Shadow Saga
Short Story2:side-Cain
「…You…」
僕は、初めて会ったときから、ずっと君の背中を見ていたような気がする。
『今日から、この子も一緒にここで暮らすことになる。きっと、お前といい友達になれるだろう』
陛下に、そう君を紹介されたときから。
色の薄い髪を持った人が多いこの国で、君は浮き上がるような闇色の髪をしていた。僕よりも小さくて、細くて華奢で、ちょっと信じられないくらいに整った、とても綺麗な顔立ちをした君。
可愛い女の子にしか見えなかったその子は、だが、その姿に似つかわしくない、とても強い“意志”を持った眼をしていた。光の強さや角度によって、色が変わって見える不思議なその瞳は、可憐で儚げな容姿の印象を、見事に覆していた。
幸せを、突然、理不尽に奪われた子供は、年齢よりも早く大人になって、その悲しみに必死で耐えていたんだ。
君は、何時だって僕より前を歩いていた。僕が君に追いついたかな、と思うと、するりと脇をすり抜けるみたいにして、また君は僕の前を歩いている。僕は君が太陽みたいに眩しかった。
君ときたら、背も小さくて身体も細くて、顔も女の子みたいだったのに、中身ははっきり言って、僕よりも遥かに男らしかった。ものはずけずけ遠慮なく、一刀両断にするように言うし、外観を裏切って腕力は強いし。
しょうがない奴だ、と文句を言いながらも、よく君は氏素性の知れない、孤児の僕の面倒をみてくれたね。君は公爵位も持つ、由緒正しい貴族の家の出身だったけど、そんなこと、全然気にもせずに。
楽しかったね、幸せだったね、あの頃は。君も僕も、何も知らなくて。
彼女を、紹介してくれたのも、君だった。金色の髪と瑠璃色の瞳の女の子は、君の遠縁の親戚で、やっぱり綺麗な子だった。ああ、でも内緒だよ。本当は、君の方が綺麗だなあ、と僕が思ったことは。
僕達はすぐに好きあって付き合い始めたけど、君はそれを望んでいた様子だった。
……僕達、結婚したよ。
祝福してくれるかい?
君は、とても綺麗な顔で笑った。その笑顔が、僕はとても好きだった。元々、綺麗な顔立ちが、笑うともっと綺麗になった。
君はいつも堂々としていて、毅然として誇り高かった。だから、僕は気付かなかった。何時しか、君の、その綺麗な顔が時々曇ることがあったことを。
君が――人知れず、激しい憎悪を胸の中で密かに育てていたことを。
それでも、やっぱり君は眩しかった。
一つだけ、僕が確実に君に勝っていたのは、身長だった。しかしそれすらも、17歳の誕生日を迎えた後の君は、急に背が伸びて、あっという間に僕を追い越してしまった。あの時は、君は本当に嬉しそうだったね。僕は少し悔しかったよ。今まで見下ろしていた相手に、見下ろされるというのは。
背丈に合わせるように、外見もすっかり男らしくなって、君は亡くなったお父さんの後を継いで、竜を駆って空を翔ける騎士となった。
僕はきっと、君に憧れてもいたし、羨んでもいたし、嫉妬を抱いてもいた。
君はいつも自由で、手を伸ばして捕まえようとしても、風を掴むみたいに、捕まえることが出来なかった。僕の前を常に歩き、僕の手の届かない場所にいる君。
君は、ずっと“誰か”を探していたね。
誰かを愛したい、自分が愛するのと同じくらい、その誰かに愛されたいと。一方的に庇護されるのではなく、一方的に庇護するのではなく。
僕は、一番君の近くにいた人間だろうけど、僕はその“誰か”じゃなかった。一番、気の措けない幼馴染ではあっても、僕は君の後ろを歩いていた。君が探していたのは、一緒に隣を歩いていける人だったね。
そして、僕達は正反対の宿命を持つ者同士だった。
僕は光の、君は闇の。
僕は混乱した。
誰もが君を罵り、蔑んだ。けれど、僕はその感情には同調できなかった。君がどんなに罪無き人々を殺して、生まれ育った国を蹂躙して、――僕を殺そうとしても、僕には、どうしても君を蔑むことが出来なかった。
束縛を放たれて、帰ってきた君の綺麗な顔からは、綺麗な笑顔が消えた。元々、多いとはいえなかった口数は、更に減った。
君に憧れていた。君を羨んでいた。君を妬んでいた。でも、僕には君を蔑む感情だけは、生まれてこなかった。
多分、君は僕に酷く扱われていた方が、気が楽だっただろう。誇り高い君は。自分が許せなくて。憎むことが出来たのなら、いっそお互い楽だったろうね。
君は言った。『所詮、俺は“道具”に過ぎない。その程度の価値しか無いことぐらい、知っている』と。
僕にはそう思えなかったんだよ。
だって、君は傷ついていたじゃないか。僕に見せる背中は、どうしようもなく傷ついていたじゃないか。
そのくせ、自分の傷には君は本当に無頓着だった。
君は、僕の大事な幼馴染で。それでいて、僕の手の届かない場所にいて。
寡黙で、無愛想で、誰にも本音を洩らさない。
黙って他人の言葉を受け入れるくせに、気楽に僕とくだらない言い合いもするくせに、自分の心の底を、君は誰にも見せない。
知っていた。君は、一人で、解決しようとしていたことを。全ての災いを。もう、僕達の手を汚さないようにと。これは、血に汚れた自分のするべきことだからと。
違う。君は全然、汚れてなんかいない。輝きを、堅く中に閉じ込めてしまっただけで、君は汚れてなんかいないんだ。失くしていないんだ。
そうだろう? どんなに傷付けられても、どんなに罪に穢れても、君は最後の誇りを失っていない。君の魂は、高潔さを失っていない。
そうでないというなら、君の目は、どうしてあんなに鋭く澄んでいた?
強いくせに脆くて、冷静なくせに激しくて、優しいくせに優しくされるのは苦手で、豪胆なくせに繊細で、皮肉っぽいくせに純真で、――激しい二面性を持つ君。そんな君に、僕は確かに惹かれていた。
――カイン。
君は、本当に、皆が言うように死んでしまったのか? それとも、何処かで生きているのか?
望まない罪に堕ちた君。君は、その罪の贖いのために、本当にその命を差し出したのか?
この眼で確かに見たのに。崩壊する闇の中に、君が飲み込まれていったのを、目の当たりにしたのに。僕には、今、ここに君がいないという、とても簡単な事実が、未だに信じられない。
僕達は、君の命と引き換えに、未来を手に入れたのか。
カイン、このところずっと、眼が回るみたいに忙しくて、つい君が以前のように僕の傍にいるつもりで、君の名を呼びそうになったことが、何度もあったよ。君はいないのに。
こうして、君がいないことが「当たり前」になり、僕はそのうち、君の背中しか思い出せなくなるんだろうか。
「カイン」
声に出して、君の名を呼んでみる。
僕に答える声は、無い。
Copyright (C) 2003 Ryuki Kouno.