Shadow Saga
Short Story6:side-Cain
「PRESENT」



「だからさ、何度もこうやって頼んでるじゃないか」
「俺も、何度も答えてるはずだ。俺は忙しいから無理だ、と」
 手にしたペンを止めず、時折、自分の両脇に積み上げた資料に目を通す以外は、顔も上げないカインに、なおもロナルドは食い下がる。午後の眠たげな光が窓から差し込んできて、カインの少女めいた繊細で美しい横顔を、絶妙な角度で照らし出していた。それこそ、御伽噺のお姫様もこんなに綺麗じゃないだろうな、などとロナルドは思うが、うっかりそんなことを口にすれば、目の前の彼の幼馴染は、射殺すほどの勢いで睨んでくるか、下手をすると殴られるに決まっている。何しろ、カインにとって、自分の、女顔に加えたほっそりと小柄で華奢な体格の――可憐なとびきりの美少女にしか見えない外見は、コンプレックス以外の何物でもないのだから。
 そうでなくても、今のカインはお世辞にも機嫌がいいとはいえない。まだ十代前半の少年が、王立学会に提出するための論文にかかりきりで、ずっと家に帰ることも出来ずに、士官学校と図書館と寝るためだけに借りている部屋を行ったり来たりするだけ、の日々を繰り返していては、気分も腐ってこようというもの。
 そんなカインを、ロナルドは、さっきからどうにかして外に連れ出そうとしているのだ。それはもう、いっそ、涙ぐましいほどの粘りだった。
「いいじゃないか、気分転換だと思えば」
「そんな気になれるか。後五日で、この論文、全部仕上げなくちゃならないんだぞ! くそっ、わざと締め切り二十日も間違えて伝えてきたんじゃないだろうな……」
「そこを何とか。頼むよ、この通りだから」
 伏し拝む仕草までするロナルドに、ようやくカインは顔を向けた。光の当たる角度と強さによって、色の変わって見える黒紫色の瞳に、呆れ返った表情を浮かべて、銀色の髪と黄金に近い琥珀色の瞳を持つロナルドの顔を映している。
「あのな……お前、セシリアへの誕生日プレゼントを買いに行くくらい、一人で行けなくてどうする」
 溜息混じりに、カインは、自分の彼女へ贈るプレゼント選びを手伝ってくれ、と頼んでくる幼馴染に、説教めいた口調で言った。
「だって、初めての誕生日プレゼントなんだよ? いきなり贈り物に失敗したくないじゃないか。カインなら、セシリアのこと、僕よりよく知ってるだろ?」
「親戚だからな」

 カインが、ロナルドにセシリアを紹介してから、半年ほどになる。
 セシリアは、金色の髪と瑠璃色の瞳の、美貌の少女である。今でも十分に美しいが、将来はもっと美しくなって、おそらく、「絶世の美女」などと呼ばれるだろうことは、想像に難くない。
 そんな少女を、どうして幼馴染で親友だとはいえ、他の男に紹介できるのだろう、とロナルドはカインに訊いた。
『親戚っていったって、結婚できるくらいの遠縁なんだろ?』
『は? ……俺が? セシリアと?』
 それに対し、カインは、心底驚いた、という反応を返したのだ。
『よせよ、セシリアは俺なんか眼中にないさ』
 そして、そう付け加えて、何の含みもない顔で、カインは笑った。

「セシリアを僕に紹介したのは君。だから、君はセシリアへのプレゼント選びに、付き合う義務があるよ」
「何だ、その無茶苦茶な、理由にもなってない理由は」
 カインが小さく眉間を顰める。
 ロナルドとカインは同じ年齢だが、カインは年相応、という言葉が全く似合わない少年だった。既に父の公爵位を継いでいる、というだけでない。神童、と称され、専門家とも対等に議論が出来るほどに、思考も言動も恐ろしいほどに大人びている。いや、大人になり過ぎている。
 そのせいかどうか、カインはロナルドの「押し」には、かなり弱かった。
 孤児のロナルドは、自分の立場を卑屈なまでにわきまえていて、おおよそ、我侭など言ったりしない「良い子」として振舞ってきた。カインは、そんなロナルドにとって、初めて得た同世代の友人で、初めて心を開き、何の気兼ねもしないでいい相手だった。
 何だかんだと文句を言いながらも、カインはロナルドを放っておけないのだった。
「ひどいよカイン、僕と論文と、どっちが大事なのさ!」
「……嫌な言い方するなお前……」
 頭痛を堪えるように、カインはこめかみに手を当てた。
 それから、いかにも、やれやれ、という仕草でペンを置き、テーブルに手をついて立ち上がる。

「……俺は、お前を甘やかしすぎた、と今になって反省してる」
「何だよカイン、僕のお母さんみたいなその言い方はー」
「ついていくだけ、だからな」
「うん!」
 そんなに喜んでどうする、とカインが思うほど、ロナルドは顔を輝かせた。


 王宮前の大通りには、様々な店が並んでいる。王宮に近くなればなるほど、高級な宝飾品や絹織物、絵画や彫刻品などを扱う店が多くなる。そういった店の前は足早に通り過ぎ、カインは女性向けの帽子や靴や装飾品などを扱う店が並んでいる通りに向かおうとしたのだが、急にロナルドに手を掴まれた。
「な、何だ……何処に行くつもりなんだ、ロナルド?」
 不審な目を向けるカインに、ロナルドは答えず、ほとんど強引にカインを引っ張っていく。
 見かけよりも、はるかに膂力が強いカインだが、流石に一回りも体格の大きいロナルドに、本気で単純な力押しをされると敵わない。カインの面上に、警戒の色が浮き上がるのを知ってか知らずか、ロナルドは短く、「来れば分かるよ」とだけ言った。
 

 ロナルドがカインを連れて行った先は、職人達の工房が立ち並ぶ裏通りだった。
 そのうちの一軒の扉を、ロナルドは軽くノックしてから、勝手知ったる、という様子で開いて中に入る。
 そこは、原石細工の工房のようだった。何かの形になりかけの石やら、大理石の駿馬やら、削りだされたばかりの鉱石やら、が無造作にあちこちに置かれている。
「親父さーん、あれ、出来てる?」
「おう、坊主か。出来とるぞ」
 ロナルドの呼びかけに応じて、工房の奥から、のそりと出てくる髭面に、カインは見覚えがあった。確か、宮廷にも品物を納める、細工師だ。
 細工師は、ロナルドの隣のカインに目をやって、豪快にがははと笑う。
「何だまた今日は、この前とは違う、またえらい別嬪のお嬢ちゃん連れじゃねえか。隅に置けねえな、え、色男?」
「やだなあ、親父さん。カインは女の子じゃないよ。大体、あれは女の子に贈るものじゃないだろ」
 ロナルドと二人で歩いていると、友人同士というよりも、微笑ましいカップルに見られるのはいつものことなのだが。それはそれとして、ロナルドがわざわざここに自分を連れてくる、その理由が分からない。しかもどうやら、前はロナルドは、セシリアと一緒に来ていたらしいが……。何かを頼んだ? それが、俺と何の関係がある? カインは、その場に突っ立って、狐につままれたみたいな表情で、ロナルドと細工師のやり取りを黙って見ていた。
「カイン、これ」
 すると、ロナルドがカインの手を取って、掌の上に何か重みのあるものを載せた。
「これ……」
 それは、水晶細工の竜だった。カインの手の上で、今まさに飛び立たん、としている飛竜。その姿は、明らかに、カインが駆る、白銀の飛竜ハイウェッツを意識して造られたもの。既に奥に引っ込んでいる細工師に、ロナルドが依頼して造ってもらったものだ、とは想像に難くないが。
「おい、ロナルド」
 これを俺に、お前がくれるというのか、そもそも今日はセシリアの誕生日プレゼントを選びに来たんじゃないのか、これは一体、どういうことなんだ。
 カインが具体的な疑問の言葉を口に出す前に、ロナルドは種明かしをした。
「誕生日」
「え?」
「今日、誕生日だろ、カイン。14歳の誕生日、おめでとう。それは、僕とセシリアからの君へのプレゼントだよ」
 カインは目を見開いて、ロナルドと水晶の竜を見比べた。それから、頭の中で暦を思い出し、今日の日付が、確かに自分がこの世に生まれてきた日と一致することを確認した。
「……そうだったか、忘れてた……」
「そうだろうと思ったよ」
 ロナルドが苦笑する。
「まあ、君、それどころじゃないしね、今。でもまあ、おかげで、サプライズ・プレゼントって感じになって、かえってよかったかもしれないけど」
「だったら……わざわざ、俺をここまで引っ張り出してこなくても」
「そうだけどさ。最近、カイン、元気ないし、顔色もあんまり良くない気もするし。図書館でこれ渡しても、何か軽く流されそうだったからさ」
「……」
 だから、ロナルドは、あれほど執拗に、カインを外に連れ出そうとしていたのだ。
 カイン自身が、すっかり忘れていた、カインの誕生日に祝福の気持ちを示そうと。
「カイン、改めて誕生日おめでとう。君が生まれてきてくれて、僕と友達になってくれて、僕は本当に嬉しいよ。それは、ささやかな感謝の気持ち。小さい時からずっと一緒だったから、今更、かもしれないけど」



 そうだ。
 ずっと、一緒にいた。
 だが、ロナルドと自分の道が、少しずつ軌道をたがえ始めているのを、カインは意識していた。
 ずっと、一緒にはいられない。
 確証はない。しかし、それはカインにとって、確信めいた予感だった。

 ……俺は、他人を、殺したいほど憎むことを、覚えてしまったから……。

 カインの手の中で、翼を広げた水晶造りの竜が、ぽつりぽつりと点り始めた窓から入ってくる街の灯を受けて、静かに煌いた。
 自然に、カインの顔に、微笑が浮かんだ。
「……ありがとう。大切にする」
 いつかは、崩されるかもしれないこの平穏だけれど。
「うん、後でセシリアにもお礼言っておいてくれよ。セシリアと共同出資なんだから」
「ああ」
 自分に、生まれてきてくれて嬉しい、と言ってくれる人がいる。



 今だけは、生まれてきて良かったと、思っても良いですか――。




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