Shadow Saga
Short Story8:side-Cain
「first campaign」



 僕達の生まれ育った国、ヴィエナ王国は、軍事大国といわれている。
 いや、正確には、僕は孤児だから、この国で生まれたかどうかは定かではない。けれど、物心ついた時には、僕は既にヴィエナの王宮で暮らしていたから、少なくとも育ちはヴィエナ、と公言しても差し支えないだろう。
 そんな僕自身の瑣事はさておき、ヴィエナ王国というのは、この西方大陸において、最も裕福で広大な領地を有し、人口も多い。それは軍事力で他国を圧倒してきたからだ、などと他の国からは言われる。何故、そんな強大な軍事力を持つに至ったか、というと、それは世界で唯一の空軍・竜騎士団の力が大きい、と答えが返ってくる、大抵。

 竜騎士団。
 竜は、他の大陸では姿はもはや見られず、この西方大陸、それもここヴィエナの、竜騎士団と共に暮らす数だけが確認できるだけだという。神を乗せる神獣といわれる竜を乗りこなすのは、馬に乗るよりも遥かに高度な様々な技術と、何よりも竜との信頼関係が大事だそうだ。だから、竜騎士は代々世襲制を採り、幼い頃から竜と触れ合い、竜の騎乗技術を学び、竜と心を通わせる。竜騎士は、生まれながらにして竜騎士なのだ。
 そんな竜騎士団は、実は元からヴィエナの組織として結成されたわけではない。その歴史はヴィエナのそれより古く、ヴィエナ建国王と、当時の騎士団長(当時は、「竜使い」といったらしい)が偶然親友同士だったことから、「竜騎士団」としてヴィエナ軍に組み込まれた。それ以降、ヴィエナ軍の最強部隊として、名を轟かせ続けている。
 その成立の特殊性から、非常に独立性が高く、王命よりも、最も優れた竜騎士である騎士団長の決定を尊ぶ意向がある。そのため、他の部隊からのみならず、宮廷の文官達からも煙たがられているところもある。


 以上、幼馴染の竜騎士、カインからの受け売り。
 カインは、不世出の竜騎士、だ。その実力のほどは、史上最年少の18歳で、竜騎士団長に就任したことからも明らかだと思う。竜騎士の家に生まれたから竜騎士になったけれど、彼ほどの力を持っているなら、竜騎士でなくても、どんな部隊でもすぐに頭角を現したろう。とかく、その個人のとてつもない腕の冴えを取り上げられがちだが、実は、士官学校での模擬戦で指揮を執っても、負け知らずだった。家柄はいい、顔はいい、頭はいい、腕はいい、なんて、まったく冗談みたいな人間も生まれてくるもんだ。
 彼と比べること自体が間違っているが、僕、ロナルド・ハーストはというと、身分はしがない従騎士である。いや、僕自身の身の上を考えたら、武官貴族である騎士の一階前の、従騎士になれただけでも、立派なものかもしれない。

 僕は、両親の顔を知らない。勿論、何処で生まれたかも知らないし、どうして王宮で育つことになったかも知らない。僕を何故か引き取った国王陛下は何もかもご存知なのだろうが、陛下は「いずれ相応しい時が来たら、分かる」としかおっしゃらない。
 陛下は、僕を引き取る前に、王妃様を亡くされた、と聞いた。だからといって、僕を跡継ぎ代わりにするつもりはないみたいで、実際、僕はヴィエナ王家の姓は名乗っていない。本当に、何で、僕を引き取ったんだろう。
 物凄く宙ぶらりんな立場なんだ、僕は。王宮で庇護されてはいても、王族ではない。
 それを不満に思うほど、僕は自分自身を買いかぶってはいないが。

 何にせよ、僕は姿形だけでも、随分と異質で目立つ。
 銀の髪、黄金に近い琥珀色の眼。
 カインの黒髪も、この国では珍しいから目立つけれど、北方系の血が混じってるのだろう、彼のお父さんも黒髪だったということで、ありえないわけじゃない。だが、こんな銀色の髪は、僕以外に誰もいない。
 要するに、僕は、異様に目立つ、訳の分からない存在。氏素性も知れないくせに、当たり前のように王宮にいる、目障りなヤツ。
 大方の認識からすれば、こんなものだろう。貴族社会ってのは、案外、閉鎖的で排他的だ。僕はその社会の中の異分子であり、有形無形の嫌がらせは珍しくも無かった。
 それに傷つくこともあったが、カインやセシリアが、僕を守り、時には救ってくれた。
 だから、僕は強くなりたくて、いつかは僕自身の手で大切な人を守れるようになりたくて、軍の道に進む希望を、陛下に伝えた。そして、僕は士官学校に進み、従騎士になった。


 ヴィエナでは、軍縮が取り沙汰されている。
 ここ50年ほど、他国との境界はほぼ平穏で、大規模な軍隊を税金で抱えてる必要はない、というのが、軍縮派の主張だ。対して、維持派は、国境が現在安定しているとはいえ、魔族の動きが見られるため、有事に備えて現状を維持しておくべきだ、と主張する。軍事大国ヴィエナにあって、文官達は少しでも自分達の立場を押し上げようとし、武官達は今の権益を守ろうとする。戦争が無くても、いや、戦争が無いから、権力闘争は絶えないんだなあ。
 そう、実際、魔族の動きが目立ってきていた。ちょうど、僕やカインが生まれた頃辺りから。
 もっとも、それはまだ激しい、というほどではなく、ちょうど軍縮派と維持派の権力闘争の種になる程度だった。



 あまり規模の大きくない魔族達は、また、僕ら新兵の、格好の相手だった。
 初陣。
 初めての、戦場。


 騎士と名が付いても、見習いに過ぎない従騎士は、馬になど乗せてもらえない。一般の歩兵より、いい武器と防具は与えられたが。
 実践と訓練は違う、なんて、うんざりするほど聞かされた言葉を、これほどに自分で実感することがあっただろうか。
 魔族は、火に通したチーズにナイフを入れるよりも簡単に、倒すことが出来た。その血に酔ったかのように、無我夢中で、どれだけの数を葬ったか分からないまま、僕は気付いたら自軍から離れていた。孤立していた。
 泥やら、倒した敵の体液やらにまみれて、随分とひどい自分の格好を見下ろして、僕は途方にくれた。
 戦場にあっても、隊伍を崩すなかれ。我々は軍規に律された「軍隊」である。
 基礎中の基礎じゃないか。
 後悔しても遅い、とはよく言ったものだ。
 もともと、そんな遠征ではないから、水や食料なんかも、申し訳程度にしか持っていない。何所へ行ったら自軍に会えるのか、どうしようもない、戦場の迷子だ。いくら初陣とはいえ、あんまりにも間抜けだ。

 と、僕以外の気配を感じた。
 ふらふらと歩いてきたのは、歩兵だった。疲れきった様子からして、僕と同じに部隊からはぐれたのだろうか。
 僕が声をかけようとしたとき、そいつは牙を剥いて襲い掛かってきた。比喩表現じゃなく、本当に口が裂けて牙を剥いたのだ。魔物が人間に化けていたのか!?
 驚きのせいか、僕は咄嗟に動けなかった。そこだけはいやに鋭い牙が僕の眼前にまで迫ってきて、ようやく手が動いて、剣の柄を掴めたが、それは、明らかに遅すぎる反応だった。
 殺されるのか。
 だが、そいつは僕の喉笛に喰らいつくことは出来なかった。それより先に、物凄い勢いで空から降ってきた投槍が、そいつの頭頂部から顎下までを貫いて、まさしく串刺しにしたからだ。槍の穂先は地面にまで届かんばかりで、一体どれほどの剛力で投げられたか。やっぱりそいつの正体は魔物だったらしく、悲鳴も上げずに、そいつの体はどろどろに崩れていった。
 空から、これだけ強烈で正確な攻撃をしてのける人物を、僕は他に知らない。
「……カイン……!?」
 僕は空を仰いだ。
「何をしている、ロナルド、こんな所で。はぐれたのか」
 雄々しい竜の騎士は、空から僕の傍らに舞い降りた。
 汚れきった僕の姿とは違い、出陣時と少しも変わらない、竜騎士団長の威厳に満ちて、凛と端整な姿のままのカインは、本当に眩しいくらいに綺麗だった。
「……不本意だけど、どうもそうみたいだね」
「突出しすぎたか。優秀すぎる新兵も、考え物だな」
「凄い厭味にしか聞こえないよ」
「そうか? それだけ返り血を浴びていたら、それだけ敵を倒したんだろう、と思っただけだが」
 カインは、三騎ばかり率いていた部下に、周辺の哨戒を命じ、それから僕に向き直った。
 ……新兵……。
 カインだって、僕と同じ、士官学校を出たばかりの18歳で、初陣のはずだ。なのに彼は、こんなにも落ち着き払って、もう歴戦の勇士みたいだ。いや、一介の従騎士と、公爵でもある超高級士官の竜騎士団長とでは、そりゃ到底同じなわけはないが、それにしても、僕と彼とでは違いすぎる。
「ロナルド……怖いのか?」
「え?」
「震えてるぞ」
 カインに言われて初めて、僕は、自分の全身が細かく震えてることを知った。
「無理もない。相手は魔物とはいえ、初めて剣を振るって、自分以外の他の命を奪うんだ。怖くても当たり前だ。だが、それも生きてるからこそ、抱ける感情だろう」
 その言い方も、まるきり新兵教育を請け負った上官みたいだ。
「……カインは平気なのかい」
「俺は実戦自体、初めてじゃない。初陣とはいっても、これはあくまでも『ヴィエナの』竜騎士としての初陣だ。俺の本当の意味での初陣は、11歳の時だった」
「11歳!?」
「竜騎士にしたら、そう珍しい話でもないさ。基本的に、竜騎士は実践主義なんだ」
 時々、遠駆けに出る、とか言ってふらりと居なくなることがあったけど、そんなことをしていたのか。
 僕が目を丸くしたのに対し、やっぱりカインは平然としている。
 桁外れの美貌もあいまって、その様子は、まるで戦場の美しい若き軍神だ。彼に指揮されれば、絶望的な負け戦でも、絶対に勝てる、とか思ってしまいそうだ。それぐらい、カインの姿はいっそ輝かしかった。
「その時は、俺だって怖かった。子供だったから、尚更だ」
 一瞬、本当だろうか、と思ったりもしたが、すぐに思い直した。
 滅多に激情を表に出さないから、皆知らないだけで、カインはあの沈着な綺麗な顔の下に、その辺の人間よりも、よっぽど豊かな感情を抱えてる。
 ……恐怖、も。
 僕は覚えている。泣くことも出来ず、ただ唇を噛み、拳を握り締めて、耐えようとしていたカインを。

 やがて、哨戒に出てた竜騎士達が戻ってきた。彼らから報告を受け、カインは何度か頷いて、また何かを指示したようだった。
 それから、カインは僕に何か投げてよこした。手拭いだった。
「とりあえず、そのどろどろの顔だけでも拭け。本隊に合流するぞ。一緒に連れて行ってやるから、後ろに乗れよ」
「え、いいのかい」
「ああ」
 カインは竜の手綱に手を伸ばした。彼の騎竜・ハイウェッツも心得たもので、さっと身を低くして、カインが騎乗しやすい姿勢をとる。カインは鐙に足をかけ、軽やかな動作で、竜の上に置かれた鞍に跨った。慌てて顔を拭い、カインの手を借りて、僕はカインの後ろに腰を落ち着けた。
「しっかりつかまってろよ。落ちたら拾えん」
 ぐい、とカインが手綱を引き絞ると、ハイウェッツは白銀の翼をゆっくりとはためかせ始めた。ふわり、と浮き上がる感覚がする。言われた通り、僕はカインの体にしっかりとつかまった。
 鎧を着ていても、はっきりと華奢と分かるこの体の何所に、あんな凄まじいまでの威力ある投槍を放つ力が潜んでいるのだろう。
 ふと、そこで僕は気づいた。助けてもらって、まだカインに礼を言っていない。
「カイン、さっきはありがとう」
「さっき? ああ、あれか。お前も俺も運が良かったな」
「僕は確かに運が良かったとは思うが……君も?」
「お前を死なせずに済んだ」
 さらり、と言われたが。
 何だってこう、やたらかっこいい台詞を、簡単に口に出せるんだろうね。ちょっと前――一年半ほど前までは、とても可愛らしかった君が。
「それにしても、カイン、あの兵士が魔物が化けていたなんて、よく分かったな」
「いや、知らなかったぞ」
 あっさりとした答えが返ってくる。
「……知らなかった!?」
「味方のお前に襲い掛かっていたから、敵だと見做しても当然だろう。敵ならば、排除するのも当然だ」
「人間の姿をしていても……?」
 僕は恐る恐る訊いてみたが、またしても返答は実に簡潔なものだった。
「関係ないな」

 絹糸みたいな、さらさらの黒い髪が、風に流されて、僕の頬をかすめる。
「俺達は、軍人だ。敵と戦い、殺し、勝つことが仕事だ。敵が何者でも、それは同じことだ」
「カイン……」
 無意識に、僕はカインにつかまる腕に力を込めた。
 淡々としたカインの口調だが、どんな気持ちで君は「殺す」という言葉を使ったのか。
「魔物だろうと何だろうと、つまるところ、俺達が士官学校に入ったのは、殺すための方法を学ぶためだ。そして、その方法を実践するべく軍に入った。もしも、他国と戦争が起きた場合は、自分と同じ人間を殺すためにな」
 本当は、その言葉が、君は嫌いだったはずだ。極力使うのを避けるぐらいに。けれど、君は、あの時から言葉の封を解いた。
『……殺してやりたい。あいつら、本当は今すぐにでも、この手で殺してやりたい……!』

「じゃあ、カイン。一つ訊きたい。君は、もしも僕が君の敵になったら、やはり僕を殺すかい?」
 カインが、肩越しに僕を振り返った。神秘的な黒紫色の瞳が、呆れた表情を湛えている。
「俺は、ありえない仮定の上には話をしない、といつも言っているだろう」
「だから、もしも、だよ」
「ありえないことは考えない」
「僕は、カインになら殺されても本望かもしれない、と思うんだがなあ」
「馬鹿言え」
 呆れかえった声に、僅かに苦笑が混じる。
「どうせなら、セシリアに刺されてやれ。好きな女の手で死ねることの方が、本望じゃないか」
「何で僕がセシリアに刺されなくちゃならないのさ! 大体、僕とセシリアはそんな仲じゃないことぐらい、カインだって知ってる筈だろ」
「お前と俺もそうだろうが」
 少し意地悪げな声を出してから、カインは笑った。
 その笑顔は、まさに天上の笑顔だった。この世に、この笑顔以上に綺麗なものがあるだろうか、と思うほどに。
 あまり褒められた初陣ではなかったけれど(それどころか本隊に合流すれば、叱責だの処罰だのは免れないに決まってる)、カインのこの笑顔を見ることが出来たのだから、悪いものではなかったかもしれない、などと、暢気極まりないことを、僕は思った。



 そう、この時は、まだ知らなかった、お互いに。
 この後、僕らが宿命によって本当に敵対することを。
 カインが、本当に僕を殺そうとすることを。
 そして、その時がそう遠くないことであると。

 そんなこと、永遠に知りたくなかったが。




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Copyright (C) 2005 Ryuki Kouno.