鈍かった。そして、聖騎士によって振るわれた剣は、暗黒騎士の右目を奪い、暗黒騎士は、自らの右目を犠牲にして、目的を遂げた。そう、聖剣ブリュンヒルドは奪い取られ、暗黒騎士の手の中にあった。
『この眼の礼をする日が来ることを願っているぞ、ゼノビアの聖騎士よ!』
 そう言い残して、暗黒騎士はブリュンヒルドごと姿を消した。恐らくはあらかじめ用意していた、転移石を使ったのだろう。
 宝物庫に飛び込んだカノープスが見たのは、血刀を手にしたまま、愕然と立ちすくむ聖騎士ランスロットの姿だった。
『……ランスロット!?どうしたんだ!!』
『聖剣が……、……ブリュンヒルドが……』
“騎士団の不祥事により、聖王トリスタンの怒りに触れ”、ランスロット達が“追放”されたのは、それから数日の後のことだった。

「それに、ちょっと他人事とは思えないしな、ウォルスタ人の状況は。な、ランスロット?」
 カノープスの声が、ランスロットの意識を現実の時間と場所に引き戻した。
「……そうだな」
 ヴァレリア島の現在。迫害され、殺されていくウォルスタの民。それは、反乱軍――解放軍が決起する前のゼノビアとよく似ていた。ランスロットも、旧王国派の生き残りとして、逃亡と潜伏の日々を余儀なくされた苦衷の日々のことは、未だ記憶に生々しい。ウォーレンも頷いた。
「可能性はあります。私達のときのように。あの少年が、ウォルスタの――ひいては、ヴァレリアの希望となれるかどうかは、彼次第ですが。まだ弱いものの、彼女と同じ光を、あの少年が持っているのは確かです」
 ゴリアテの若き英雄と称えられる少年、デニム・パウエル。ウォーレンはかつて、星辰の託宣により、反乱軍の指導者としてまだ娘と言って良い年齢の、彼女を選び出した。その選択が正しかったことを、ゼノビアで疑う者はいない。そして今、一人の少年の資質を、老占星術師は認めた。それはつまり、デニムという少年が、彼女と同じく、絶望にも負けることのない強い心と、人々を導いて行くことの出来る力を秘めている、ということである。
 革命に成功した者への憧憬か、デニムは殊にランスロットに対して、尊敬の念を抱いたようだった。聖騎士という、最高の騎士の称号を持つ彼に。また、ランスロットも、デニムの真っ直ぐな瞳に、自分達を導いた彼女を思い出し、彼に力を貸した。彼等の革命も成功するように、と。そして、この少年が、彼女のように“勇者”として戦いを勝利に導いていけるように、と。
「とりあえずは、デニム君達の任務の成功を祈りますか」
 ウォーレンはそう言って、瞑想するかのように眼を閉じた。
 ガルガスタン軍の占領下にあった、アルモリカ城に幽閉されていたロンウェー公爵を救出した功績を認められ、デニム達は騎士に取りたてられた。更に、遊撃隊としての騎士団の編成を許され、現在、クリザローへと向かっている。アルモリカ城の監督官であった屍術師ニバスを追っている、アルモリカ騎士団団長レオナールを援護する任務のためである。ランスロット達は、城の警護と兵士の訓練を任されたため、彼等には同行しなかった。ランスロット達は、あくまでもゼノビアを追放された、という立場を貫き、いらぬ疑いを抱かれないようにしなければならない。目的を達するためにも。それに、何もゼノビアは、よく疑われるように、ヴァレリア島を領土に欲している、ということはないのだから。
「それなんだけどよ、ランスロット」
 と、カノープスが身を乗り出した。
「オレが、あいつ等についていってやろうと思うんだが。ガキばっかりで、危なっかしいからな。いいか?」
「……そうだな。今のカノープスなら、彼等を上手く助けてやれるだろう」
「そりゃ厭味かよ、ランスロット。……まーな、あん時のオレは、確かに自分でも情けなくて、しょーもなかったとは思うがな」
 かつて、旧ゼノビア王国が滅びたとき。カノープスの親友であった、元魔獣軍団団長ギルバルドは、シャロームの民を守るために、帝国に膝を屈した。カノープスは、そのギルバルドの心情を理解しながらも、どうしてもその行為を許すことが出来なかった。かといって、友と戦うことも出来ず、悩んだ末に戦いを放棄した。そして、反乱軍がシャロームに進軍してきても、冷淡な態度を取ったのだ。
 そんなカノープスを説き伏せ、戦いに復帰させる決意をさせたのは、ランスロットだった。カノープスの妹ユーリアに託された、ゼノビア王国魔獣軍団の証、“火喰い鳥の羽”を示し、ランスロットはこう言った。
『過ぎ去った事実を動かすことは出来ない。しかし、未来に起こり得る後悔を、回避することはできるだろう』
 カノープスは、ランスロットに感謝している。ギルバルドを死なせずに済んだ、きっかけを与えてくれたことを。これ以降、カノープスはランスロットと親しくするようになった。
 ランスロットは苦笑した。
「そういう意味じゃないんだが……」
 それから改めて、
「彼等に力を貸してやってくれ、カノープス。正式の騎士ではないカノープスなら、変に疑われたり勘繰られたりすることもないだろうしな」
「ああ、任せとけ」
「団長、我々はどうします?」
 ミルディンが指示を仰ぐ。ランスロットは、一同を見まわすようにして答えた。
「ロスローリアンの出方次第だな。いずれにせよ、必要以上の介入は避けるべきだ。ローディスのように、この島に無用の波風を立てたくはない。私達は、この島に野心を持っているわけではないのだからな」
「ま、とにかく、当分は何食わぬ顔で、傭兵としての務めを果たせってことですね」
 ギルダスがどこか面白がっている口調で言った。同僚のミルディンは、女性受けする甘い顔立ちの優男で、およそ諧謔などとは無縁の無口な性質をしているが、ギルダスはまるで正反対で、酒と女が大好きな、騎士らしからぬ男である。共通するのは、二人とも卓絶した腕の持ち主、という点のみ。これで気が合うのが不思議だが、案外全く逆だからこそ、気が合うのかもしれない。
「じゃ、善は急げだ。オレは行くぞ」
 カノープスは窓を開け放つと、背の紅い翼を大きく広げた。
「ドジ踏むんじゃねぇぞー」
 そのカノープスに向かって、ギルダスがからかうような声を投げる。
 口の悪いギルダスは、カノープスと、漫才としか思えないような掛け合いをしょっちゅうやっては、ランスロット達を苦笑させている。かつては、戦いを放棄するほど悩み苦しんでいたカノープスも、本来は明るい性格だったようである。
「うるせぇ、お前こそランスロットにあんまり迷惑かけんなよ!」
「俺はあんたほど、団長に迷惑かけた覚えは無いね」
「っかー、まぁよくヌケヌケと言うぜ、この野郎」
 いつもの調子でしっかりギルダスに言い返してから、カノープスはランスロットを振り返った。
「行ってくるぜ、じゃあな」
「気をつけてな」
 短い言葉のやり取りが、かえってお互いの信頼感を示していた。ニヤリ、と返事の代わりに笑い、カノープスは先行したデニム達の部隊を追って、空へと飛び立った。
 ウォーレンは、ふとカードに視線を落とした。占いの結果の全て、をは老占星術師は口にしなかったのだ。大いなる運命の奔流を示す結果が出ていた、とは。それは、この島の未来を巻き込むようなものであった。そして、ヴァレリアの住民だけでなく、自分達もその奔流から無縁ではいられない、と。そう、かつてのゼノビアでの戦いのように。
 そう、あの時のように。彼女が、ブリュンヒルドを掲げ、ゼノビアを解放へと導いたように。あの、“希望の光”があの少年にも宿るだろうか。運命の奔流の源には、あの少年の姿が見えた。
 そんなウォーレンの胸中を読み取ったのかどうか、ランスロットは、口の端に僅かに笑みを浮かべて、軽く首を振った。
「ただ、今は、我等が勇者と、勇者となり得る少年に、祝福があらんことを。そして、聖剣を我等の手に取り戻せるように」
 呟くように、ランスロットは言った。歴戦の勇士として、彼にも何か感じることがあったのだろうか。
 そして、ランスロットは、そっと彼女の名を呼んだ。それは、希望の名。
 何時か、少年の名も、そう呼ばれるようになるのかもしれない。
 新しい『勇者』の物語が、これから書き綴られる。それが、どのような物語になるかは、今はまだ誰も知らない。

END