デビルマン

原作明君  今更何をかいわんをや、のかの『デビルマン』である。書籍でもインターネットでも、ほぼ語りつくされただろうが、今年(2002年)は、『デビルマン』生誕30周年である。TVアニメ版のDVD-BOXも出たことでもある(大変嬉しい)し、あくまで個人的に、『デビルマン』を語りたいと思う。

 ……何つってエラソーに言っておいてアレだが、つい二、三年前ほどは、アニメの「デッビィィィィーーール!!」の印象しか無かった。アニメとは全く違うストーリーの、原作の存在は知っていたが(昔、アニメ雑誌を毎月買っていた頃、原作に準拠したOAV版が出たからである)。ついでに原作が、美しく、かつ恐ろしく無惨なラストを迎えることも、知ってはいた。余分な知識の吸収は早いのである。そんなものだ。
 が、ついぞ手にとってみようという気は起こさなかった。それが手に取る気になったのは、ふとしたことから『マジンガーZ』に回帰したことが契機としか、言いようが無い。
 幼稚園にも入る前の子供の頃、従兄の家の桜多吾作版の『マジンガーZ』に執着し、そんなに好きだったら、と貰ってしまったこと(もうぼろぼろで、破れ、抜けてるページもある)。記憶に残ってる中で一番古い玩具が、超合金のグレートマジンガーだったこと(腕のところについているボタンを押すと、ばねでパンチが飛ぶ、20センチくらいの大きさだったと思う)。年を取って(……)、懐かしい場所にふらふらと舞い戻ったのは、人間の帰巣本能というやつか。違うと思うけど。しかもデビルマンがマジンガーに脱線。


 ともあれ。
 久しぶりに『マジンガー』に触れ、ここで永井豪の代表作とも言われる、『デビルマン』を読んでなきゃ詐欺だな。と、講談社漫画文庫での『デビルマン』を購入。何で復刻版にしなかったのかなー。文庫の方がお手軽サイズだから……でしょう。

 で、原作版『デビルマン』である。
 この漫画をリアルタイムで読んだ人は、トラウマになったと言われるほどの、衝撃のラストを迎えるが、それがために傑作・名作と惜しみない称賛を送られる作品である。静かに進行していた、デーモン族の人間界への侵攻。デーモンの魔の手から、密かに人間を守る、主人公・不動明。
 デーモン族の勇者アモンと合体し、人の心を持つ悪魔人間・デビルマンとなった彼は、戦いで血を流し、肉を裂き、何よりも、苦悩する。そして、恐れる。愛する人に、自分の正体がばれることを。悪魔の存在が露見し、人間が醜く拗け、自ら破滅へと突き進んでいくことを。自分が守ろうとしていたものは何だったのか。人の身体を捨ててまでして、何のために戦ってきたのか。人の心を失わなかったが故の、悪魔と人間との相克があまりにも痛々しい。そして、最後には信じるべき人、守るべき人、愛する人、希望も幸福も何もかも失い、親友と思っていた飛鳥了=サタンとの熾烈な戦いの末に、絶命する。またこの最後、月明かりの下で静かに了が話しかける、明君は実は下半身が無い、という強烈さ。
 この後半の流れが凄まじい。作者本人も「憑かれたように」描いた、と言っているが、予断を許さない、怒涛の展開。私は事前に知っていたのに、それでも、美樹ちゃんの殺される場面に、ショックを禁じえなかった。リアルタイムで読んでいた人への衝撃は、比べ物にならないだろう。

 対して、TVアニメ版『デビルマン』。
 私達の世代では、『デビルマン』といえば、こちらのアニメ作品を連想するだろう。関係ないが、あのOP&EDは名曲だ。特に、何処か寂寥感漂うEDなんか秀逸だと思うが。OPの、「あれは誰だ 誰だ 誰だ」のブラスに合わせて、明君の後姿がカメラでアップになっていく演出も好きだ。
 続きものの原作と違い、アニメは一話完結(例外は13話と14話で、ラストが繋がっている)。基本的に、一話につき、サブタイトルになっている妖獣が登場し、デビルマンと戦う、ヒーローもののスタイルである。
 とはいえ。
 原作と違うのは、話のスタイルだけではない。主人公の設定からして、原作とアニメとは真逆だ。
 原作の不動明は、デーモン族の勇者アモンを乗っ取った人間である。しかし、アニメの不動明は、人間の不動明を殺して(!)、その身体を借りたデビルマンが本体。もっとも、だからと言って、どちらが優れているとか劣っているとか言うのはナンセンス。実際、充分(過ぎる)に「オトナ」の年齢である私だが、どちらも、違うそれぞれの面白さがあると思った。
 アニメの明君が、実は二次元の初恋の人だった、幼い頃のヒーローだった、という人も少なくないはず。シリアスな原作の明君とはまた別種の、確かに魅力のある主人公なのだから、アニメの明君も。

 有名なOPの歌詞にもあるように、裏切り者として、同族のデーモンと戦い続けるデビルマン。が、彼は人類や地球のために戦っているのではない。「デーモンも人間も知っちゃいねえ。地球がなんだい。ゼノンがなんだい。そんなもの、ミキに比べりゃ問題じゃねえ! そうよ、俺にはミキがいる!!」(二話)「おめーらは裏切り者扱いするが、俺に取っちゃ、地球も人類も塵芥同然で、滅びようがくたばろうが、知ったこっちゃねーんだよ。ホントだよ、おい!」(三話)……これだ。
 もう、一事が万事、ミキちゃんのため。裏切り者の名を敢えて受けたのも、人間を滅ぼしたら、ミキちゃんが悲しむから。基本は「愛」なのだ、「愛」。たった一人の女を愛し、例え自分の命に代えても守り抜こうとする、恋愛ものでもあるのだ、『デビルマン』は。
 アニメでは、デーモンは勇者デビルマンを骨抜きにした、ミキちゃんを邪魔に思い、あの手この手で殺そうとし、明君はそれを防ぐ。赤いバイクに乗っているが、白馬の王子様パターンである。正体を明かさないところも白馬の王子だ(『燃えろアーサー 白馬の王子』のことです念のため。若い者にはこの例えも分かるまい……)。
 1クール目の明君は、当たり前といったら当たり前だけど、基本的思考はデーモンのもの。デーモンの仕業による災害や事故をニュースで見ても、「おーやるやる! 派手なことするじゃねえか!」「おっ、燃えてるー。景気いいじゃん!」とか歓声を上げこそすれ、悼む気持ちはない。で、ミキちゃんに怒られる。事故の話大好き明兄ちゃん(タレちゃん談)。後半は、徐々に思考も行動も人間らしくなっていくが。基本的に、無邪気であっけらかんなのだ、アニメの明君は。唯一のネガティブポイントといえば、原作と同じ「悪魔の正体を、美樹(ミキ)ちゃんに知られたくない」。

 実際、アニメの明君は荒っぽくて元気で、カラッとしてて(ミキちゃん談)、ついでに自ら「オチ」を引き受けることも多々ある。まあ、学校ではいわゆる「不良生徒」。ベルト振り回して暴れるわ、枕持参で昼寝するわ(笑った)、定番の早弁はするわ(廊下でまで)、学校はバイクで抜け出すわ(単に自分がムカついたから)、遅刻はどうやら日常茶飯事(登校するだけマシかも)。が、いざという時には、デビルマンに変身して勝つ! という決めるところはばしっと決める。
 また、田中亮一氏の演技がいい。人間・不動明は高校三年生らしく、変身後のデビルマンは20代の青年(に私は見える)でより精悍に、と非常にメリハリがきいていると思う(のは目と耳にかかったフィルターかな……)。


 いずれにせよ。
 原作によアニメにせよ、「不動明=デビルマン」は、「愛のために戦う」男である。牧村美樹への愛、である。
 原作の悲愴さは、その「愛」のため、悪魔の身体と能力を得ても失うことがなかった、人間らしい心のため、一種そこに明君が「殉じた」ところにあるのではないかと思う。人間に絶望し、しかし悪魔にはなることが出来ず、あくまでも悪魔人間として、サタンと戦う明君。
 それだけに、『デビルマンレディー』で、あっさりとサタン側についてしまうのはどうよって感じで……。美樹ちゃんはどうしたのよ、明君! くそう、途中まで不動ジュンは実は牧村美樹だ、と思って読んでたのに!! それなら明君が「愛する人」って言っても、問題も違和感もなかったのに!!(繰言)

 えー。
 繰言がつい出てしまうのも、ファン心理ゆえということで。


 何にせよ、原作漫画は形を変え、版を重ねて、読まれていく。けれど、映像という媒体は、出版に比べてなかなかそれが難しい。今、大人になって、子供の頃の昔に触れた、懐かしいのに新しいヒーローに出会えたことは、この上ない幸福である。はっきり言って、大声で言えないが(日記でさんざん騒いでいるだろうが)、無茶苦茶ときめいた。それは、きっと『マジンサーガ』3巻の解説で、大原まり子氏が「原初のエロティシズムにドキドキしたものです」と書いていたのと同じ感覚もあるだろう。否定しない。だって、特に小松原一男氏の描くデビルマンなんか、エロいと思ったもの……。締められたり縛られたり打たれたりして悶えすぎなんだもの……ごにょごにょ。

 腐った墓穴話終了。

 世代を超えて、読み継がれる原作漫画。
 時代が下っても、輝きを失わないTVアニメ。
 それぞれに何時でも触れられる、このことはとても贅沢で幸福なことだと思う。
 こんな感じで、DVD-BOXにエキサイトしている毎日。やれやれ(でも楽しいからいいのだ)。好きだぞ、『デビルマン』!!
アニメ明君
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