衛宮邸歳時記

逃亡者


 いつものように、釣り道具をぶら下げて港にやって来たランサーは、そこに、出来たらいて欲しくない人影を見てしまった。
 潮風に白い髪をそよがさせる、褐色の肌持つ長躯。ランサーと正反対の性格を持つ、頑固で融通の利かない、超ド級石頭の弓兵のサーヴァントだ。
 幸先悪ぃ、と口の中で零す。
 しかも、何故かその男は、ランサーお気に入りの指定席に陣取っている。
 が。
(……何やってんだ、あいつ?)
 いつもなら、異様にキメキメの釣り人(アングラー)スタイルで、投影した(パチもんの)釣竿を構えているはずが、今日の彼は普段着のままで、腕は胸前で組まれていた。更には、心なしかいつも以上に眉間の皺も深いようだ。
 ランサーの楽園へのその闖入者は、胡散臭げに自分を見やる視線に気付いたのか、体ごと振り向いた。
「ああ……ランサー、君を待っていた」
「はぁ?」
 全く思いも寄らない言葉をかけられたせいで、ランサーはぽかんとした表情になり、その拍子に口に咥えられていた火のついた煙草が、ぽろりと零れる。しかも、よりにもよって、この日のランサーはビーサン(別名:ゴム草履)を履いていて、煙草は重力の慣性のまま素足の上に落ちた。
 見事に根性焼き一丁上がり、である。
「ぅおあち、あぢぢぢぢぢぢぢ!!」
「……咥え煙草などで歩いているからだ、行儀の悪い」
 痛みと熱さを紛らわせるためにか、足を抱えてぴょんぴょんと辺りを飛び跳ねまくるランサーに、アーチャーは火傷も治りそうなほど冷淡な視線を向ける。
「うるせえ、そもそもはテメェが人を驚かせるようなこと言うからだろうが!!」
 しまいにしゃがみ込んで、煙草が落ちた箇所に息を吹きかけつつ、ランサーは若干涙目で抗議した。いくらサーヴァントが本質は霊体であるといっても、現界して実体がある以上は、痛いものは痛いし、熱いものは熱いのだ。
「む」
 ランサーを相手に、いつもの皮肉でも厭味でもない台詞を開口一番口にした、確かにらしからぬ己という自覚はあるのか、アーチャーは不器用に目を逸らした。
 それから、わざとらしい咳払いを一つする。
「私は、その、君に訊きたい事があるのだが……」
「オレに?」
 蒼き槍兵は、赤い瞳に微かに好奇心の色を閃かせる。よもや、この基本的に態度がでかい男から相談、らしきものを受けようとは。何をそこまで切羽詰っているのか、聞くだけは聞いてやろう、とランサーはアーチャーに改めて向き直った。
 何だ、とランサーが視線だけで促すと、アーチャーは口を開いた。
「君は人使いが荒すぎるから、という理由でマスターから逃げ続けているだろう。……それで、上手い逃亡方法のコツなどあるのなら、是非教えてもらいたいと思ってな」
「逃げるって、まさか嬢ちゃんからか?」
「そうだ」
 是、と頷くアーチャーに対し、意味分からん、という顔でランサーは首を傾げた。
「お前、今は嬢ちゃんと契約してないんだろ? だったら、霊体化しちまえば、嬢ちゃんはお前が何処行ったかなんて分からねぇじゃねえか」
「だが、セイバーやライダーには分かる。それでは意味が無いのだよ」
「……? お前、何かやったのか。何でそんな大掛かりな捜索が行われるんだよ」
 ランサーの素朴な問いかけに、アーチャーは実に苦々しい顔つきを見せた。何だ? 何かオレ、悪いこと訊いたか? と、一瞬、ランサーが思ってしまったくらいに、劇的な表情の変化だった。
 しかし、アーチャーにそれをもたらした原因は、どうやらランサーではなかったらしい。
「悪いが、続きは後だ」
「あ?」
「凛が来た」
 と、アーチャーはすうっとその体を不可視の霊体にさせた。ランサーには、あの赤い少女がこちらに向かってくる様子など見えなかったが、“鷹の目”を持つアーチャーには見えたのだろう。
 とりあえずは、ランサーは初志貫徹することにして、頭を一つかくと釣り竿を準備し、海へと向かっていつものように胡坐をかいた。

 果たして。
 本日の釣果を、早速ランサーが釣り上げた時。
「ランサー! アーチャー見なかった!?」
 黒髪の美少女が、怒りの表情も露わにその場に現れた。当のアーチャーは実はすぐその場にいたりするのだが、普段の言動からは思いも寄らぬ義理堅い性格を持つ槍騎士は、水を張ったバケツに鯖を放り込みながら、その件に関してそらっとぼけた。
「いンや見てねえ」
 見えてないのは本当だし。
 ランサーの答えに、凛はそう、と少し忌々しげに唇を噛んだ。
「全く、何処に行っちゃったのかしら、アーチャーのヤツ……」
「何だよ、嬢ちゃん。アーチャーを探さなきゃならんようなことが、何かあったのか?」
 新しい餌を釣り針に取り付け、海面へと投擲しつつ、ランサーはアーチャーからは答えを得られなかった質問を、凛に向けた。
 凛は、はぐらかすでもなくあっさりと答える。
「誕生日よ」
「誕生日ぃ?」
 鸚鵡返しに、ランサーは凛の言葉を繰り返した。
 個々の生まれた日を祝うという風習は、ランサーが生きていた当時には無かったが、現界に当たって聖杯から現代の知識を得ている身としては、それがある意味祝日にも伍するほどにめでたい日である、ということは理解している。
 だが、それがアーチャーの逃亡理由とどう繋がるのかと思いきや、凛が種明かしをする。
「衛宮くんの誕生日が、今日なのよ。だから、一緒にお祝いしようって言ったら逃げ出したのよ!」
「あー……」
 思わず、ランサーはアーチャーの眉間の皺の深さを納得してしまった。今は姿の見えないアーチャーは、ランサーの近くでさぞかし苦りきっていることだろう。
「そりゃ嬢ちゃん、ニコイチ扱いされて拗ねたんじゃねーの、あいつ? 坊主と一緒にされると、アーチャーのヤツが機嫌悪くするのは分かってたことだろ」
「だってしょうがないじゃない。アーチャーがどれだけ否定したところで、アーチャーが過去に衛宮士郎だったことは事実なんだから、誕生日だって同じ日でしょ。大体、祝われることが不服だなんて、どういう了見なの!」
「あー、まあ、人の好意を無碍にするのは褒められたことじゃあねえわな。特に女の好意をな」
 言いながら、ランサーは凛を真っ直ぐに見上げた。
「けどよ。嬢ちゃんは、オレよりもずっと、アーチャーのめんどくせえ性格を分かってんじゃねぇのか。あの石頭を柔らかくするのは、トーフの角で頭かち割るよりも難しいぜ、きっと」
 ランサーの面妖な言い回しに、アーチャーが「突っ込みたい」という気配を伝えてくる。もっとも、ここにアーチャーは“いない”ことになっているので、ランサーは公然と無視した。
「そりゃそうだけど……」
 一方の凛は語気を濁す。
 だが、そのまま萎んでいくかと思われた凛の勢いは、何故か更に増した。
「けど、おかしいわよ納得できないわよ! 自分には幸福を感じる価値など無いって……。そうやって、わたし達の気持ちに背を向けることが、かえって相手を傷つけるって分かってないんだから、あの馬鹿は!」
「分かってても、どうしても受け入れられないことがあるんだろ。それが男の意地ってもんさ」
 常にそりが合わないはずのアーチャーを、明らかに弁護するランサーに、凛は鼻白む。
「何なのよそれ。男って、ほんとにめんどくさいわね」
「ああ、実にめんどくさい生き物だぜ、男ってのはな。けどな、その意地を失くしちまったら、男は男じゃ無くなるんだ。どんなにそれが傍からは馬鹿みたいに見えても、よ」
 相変わらずランサーの口調は軽いものだったが、声はひどく真摯だった。激しくも短い生涯を駆け抜けた、このアイルランドの大英雄――クー・フーリンの最期は、横たわって死ぬのではなく、立ったまま死にたい、と、石柱に体を縛り付けたまま息絶える、というものだった。そのような最期を遂げた彼であるから、その口から「男の意地」という言葉が出てくると、あまりにも説得力を持って聞こえてくる。
 やがて、凛はしょうがないわね、という風に溜息をつき、顔を上げた。
「ランサー」
「ん?」
「アーチャーを見かけたら、帰れって伝えてちょうだい」
「おう」
 あくまでも優雅に、遠坂凛は身を翻す。
 その背が完全に見えなくなってから、アーチャーが再び実体化した。
「……すまん、助かった」
「別に良いけどよ」
 相変わらず、飄々と釣竿を握りながら、ランサーはマジで馬鹿なヤツだなお前は、とアーチャーに聞こえないように呟いた。霊体化して、凛に見えないうちなら、ここを立ち去って何処かへ行くことも出来たというのに、それをしなかったのだから。
 ランサーに自分から相談を持ちかけた以上は、それを中途で放り出していく訳にはいかない、礼を失するというのだろうが。律儀というか、何というか。
「何が具体的に嫌だっつーんだ、お前」
「……」
 ランサーの問いに、アーチャーは、相変わらずの渋面ではあるが、答えは明確に返した。
「……おかしいだろう」
「おかしいって?」
「この身は、既に死したる身だ。私は、死んで後も、生まれた日を祝われるような聖人偉人ではないし、君のような尊ばれるべき英雄でもないのだから、筋違いだ」
「ははぁ……」
 思わず、ランサーはまじまじとアーチャーを見やり、しみじみと納得した。
 うん、やっぱりこいつは石頭だ。掛け値なしの石頭だ。自分が納得できないことは絶対に承服できない、本気で呆れた石頭だ。こいつの体は、剣じゃなくて意地だけで出来てるのかもしれねえ。まあ、あんまり素直なアーチャーってのも気持ち悪い気がするけどな!
 またしても当たりの気配に、ランサーは釣竿を振り上げる。糸の先にぶら下がっていたのは、またしても鯖。
 ランサーはマイペースで釣りを続けながら、一応、言ってみた。
「減るもんでもないだろうに。めでたいんだから、別にいいじゃねぇか」
「私には、気持ちだけで充分ありがたい。目に見える祝いは、現世を生きている者に与えられるべきだろう」
 これである。本気でこういうこと言うから、嬢ちゃん達はきっと、こいつを放っておけないんだろうなあ、とランサーは思った。
 自分のことよりも、他人を大切にすること。それ自体は悪いことではないのだが。
 何事も、過ぎたるは猶お及ばざるが如し、である。
「――アーチャー。いい逃亡方法ってのはな」
 ランサーが肝心の本題を切り出すと、アーチャーが頷いて真剣な眼差しを向けてくる。
 が。
 徹頭徹尾して、召喚されてこの方、マスター運に恵まれない幸運Eの槍兵は、
「諦めも肝心だ」
 きっぱりと、そう言い切った。
「な……」
 アーチャーが絶句するが、それこそがランサーが到った、いわば「悟りの境地」なのだから仕方が無い。何かちょっと悲しくなるが。ランサーにしてみれば、嬢ちゃんがマスターで何の不満があるんってんだこの野郎、といったところだ。
 最初の召喚主であるマスターであるバゼット・フラガ・マクレミッツは騙し討ちに遭い、次のマスターであるマッチョ外道神父の言峰綺礼は陰湿野郎で、更にその次のマスターの毒舌シスターことカレン・オルテンシアはとにかく人使いが荒い――ランサーのそんなマスター遍歴を思い起こすと、さすがに気の毒になったアーチャーは掛ける声も無い、といった風情で立ち尽くした。
 微妙な沈黙が、男2人の間を繋ぐ。潮風に乗った、ウミネコの声だけがみゃあみゃあと能天気に響いていた。
 そこへ。
 別に、ランサーがわざと示し合わせたわけではないのだが。
「アーチャー!!」
 凛とは別物の少女の声が、流れてきた。
「アーチャー! 凛の言ったとおり、本当にここにいたのですね!!」
 港の入り口に姿を現したるは、清澄な雰囲気纏う美少女だった。むん、とばかりに肩を怒らせる姿すらも可憐な騎士王は、つかつかとアーチャーに詰め寄ってきた。
「セイバー……」
 アーチャーは若干の冷や汗と共に、僅かに後退(あとじさ)る。ひゅう、と、やや調子っ外れな口笛を、ランサーが吹いた。
「凄ぇな、女の勘ってヤツか。何だよ嬢ちゃん、気づいてたんじゃねえか」
「ええ、一旦、自分がこの場を去ったら、アーチャーはきっと油断するから、そこを連れ帰りなさいと」
 ランサーに首肯しつつ、素早くがっちりと、アーチャーの腕を抱え込んだセイバーは、決して逃がさない構えである。
 色んな意味で、対アーチャー最強兵器・セイバーの登場に、アーチャーは完全に退路を断たれた形だ。
 あかいあくまは、やはり伊達ではなかった。
「さあ、戻りますよアーチャー! 皆も、貴方が戻ってくるのを待っています」
「セ、セイバー、私はだな……」
「往生際が悪いですよ。覚悟を決めて、おとなしく祝われてください」
 何とかアーチャーは抗弁しようとするが、セイバーは自身の宝具“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を振るったがごとく、そんなものはあっさりばっさりと一刀両断だった。
「……だが……」
 翠緑の両瞳が、なおも渋るアーチャーを見上げる。
 そこに浮かべられていたのは、実に穏やかで優しい笑みだった。それは、たった1人、アーチャーだけに向けられたものだ。
「私は、貴方の(・・・)誕生日を祝いたいのです。アーチャー」
 そのセイバーの言葉と笑顔に、アーチャーは言葉を詰まらせた。勝負あり、王手(チェックメイト)
 胸ほどまでの高さしかない金の髪の少女に、長身のアーチャーが成す術なくずるずる引きずられていく。何とも、微笑ましくも可笑しな光景だった。
 それを見届けたランサーは、にやりと笑い、
「Happy Birthday、アーチャー……ってな」
 聞く者のいない祝福を寿ぎながら、悠然と釣り糸を垂れた。

 貴方がこの世に生まれてきたこの幸福の日に、最大級の祝辞を!
 ――生まれてきてくれて、ありがとう、と。

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