Shadow Saga
Short Story10:side-Cain
「Dance Party」
王政国家において、国王というものは絶対たる権威を持つ。
「どうしても嫌かね」
「絶対に嫌です」
である筈が、ヴィエナ国王ライオネルの執務室に呼び出された少女は、完璧な礼儀を保ちながらも、頑なに王の要請を断り続けているのだった。
いや、少女と見えたのは誤りで、少年だ。線が細く、可憐きわまりない、美しい容貌を持っているが、身に纏っているのは、無骨な士官学校の制服である。ヴィエナの国法では、女子は軍人になれないことが定められている。何よりも、その両眸に表れている鋭い光は、少女のものではありえまい。
少年は、軍事教本そのままの、模範的な姿勢をとりつつ、淀みなく言葉を述べた。男のものとも女のものともつかぬ、変声期前の妖精の声音は、高く澄み渡った青空を思わせる。
「私が、まだ成人前の、社交界にも出ていない、名ばかりの形式的な公爵であることは、陛下とてご存知のはずでしょう。そんな子供を、こともあろうに、新たに盟約を結ぼうとする国の第一王位継承者をもてなす宮廷舞踏会に出席させて、単なる好奇の的にするような真似をされては、ヴィエナ王国、ひいては陛下ご自身の御威光にも関わりましょう、と何度も申し上げております」
「……お前と話していると、子供相手だとはとても思えんがな、カイン」
苦笑しながら、壮年に差し掛かったライオネル王は無髭の顎を撫でた。
アーヴィノーグ公爵、カイン・H・ハーバート・アーヴィノーグは、類稀なる美貌を、にこりともさせない。ただし、観察力のある人間、あるいは彼と親しい人間ならば、カインが半分、不貞腐れた表情をしているのが分かるだろう。無論、王にはそれが分かる。カインが6歳の時から、故あって6年間、王宮で彼を引き取っていたのだから。実子のいない王にとって、カインは我が子のような思いがあるが、当のカインは、あくまでも王の臣下たる礼を崩そうとしない。
「子供ですよ。子供だから、こうして陛下に向かって、無礼を言うことが出来るんです」
「この場合、お前が舞踏会に出席してくれないことの方が、私に最大の無礼を働くことになるんだがね」
「……その外交官、外交使節に向いてませんよ。こんな話題で、相手の関心を惹こうだなどと」
ヴィエナ王国が、ほぼ鎖国状態に近かった山間の王国、サーディニア王国と同盟関係を築くという事案が決議されたことに、このやり取りは端を発する。
サーディニア王国は、良質の鉱石を多数採掘できる鉱山を幾つも抱えている。立地条件から、諸外国と戦争することも交流することも多くなく、独自の文化を育ててきた。だが、山間国であるために、農地はあまり多くない。その多くない農地で近年、不作が続いているため、今までの鎖国を解除し、豊かなヴィエナに鉱石の大規模輸出を交換条件とした、食糧援助を求めてきたのだ。ヴィエナにとっては、決して悪くない条件だったため、正式に盟約を結ぶことが、さほど議論もなく決められた。
その時、外交交渉に赴いた外交官が、話題の弾みにぽろりと、「ヴィエナには竜騎士になることが定まっている、弱冠15歳の公爵がいる」と洩らしたら、サーディニアの第一王子、リチャード・S・ジェファースンは、いたく興味を示し、自らが盟約締結のために国王代理としてヴィエナを訪れる、と言い出したらしい。
無論、ヴィエナとしては、他国の第一位王位継承者という、最高級の国賓を迎えることになるわけで、国を挙げて歓迎の意を示すことになる。宮廷で開かれる舞踏会も、近年、例を見ないほどの華やかなものになるだろう。
その場に、話題となったアーヴィノーグ公爵が出席しないとなると、外交的に問題とまではいかなくとも、いささか気まずいことにはなろうというもの。
カインとしては、確かにいずれは、士官学校を卒業して成人すれば、正式に社交界に出ることになる。だからといって、その前の予行演習などと称して、見世物にされるのは真っ平ごめん、といったところである。身内の人間に散々言われているため、自分の外見がとにかく目立つものであることを、嫌々ながらもカインは自覚はしているのだ。
「とにかく、嫌なものは嫌なんです。アーヴィノーグ公爵は病欠だ、とでも言っておいてください」
ライオネル王は、カインを幼い頃から知っている。たおやかにすら見える、端麗な姿からは想像もつかないが、ほとんど頑固と言っていいほどに、意志強固であることも。そこで、王は非常手段に訴えることにした。
「では、命じることにしよう。アーヴィノーグ公爵、サーディニア王国リチャード王子を歓待する宮廷舞踏会に出席するように。後ほど、正式に勅書を発行する」
急に鹿爪らしくなった王の言葉に、カインは絶句した。不可思議な神秘を湛えた黒紫色の瞳を見開いた様は、一人前の大人びた言動とは裏腹に、年相応に可愛らしい。
ようやく、カインは内心の感情を、表立って顔に乗せた。
「……陛下、面白がっておられますね?」
むっと口元を曲げたカインに、王は鷹揚に笑ってみせる。
「まあ、この際、自慢の子供を見せびらかしてやりたい、馬鹿な親心だと思ってくれ」
「だったらロナルドを出席させてはいかがです。私は一時期、ロナルドの学友として王宮で育っただけで、あくまでも陛下の臣下の身にすぎませんが、ロナルドは間違いなく陛下の養い子でしょう」
「あれはまだ、公式の場に出せる宮廷儀礼が出来ていない。ダンスの練習のたびに、お前の足を踏んでいるようではな」
王は大仰に溜息をついた。カインは、またはぐらかしたな、とは思ったが、ロナルドの苦手なダンスの練習に付き合わされるたびに、足を踏まれたり、巻き込まれて一緒に転倒させられたりしていることは紛れもない事実なので、慎ましく臣下の立場を守り、なるほど、という風に頷いた。
ロナルドという少年が、本当は何者であるか。王宮で王の養い子として育てられながら、ヴィエナ王家の姓である“グロウヴナー”を名乗ることなく、そのために王位継承者の資格も持たず、殿下、と呼ばれることもない。彼はただ、“ロナルド・ハースト”という姓名をもって、宮中にいた。その、何もかもの理由を、王は「まだ、時ではない」と一切を語ろうとしない。ロナルド本人にさえも。
である以上は、当人以外がとやかく詮索したとて、益体もないことだ。ただ、ヴィエナ王国が王権を頂点とする国家であるからには、国王に世継がいない、という現状はあまり喜ばしい事態ではない。ましてや、王はもう若い、といえる年齢ではないのだ。歴史に度々記された、世継のいない王をめぐる権力闘争は、あまりに血腥(ちなまぐさ)く、血をインクとして書かれているのではないかとも思わせる。その昏い歴史に、新たな一ページを付け足すことなど、心ある者であれば望むまい。
とはいえ、それを、礼を失しない範囲での、厭味の種にするしないは自由である。
「新たに王妃をお迎えになり、陛下ご自身の御子をもうけられた方が周囲も静かになるし、憚りもなく我が子自慢も出来て良いと思いますが。この際ですから、サーディニア王家かそれに連なる家より、相応しい女性を娶られるのも、政治的に有効な選択かもしれませんね。まあ、未熟な臣たる私が、とやかく諫言など出来る立場などではありませんけれども」
まるきり老臣の言いそうな台詞を口にして、カインは肩を竦め、次いで、
「ところで、そろそろ午後の授業が始まりますので、学内に戻ってもよろしいでしょうか」
と、辞去の許可を求めた。王は鷹揚に頷いたが、ふと何かを思いついように、カインを呼び止めた。
「カイン、礼服はどうする?」
「宮廷舞踏会に士官学校の制服で出席するわけにはいかないでしょう。着るのは一回きりになってしまいますが、新しく作ります」
「ドレスなら用意させるが?」
どうやら、王はそれが言いたかったらしい。
「本気で怒りますよ、陛下」
そう言いながら、優雅な礼を施して、カインは王の執務室を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
優美な楽の音が流れ、人々が笑いさざめき、着飾った紳士と淑女が舞い踊る。貴婦人の翻るドレスの裾が、咲き乱れる花びらに似ていると思うのは、軽やかな動きと共に鼻腔を微かにくすぐる、花の香りのせいもあるだろうか。薔薇、百合、ジャスミン、スズラン、ミモザ、リラ、フリージア、アイリス、ヒヤシンス……。色とりどりのドレスに、香水が匂いたち、まるで人工の花畑だ。耳や髪、襟元に連ねられた宝石が照明に煌いて、更に彩りを添える。
さりげなく壁際まで退いたカインは、舞踏会の様子を所在無げに眺めていた。
(それにしても、疲れた)
内心で、こっそりと溜息をつく。
西方大陸ではほとんど見られない艶やかな黒い髪を持ち、神童としても名高い、美少女と見紛うばかりの15歳のアーヴィノーグ公爵は、まだ士官学校生ということもあり、噂の割にはその姿を見たことのある人間は、多くなかった。そんな珍しさも手伝い、カインはほとんど身動きもままならぬほどの包囲を受け、喉が嗄れるほど絶え間なく話し続ける破目になった。ちなみに、一番多かったのは、自分の娘を娶(めあ)わせたいと願う貴族や軍人だった。無理もない。公爵位を持つ上に、高級士官たる竜騎士になることが、生まれながらに決まっているカインには、定まった婚約者がいないのだ。
成人して、正式に社交界に出ざるを得なくなったら、この先どうなることやら。一番いいのは、早く身を固めることだろうが。
人の波が途切れた一瞬を見計らい、カインは素早く、目立つ姿を目立たない場所に移した。幾重にも垂れ下がるカーテンの陰に、小さい体は上手く隠れることが出来た。
遠くに、白に近いプラチナブロンドの頭が見える。
(あれが、リチャード王子か)
カインよりも、4歳年上の、19歳のサーディニア王国王子は、王族らしい気品よりも、気さくさや愛嬌の方が勝っている雰囲気を持っていた。
ふと、カインの視線に、別の視線がかち合った。青緑色の、リチャード王子の目が、カインをまともに見て――子供のように破顔した。そんなに王子を凝視した覚えはないカインは、やや狼狽したが、今夜の国賓が、真っ直ぐに自分の方に向かってくるのを見ては、隠れている場合ではなかった。二歩進み出て、最上級の礼をとる。
「アーヴィノーグ公爵?」
やがて、快活な声が、楽しげにカインを呼んだ。人懐こい笑いを浮かべて、サーディニア王子リチャードは、カインの前に立っていた。カインは、儀礼的な笑顔で、それに答える。
「お目にかかる光栄に浴しまして、欣喜(きんき)にたえません、リチャード殿下」
「こりゃ驚いたなぁ。15歳の公爵がいるとは聞いたけども、可愛い女の子だとは聞いてなかったぞ。にしても、黒い髪は初めて見た、綺麗なもんなんだな。長かったらもっといいのに」
「は? いえ殿下、私は」
カインは、よくされる勘違いを訂正すべく、口を開いた。だが、リチャードは、無遠慮にカインの全身を眺め回して、抗弁しようとする言葉を遮る。
「よく通俗小説なんかにある、アレだろ? 跡継ぎの男がいないから、女の子を男として育てて家を継がせるってヤツ。アレ、無理があるよなあ。その代で家が潰れなくても、その後どうすんだっての。女の子がどんなに男になりきったって、女の嫁さん貰うわけにもいかないし、貰ったとしても、絶対に子供が生まれっこないのに」
「いえ、ですから、私は本当に」
王子という肩書きに似つかわしくない、リチャードの市井の若者めいた口調に軽く面食らいつつも、カインは何とか相手の誤解を解こうとした。
カインを初めて見た人間は、間違いなく彼を少女だと思う。容貌の繊細な美しさは勿論、華奢な体型が少年よりも少女に近いからだ。今夜、カインが身に着けている白い礼服は、とろりとした絹が、必要以上に彼の華奢さを強調し、必要以上に彼の体の線を柔らかく見せていた。ベルトで締められた腰が、コルセットを着けた女性を連想させる細さであることも、彼を女性だと思い込ませる理由として大きいだろう。
「私は、本当に女性ではないのです。何なら、確かめても構いませんが」
「今からこの場を抜け出して、ベッドへ? 女の子が男の前で服を脱いだら、することっちゃあ、一つだぜ?」
リチャードは面白そうに、カインを見る。カインは、露骨な冗談に鼻白んだものの、わざと挑発的な目で、リチャードを見返した。
「……殿下には、ご納得いただけないようですが、確認できたらそんな気になれないでしょう」
「俺としては、君みたいに綺麗で可愛い子とだったら、今すぐそうしたいところだけど。流石に、国賓としてここに来た以上は、無理だわな。それに」
不意に、リチャードが手を伸ばした。一瞬、カインは体を強張らせる。人に触れられるのが、カインは苦手だった。
リチャードは、手袋に包まれているカインの手を取った。
「女の子が大事に抱え込んでいる秘密を、曝(さら)け出させるのはあんまり趣味じゃないんでね」
秘密も何も俺は本当に女性じゃない、あんたが信じないだけだ、とカインは口の中で毒づいたが、無論、リチャードに聞こえる筈がない。もしも、この心の声がリチャードに聞こえたら、リチャードはカインに対する認識を改めたかもしれないが。
しかし、カインは、内心はともかく表面上は、公爵としてあくまでも典雅な礼を崩さなかったため、どうやら異国の王子様の思い込みを覆すのは難しそうだった。
「ま、その代わりと言っちゃぁ何だが、一曲付き合ってくれよ、公爵? 何、君が公式には男で通っていたって、俺はこの国の風習には無知な異国人だ」
そう言って、リチャードはカインの手を引いた。それは、高貴な婦人をエスコートする仕草だった。
やっぱり、病欠するんだった。カインはそう思いながら、マントの裾をドレスよろしく摘み上げて、諦めた様子で、静かにサーディニア王子に導かれ、広間の中央に出た。
今だけ辛抱していれば、どうやら女性に興味を持ちやすいと見えるリチャード王子は、そのうち自分のことなど忘れてしまうだろう、と、カインは肚を括ったのだ。
ざわめきが深くなる。カインは、視界の隅で、ライオネル王が呆然と愉快をない交ぜにして、自分を見ているのを捉えた。
ワルツの旋律が、高く低く響く。音楽に合わせて、サーディニア王子と、アーヴィノーグ公爵はステップを刻み始めた。
腰を抱く手の強さが気になるが、踊り手としてのリチャードは、いつもカインが付き合わせられて女性用のステップを踏む相手よりも、遥かに優秀だった。もっとも、ロナルドと比較されては、誰でも優れた踊り手になるだろうが、それを差し引いても、リチャードは正確で力強い、男性的な魅力に溢れた踊り手である。
舞曲と共に揺れる白いマントは裳裾に似て、それを纏うしなやかな体は軽やかに旋回し、華麗な足運びは見事に音楽と調和し、カインは一曲の間、完全に女性の役割を演じた。さながら、男装の麗人、そのままに。
「何だよ、やっぱり、ちゃんと女性のパートで踊れるじゃないか」
曲が終わり、割れんばかりの拍手喝采の中、相変わらずカインの手を握ったまま、リチャードは可笑しそうに囁いた。意図的に、拍手に軍式の礼を返しながら、カインはリチャードとは逆に生真面目な顔で答える。
「驚嘆すべき、ダンスの下手な友人がいましてね。練習に付き合わされるのに、覚えただけです」
その返答に、ふうん、と気のない返事をしたリチャードは、何かに思い当たったように、口を開いた。
「そういや、君……君自身の名前は?」
「カイン。カイン・ヘクトール・ハーバート・アーヴィノーグです、殿下」
「男名なんだな」
「当たり前でしょう」
カインが呆れた口調でそう言うと、リチャードは笑いを消し、真剣な表情になった。
急に、ぐいとカインは強い力で引かれたため、体の均衡を失って、リチャードの胸に抱きこまれる形になった。何を、と顔を上げると、そのまま顎を上向かされ、唇を重ねられる。のみならず、ゆるりと唇を舐められ、上下の歯列の間を舌で割られそうになり、カインは慌てて懸命に身を離した。
「……なっ……」
絶句するカインに向かって、リチャードは片目を瞑ってみせた。
「カイン、3年か4年か後に、また会えることを楽しみにしてるぜ。今も充分可愛いけど、きっと、もっと佳い女になってるだろうな。そのときは、ちゃんとこの綺麗な髪も伸ばしてドレスを着て、俺の前に現れてくれよな」
カインは、心底から、今夜の舞踏会に出席したことを後悔したが、正しく後の祭りだった。
ヴィエナ王国アーヴィノーグ公爵カインと、サーディニア王国第一王子リチャードの、このようないささか奇妙な初対面の後。
4年の歳月を経て、カインはリチャードと、無残な再会をすることになるのだが、それはまだ、この時は未来の支配下にある出来事でしかなかった。
Copyright (C) 2006 Ryuki Kouno.