Shadow Saga
Short Story7:side-Leonhard
「beginning」



「フリードリヒ・フィフテ、お前は、人を殺す覚悟があるのか?」
 そう訊かれて、咄嗟に答える言葉が出てこなかった。
「覚悟が無いのなら、やめておけ。折角助かった命を、むざむざと捨てることになるだけだ」
 ……つまり、俺は不合格ってことだった。


 住み慣れた故郷を突然失ってから、半年経った。俺が助かったのは、本当に強運としか言いようが無く、レオンハルトやカールが、ひしゃげた家の梁の下から俺を引きずり出してくれなかったら、俺は燃える村と運命を共にしていただろう。
 重傷を負いながらも何とか生きていた俺は、何とか動けるようになって、ユリアナ達とフロレンツからカスティーリエンに避難する途中、帝国の黒騎士軍に襲われて、またしても瀕死の重傷を負った。
 それでも、俺の命は助かった。こういうのを命汚いというのだろうか、偶然にしろ、ここまで偶然が続くと、空恐ろしい気もする。まあ、短期間で二度も死に掛かったせいで、療養のために二ヶ月近く、ベッドから離れられなかったが。不自由なことは不自由だったけど、不自由だとか言えるのは、とても贅沢なことだった。生きてるんだから。
 俺達が助かったのは、何でも、ユリアナには魔力があり、その波動を感じ取った司祭が近くにいたから、だそうだ。もう少し発見が遅かったら、ユリアナもカールも俺も、確実に死んでいたと言われた。
 ユリアナと、カールと、俺。
 俺が目を覚ましたとき、カールが同じ部屋にいて、ユリアナも生きてることを教えてくれたが、レオンハルトのことを俺が訊くと、カールは首を振った。

 レオンハルトは行方不明だ、と。
 俺達を助けてくれた司祭に訊いてみたが、司祭が俺達を発見したとき、血で真っ赤に染まった俺達三人以外は、その場に誰もいなかったそうだ。

 ひょっとしたら、レオンハルトは何とか動くことが出来て、助けを求めに行って、行き違いになってしまったのかもしれない。
「死んだ、と自分で確かめるまで、私は兄さんが死んだ、なんて諦めないわ」
 少なくとも、ユリアナはそう信じてる、思おうとしている。俺だって、レオンハルトが死んだなんて思えないし、思いたくない。
 とんでもない美形で、優しくて、腕の立つ狩人の、ユリアナの大好きな、自慢の兄レオンハルト。レオンハルトが生きていると信じて、ユリアナはしょげかえってなんかいないで、魔法の勉強をしながら、治療所で働いてる。
 ユリアナの魔力は治癒魔法(ヒールマジック)に向いてる、らしい。で、ユリアナはすっかりそっちにかかりっきりで、もうかれこれ二週間以上も顔を見てない気がする。

 や、女心は複雑だなんてよく言うけど、男心だって、結構複雑なんですよ、実際。
 フェラス村に居たときは、何つーか、ユリアナと俺、くっついて当然、みたいに見られてたところあったけど。それこそ、ユリアナの兄貴のレオンハルトにまで、からかわれるくらいに。
 もっとも、ちゃんとユリアナに俺の気持ちを伝えたことはないから、ユリアナに対して、俺は何の権利も主張できる立場じゃないんだよな。
 それが、よその知らない男に、ユリアナが声を掛けられてるのを見たりすると、我ながら了見狭いんだけども、瞬間的にむっと来る。女の嫉妬は可愛いとか言われても、男の嫉妬はみっともないと言われるのは、辛いところである。
 ユリアナは一生懸命なんだ。一生懸命、不安を隠して笑おうとしている。それが、男を惹きつけるってのも、まあ、分からなくもない。……何と言っても、ユリアナは可愛いからなぁ……。


 ……つまるところ、こんなことを考えてしまうのも、俺に何もすることが無いからだ。することが無いと、ついつい余計なことを考えてしまう。体を治してる間は仕方ないとしても、何時までもそうやってぼーっとしてはいられない。働かざる者食うべからず、だ。カスティーリエン王国は、俺達みたいなフロレンツからの難民を受け入れてくれてるとはいえ、無制限に難民を受け入れていられるほど、大きな国じゃない。ただ、峻険な山脈で、ブルグントやフロレンツ……今となっては旧フロレンツか、ともかく、他の国と隔てられてるから、比較的安全なだけで。
 ユリアナは治療所で、カールは大力を生かして、荷物の運搬とかして働いてる。
 ようやく、ベッドから離れられるようになった俺は、フロレンツとカスティーリエンが合同して組織した義勇軍が、志願兵を募集していることを知って、詰め所まで行ってみた。そこで募集を受け付けてるって聞いたからだ。

 俺は、剣士になりたかった。
 子供の頃は漠然とした憧れだったその夢は、にわかに現実味を帯びてきた――ブルグント帝国の侵攻で。
 剣士だった祖父さんは、俺のことを「筋がいい」って褒めてくれてたから、俺も何かの役に立てるかもしれない、と思ってのことだったが。ま、祖父さんの褒めってのは、幾分かは身内の身贔屓があったかもしれないけども、祖父さんは基本的に世辞を言うタイプの人間じゃなかった、……俺が知ってる限りでは。
 だからまあ、それなりに自信を持って行ったわけよ。
 それが、ものの見事にあっさり不合格。
 俺としては、まさか駄目だなんて言われることを考えてもいなかったもんで(我ながらおめでたい性格だとは思う)、どうすりゃいいんだ、なんて激しく困惑してると、俺に不合格を言い渡したおっさんは、俺に故郷で何をしてた、って訊いてきた。鍛冶屋だった、と俺が答えると、鍛冶場での仕事を紹介してくれた。
 ……結局は俺の天職って鍛冶屋なのか。こっちでは、なかなかいい腕だなんて褒められましたよ。勿論、褒められりゃ悪い気はしないが、何か複雑。


 そんなこんなで、故郷での生活と同じように、鋼を打つ日々が続いていたある日。
 仕事を終えて、俺達難民にあてがわれた建物の、部屋に俺は戻っていた。俺とカールは同室だったが、カールはまだ帰ってきてなかった。その部屋のドアを誰かがノックする音が聞こえた。
「ユリアナ?」
 俺がドアを開けると、そこには、何処か思いつめた顔をしたユリアナが立っていた。
「どうしたんだよ、一体」
「フリードリヒ……」
 そう言ったきり、ユリアナは俯いてしまった。よく見ると、肩が小さく震えてる。あらぬ誤解を恐れた、というわけじゃないが、とにかく、俺はユリアナの手を取って、部屋の中に入れた。
「何かあったのか、ユリアナ」
 所詮は寝るためだけ、みたいな部屋なもんで、身一つで逃げてきた途中で襲われた俺達には、私物らしい私物も無い。で、とりあえず、ユリアナには俺のベッドに座ってもらって、俺は向かいのカールのベッドに座った。
「……あのね、フリードリヒ。帝国の“闇将軍(ダークジェネラル)”って人の噂、聞いたことがある……?」
 暫くユリアナはじっと黙っていたが、やがて意を決したのか、そう言った。
 が、生憎と、鍛冶場で職人やってる俺には、外の情報ってのはなかなか入ってこない。だから、俺は知らない、と答えた。
 そしたら、ユリアナがいきなりぽろぽろと涙を零し始めた。
「な、何だよ、一体どうしたんだ、俺、何か悪いこと言ったか!?」
 ご多分に漏れず、俺も女の涙には弱い。それが好きな女なら尚更だ。
「違うの、ごめんなさい……。……でも、どうしたらいいか分からないの、私……」
 俺もどうしたらいいか分からんよ……。
 どうしたらいいか分からんので、ユリアナが話し始めるまで、俺は待った。そんなに長い時間はかからなかった。


「……最近ね、帝国に新しい“闇将軍”って指揮官が来たらしいの。その人はとても凄い指揮官で、その人が来たところは、必ず壊滅させられるって……」
 それで、ユリアナの働く治療所は最近、てんてこまい続きなんだな。しかし、それでユリアナが泣く理由が分からない。
「今日……、“闇将軍”にやられたって虫の息の兵士が運ばれてきたの。その兵士が見た“闇将軍”の姿は、黒い髪で黒い目で、恐ろしいくらいに綺麗な若い男だった……、って!!」
「……!!」
 俺は息を呑んだ。
 ユリアナと同じ連想を、俺もしたからだ。
 黒い髪に黒い目、恐ろしいくらいに綺麗な若い男。
 その条件にぴったり合う男を、俺達は知っている。その、怖いぐらいに同じ条件を備えた男は、今現在、行方不明だ。……それは、恐ろしすぎる想像だった。

「ねえ、どうしよう、兄さんだったら……、“闇将軍”が兄さんだったら、どうしよう!? 私、どうしたらいいの、フリードリヒ……!」
 そう言ったきり、ユリアナはわっと泣き伏してしまった。
 でも、まさか、そんな。
 いくらレオンハルトが行方不明だからって、そんな!

 俺も混乱したが、ユリアナは、俺以上にもっと混乱している。
 そうだ、ユリアナは他の誰でもなく、俺のところに相談に来たんだ。そのユリアナを、俺が元気付けて、励まして、安心させてやらなけりゃどうする。
 俺は、懸命に言うべき言葉を探した。ユリアナに言うためではあるが、俺自身にも言い聞かせるめに。
「ユリアナ」
 俺は、ユリアナの肩に手を置いた。
「黒い髪で黒い髪で、綺麗な顔の若い男なんて、この世にレオンハルト一人しか居ない、なんて決まったわけじゃない」
「フリードリヒ……」
 ユリアナの、彼女の兄貴のレオンハルトと同じ色の、深い綺麗な黒曜石色の目が、俺をまっすぐに見上げる。こんな状況だというのに、俺は、涙で潤んだ目で見つめられて、不覚にも思い切り心臓をどきどきさせてしまった。男ってしょーもない生物だな……。
 いや、だから、そうじゃなくて。しっかりしろ、俺。
「レオンハルトが、ユリアナを泣かせるような真似を、今までしたことがあるか? ないだろ? ユリアナは、レオンハルトを信じてるだろ?」
 もしもレオンハルト自身が、ユリアナを納得させようとするなら、もっと理論立てて筋道立てて話をするだろうが、俺はそういうのは向いてない。言ってること無茶苦茶だが、下手な小細工で言葉を飾るよりも、俺の信じるままに言葉を連ねる方が、ユリアナだってほっとするんじゃないだろうか。……多分、な。
「レオンハルトが、ユリアナをこんなに泣かすわけがない。だから、その“闇将軍”ってヤツは、レオンハルトじゃない。何なら、俺が確かめてきてやる」
「……フリードリヒ、らしいわね……」
 暫く、じっと俺を見つめていたユリアナは、ぽつりとそう言った。
「……あなたの言葉で、何か安心できたわ。そうよね、私が兄さんを信じてればいいのよね。ごめんね、こんな簡単なことを忘れて、取り乱したりして。不安で心配なのは、私だけじゃないのにね……」
 そして、ユリアナは小さく微笑んだ。
「ありがとう、フリードリヒ。やっぱり、あなたのところに来て良かった」

 俺にとっての“覚悟”は、それだけで充分だった。




 翌朝早く、俺は再び、義勇軍の詰め所に赴いた。
 多分、前回来た時と、俺の顔つきは違っていたのだろう。前、俺に不合格を言い渡したおっさんは、俺の顔を見て、
「覚悟が出来たのか?」
 と言った。
「人を殺す覚悟なら、出来てません」
 俺は、正直に答えた。
「ガキの言う綺麗事だ、と思われても構いません。けど、俺に剣を教えてくれた祖父さんは、剣を単に人殺しの道具だと思うな、と言いました。何のために剣を使うのか、それをよく考えろ、と。俺は、人を助けるために剣を使う、その覚悟なら、出来ました」
 俺のその返答を聞いたおっさんは、暫く黙って俺を眺めていた。値踏みする、というと言い方はアレだが、そういう目で見られてる、と俺には感じられたから仕方ない。
 やがて、おっさんは思いもかけないことを、口にした。
「……お前の祖父という人は、ルーサー、という名前ではなかったか?」
「祖父さんを知ってるんですか?」
 思わず俺は訊いたが、おっさんは、見た感じ、祖父さんとオヤジの間くらいの年齢だし、祖父さんは、西方大陸から渡って来てフェラス村に居つく前は(どうやら祖母ちゃんに惚れたかららしい)、あちこち放浪してたって話だから、面識があったとしてもおかしくはないよな。
「お前の髪の色も目の色も、あの人によく似てるからもしや、とは思ったが……まさか、あの人が一つ所に居ついて、あまつさえ家庭を持つことになろうとはなあ」
 おっさんが苦笑する。
 ……祖父さんは、あんまり自分の昔のことを喋りたがらない人だったから、こんな形で祖父さんの過去に触れることになるとは思わなかったな。
「フリードリヒ・フィフテ」
 苦笑の気配が消えた声で、おっさんが俺を呼んだ。思わず、俺も居住まいを正す。
「お前の覚悟を認めよう」

 ぱっと、俺の顔はそんとき輝いたんだと思う。
「殺すか殺されるかの、命のやり取りをする現場に行く奴が、そんな嬉しそうな顔をするか」
「俺は死にませんよ」
 きっぱりと、俺は言った。
 そうだ、俺は死なない。死ぬなら、もっと早くに俺は死んでる。根拠の無い自信だが、その自信があれば、本当に、俺は死なない気がする。生きて生き延びて、この先、何があるのかこの目で確かめてやる。
 本当に、レオンハルトが“闇将軍”であるのかも!



 ……。
 …………。
「何でユリアナがいるんだ? ここに」
 隣のカールに、俺は訊いた。
 ちなみに、ここは、義勇軍の新入り挨拶の場である。
 義勇軍に入ることを、カールに告げると、カールは「俺も行く」と答えた。
「レオンハルトもいない今、お前の無茶を俺以外に誰が止めるんだ?」
 などと、俺が無茶をする、と決めてかかった理由で。
「だってフリードリヒ、どうせ無茶するでしょ。あなたが何所かで無茶して怪我してるんじゃないか、ってただ心配して待ってるなんて、私は嫌。それに、知りたいのは私だって同じよ」
 やっぱり、ユリアナも俺が無茶すると思っているのね……。
「でも、ユリアナ。俺達、戦いに行くんだぜ?」
 一応、言ってみた。
「看護兵ということで、認めてもらえたわ」
 お、俺の時とカールもユリアナも扱いがえらい違うじゃないかよ……。
 俺がそんな風にぼやくと、
「フリードリヒが危なっかしいからだろ」
「フリードリヒが危なっかしいからよ」
 ……異口同音に言われた。


 英雄詩(サーガ)に謳うには、いささかカッコのつかない始まり。まだ無名の、一介の義勇軍の兵士でしかなかった俺達の戦いの旅は、こうして始まったのだった。




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